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≪伯国日本移民の草分け≫  鈴木貞次郎著作 (その9)
≪伯国日本移民の草分け≫(その9)は、珈琲園生活に戻り二十三から二十六までの4編、6000字弱が続く。10月に入り飛蝗(バッタ=ガハニョット)の襲来を受ける。詳細が細述されているが、出石さんが最初は、必要がないとの判断で省略していた部分ですが、初めて読む人には、参考になると思い直し追加として送って呉れた部分である。出石さんのご厚意に従い全文を掲載して置く。最後は、やはり珍しいタツーと云う珍しい動物に遭遇し穴に逃げ込む前に捕まえて電線工事用の針金に括り農場事務所に持ち帰り皆に見せる。子供たちの喜ぶ姿の描写、風呂場に囲い逃げ出さないようにするも与えた餌を食べず3日目に死んでしまうところで(その9)は、終わる。写真は、出石さんばかりに頼っていないで自分で探す努力をしようと検索でタツ(アルマジロ)の写真を探しました。


 二十三
 多様の人間のなかに生活しながら、感情も言語も全く隔離された独りぼっちは只体験した人のみの了解し得る底知れぬ孤独のうら寂しさである。
 しとしとと降りつづく雨、聖州の雨季のこうした夜が海底を思わせる様な重々とした物悲しい世界に人の心を導いて行く。何処からともなし聞こえて来る虫の音は夜明けの近づいた事を知らせる。
 隣に住むスペイン人園丁の室からゴドンゴドンと言う音がしてきて、まもなく、
「マリア、マリア、もう珈琲が出来たよ!」
 これは嬶孝行な園丁の声である。ねむたげな返事をしたマリアは、それでも起き上がる気配さえない。私の異性…女に対する儚ない追想と懊悩とは愈々深まって、70センチメートルの狭いベッドの上に名状し難い混乱した重たい頭は上げる事さえ出来なかった。そこに沈鬱な厭世観が新しい力を持って迫って来る。
      ×   ×   ×
 10月20日頃であったろうと思う。どんよりと曇った空には時々太陽の光線が明るい青空を見せて居た。事務所の前にはメネゴニ支配人と二、三人の監督が立ち話をして居た。突如、
「スズキ、スズキ」
 けたたましい支配人の声がしたので、私は外へ走り出た。
「見ろ、見ろ!!!」
 指さした空を見ると、そこには、うすぐらい点々とした何物かが動揺して居た。
 不思議?不思議?
 私は、只
「何です?あれは、ふむ、あれあれ真っ黒な物が動いて来ます。」
 呆然として見つめた。
 それは丁度、私の地方で冬の初めの頃に降り出す綿をちぎった様な大きな断片…ぼた雪と言って居る…が降って居る光景に髣髴たるものがある。無数の黒点が密集団を作って、とかく曇りがちな空をバックとして徐々と進展して来る。雲ではない、氷雨でもない、勿論セミトロピカルの聖州に雪の降る訳はない。
「何んです?」
 私は再びこう叫びつつ奇怪に堪えない面持ちで不思議な集団の進行を注視した。
「ガッファニヨート」
 誰やらが答えた。
「スズキ、お前はガッファニヨートを知ってるかね?」
 支配人が言った。私はこの奇妙な名のついたものの何であるかを想像することさえ出来なかった。
「知りません。ガッファニヨートは鳥? 虫?」
「アハハハハハ」
 支配人も監督も崩れる様に笑った。
「見たまえ、そら!もう飛んで来たぞ。」
 遠目には鳥とも虫とも判断することの出来ない群れの先駆者がハラハラと飛んで来た。それは蝗であった。蝗の大集団であった。

          二十四
 蝗の群れは農場内の植物…草となく、木となく…苟くも(※いやしくも)緑色をしたものを見るとまっしぐらに下りて来た。マンガ樹やミカンの樹に鈴なりに止まった無数の蝗は樹全体を茶褐色に見せた。余りに密集した蝗の群れの重さで遂に枝が裂け落ちたのもあった。
 コーヒー園や間作地に落ちた蝗は、柔らかに成長した唐黍や、ささげ豆を片っ端から喰いつくして影もとめざるに至った。移民達はブリキ缶や板をたたいて蝗を追い払おうとしたが、何の効果もなかった。人力を以ってどうする事も出来ない事を見た移民達は、神にたよる外なかった。クラビンニョス町からカトリック僧を招いて、水に塩をふりまいたり、何かまじないめいた御祈祷をしてもらった。蝗は皮肉にもカトリック僧の面前でほしいままにその喰わんとするものを喰った。
 雨晴れの輝いた道を通ると、草のないキレイな赤土の上に蝗は円陣を作って産卵をして居る。こう言う場合彼等は踏み殺されても逃げ様としない。卵は螺旋形をして居って長さ一の至る二半センチメートル、太さ半センチメートル位で、土中に深さ七、八センチメートル位の穴を掘る。卵の数は五十から百迄の数であるが、六キロスの重量の卵は百万個あると言うから、あの無数な蝗群の産む卵の数は恐らく宇宙の広さを計る様な最大級数に達するであろう。
 卵が孵化するには二十五日から六十日を要し、成長するのに五十近くの日数がかかり、その間に六度脱皮すると言うことである。
 州農務局は蝗群撲滅の対策として各農場主に溝渠の開削をなさしめ、これに跳躍する蝗群を追撃せしめた。蝗は数十メートルの高空を自由に飛んで一挙幾十キロメートルスの遠きに達するカパシターゼを持って居る。現にアルゼンチンの草原からブラジル国の南大陸、パラナ両州を横断して聖州に入り、今やまさにその進路をミナス州に転ぜんとしつつある位で、少なくとも一千里を飛んで居る。この自由にして大きな能力を持ちながら、彼は一度着土して産卵を始めるや、恰も飛ぶことを忘れたものの様に只跳躍するに過ぎない。(勿論低所は飛ぶ)この習性を利用して深さ1メートルス以上に達する溝渠には一定の距離を置いて更に深さ半メートル内外の方形の穴を掘って居る。人間に追われて逃避する蝗群は器械体操でもする様にパタリパタリと溝渠の中に飛び落ちて行く。まもなく蠢動する蝗で一杯になったその方形の穴が埋められて、新たな穴が掘られる。それが又埋められて更に開削が始められる。幾度もこう言う労作が繰り返される。さながらこれ一種の塹壕戦である。
 うその様な事実は蝗群のために汽車の運行が停止したと言うことである。勿論それは鉄道のレールの上に止まった蝗をひき殺した油のために、汽車の進行難に陥ったので、その大群が山をなしたためではない。
 州政府はこの対イナゴ戦の為に九人の検視官、三人の監督官を任命し、イナゴ買収費として三十コントス、雑費として十コントスを計上して居る。確実なことは解らないが、州政府から蝗群撲滅費として支出した金高二百コントスに及んだと言うことである。

          二十五
 蝗が飛び去ってから急に農園は閑散になって来た。毎日毎日雨が降りつづいて、珈琲樹の若々しい新芽が黒味がかった古い下葉の上に、礼装者の美しい冠のごとく繁り合って来た。コロノ達は新しい希望をかけて、再びささげ豆や唐黍の種子蒔きに、大きな木綿張りの洋傘をさして出て行った。
 流石にいそがし屋の支配人メネゴニ氏も折々事務所の戸口に立って居るのを見受ける様になった。各部落の監督達も蝗退治の頃迄は毎日顔を出したが、この頃は土曜日に来る以外滅多にその姿を見せなかった。従って事務所の小使さんにも多少の骨休めをする時間が出て来た。簿記係のコエリヨさんと、書記のグレオリオさんは一緒になって、
「ススキさん、ススキさん」
 よく私を呼んで、アルミランテ、トーゴーとか、ポルト、アルツールとか日露戦争の話に花を咲かせた。私も自分ながら吹き出す様な不完全な葡語で、これに応答した。
 しかし事務所の小使さんには矢張り嫌な仕事は絶えなかった。
 大降雨、暴風などのあった折はよく事務所と停車場をつなぐ電話線が切断して不通となった。私は馬に乗って濛々たる雨のなかをついて珈琲園内に建って居る電柱を見廻った。ブラジルの生活に新来者の私は雨に濡れることが善くないと言うことは、誰も教える者もなかったので、何の考えなしに、頭から顔へ、首筋から肌へ滝の様に流れる雨水に濡れ鼠となった。実際私の身体には何の異変を起こさなかったし、こうして知らず知らずの間に頑健に鍛え上げられて行った。
 その日は雨後の晴れ輝いた朝であった。私は例の如く電話線切断を発見仕様と、馬の上から一歩一歩注意の目をはなさなかった。電話線はシュンポラヅの谷がチビリサの低地へカーブを作る所に両断されて居た。
 馬を飛び降りんとした私は、そこに異様の怪物の蠢動するのを発見して、思わずアッと叫んで棒立ちになった。
 まだらな赤い針の様な毛のある如何にも強堅な甲羅…鎧を着た様な子犬程な動物が、じゅっと地上に釘づけされた様に這って居る。小さな首と可愛らしげな耳のあるのを見れば、此奴人間に喰いついてくる程にも見えない。
「よし、生け捕ってやろう。」
 私は心のうちで、こう叫んで、さも死せるものの如く、黙り込んで注視の目を放った。
 奴さんそろそろ這い出して来たが、私が少しでも身動きすると、すぐ逃げ足を見せる。なかなか油断がならない。
 よく見ると、この動物から二メートルス位な所に五寸ばかりの穴がある。これが奴さんの巣窟らしい。私と動物と穴とは丁度不等辺三角形を描いて居るが、穴と動物の距離よりも遥かに近い。
「よし、あの穴に走って行こう。」
 私は突として走った。果然奴さんも穴に退却したが、私の足と奴さんが穴にその首をのぞくのが殆ど同時であった。私は力強く思い切って甲羅を踏んだ。動物の根強くじりじりとした驚くべき力、負けてたまるものかと言う私の全身を集中した力。ともすると此の奇怪なる動物が土穴のなかにめり込んで行くのではないかと言う様な感を起こさせた。さればと言って、どう言う防御戦術があるかを知ることが出来ないので、どうしても手をかける危険を冒することが出来なかった。
 幸いに私は電話線修理用の針金を持って居た。(この電話線は至極細いものである)こう思いついた時には、私に余裕が出た時で、もう勝利は眼前にあった。
 私は針金で、ぐるぐると此の動物を縛り上げてしまった。而も何となし物恐ろしい気が先立って馬の鞍に吊り下げてからも尚不安な念を取り去ることが出来なかった。

          二十六
「コエリヨさん、これを見てください。」
 馬を下りると息せきって石段を走り上がった私は、こう叫んで、針金で縛った奇怪な動物を、折から事務所の窓に顔を出したコエリヨさんの前に突き出した。
「タツだ。タツだ。どうして生け捕ったのかね。」
 外へ走って来た。書記グレオリオさんも続いて出て来た。三人は如何にも物珍し気にタツと称する動物を取り巻いた。珈琲の乾かしてない乾燥場に遊んでいた数人の子供も集まって来た。
「かあいそうに、タツは人間を襲うことはありません。」
 コエリヨさんは及び腰になってその不自由なリューマチ質の手をのべるとタツの尾を握った。
「こうして見るとタツも何の力を見せないが、若し此の身体の半分でも穴の中に這入り込んだとしたまえ、たとえ尾が切れても後へひかんからね。」
「なかなか勇敢ですな。」
「蛇と同じですね。」
「蛇どころか君、タツはあの甲羅の断層をふくらして穴一杯になるんですからね。とても超人的な強力を持って居ます。」
 コエリヨさんは書記を顧みて、
「グレゴルオさん、タツの針金を解いてやって下さい。足に糸でもくっつけて置いたら乾燥場を逃げ出す事は到底出来ません。」
 こうつぶやいてタツを書記の前に投げた。タツは運命の命ずるままにその首さへ動かそうとさえしなかった。
 書記グレゴリオはイタリア人丈に未だタツの習性を知らないので、何か恐ろしいものにでも触るようにしてぐるぐる縛って居る針金を解いて乾燥場に放すと慌てて飛びのいた。子供達は小さな棒を持ってその甲羅を突きながら追い廻した。タツは何処か自分のかくれる穴がありそうなものだと言う様にテレーロを歩き廻ったが、敷きつめた煉瓦の上には、彼のとがった堅剛なその口をさし入れる小さな隙さえ発見することが出来なかった。
 私はタツは日本で何と言うかを知らない。辞書をくって見ると「犰狳」とかいて居る。ブラジルに来て居る同胞達は「陸亀」と呼んで居る。
 乾燥場の縁に腰を下ろしたコエリヨさんは、その該博な知識からタツに関する話をぽつりぽつりと始めた。
 タツはDasypodideosに属し四種に分類される。即ち
      Prionodontes.
Xenerus.
Tatusia.
Dasypus.
である。これ等の分け方は主に甲羅の断層の数に依ってせられている。その内で最も興味を引くのはアルゼンチン産のTatu pilloso(Chamy do phoruspillosus)と言うので、長さ僅かに十二の至る十五センチメートルに過ぎない。ブラジル産のはTatu-bola(Tolypeutis Tricintus)又は Tatu-aporaと呼ばれ敵に逢うと直ちにその全身を曲折して手毬の様に丸く転がってしまう。伸縮自在な甲羅の断層が五段になって居る。最も巨大なのは Tatu canastra 或いは Tatuacu(Prionodon gigas 又はDasypus gigas)と言って身長実に1メートル半に達する。甲羅の断層は十二から十三あり、歯の数が百の多数を算する。アマゾナス博物学者として有名なるゴエルデ氏の記する所に依ればインド人ポロロ、バカイリス族の土人達は此のタツ、カナストラの爪を虎の歯などと巧みに組み合わせて、丁度文化人が宝石を連結して首飾りとなす様に彼等は珍重している。甲羅は小児の揺れ床としてパーム葺きの小屋の内に、時としては自然樹の間に吊られる。私の捕ったのは Tatu gallinba 又は Tatu verdadeiro(Dosypus novemecinctus) と称し、甲羅は九段に分かれて居る。耳が極めて小さく殆ど頭に密着して居り、普通のタツの足の指は五本あるが、これは四本に過ぎない。この肉は非常に美味で鶏肉に比しいと言うことから名づけられたものである。悪臭あるのは Tatu Cabelludo と言うので、まばらな赤毛が生えている。その大きさがタツ、ガリンニャと酷似して居るので、初めての人はこれを煮食してその悪臭に当てられてしまうことがある。
 タツは蚊の幼虫、蛹、クウワツユ等を食うのは勿論、死獣の肉も好んで求める。
 白蟻や葉切蟻の巣窟をも襲うて片端から食いつくしてしまう。特に Tatu Cavallo が最も此の習性を持って居る。故にタツの住んでいる地方には、白蟻とサウバ(葉切蟻)は決して繁殖しない。原野などによく白蟻の高堂の林立しているのを見ることがあるが、あれはタツの殆ど住んで居らないことを証拠立てるものである。
 しかし、ともすると此の剽軽者が夜間人家の近辺などを徘徊して、雛鳥を襲撃する事がある。彼の堅実な甲羅は一寸ピストルの弾丸ではその急所を射止めることが困難である。此の頃毎晩の様にコエリヨさん宅のバナナ林のなかに潜在する穴から這い出しては夜の寂寞たる世界に時ならぬ喧騒をかもす。身体の不自由なコエリヨさんがいくらピストルを乱発しても、彼は平然としてその穴から妙に光る目を投げている。
 タツがこう言う悪戯を止めて真剣にサウバ蟻の巣に穴を掘ることがある。一夜のうちに馬車の通行を妨害する様に土の山を路上に盛り立てて居るのを発見することが少なくない。聖州の農場主がタツを保護しての彼特殊の妙技を利用する時代は遠くないであろう。
      ×   ×   ×
 子供達の悪戯に逢って、タツはやや弱り加減に見えた。私は子供等から奪って、それを逃走することの出来ないセメントで塗った降雨式バニエーロ(浴室)に監禁して唐黍の実を与えた。しかし彼はこれを食おうともしなかった。人間の手から豊富に供給された食物よりも、努力して分捕った獲物を欲するのが彼の自然の欲求であった。彼は矢張り葉切蟻や白蟻の巣窟を突撃したり、深夜こっそり雛鳥を驚かす快さを忘れることが出来なかったらしい。
「自然に帰れ」
 アルテヒシアルな生活はタツに取っては牢獄よりも厭うべき世界であった。
 三日目の朝、私がこっそり浴室の戸を開けて見ると、彼は鎧武者の倒れた様に、そのあわれな死骸を冷たいセメンタードの上に横たえて居た。

(※この後、珈琲園生活は二十七から五十七まで続くが、「椰子の葉風」と重複するので省略する。)




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