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「W-40」600万回アクセス達成に寄せて 東海林 正和
私たちの40年!! 600万回アクセスへの祝辞、第6弾になります。東海林君は、神戸高校の2年後輩になりますが、ブラジルでは2年先輩になります。最初にあるぜんちな丸でブラジルに来た時は、移住船に乗って来たれっきとした東京都の農業移住者でしたが、2年間ブラジル全国を放浪して歩く早稲田を2年間休学していた学生でした。定住先がないので郵便物は、東海林君達の勤めていたサンパウロの城島商会でした。神戸高校卒業生が集団でお世話になっていたのでサンパウロに戻って来ると手紙を取に行き皆と会っていました。64年に大学を卒業するために一時帰国、65年ブラジルに戻って来ました。時は流れ、長女弥生がRS州の連邦大学の新聞学科を卒業し就職したのが東海林君の日本で発行しているポルトガル語の新聞JORNAL TUDO BEMと月刊誌MADE IN JAPAOでした。2年間の期限付き就職で契約解消後は、ブラジルまで戻すとの約束だったので仕事は気に行っていたようですが2年で帰国、40年!!のポルトガル語版を手伝って呉れていました。
知りすぎた間柄、話題が個人情報に走ってしまいましたが、写真は彼が送って呉れた乗馬姿の英姿です。


「W-40」「W-50」の主催者・和田さんは、神戸高校で私の2年先輩です。当時、神戸高校には或る「風評」がありました。それは、生徒の質が隔年で「優秀」と「並」に替わることです。奇しくも、和田先輩と私は「優秀」の年度に属していました。その年度には、不思議なことに、有名国立大学への合格率が上がり、スポーツでも全国的に好成績を収めるのです。在学時代、接点はなかったのですが、和田さんは、応援部に所属されていて、「旧・一中vs二中(現・神戸高校vs兵庫高校)」との、サッカーや野球の定期戦で、応援団長として壇上で声を張り上げ、全校生徒を一つに「まとめ」て、応援を盛り上げるという目立つ存在でした。そんな和田先輩が、私から2年後に、ブラジルに来られるとは夢にも思わぬことでした。1962年の渡航に際し、「アルゼンチナ丸」で、船内新聞を発行したり、「W-40」を発足させたり、元々人々を「まとめ」るセンスに長けておられたのでしょう。その存在がなければ、「W-40」「W-50」が、今日まで継続し、アクセス600万回という偉業達成は、あり得なかったと思います。本当に、おめでとうございます。
私は、1960年に西回りの「ルイス号」での渡航でしたが、同船者は100名そこそこで、今では数名の顔と名前を思い出すだけで、一人として接点がありません。それに比べ、50年以上に亘って連絡をとり続けている「W-50」のメンバーには憧憬を禁じ得ません。そんな「W-50」に和田先輩との縁で、飛び入り参加させていただくことになり、メンバーの方々との接点をもたせていただくことになったことは、私にとってこの上ない喜びであります。和田さん以外は、お一人も面識はありませんが、そのコメントから、それぞれのお人柄に想像を巡らせることは、殊の外、楽しいことです。
豪放磊落、時にホラっぽい丸木さん:コメント回数ダントツ、マメだがどことなくとりとめのない松栄さん:万事に博学、でもチョット肩が凝る古谷さん:広域に知識が豊富、たまにニヒルが覗く榎原さん:たまのコメントがシビアな駒形さん:馬談議が楽しいしゅくこさん:アマゾンに生きるナデシコ昭子さん:移民に近くて遠い存在の出石さん:コメントがバランス感覚抜群の村松さん:メッセージに心遣いがうれしい齋藤さん:タイガース狂、いつも指摘が的確なコメントの杉井さん:メキシコ小噺で笑わせるユーモリストの富田さん:今では、メールを開けるのが楽しい日課の一つになりました。私にも「エイジシュート100回達成」という、目標があります。「W-50」は、さらなる上の目標を目指して、今後もますます継続・発展されんことを祈ります。(供述にに失礼な部分があれば、どうかご容赦ください。)
東海林

(コメント集)
古谷:東海林さん 古谷です
貴殿は、乗馬・ゴルフの達人であるだけでなく、文章を書いてもなかなかの筆づかいだと常々敬服しております。
文章は結構長い割に、途中だれる事なく、最後まで一気に読ませる筆力は、随筆・小説を書いてもメシが食えるのではないかと思っております。加えて、和田氏主宰の「W50年会」の数多くある会員の文章の癖(特徴)を良く掴んで描写する点も非凡な才能の持ち主と思い、ひょっとして仕事を間違えられたのではないかとまで案じています。
扨て、折角の名文に水を差して恐縮乍ら、戦後の学制改革で、神戸市内の旧制中学は、東から西へ、一中〜四中は、夫々「神戸」「兵庫」「長田」「星稜」高校と名を改めました。従い、仰っている「旧制一中vs二中の対抗戦」とあるのは新制の神戸高校vs兵庫高校の事で、長田高校ではありません。
斯く申す私は、長田高校を昭和30年に卒業しました。我が母校も隔年ごとに学業の出来・不出来があったかどうかは良く分かりませんが、一年上は滅法野球が強く、県予選決勝で芦屋高校に壱対零で負け、甲子園へ行けなかったのですが、その芦屋高校が全国制覇したのです。私の年度はスポーツはからっきし駄目でしたが、進学率は例年になく良かったのです。教師の進学指導の所為もあったのでしょう、東大理壱は3/3、東工大は壱/壱、京大工学は3/3、同文学は壱/壱、と有名校への進学率は良かったのです(但し、それ以下は滅茶苦茶)。別信で書きましたが、進学率の良さは、生徒のオツムも然る事乍ら、教師の指導力に負う処も大きいと思っています。

東海林: 古谷さん 2中は兵庫高校の間違いでした。ご指摘、ありがとうございます。ちなみに、私は出版社を経営しており、この職業を殊の外気に入っております。
P.s. 和田さん 申し訳ありませんが、転写の際に、2中を兵庫高校に訂正をお願いします。

和田: 東海林さん お便り有難う。祝辞第6弾として明日、掲載させて頂きます。古谷さんとのメールのやり取りも一緒に掲載して置きます。神戸2中(兵庫高校)に訂正して置きますのでご安心下さい。この50年には、貴方の城島商会の元上司、山下先輩(10回生)がいますよ。忘れたくても忘れられない上司ではないですか?



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