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W40年!! 600万回に寄せて 和田さんとの出会い 出石美知子
W40年!! 600万回アクセス記念祝辞の第7弾は、神戸の旧移住センター(移民収容所=移住斡旋所)で2009年6月に『移住ミュージアム』がオープンした最初からもう11年も毎日曜日訪問者への語り部として奉仕しておられる出石美知子さん(おみち)が初めてお会いした時のことをメモ帖から抜き出して送って呉れました。訪日時には、郷里神戸には、必ず立ち寄っており毎回移住ミュージアムを訪問していますが、出石さんと初めてお会いしたのは、リオに住む次女の茜夫妻を帯同して訪問したのが初めてだったようです。干し柿を頂いたのは、良く覚えています。次回訪問時には、今年仕入れる干し柿を冷凍して置いて呉れるとの事、是非また頂に行きたいです。そんな機会が早く訪れることを願っています。写真は、送って頂いたイペーの花が咲く移住ミュージアムの写真を使わせて頂きます。渋柿の写真は、BLOGに掲載して置きます。有難う! おみちさん。


和田さん W50nenのみなさん
「私たちの40年」600万回の閲覧、おめでとうございます。
世界のどこかで、誰かが開いた1回・1回が積み重なって600万回にもなったのですね。
凄いことですね。
これも和田さんの長年にわたるご苦労があったればこそだと思い感服しております。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
私はW50nenに参加させていただいた中ではまだ間がない方だと思いますが、「和田さんと初めて出会った日」のことを残させていただこうと思います。

文中に出て来る「干し柿」ですが、翌年和田さん達が訪日されたときに恵子さんに1袋差し上げたことを思い出しました。
今年も渋柿を取って来ました。
来年訪日できるようなら、また差し上げられるようにしっかり冷凍して残しておきますね。
楽しみにしていてください。

 「日曜日、暇?」と友人からかかって来た電話がきっかけで、2009年6月に『移住ミュージアム』がオープンしたその6月から、毎日曜日にボランティアをする様になってもう11年が経ちます。
 ブラジルのこと、移住のことには全く無知だった私に、当時日曜日に私と一緒に案内をしていた、ブラジル移住を50年以上も研究していた故黒田公男さんが、初心者の私の「何故?なんで?」との問いに、嫌な顔をせずに丁寧に教えてくれたことに今更ながら感謝しています。

 初めのうちは黒田さんの説明を聞いて覚えることに夢中でしたが、しばらくして落ち着いてきたころから、立ち話で案内した人以外の、来られた方から聞いた体験談や、話がはずんで事務所に案内した人のことなどを「ボランティア日記」としてメモする様になりました。

 先日、別の目的で「ボランティア日記」を読み直してみますと、和田さんとの初めての出会いのことが書いてありました。

 この出会いがあったからこそW50年のみなさんとも知り合えて、しゅくこさん、はなさん、マリコさんともよいお付き合いをさせていただいていることを思いますと、本当に「縁」というのは不思議なものだと痛感しております。

(和田さん、なにぶん初めて出会った日に書いたもので、こんなにお世話になる方だとは知らなかった時のメモ書きですので、お気に障ったり、思い違いをしていることもあるかも知れませんがご容赦くださいね。)

 では「ボランティア日記」をそのままコピーします。

 2016-10-16(日)晴れ 

朝、ミュージアムに行くと天辰さんが
「今日は和田さん夫婦が来るで・・」と言った。
内心『和田さんて誰?』と思いながら「そうですか」と答える。

声の大きな人が「和田です」と入って来た。
天辰さんが親しそうに話している。
壁の白板には今日の日付の欄に「和田家族」と書いてある。
奥さんと娘さん夫婦は元町の高架下の店見学をしているので、一人だけ先に上がって来たとのこと。
昭和37(1962)年に「あるぜんちな丸」で渡伯したとのこと。
山手小学校に通っていたそうだ。
早稲田の3年生の時に学移連から誰それさんの農場に入って、農業従事者の資格を取って、東京都からの農業移住と言うことでポルトアレグレに入ったとのこと。
その時は681人の船客とのこと。
2年後に一度日本に帰って早稲田に復学して、卒業してもう一度渡伯したとのこと。
その時は23人がリオグランデの港に降りたが、迎えが来てなくて、船がヴェノスアイレスへ向かうのを心細く見送ったと言う。
ポルトアレグロ市が50周年になるので、8月18日を日本の祭りの日と決めて、何か催しをしなければならなくなった。
今年は6回目で、金沢市とポルトアレグレ市が姉妹提携をしている関係で、金沢の兼六園の石灯籠を寄贈してくれることになった。
これから金沢と九州の耶馬渓に行く。
10月27日に帰国する。等々。

奥さんは1960年12月28日にアメリカ丸で渡伯した西村恵子さん。
連邦大学で教えていた時、変な大統領がいて、「大学の教授は国籍がブラジルでないとダメ」と言われて帰化した。家族で自分だけがブラジル人だという。娘さんは領事館に届けてあるので日本国籍を持っているとのこと。
娘婿はブラジル人で日本語はダメとのこと。
1階に降りて奥さんたち三人にこの建物の由来を説明する。奥さんが二人にポルトガル語で説明してくれた。

事務所で、去年の干し柿を冷凍していたのを持って来ていたのが3つ残っていたので「どうぞ」と言うと、ご主人は1つ食べて奥さんが2つとも食べた。ご主人が奥さんに娘さんに残さなかったのか?と聞いていた。
私は「美味しい、と思って食べてくれたのならそれでいい」と思った。

和田さんと名刺交換をした。
和田さんが帰り際に私に向かって「出石さん・・・・・に登録しておきますよ」と言った。
よく聞いていなかったのと一瞬何のことかわからなくて思わず「あっ、はい」と返事していた。
私の傍にいた奥さんが娘さんと目配せして「・・・一杯メールが来るよね」とクスッと笑いながらささやいていたのが目の端に入ったのが何となく気になった。



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