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「しゅくこのジャカランダと少年の心をもったおじいちゃん」その2 川越 しゅくこ 
しゅくこさんのアクセス600万回記念祝辞第4弾のその2です。ポルトアレグレの街には、ジャカランダの花が咲き始め散歩時に良くしゅくこのジャカランダがあった並木道を通って事務所に出かけますが、今も老木のあった場所にトッコだけを残し残骸がそのままになっており、このしゅくこさんの書き込みをコピーしてトッコの傍に埋めてやりたいと思っています。交通事故で折れてしまったしゅくこのジャカランダが残って居ればきれいな花を今年も付ける季節になっており、近くのジャカランダを眺めながら思い出しています。しゅくこさんが選ばれた写真と共にBLOGで読んで貰えるとより効果が期待できますね。HPには、少し変わったジョン君の写真を使うことにしました。


3) 浮浪者? ボヘミアン? 通りかかったジョン君

翌日、かれはまたこの樹の下にやってきた。見上げる「しゅくこのジャカランダ」は新鮮な空気と太陽の光を浴びたせいか、紫色の花びらが宝石のアメジストのように輝いている。
はてさて、問題は脚立でとどかなかった最上部である。「どうしょうか?」とかれはジャカランダにひとりつぶやく。(思い付きで名付けてしまったこの「しゅくこのジャカランダ」こんな目にあうとは、やれやれ・・)とかれが思ったかどうか、わたしは知らない。すくなくとも体力の衰えかかったかれには、やれやれの一言くらいは頭をかすったであろう。
かれは樹のそばに立って思案にくれていた。そのとき、すぐ斜めに30代くらいの上半身裸の男性が、短い棒でゴミ箱の中をかきまわしていた。カールした真っ黒なショートヘアにキャップ、頬から口までびっしりはえたひげ、引き締まったこげ茶の肉体。まとっているのは、おへそから下を隠した迷彩柄のパンツだけ。どうやら空き缶、空き瓶を拾ってお金に代えているらしい。
人種のるつぼ ブラジルでは、こんな風景はごくふつうに身近にあった。男性は和田さんと目が合った。まっすぐにみつめる瞳にはお愛想やお世辞、そんな社交儀礼的なものがない。ただ生きていることがそのままむきだしになっていて、ある種のすごみがあつた。
「なにしてる?」男性が言った。太陽で焼けた健康的な体臭がそよ吹く風のなかをかすめた。事の一部始終を説明する和田さんに大きな黒い瞳で瞬きもせず聞いている。
「手伝おうか?」男性は和田さんのもっているナタに眼をやった。
「ありがたい。20レアイス払うよ、やってくれるかね」初対面の浮浪者風のかれがどれだけの仕事をしてくれるかに疑問がある。缶ビール7缶くらいの謝礼でいいかと内心思った。かれは無表情に受け取ってポケットに押し込んだ。

それから、木を仰ぎ見るや持っていた棒を器用に支えながら、まるで野生のサルのように弾みをつけて登っていった。隣の枝のいくつかにナタをふるう。まきついたツタ類は素手ではがす。
その写真を見ながら、わたしは背筋がかゆくなった。
裸の素肌にまとわりつく、そのコケやツタ、中に棲むであろう虫たち、そんなもので素肌はかゆみとかアレルギーにならないのだろうか。
わたしなら、たぶん皮膚科に直行にちがいない。
和田さんは落ちてくる枝や着生植物に気をつけながら、その仕事ぶりにひきつけられていた。そして20レアルは少なかったな、という思いもちらっとかすめる。男性は伸び放題の枝葉の茂みの中で野生の一部と化していた。みるみる開けていく透き通った青空を背に、その姿は芸術的ともいえるまぶしい瞬間だった。

やがて、20レアルには十分すぎる丁寧な仕事を終えるとスルスルとおりてきた。
和田さんは自分の名を名乗ると相手はジョンと言った。そしてついでにかれの写真をたくさん撮らせてもらった。主催しているブログにこの一部始終を報告するためである。かれは乞われるままに、素直にカメラをじっとみつめて被写体になった。視点のぶれないピタっと相手に定まった対等な眼の力。そこには浮浪者であろうが、弁護士であろうが、社長であろうが、ブラジルの太陽の下に人は平等であった。太陽と花木と動物と果物の豊かな広い大地にあって、白人や東洋人より、むしろ褐色の人種の方がこの大地には一番溶けこんでいる感じがする。
     
ジョン君はシャッターの切る音が続く間も無表情にカメラを正視している。個人情報などと騒ぐいまどきの社会とは無関係の、ゆるやかでおおらかな空気と光のなかでじっと立っている。ホームレスとか浮浪者という言葉のもつ惨め(みじめ)で荒んだ(すさんだ)イメージではなく、昔耳にした懐かしい詩的な響き、「ボヘミアン」という言葉の余韻をまとって太陽の中に溶けて、そんななかで生きる。もしかしてジョン君は「ぶあいそうな手紙」の映画の主人公のように隣国のウルグァイから何かの事情でブラジルに流れてきたのかもしれない。

ブログでこの報告の写真を見たとき思い出した。
そういえば、前日のイタリア人の金物屋さんでであった男性もマルコといった。
わたしは小学三年生の頃読んだ「母をたずねて3000里」のイタリアの少年の主人公の名がマルコであったことを思い出した。貧しいイタリア人のマルコの母親がジェノバの港から南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに出稼ぎに行くのだが、その頃のヨーロッパの移民たちは南米にも流れてきたのであろう。マルコさんはそういったイタリア移民の子孫かもしれない。
いまのこのCovid19 による閉鎖的な世界にあって、反対に19世紀の終わりころ、ちょうど帆船から蒸気船に映る時代で人の移動も貨物の運搬も活発な時代だった。ブラジルは9か国と国境を接していて、出入りの多い多民族国家である。遠くアジアからもたくさんの人が移っている。たとえば、日本からの最初のブラジルへの移民は1908年である。国土面積が日本の22.5倍。狭い日本からあるぜんちな丸などに乗って移住された方々は、「母をたずねて三千里」の物語とどこか重なっている部分もある。

さて、
「しゅくこのジャカランダ」は長い間(わたしはこの樹令を知らない)まとっていた汚い服を脱いでもらい、身軽になって光の中に宝石のような紫の房を咲かせ再生したのだ。そして、そのあとに硬い茶色の大きなせんべい型のサヤがぶらさがった。それを割ると綿のような薄っぺらい小さながタネいっぱい入っていた。この樹の子供たちである。
その樹は他のジャカランダとは違って半年も花を咲かせ続けた。
もしかすると、まれにみる生命の強い個体だったのかもしれない。
善意と陽気な人たちに助けられて、この「しゅくこのジャカランダ」の命はつながった。
若者は若者なりに、年輩は年輩なりに行動のパターンはおのずと違ってくる。
和田さんは自分のできる範囲でこの樹の命を助けたのだ。

市は並木の植栽管轄まで手がまわらないのか、気がつかないままなのか、いずれにしても和田さんは罰金に科せられることもなく、またわたしから市長あてに書いた三枚の嘆願書も結局は和田さんに保管されたまま使わないで済んだ。これもまた和田さんのブラジル生活から、この程度なら見通しが効くという先見の明があったからこその判断だった。

最後に和田さんはブログでこの一部始終に写真を添えて以下のようなおしゃれな冗談で締めくくった。

a) 主犯兼教唆(きょうさ=そそのかす)犯。和田。
蛮刀を購入、50レアイスを払い伐採を受け負わせた。

b) 幇助(ほうじょ=助ける)罪。近くの金具屋
蛮刀を売って、目的を話し古い脚立を貸して呉れた。

c) 実行犯は、マルコとジョン。
イタリア系移民のマルコさんと浮浪者風のジョン君

4) 風だけが聞いていた

しかし、ちょうどそのころから、管理人の和田さんと植栽のプロである前田さん(故人)との間に、ブラジルの国花イペの広め方などについて意見の食い違いがではじめ、前田さんは脱会することになった。そして有隅先生もご自分の研究に専念するためか投稿がなくなった。
前田さんの体は癌が巣食っていたにもかかわらず多くのメンバーが彼に会いに鹿児島にでかけてずいぶんあちこち案内してもらっている。そのことがブログに載っている。わたしの記憶だけでも、和田さんご夫妻、斎藤さん、丸木さん、マリコさん親子、石田さん、池田さんを思い出す。
事実わたしもお邪魔することになっていたが、当日来客の予定がおありだったので遠慮をした。それだけに彼の脱会はショックであった。
和田さんも心を痛めていたに違いないが、どうしても譲れない確固とした信念が両者にあったらしい。

こうして、接しているうちに命びろいしたこの樹は毎日やってくる和田さんと心で会話をするようになっていた。
その日、樹の周りで漂っていたそよ風はこんな会話を聴いている。

「ある日、突然「しゅくこのジャカランダ」と命名されたこの老木のわたしは、最初は変わったおじいちゃんがよく話しかけてくるな・・くらいの軽い気持ちで見ていました。
かれはいつも汗をぬぐいながら笑顔で話しかけてきます。

つい最近は、近くにいる男性たちと力をあわせ、わたしにおおいかぶさっていた重い衣をとりはらつてくれました。はじめて浴びた光のシャワー、おいしい空気、頬をなでる涼しい風の音、自分自身の花の香り、そのすべてをわたしの胴、手足、そして指先までいまだに覚えています。
いつもは、少年のようにニコニコしている彼の日焼けした顔が、今日はいやに弱々しく別人のように見えました。肩を落とし、腰も少し曲がり、口元がだれてしわが深く刻まれています。その人は幹に手を添えていまにも倒れそうな体を支え、わたしを見上げました。
その口元から悲しいため息が一つ洩れました。
「仲間とうまく心が通じあわなかったよ。お互いに大好きな友達なのに、譲れない考え方の違いでね。どちらも言わなくてもいいことまで言ってしまった・・・」。
かれは数瞬、下を向いていましたが、やがて何かを決心したかのように弾みをつけて、体を放しました。
「しばらく恒例の訪日の旅に出てくるね。帰ってくるまで待っててよ」

わたしがなにかの元気をあげたとすれば、かれのポケットに収まった一輪の薄い紫色の花びらと、わたしの生んだすこしのタネ・・かもしれません。

「待っててよ、」それは優しい温かい言葉。
その響きには再会の希望、相手への責任、互いの愛情などのぬくもりを感じさせます。ですが、彼の姿が消えたとき、なぜか妙に心に刺さる言葉となりました」

5)「さよなら、しゅくこのジャカランダ」

和田さんはこのタネを訪日の際に会うわたしたちにお土産にしょうと小袋にいれてトランクに収めた。ご夫婦は年に一度は帰国し、日本のブログのメンバーたちと一緒に食事をする。

そのころはまだ、趣味程度のプレゼントなら少量のタネのもちこみは検疫が厳しくなかった時代である。輸出とかでなければ、国によって違うがゆるい法律であった。昨年頃から日本は厳しくなっている。実際に、わたしもアメリカにいった数年前は、なつかしい駅のホームの植え込みにあったオシロイバナのタネを数個記念にもち帰った。時代はまだおおらかで、厳しい罰則はなかった。

和田ご夫妻は在外日系人に割安なレールパスを使って三週間の日本滞在を精力的に回り、わたしの住む三田にも遊びにこられた。そして故郷日本を堪能されてブラジルに帰っていった。

映画「ぶあいそうな手紙」はいまどき珍しいスクリーンの両端から幕がスルスルと閉まってきて the endとなった。
この作品は、わたしの予想通り素晴らしいできばえで幕を閉じた。

わたしもまた、このポルトアレグレを舞台にした「しゅくこのジャカランダと少年の心をもったおじいちゃん」のストーリーを投稿という手紙の形で終わりの幕を閉じたいと思う。

■和田さんからの手紙

「訪日中に起きた最大の変化は、散歩道で出くわした(見ることが出来なくなった)いたわしい、しゅくこのジャカランダの残骸でした。余りの驚きに呆然自失、その場に座り込んでしまいましたが、翌日あのイタリアの金具屋さんを訪れ、「しゅくこのジャカランダ」の終焉の様子を聞かせて貰いました。
1ヵ月近く前、我々がポルトアレグレを発って日本に着く直ぐの頃に大型トラックがカーブを切りそこなって「しゅくこのジャカランダ」の一番元気な花を付けて居た枝を直撃、へし折ってしまったそうで、それでも2日間程、生きていたが腐りかけていた本体が、倒れてしまい、市役所の清掃局のトラックが来て綺麗に片づけて行ったそうです。
「しゅくこのジャカランダ」の終焉を見届けて呉れていた金物屋さんとマルコさんにお礼を云って戻って来ました。しゅくこさんに伝えるのに躊躇していましたが、意を決して報告して置くことにしました。
老木とは言え存在感のあった綺麗な花が咲くしゅくこのジャカランダの樹の喪失は大きな痛手となりました 謹んでご報告して置きます。
入口のガラス戸越しにあのジョン君が残骸の前でしばし立ち止まり、やがてとおざかっていきました。

しゅくこからの返信

「和田さん、ご報告ありがとうございました。
老衰で自然に枯れ死したのならともかく、カーブを切りそこなった愚かなトラック運転手の犠牲になるなんて・・。悔し涙がでます。
和田さんや、マルコさん、ジョン君など。良き人たちの力を借りて、身体にびっしりまとわりついた衣を脱がせてもらったり、たくさんの写真に撮ってもらったり、話しかけてもらったり、いろいろ手をやかせた「しゅくこのジャカランダ」。
いつか会えるかもしれないと夢をもたせてくれたこの老役者にふさわしい、まさかのあっと驚く幕引きでした。
あるいはもしかして、これはさよならと見せかけて、実はその残骸の根元からまた新しい芽がでてきたりして、新しい舞台の幕開けになるのでしょうか?

でも、和田さん、今日はいい報告があります。
喜んでください。植栽のベテランである旧友に、和田さんが採種してもってきて下さった「しゅくこのジャカランダ」のタネの育成を頼んでおいたところ、冬を越し、背丈も20cmくらいに伸びて、ここ日本で新しい若葉をつけてきました。それを今日届けにきてくれました。写真をごらんください。

新しい命の成長を見守りたいとおもいます。
いろいろとたのしい思い出をありがとうございました。

                           (完)



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