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豪華客船の旅 サンパウロ州ジアデマ市 松村 滋樹
私たちの40年!! ホームページ600万回アクセス達成の祝辞をジアデマ市にお住みの松村滋樹さんが,第6弾を送って呉れました。松村さんは、丸紅の機械本部に勤務している時にポルトアレグレ市の郊外のグアイバー市に工場を持つFITSA社に機械を売り込み、機械の補修等も兼ね招かれてFITESA社に勤務、その後中国系の養鶏所AVIPAR社、ポルトアレグレ富士フィルム社に勤務の後、サンパウロに戻りました。もうかれこれ30年以上のお付き合いです。カリフォルニアの村さんと同じ移民船さくら丸の同船者との事、世間は狭いですね。着伯40周年記念の豪華客船の旅を当時邦字紙に掲載した原稿を写真と共に送って呉れました。祝辞第5弾として残して置きます。写真は、さくら丸の同船者5組の記念写真だそうです。


私たちの40年!! ホームページ600万回アクセス達成の祝辞
ホームページ600万回アクセスは私に想像できない数ですね。これだけホームページが長く続き、一定数の参加者があってこその達成ですね。おめでとうございます!
しゅくこさん カリフォルニアの村松さんが祝辞を送っておられます。村松さんの投稿に大坂商船の移民船「さくら丸」と出て来ましたが、私達は3年遅れの同船者ですね。

1966年7月30日出港の「さくら丸」に乗船した私達は色々な移住者が乗っていましたが、「コチア青年」と呼ばれた青年とその落ちこぼれ組で呼び寄せに変更した私は茨城県の内原訓練所時代から現在に至るまで家族の様なの付き合いを続けています。年に3、4回はサンパウロ市の料理店に集まり、渡伯5年毎に旅行など派手な企画をします。

渡伯40年目の2006年は「豪華客船の旅」でした。確かサンパウロ新聞かニッケイ新聞の投稿した文章です。

写真の張り付け方は得意でないので写真何枚が送れるか分かりませんが試しに送ってみます。

ジアデマの松村


豪華客船の旅 サンパウロ州ジアデマ市 松村 滋樹
 記録破りの暑さで、街の人たちが喘いでいる時、私達は豪華客船に乗って三泊四日の船旅を楽しで来た。デッキに立てば心地より潮風が頬を撫で、客室やレストランは冷房が効き、セーターが必要な位快適だった。
 四年程前、同船者仲間から渡伯四十周年記念に船旅を楽しまないかと話を持ちかけられた。異国で四十年近くも汗水垂らして働き、恐らく人生の半分は過ぎただろうから、今後の生き方を模索している時だったので私はすぐ賛同した。神戸や横浜の港からトランク一個下げて乗船した、あの移民の原点に返れば良い答えが見つかると思った。
 いつもの事で、サンパウロに住んでいるから便利だろうと、私が企画と旅行社との折衝役を任された。幸い、一九六六年(昭和四一年)七月三十日、神戸港出港の「さくら丸」の乗船者名簿があったので、方々に呼びかけた。新聞でも同船者会お知らせの広告を載せて貰った。アマゾン河口のベレン港で降りた人、アルゼンチンやパラグァイに移住した人、すでに日本に帰国した人を除いても夫婦参加なら五十人は集まると期待したが、結局五組十人しか集まらなかった。
 ちょっと寂しい四十周年記念なので、義母や伯母、妹夫婦、友人達を誘った。旅行社も呼び掛けに応じてくれ、続々集まり、総勢四八名となった。 サントス港第三一埠頭に接岸している客船はさすが豪華客船、見上げる船は真っ白でスマートだ。四十年前、新造船だった「さく丸」より美しく、段違いに大きい。でも、あのタラップだけは同じだった。心躍らせ、一段ずつ登る。 ...思い出せば一九六六年の夏の神戸は暑かった。移民収容所から繁華街に下りる、細くて急な坂道は特に暑かった。
後三日もすれば出港だ。移住先のブラジルは熱帯で、もっと日差しが強いと聞く。これ位の暑さに負けてはいけない。熱帯の鳥が鳴き、色とりどりの果樹に囲まれた邸宅を頭に描くだけでも楽しかった。
 船内は一流ホテルの豪華さ。四万トンのバハマ船籍「アイルランド・エスケープ号」は一七二〇名の船客が乗れる。私達のグループはこのおびただしい船客に溶け込んでしまった。これだけの船客に五四〇名の乗務員が応対するので、レストランでも船室でもサービスは心配ない。
 豪華客船サントス入港のニュースを聞くたびに、いつかは乗ってみたいと思っていた。昨年十二月にサントスに入港した豪華客船は八艘だと聞く。カー二バルまでのシーズン中、ブラジルの観光地を巡るクルーズが何十本と用意されている。
 船の旅は贅沢で、移民船でもそうだったが、まず驚くのが食事。ブラジル産の豊富なみずみずしい果物やジュース、ヨーグルトに燕麦のスープもある。新鮮なハム、ソーセージに熱々のベーコンと焼き卵を済ませたら、コーヒーをすすってパンやビスケットを食べても良い。こんな高級ホテル並みの朝食から始まり、毎日献立が変わる二四時間営業のバイキング料理から予約制のおしゃれなレストランまで、食事には事欠かない。とても食がすすむのか、高齢者でも次々とお代わりしていた。
 船はサントスを出港、リオ州の有名な海浜に寄港して、またサントスに帰る短い航海だった。観光地ブージオの浜辺はあこがれの地だ。船は沖合いに投錨したが、あいにく波が高く、陸まで船客を運ぶライフボートが船に横付け出来ない。上陸を断念して下船地をイーリャ・ベラに変更した。安全第一を考えた船長の判断に、船客からの抗議は少なかった。
 ちょっとした街を呈する船には、様々な娯楽設備が整っている。一番人気のあるプールサイドは、早朝でないといい場所を取れない。エアロビクスやジョギングで汗を流し、カジノをちょいと覗いて、映画やアトラクションを観れば退屈はしない。私はデッキに立って、大海原を眺めながら潮風に吹かれた。水平線の彼方に目をやり、そのずっと先にある島々や大陸を想像するのが気持ち良かった。
 厳冬を逃れてヨーロッパからやって来た観光客が降りた後の船で、私達庶民でも豪華客船のクルーズが楽しめるようになった事はとても喜ばしい。
 七三年振りに船に乗った伯母達は、東南アジアやインド、アフリカの港で見聞した面白い出来事を飽く事なく語り合い、楽しそうだった。
 四十年前の「さくら丸」の思い出は、スクリューの音を聞きながら船尾に立って眺めた真っ白い航跡の流れる先に残っていて、私はそこで瞑想出来た。
 渡伯四十年たった今、移民として誇りを持てる人生だったのだろうか。異国の地で様々な出会いがあり、沢山の人に支えられて来たのだが。
 これからはうんと社会に奉仕して、この世に私が存在したという、私の軌跡を残したいと願う。
一九六六年七月三十日神戸港出港さくら丸移住者 
二〇〇六年三月 渡伯四十周年記念



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