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「ドニエプル」(その3) 川越しゅくこ
「ドニエープル」(その3)は、5)と6)の出だしを掲載し(その4)に6)の残りを掲載、最終回の(その5)に7)8)と9)を一気に掲載することにしました。その3)は、余った字数を埋める意味でコメント欄を設けました。最終回の(その5)
にもコメント欄を設けることにしています。馬の話は、馬に乗ったことのある人しか理解できないものでしょうかね。ドニエプルとの微如な触れ合いは、理解できないのですが、しゅくこさんの独特な感受性を感じることはできる馬と人の付き合いを感じさせる名編です。皆さんの読後感、コメントをお寄せください。写真は、しゅくこさんが挿絵に挿入しているものの中から選んで使わせて頂きます。


5) まだ、ベッドにいる母を起こさぬようにそっと家を出る。交差点の北側の角に、そこだけがポツンと明かるいパン工場、チロルが見える。マンホ―ルからシュ―シュ―と湯気が吹き上がっている。最近は小売り店だけでなく、近辺のペンションへの配達も増えてきたと主人は言う。いろんなユニ―クなパンを手がけ、それがどれも当たるのだから、円い顔は笑いが止まらない。裏手にまわって通用口の戸を開ける。ここに毎日寄って、自分の朝食用とその日に騎乗した馬へのお礼に、できたてのパンを四個買ってからオ―レ牧場乗馬クラブに行く。
 一年もたつと、わたしは上柳教官の下で指導員として、また競技者として訓練も受けていた。馬房掃除のアルバイトも、新馬の調教をする仕事に変わっていた。わたしは異例の早さで、クラブの馬の責任を担うようになっていたのだ。高石たちの高価な馬の下乗りも機会が増えていた。それは最も気の使う仕事でもあった。もしわたしが馬の筋肉を解きほぐし、騎乗者の指示に敏感な反応を馬に要求してしまうと、今度は、その動きに、高齢者たちの古くなった筋骨が対応できず、それで落馬などすると命取りになる。年配の金持ち上客には特に気を遣う。
 もうドニに乗る機会がほとんどなかった。けれども不思議な空気を直に送ってきた馬は、後にも先にも他にはない。わたしの心の目はいつもドニに向けられていた。どんな優秀な馬に乗ってトロフィをさらってきても、心を通わせる馬がいる、その喜びにまさるものはない。クラブに行く喜びは、彼に会うため。それは心の奥にしまったわたしだけの秘密だった。
「おはよう、チエちゃん、馬ばかり乗ってると、お嫁に行く前にガニ股になっちゃうよ」
 チロルの主人はいつも太い腹を揺すりながらからかう。奥さんも出てきて
「きのうの残りだけど」
 とハチミツ入りニンジンパンをおまけしてくれた。
「たまには採りたてのニンジンとか持ってかないの?」 と奥さん。
「うん。いつも持ってくよ。でもドニエプルだけはね、チロル特製のハチミツ入りニンジンパンが好物なのよ」
 とわたしは白い仕事着の大人たちに叫ぶ。
「ド・ニ・エ::?」
「ド・ニ・エ・プ・ル。ソ連を流れるでっかい河の名前じゃないの」
「こいつァ、たいそうな!」
 と、憎たらしい笑い声。
「ロシア系の血をひいてるって噂なの。だからなのよ」
「馬を持つって大変なお金がかかるんだろう、チエちゃんの馬かい、それ」
 わたしは一瞬言葉につまる。
「ええ、まあ、あたしのペットみたいなものなのよ」
 わたしはじらされているふりをして、
「いいからさ、早く包んでョ」
 と足をゆすった。
 パンは商業型オ―ブンから紙袋へ直行だ。外へ飛び出しても、チロルでのやりとりがまだ頭にくっついている。
 わたしはまだ、鞍はクラブのを使っていた。たいていの会員はそうしている。そして社会人になってから一つずつ買い求める。クラブはそうした会員たちのために、あらゆるアルバイトを用意していた。なかには入会と同時に、親がすべてを揃えてくれる幸運な子供たちもいたけれど、それはごく少数に限られている。だからというわけではないが、わたしはこの状態に充分満足していた。いまはただ、ドニエプルのいるクラブに通うことだけが楽しみなのだ。
 正面には、熱のない生まれたばかりの太陽が現われた。胸に抱いた紙袋は湯気でたちまちしんなりしている。イ―ストの焦げた香りとバタ―の香りが胃を刺激して、よだれが出てきた。わたしは、我慢できなくなって、歯を思い切り剥き出し、クルミパンにかじりつく。朝の金色の光線の中にパリパリの皮がくだけ、飛び散った。目を閉じると喜びが突き上げてくる。その時、ふと体が浮いて、正面の太陽に吸いこまれていきそうな軽さを覚えた。
 アスファルト道路が林道に変わった。丘陵のなかほどで、ペンションの時計台が六時半をさしている。ドニ、ド―ニャ、ドニヤンと節をつけて走っていく。太陽はじんわりと地面をあたため、土をふくらませはじめた。高い梢からふりそそぐオゾンの層がキラキラとまぶたの裏で光る。樹々の皮は鱗片状にはがれ、その開いた唇からとろりとしたヤニを垂らしている。樹の香りと足元の朽葉にむせて息苦しいくらいだ。山々は濃い緑、浅い緑と互いにせめぎあう。ところどころ新芽の細い毛が銀色に萌え、そこだけがまるで霞がかかったように見える。後一か月もすれば、この林道も全国からの観光客で埃っぽくなるだろう。かれらの落としていく騎乗料や宿泊料は競技馬の買い付け資金にわずかでも役立つ。はじめて乗馬を経験するかれらに、クラブでよく訓練された、若い親切な指導員たちのサ―ビスぶりは好評だった。だから観光シ―ズンの常連客は増えることがあっても減ることはない。それはまたドニの出番がさらに増える季節でもある。
 額の汗をぬぐった。見上げると白い雲が流れていた。突然、上空で甲高い鳥の啼き声があがった。遠くの雑木林で別の鳥がそれに答える。それきりだった。静かすぎて耳が鳴るくらいだ。わたしは足を止め、その声の主を目で探す。ふと、翼の影が雲のなかをよぎった気がした。いや、わたしの中を通りすぎたような気もする。心臓に不快な余韻が残り、一瞬のさざ波が立った。
 やがて高台近くまでくると、砂を蹴る規則正しいドニの蹄の音が耳にとどいてくる。さっきの不快さはすっかり取り払われていた。誰の耳にも届くはずのない遠い足音。わたしだけがそれをとらえることができるのだ。

 馬場の中央にいるのは上柳教官と桜王だ。いつになく厳しい早口が耳に入った。わたしはふと立ち止まってそちらの方へ目をこらす。誰の顔も定かではないが、教官の頬の削げたような顔だけは目に浮かべることができる。ヘルメットからはみだす厚い灰色の髪、目尻の下がった一重まぶたがちょっと重たげだ。口数は少ないが、いつでも柔らかい笑い声の洩れそうな唇の形がわたしは好きだ。その彼がいつもより声を大きくしたのでオヤッと思ったのだ。首を伸ばしてその方を見ると、どうやら嫌がる馬の顔を荒っぽく障害に向けている一人がいる。いつか壮年部の高石が話していた指導員だ。馬は歩幅の目測がたたないまま顔をあげて飛越を拒んだ。
「しょうがないなァ」
 こんどははっきりした声が耳に届いた。
「無理な誘導をしちゃいかんよ、馬と話しをしなきゃ」
「・・・」
「もういい。並歩をしてから馬房に帰してやれ」
 独り言のように言ったが逆らえない力がこもっている。指導員は班から離れ、うなだれて下馬した。かれは明日から同僚に教わることになるのだろうか。目の前をその人馬が横切って馬房へ帰っていく。わたしはあわてて目をそらす。教官が桜王をスタ―トさせた。指導員たちは馬を止めて桜王の動きをじっと見る。黒光りした馬体が、埒(らち)にそって軽速歩(けいはやあし)でこちらに近づいてくる。ゆったりした歩様。グィともギィとも聞こえる鞍のきしみ音。獣の息遺い。七百キロ近いドイツ産馬が一瞬にして尻を高く通りすぎていく。彼は静かに障害に進む。馬は乗り手に気を合わせ、首を長く伸ばし、目と耳をしっかりバ―に向ける。走行中とまったく同じリズム。前肢を揃えて折る。黒い馬体が空に静止した。その筋肉は恐ろしい鋼鉄の武器だ。そして、なんと自信に満ちた目。首が二倍にのびる。機嫌の良い確かな着地。足元の地面が揺れた。でも荒々しいと言うにはほど遠い。飛越はむしろシ―ンとしている。思わずため息が洩れた。彼は桜王を常歩(なみあし)にもどし、首をポンポンと愛撫する。称賛に慣れた馬は、彼らの視線が注がれている間、非のうちどころのないポ―ズをごく自然にとっている。立派すぎるその黒馬に、かすかな畏れがわたしの中を通りすぎていく。わたしは、彼の忠告を心のなかで反芻しながら埒(らち)を離れ、クラブハウスのドアを押す。ガランとしたロビーの正面の壁に、有名な馬の画家による桜王が、わたしを見下ろしていた。

 着替えをすませ、足はしぜんにB厩舎にむかう。首を出した栗毛のほっぺたに「オッス」と通りがかりの素早いキスをして一番奥へ進んだ。ドニは、わたしの近づくのを、いつも首を高く伸ばし、脚を踏み、じれったそうに待っている。ハチミツ入りニンジンパンを与えてから、いつものようにしばらくふざけて遊ぶ。ゴムのように柔かい唇をごにゃごにゃともんだり引っぱったりしてからかうと、ドニはまんざらでもなさそうに目を細める。話しかけると、わたしの目をじっと見つめ言葉の意味を知ろうとするのだった。ドニにはこの数か月乗ることはなかった。けれども、毎日ハチミツ入りニンジンパンを与えるのも、わたしの長靴の音に首を高くのばし、鼻を鳴らすのも変わってはいない。 そんな日々を重ねていくにつれ、わたしはドニを自由にできないもどかしさを覚えていた。鉄柵の間から手を差しのばして愛撫することができても、選定所の許可なくしては勝手にその扉を開けることは禁じられている。ドニの飼い主はまぎれもなくオ―レ牧場なのであって、それは分かりきったことなのに、なにか腑に落ちない気分に見舞われるのだ。ひとしきり相手をして気がすむと馬房を離れる。すると彼は柵に顔を押しつけ、わたしの後姿を追う。その目がどこか間抜けた顔をつくるので、わたしはまたふざけたくなって物陰に隠れ、いきなり躍り出たりする。すると、彼はわざとらしい驚きかたで首を振り上げ、脚を踏み鳴らすのだった。

 「ねえ、だめかな」
 選定所のデスクに身を乗り出して、わたしは赤松くんの目をのぞきこむ。彼は曳きだすべき馬の名をリストで調べている。わたしはじれったくなって、机の上に乗り出し彼とおでこを突き合わせながら、思わず脚を交叉させたりほぐしたりしてしまう。
「だめだね、今日は。ドニは初心者が目白押しだもの。チエはブラックジョ―に乗って」
「またァ、やだな、あいつ」
 大学の馬術部から最近貰われてきたその馬は、能力があるけれどかなり気性が荒かった。冗談めいて異義を唱えたつもりだけれど、本心は隠しきれない。
「いつまでドニ、ドニって言ってるの。もう卒業しなきゃ。おまえはそのレベルを越えてんだから」
 わたしはふざけて唇をとがらせた。顔をあげると、ほとんどキスのできる近さに彼の唇があった。彼の瞳が一瞬わたしの唇に揺れて突然顔を赤くしたので、わたしも急にどぎまぎしてしまった。けれども、彼は冷静に馬匹一覧表とその日のスケデュ―ル表に向き直り 
「無理言っちゃ困るよ」
 と不自然なほど強い口調で言った。
「どの馬を出すか決めるのはおれで、おまえじゃない。分かってんだろ」
 わたしは半ばべそをかいてうなづいた。知っていながら、何気ないふりをして催促する嫌なわたし。
「ブラックジョ―は難しいけれど、乗りこなせれば面白い馬なんだぜ。チエにぴったりだよ、そのうち試合に出すんだから」
 その話はもう打ち切りだと言わんばかりにかれは立ち上がった。ドニエプルに当たるチャンスはもうないのだろうか。ときにはプリンス、ベンチャ、スパ―クなどさまざまな馬の背にまたがった。どれも一頭づつ味が違う。けれどもドニの吐く息は違った。感触も違う。あの子は特別なのよ、とわたしは心の内で叫んだ。
 その日、ブラックジョ―は一メ―トル五十センチのバ―をなんなくクリア―して、その直後、得意の横っ飛びからそのまま暴走を開始した。一度グイッと沈み込んで、体をねじるやつだ。わたしは平静でいられた。地面に叩きつけられるなんてヘマはしない。なぜなら、暴走の原因をわたしの目は一瞬の事前にとらえていたからだ。埒の外の大鏡に、ブラックジョ―を驚かせた鳩の影の横切る瞬間を。なだめつつ円運動へ導いていく。馬はつとめて興奮を抑えようと、荒い鼻息を地面に叩きつけていたけれど、そのうちようやく力を抜いた。(どんなもんだい)と選定所を見やると、肝心なときに赤松くんの姿はもうなかった。そのとき、もう馴染みになった別の視線を、第一馬場に感じて振り返ると、あの人と桜王がこちらを見ていた。わたしにうなづいているように見える。おもわず笑いかけると、今度ははっきりうなづいているのが見えた。

 それにしても、珍しくドニにあたると、やはりこれほど自分の腰やふくらはぎがぴったりあう馬体は他にはいないと改めて思う。最初の十分間ほどの肩こり症状は相変わらずだけれど、その後の四、五十分は蹄に羽根を生やす。それを誰に話しても、思い込みが強い子ねと笑われてしまうのが落ちだった。実際、どんな言葉でドニのことを表しても、それが唇を放れたとたん無意味な音のかけらになってしまう。

6)
 いよいよ夏の盛りが訪れた。テラスには、ゼラニュウムやサルビアの濃い朱色と緑があふれている。最近建て直されたクラブハウスをわたしは敵を見るような気持ちで見上げる。絵葉書によくあるスイスの山小屋風建物は、いかにも観光客の受けを狙った派手なペンキで塗りかえられた。馬のいる風景というものは、山の緑と、幹の茶色さえあれば、一番落ち着くと思うのだけれど。BGMの音も以前よりうるさくなったのではないだろうか。 オ―レ牧場乗馬クラブは連日、都会の観光客たちに占領され華やいでいた。第一馬場で若い女性を乗せて軽速歩をしている白い大きな馬体が目に飛び込んできた。彼女はあきらかに恐がっていた。突然、突飛な嬌声をあげるや長い赤い爪の手で手綱をバタつかせて引っ張った。ドニは口を開け苦しげに顎を挙げる。女性の声は甲高い笑い声に変わった。ドニは白目を剥き出して苦痛に耐える。指導員が見兼ねて大丈夫ですか?と女性に声をかけているが、本心はドニを気遣っている。彼は停めるように指示した。わたしはほっとして歩き始めた。自分もまたヤングの一人なのに、ふわふわと群がってくるその種の都会者を憎んでいた。ドニはそんな彼らのための貴重な存在で、出番が他の馬より俄然多くなった。なぜなら彼を名指しでやってくる夏だけの常連客が多かったからだ。
 指導員たちの顔は汗と砂にまみれ、客を乗せた馬の口をとって馬場を回り続ける。わたしの視線はいつもドニを気づかっていた。観光客の騎乗料や宿泊費はクラブのふところを豊かにしたが、例年にない猛暑にまいった馬が四頭も死んだからだ。毎朝、クラブの入口にある馬頭観世音の前で線香をあげ、馬たちの無事を祈る。ドニは自分自身の役割を心得てか黙々と働いていた。炎の底を、息をひそめて働いているような姿を見るにつけ、わたしも同じように喘いでいた。

(コメント欄)
和田:しゅくこさん 「ドニエブル」原稿送付有難う。5回に分けて40年!!ホームぺージに掲載させて頂き。LIVEDOORに転載後、皆さんにもMLで流すようにします。一気に読むのも良いでしょうが5回ぐらいに分けて楽しむのも良いですね。私も楽しませて貰います。

東海林:しゅくこさん 「ドニエプル」ありがとうございます。結構大作ですね。ゆっくり読ませていただくために、印刷したところです。東京国体は、1959年でした。あの年の高校生の馬術競技は、自馬ではなく、一頭の貸与馬を交互に乗って競うスタイルでした。
私が初めて所有した「自馬」ウイスキーのエッセイを添付します。ご笑読いただければ幸甚です。
https://mshoji.wordpress.com/2010/10/16/31%e8%96%84%e5%b9%b8%e3%81%ae%e6%84%9b%e9%a6%ac%e3%83%bb%e3%82%a6%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%83%bc/

東海林:しゅくこさん 「ドニエプル」読ませていただきました。文章の生々しさから、フィクションとは思えず、少なからず、ご自身の体験が元になって綴られたストーリーのような印象を受けました。馬と親しんだ人にしか解らない、馬と人との心の交流の真実と、それに伴うチエの若さ故のリアクションが、良く表現されていると思います。ただ、ストーリーはあくまでも女性特有の感性によって描かれており「馬と女性」の関係と「馬と男性」のそれとは、かなり違うことが感じられ、それが私にとっては新鮮で、興味深く読ませていただきました。

東海林:しゅくこさん 前便の続きです。
私はブラジル移住の是非に迷った瞬間がありました。それは、馬術でオリンピックを目指す可能性を感じた一瞬のことです。乗り手としてオリンピック・レベルに達する自信はあった。しかし、馬術には「馬」という相棒が必要です。オリンピック・レベルの馬といえば、その価格は法外なもので、我が家の経済状態では、馬を所有する可能性は「ゼロ以下」だった。人から借りた馬で競技に出るのは、人のふんどしで相撲を取るのと同じで、論外です。競技で(たとえ練習でも)馬に怪我をさせるリスクは常にあります。その時に「ごめんなさい」では済まない。そんな夢はあり得ないと判断して、ブラジル行きを決めました。「ドニエプル」を読んで、改めて自分の判断は正しかったと思いました。
私と妻が、遠乗りで山道を走っていた時の事です。妻が調子にのってスピードをあげた。山道には石がむき出しているところがあり、それを踏んだ馬は足を滑らして前のめりになり、妻は頭越えで前方に放り出された。そのまま直進した馬は、目の前に落ちてきた妻を一瞬踏みかけたが、出かけた前足を引っ込め、頭からドンデン返しになって、妻の横にもんどりうって倒れ込んだ。お蔭で、妻はかすり傷だけで難を逃れました。私は、すぐ後ろからそれをはっきりと目撃していて、「馬というのは何という責任感の強い動物だろう」と感嘆したものでした。「ドニエプル」が、障害でつまずいた瞬間の足運びで、チエを庇ったために致命傷を負ったというくだりは、馬乗りにしか理解できないデリケートな描写だと思います。

東海林:しゅくこさん 続き・その2 「ドニエプル」とそっくりな馬に出会うファイナルが感動的です。
外人が日本人のことを皆同じに見えるように、ほとんどの人たちには、どの馬も同じに見えるものです。馬に馴染んだ者は、一目で馬の特徴を把握し、他の馬と見間違えることはない。1990年、クリスマスの前日、有馬記念でオグリキャップが勝利した日、私は日本の実家に居て、テレビでその場面を見ていました。優勝後にアップで繰り返し繰り返し流されたオグリキャップの姿が、私の脳裏にはっきりと焼き付いていました。十数年後、馬のセリ市で、そのイメージそっくりの馬が現れた。私は、その馬をセリ落としました。人間でも、世界に同じ顔した人が少なくとも一人は居る、と言いますね。

しゅくこ: 東海林さ〜ん、和田さ〜ん & みなさまへ 
和田さん、いつもありがとうございます。
毎日たくさんの投稿に対応していらっしゃる和田さんですが、ただでさえお忙しいのに、わたしの拙文(おまけに長い)を
ホームページに掲載、ブログに転載、寄稿文に残す、 云々といった一連の作業でお世話をかけています。それががどんなに大変か、わたしには分かっているようで実はあまりわかっていません。 
なのでお言葉にあまえて遠慮なく送らせていただいています。
お心遣いに感謝しています。muiito obrigada
東海林さん 嬉しいメッセージをありがとうございました。
はじめて持った愛馬、ウィスキーの話を読ませていただきました。
写真でみるとほんとにとても賢そうでハンサム(美女?)ですね。
艶々としているのは餌だけでなく、いかに愛されていたか一目瞭然です。
放馬中の事故がなかったらいまでも20才くらいで元気だつたかも? 残念です。
わたしの馬アーサーは24才で預託していた養老牧場で亡くなりました。(この経験から、東海林さんが最初に読んでくださった「二度目のいななき」が生まれました)
その他のお話も、みんなドラマチックですね。
オグリキャップによく似た葦毛はもしかして海岸を走っていらっしゃる写真のボナンザですか?
今回添付された写真はオグリキャップ自身ですか? あまりにも似ているので目を疑いました。
馬事公苑の国体で景山祐三さんから「ウチの大学に来ないか?アスリート優待制度がある。」と誘われたお話などもよくわかります。
馬とお金の問題は選手でなくても、昔も今もいつもついてまわりますね。
とくに日本は狭くて乗馬人口も少ないこともあってとてもお金がかかります。
わたしがアーサーという自馬を持つたときは(この子が長生きしすぎて、預託代が払えなくなったらどうしょう)と胃が絞られるように痛みました。
その時は包丁をもっていって刺し殺してしまうかも、と半ば冗談とも真剣とも突かない気持ちになつたものです。
でもアーサーが長生きするにつれて、一日でも長生きしてほしい、と養老牧場までしょっちゅう通ってブラシを当てたり、軽い散歩をさせたり、できることはすべてやりましたので、ひとかけらの悔いもありません。
(写真の左の黒鹿毛がオーストラリアから来た馬場馬術用に生産されたアーサーです。)
幸いバルブが弾ける前の時代でしたので、そのための火の車はうまくすりぬけ、包丁をもって・・なんてこともなく大事に最後までみることができたのでした。
馬は東海林さんのように自分の牧場をもって自分のやり方でやるのが一番理想的ですね。羨ましい話です。
そこにクラブや預託牧場が介入すると、馬主との間に馬をはさんでとかく問題が起きることが多いです。またお話を読ませてください。muito obrigada



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