ラテン・マジックについて その1とその2 桜井 悌司
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暫く投稿のなかったラテンアメリカ協会常務理事の桜井 悌司さんから投稿原稿を送って頂いたので適宜ホームページに掲載することにさせて頂きます。15年半メキシコ、チリ、ブラジル、スペイン、イタリアに駐在されたJETROのベテランとしての経験をベースに書かれた面白いエピソードをラテン・マジックとして14項を通じて日本との違いを指摘しながら説明をして呉れている。分かりやすいエピソードを通じてラテン・マジックを学んでみよう。ブラジルに半世紀以上どっぷり浸かっている私などは、なるほどと頷きながら楽しませて頂いた。写真は、桜井さんにお願いして送って頂いた「地元のコミュニテイで海外での経験を話す筆者」とのキャプションが付いていた写真です。 |
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メキシコ、チリ、ブラジル、スペイン、イタリアに15年半駐在した。スペイン・ラテン、ポルトガル・ラテン、イタリア・ラテンと3つのラテン世界を経験できたのは大いなる幸運であった。大学時代にスペイン語を勉強したので、かれこれ50年以上のラテン世界との付き合いである。それらの経験から、私の考える「ラテン・マジック」につき紹介したい。
エピソード1 頼まれ案件がいつの間にか、こちらが頼んだ案件のようになるというマジック
ラテン世界で長年過ごしていると、いろいろ頼まれることが多い。仕事上で、何か一緒にやりたいとか、こういうプロジェクトやプログラムを計画しているので,助けて欲しい等々である。こちらは気がいいので、総じて引き受けることになる。日本では、通常、頼んできた人は、最後まで謙虚で、頼んだことを覚えており、そのように振る舞う。しかし、私の印象によると、ラテン世界では、引き受けた時点で、依頼者と引き受け者は、対等になる。対等ともなれば、依頼者は、その後も、いろいろな要望、要求、注文出してくることが多い。その内、どちらが依頼し、どちらが引き受けて助けているのかわからなくなってくる。私も何度もこのような経験をしたことがある。まるでマジックのように攻守が入れ替わるのである。日本人が心しておくべきことは、前述のように、引き受けた時点、契約した時点で対等になることをしっかり理解しておくことである。このことがわかると、日本で見られる広範囲な上下関係は、海外では全く通用しないことになる。例えば、アッセンブラーと部品供給企業は、上下関係はなく、対等であるし、金を貸す方と借りる方も対等となる。そこから、アルゼンチンの債務問題にみられるような、「貸したほうが悪い」という論理も出て来るのだ。
エピソード2 途中、ハラハラさせられるが、最後にはつじつまを合わせるというマジック
ラテンの人々に物事を頼んだり、協力してもらったり、一緒に仕事をすると、ほとんどの日本人は、ハラハラ、ドキドキ、イライラさせられることが多い。なぜなら、彼らは、日本人が考えるようには決して動いてくれないからである。何事も周到な準備をし、計画に従って、物事を進めないと心配でしょうがない日本人と物事を十分に詰めなくても得意の即興性で何とかやっていけるラテンの人々との差である。しかし、不思議なことに終わってしまえば、ちゃんと辻褄があっており、決して完全とは言えないが、体をなす形で終了しているのである。全員がホッとして、今までの心配は一体何であったのかと思ってしまう。これもラテン・マジックと言えよう。日本人も現場にいる人は、これらのことを理解しているが、本社や本部の心配性の人々に理解してもらうのは並大抵ではない。
エピソード3 突貫工事マジック
ラテンの世界では、万国博覧会でも、見本市でも、オリンピックでも、ワールドカップでも準備が大幅に遅れ、ハラハラさせられることが多い。一般的に、世界的な大イベントともなると、工事が遅れるのは全く普通のことである。日本は、万国博覧会や国際博覧会で予定通り、パビリオンの建設を進める世界でも数少ない国の一つである。したがって、日本の場合、世界レベルでいう突貫工事は少ないのである。リオのオリンピックでもサッカーのワールドカップでも準備状況が遅れていたことは周知の事実である。しかし、心配するには及ばない。彼らには、突貫工事力というマジックパワーがある。いざ間に合わないときはどうするのか? それは簡単である。開会式を実現するために、ドラスチックに優先順序を明確にするのである。細部の体裁はすべて後回しにして、テレビで撮影されるような絵になる場所の工事を最優先し、何とか開会式に間に合わせるべく突貫工事を行うのである。ラテン人の得意技である。開会式が終了すると、細部の工事の完成に向けて、ゆっくりと再開させるだけである。このように彼らの突貫工事は、日本人のようにすべてを満遍なくやるということではない。
エピソード4 自分たちファースト・マジック
トランプさんは、いつも「アメリカ、ファースト」と叫んでいるが、私の印象では、ラテンの人々は、総じて「自分たち、ファースト」である。例えば、アポイントを取得して、いざ出かけて行くと、待たされるケースが時折ある。自分たちの都合で待たせる場合もあるし、上司に急に呼ばれて、そちらを優先する場合もある。相手の都合は、それほど眼中にないのである。
その昔、サンパウロに赴任直後に、ブラジル全国貿易会議がリオで開催された。貿易とならばジェトロの出番だと考え参加することにした。ポルトガル語も全く十分では無かったので、出来るだけ前の方に座ろうとしたところ、そこは、ブラジル人のための予約席だと言う。そこで当方は、貿易と言うのは、外国との取引である。となると、外国人ビジネスマンが最優先されるのが当然だろうと主張した。最後は、サンパウロから参加したブラジル人ビジネスマンが応援してくれたので前の方の席に座ることができた。ブラジルでは、常に「ブラジル人ファースト」であることがよく理解できた。
エピソード5: アミーゴ・マジック
以前、「ラテン世界でフラストレーション無く仕事をする方法」というエッセイを書いた。結論的には、問題を解決するために、日本で10日間がかかるとすれば、ラテンの世界では、どれほどかかるかを考え、15日間かかるとすれば、15日前に準備を始め、途中で2回ばかり進捗状況を尋ねるといった単純な方法である。これをやることによって、私自身、あまりフラストレーションを感じず仕事ができたように思える。しかし、この場合、アミーゴがいないという前提である。アミーゴがいれば、解決時間が俄然短くなる。場合によっては、5日間で終わることも可能である。それゆえ、ラテン世界では、アミーゴをたくさん作るようにすべきである。ではどうすれば、アミーゴをつくることができるのか? 最も簡単な方法は、食事を共にして、お互いの性格、考えにつき、理解を深めることである。なぜなら一緒に食事をすると、相手の時間を比較的長く取れるので、様々な話題につき意見交換でき、相手の性格、能力等も把握できるからである。外国の要人と仲良くなる方法は、彼らが訪日した際に、本社や本部に、親切にアテンドしてもらうことである。誰でも、見知らぬ海外でアテンドしてもらうとありがたいものである。日本人にとって、ラテンのアミーゴを作る上で、心すべき点は、忍耐強くあることである。何故なら、アミーゴを作ろうとすると、相当の時間を取られることになる。食事でも付き合いでも、日本人間と比べると、はるかに時間をかけることになる、また時折、日本人から見ると、公私混同的なことが起こる。それらの事態に対処するには、忍耐や我慢が必要なのである。
エピソード6: 攻勢に転ずると手が付けられないマジック
例えば、サッカーでもバレーボールでもボクシングでも、ラテン系の国のチームや選手は、攻勢に転ずると、まず手が付けられないくらい強くなる。まさにやれやれドンドンである。このようなチームに太刀打ちできることがあるのだろうか? 相手チームは、このような時は、じっと我慢し、チャンスを待つしか方法が無い。不思議なことに、我慢強く、粘り強く防御を続けて行くと、ラテンのチームも疲れの兆しが表れる。その時がチャンスなのだ。ラテンのチームは、防御に回ると、先ほどの攻勢が嘘のように、弱くなることがある。日本のチームも、我慢、我慢と自分に言い聞かせるのである。そうすると展望が開ける可能性も出て来るものだ。
エピソード7: 最も大切な物、休暇マジック
日本人ほど、休暇(Vacation, Vacacion)の重要性につき、無頓着な国民は世界でも珍しい。スペインでも、イタリアでも、ラテンアメリカでも休暇が楽しみで、毎日を過ごしているのではないかと思えるくらいである。ラテン世界だけでなく、アングロサクソンもゲルマン等もほぼ同様である。夏休みともなれば、1か月という長期休暇をエンジョイする。加えて、それぞれの国には、年間の重要なイベントがある。最初に、ブラジルのカーニバルを経験したのは、1973年のことであった。サンパウロ日本産業見本市の組織のための出張時であった。ちょうどカーニバルの時期に当たっていた。近隣諸国のジェトロからやってきた助っ人は、ブラジルのカーニバルとはどういうものかを理解しており、いち早くイグアスの滝に出かけた。私は、初めての出張で、カーニバル時には、あらゆる機能が麻痺するとは全く思っていなかったので、サンパウロに残ることにした。、今から思うと大間違い、かつ愚かなことであった。1992年のセビリャ万国博覧会時にも、同じような経験をした。万博のオープニングは4月20日であったが、その前後に、ロシオの巡礼、聖週間(Semana Santa)、春祭り(Feria de Abril)というセビリャを代表する3つの大きな祭りがあったのだ。スペインが国の威信をかけて開催する万国博覧会ともなれば、博覧会公社の職員も少しは、準備が遅れがちの参加国のために働いてくれるかも知れないという甘い期待を抱いたが、完全に裏切られた。公社の事務所が、その期間完全に閉鎖されたのである。お祭りが終わると、何もなかったように正常に戻るのだ。
旧約聖書に出て来る「アダムとイブ」の話を思い出すと良い。イブは禁止されていたリンゴを食べた罰として「労働」を与えられる。以降、カトリック的な考え方では、労働は懲罰のようなものであり、それゆえに、休暇を愛し、労働は休暇を楽しむためにやむを得ないものと考えるのである。
日本人も休暇の効用についてもっと真剣に考え、実践すると新しい発想が生まれ、日本経済にとっても新しい展望が開けるのかなと,ふと思う今日この頃である。
エピソード8: ダメ元マジック
日本人は、ダメ元に弱い。日本人は、総じて謙虚なので、ダメ元で物事を他人に頼むことは少ない。また他人から頼まれれば、なかなかイヤと言えない。しかも頼まれれば、誠心誠意うまく行くように努力をする。一方、ラテン系の人々にも謙虚な人もいるが、総じて、物事を平気で、嫌みなく頼んでくる。当然ながら、まともな依頼もあれば、難しいと知りながら、あるいは、ダメ元と知りながら、依頼してくるケースも多い。日本人の場合、断れば、人間関係や友情にひびが入りかねないと心配する人もいる。彼らは、ダメ元依頼の場合は、断られても、一向に気を悪くしないし、人間関係にも全く影響しない。なぜなら、相手は常にNoという選択肢があると考えているからだ。しかし、こちらも断る場合は、それなりにうまく説明する必要がある。
1992年のセビリャ万博の時には、多くのスペイン人の友人から、日本館への優先入場の依頼があった。よほどのことが無い限り、引き受けてたが、その内、友人の家族や友人の友人の優先入場を頼んでくる。さらに日本館の近くにあった人気館の富士通館への優先入場まで依頼してくる。なるほど、これがラテン風のダメ元かと理解したものであった。日本人もラテン風ダメ元流をマスターし、やってみると意外な効用が望めるかもしれない。なぜならラテン系の人々は、公私混同に対する寛容性が日本人より大きいからである。それゆえ、ダメ元依頼の方法をマスターすることは、友人を作るためための近道かも知れない。私が「ダメ元の勧め」を主張する理由である。
ラテン・マジックについて その2
エピソード9 神がかりマジック
アラブ世界で、インシャラー Inch'Allah(アラーの思し召しのままに)というのがある。スペイン語世界でも、Gracias a Dios(神のおかげで)という言葉をよく聞く。またDios(神)が出て来る言葉・慣用語は、西日辞典をみてもたくさん出てくる。例えば、
Cuando Dios quiera (いずれ、そのうちに)
Si Dios quiere (事情が許せば)
Adios Anda con Dios Vaya con Dios (さようなら、神の元へ)
Dios mio (何ていうことだ)
Dios se lo pague (神の御恵みがありますように)
Dios sabe (神のみぞ知る) 等々である。都合の良い時だけ、Diosの名前を使われるので神様も不愉快かも知れないと思ってしまう。
スペイン語を習い始めた時に、再帰動詞というのを学ぶことになる。今でも、しっかり覚えている文章が2つある。 1つは、Se me cayo el plato.(お皿を落とした)である。日本語ならば、「私が皿を落としました」と主語が私になるところであるが、スペイン語では、主語が皿で、ニュアンス的には「皿が勝手に私の手から落ちてしまった」となる。要は、私が落としたのではないと言っているようだ。もう一つは、Se me olvido.(忘れてしまった)である。これも日本語であれば、私が主語になるが、スペイン語では、「何かが私を忘れさせてしまった」となるのである。すべて神様の思し召しと言った感じである。自分の失敗は、極力認めないということもあろう。海外で働く日本人は、このようなことを理解しておく必要がある。
エピソード10 騙される方が悪いというマジック、
フランス文学者の鹿島茂先生の「『悪知恵』の勧め」という本を読んでいたら、フランスに「振り込み詐欺」は発生しないという一文を見つけた。その後、「フランス人なら、いくら相手が巧みな詐欺師だとしても、見ず知らずの人間からの電話をそのまま信じて数百万円を振り込むなどいうことはまず絶対にあり得ないし、また、たとえそういうことが起こったとしても「騙されたほうが悪い」という論理で簡単に片づけられてしまうからである。」と続く。私が住んでいたスペイン・ラテン、イタリア・ラテン、ポルトガル・ラテンでも、フランス人ほど懐疑的ではないが、基本的に同じで、騙されたほうが悪いと考える傾向にある。日本人も一度、海外に出ると、他人は騙すもの、危険な人には近づかないと心得たほうが良い。基本的に、性善説ではなく性悪説を奉じる人が多い。日本人は、どちらかというと性善説の人が多いので、容易に騙されるケースが多いのである。鹿島先生は、その理由として、日本の核家族化を挙げている。要は、昔のように大家族であれば、相談できる人もいるが、今や、家族がバラバラなので相談する人がいなくなり、簡単に騙されるのだという。この点、ラテンアメリカでは、家族の結束が固く、毎日のごとくママに電話したり、週末ともなれば、家族で集まるといった習慣があるので、振り込め詐欺が立ち入る余地は全くないのだ。そこで、日本人は、「振り込み詐欺」や「オレオレ詐欺」に対処するには、少しでも変な電話や連絡があった場合は、まずは疑ってみる、とりわけ知らない人からの連絡は、決して相手にしないということであろう。
エピソード11 盗まれる方が悪いというマジック
同じように、盗難、ひったくり、置き引き等にあった場合でも、「盗られたほうが悪い」ということで、あまり同情されない。警察に訴えても、盗難証明書は出してはくれるが、決して犯人を捕まえてくれるようなことはない。1992年にスペインのセビリャで万国博覧会が開催された。その時に、みんなで夕食に出かけ、cuidador《見張り人》のいる駐車場で車を駐車した。安心して食事を済ませ、上機嫌で車に戻ってみると、三角窓が割られ、カーステレオとスーパーで購入した食品が盗難にあった。翌日、警察に行き、事情を説明し、盗難証明書を出してもらったが、同情してくれるわけでもなく、極めて事務的に10分で発行してくれた。あまりの手際よさに、こちらも半分冗談で、「また盗難に会うかも知れないので、次は、こちらで記入して、申請します。」と言ったところ、申請用紙を提供してくれた。
ミラノに駐在していた時には、有名な大聖堂のあるドゥオモ広場でジプシーのグループの襲撃に何回か遭遇した。幸いにもすべて撃退したが、何故自分が襲われることになったのかと考えた。その結果、「ぼおーっと考えていた」、「観光客のように地図やガイドブックを見ていた」、「周りの状況を見ていなかった」等の状況であったことがわかった。要するに、こちらに大きなスキがあったのである。それ以降は、180度周りを見回し、一団がやって来るのが見えると、避けることにした。日本人の知り合いもよくこの種の盗難や置き引き等の被害にあった人も結構いたが、統計的に言うと、海外旅行に超慣れている人とまったく慣れていない人は、あまり被害を受けない。海外旅行に、少し慣れて変に自信をつけた人が被害を受けることが多い。
エピソード 12 寛容性マジック
ラテンアメリカというと「贈収賄」とか「腐敗」という言葉が頭に浮かぶ。Transparency Internationalという国際機関が、毎年、「Corruption Perceptions Index」(腐敗感知度指数)というのを発表している。180カ国を対象に腐敗殿ランキングを発表しているのだが、2018年の調査によると、ラテンアメリカ諸国のランキングは、下記の通りである。
ランキング 国 名 ランキング 国名
23位 ウルグアイ 114位 エクアドル
27位 チリ 129位 ドミニカ共和国
48位 コスタリカ 132位 ホンジュラス
61位 キューバ 132位 パラグアイ
85位 アルゼンチン 138位 メキシコ
93位 パナマ 144位 グアテマラ
99位 コロンビア 152位 ニカラグア
105位 ブラジル 161位 ハイチ
105位 エルサルバドル 168位 ベネズエラ
105位 ペルー
ほとんどの国が100位以上である。これは腐敗度、増収賄度が相当進んでいることを意味する。
最近の典型的な例は、ここ数年ブラジルでおこった「ラバジャット事件であろう。国営石油公社であるペトロブラスを中心とした贈収賄事件である。金額、内外の贈収賄の範囲等、日本人の感覚からみて驚くべき事件である。、では、このような贈収賄は、どうして起こるのであろうか?
ラバジャット事件から、日本人とブラジル人やラテン系の国民性も考慮し、2つの点を指摘したい。1つは、寛容度と許容度の相違、2つ目は、リカバリー・ショットの有効度の相違である。ブラジルやラテン系の人々は、総じて寛大な性格を持っている。自分に対しても他人に対しても寛大である。時間に対しても寛大だし、お金に対しても、寛大である政府予算などは、時折ルーズとも思われる時もある。どこの国でも、贈収賄は罪であり、法律に抵触する。そのことは誰もが知っていることである。しかし、ここで問題となるのは、どの程度までが、大目に見られるのか、許容範囲なのか?ということである。日本とラテンアメリカでは相当大きな、相違があると思える。例えば、日本の場合、公私混同は嫌われるところであり、ラテンの世界から見ると十分に許される、極めて些細な公私混同も排除されがちである。ネポテイムズに対しても慎重であり、限度を心得ている。贈収賄額にしても、前述のように、ラテン人なら何の関心も呼ばないほどの小額でも反応する。これに対して、ブラジルやラテンの世界では、公私混同の幅が日本と比べ、相当広く、アミーゴにでもなると、日本人から見ると、公私混同と思えるようなことをダメ元で頼んでくる。ラテン系のアミーゴを持った人なら経験したことであろう。しかし、これはどちらかというと公私混同の限度に関わる問題であり、どちらが正しいというような問題ではない。
ラテンの世界では、貧富を問わず、政府、政府機関、公社公団、企業で出世し、収賄者の仲間に入るくらいになると、一族郎党やアミーゴが黙っていない、何とか出世者がもたらす恩恵や甘い蜜にたかろうと集まってくる。仮に一人だけ清廉潔白でいたいと思っても決して一族郎党、アミーゴは許してくれないだろう。そんなことをしようものなら、一族郎党やアミーゴ仲間から爪弾きされる。特に貧困層出身者の場合、一族郎党は千載一遇の機会を逃すはずがない。日本の場合もネポテイズムが存在するが、元々許容度の幅が狭いのと、少しやりすぎるとマスコミ沙汰になることもあり、限定的と言える。日本人は、総じて裕福で、他人に頼ることを潔しとしないという性格も影響しているのかもしれない。
エピソード 13 リカバリー・ショット・マジック
ブラジルやラテンの世界では、一度又は数度、悪いことをして、有罪になった人でも、再び、三度、表舞台に出てしぶとく活躍する人が少なくない、特に政治家に多くみられる。日本では、名誉回復のためのゴルフでいう名誉回復・失地回復のための「リカバリー‣ショット」はなかなか認められない。一度でも破産したり、事業に失敗したり、犯罪をおかしたり、麻薬に手を出したりするとすると、なかなか許してもらえない。いじめにあったり、いつまでもうわさされたりするし、子供や家族にまで影響が及ぶ。その後成功しても名声に尾を引くケースが少なくない。ある意味で行き過ぎとも思えるくらいである。ラテン世界では、寛容度の幅が大きいので、「リカバリー・ショット」に対して、総じて寛大である。表舞台に出てきた人物もあたかも何も悪いことをしなかったかのように堂々と振る舞うのを常とする。この点も、贈収賄問題が繰り返されることと関連してくるように思える。日本のように極端にリカバリー・ショットを認めないような社会は、委縮しすぎになる傾向にある。ラテン社会のように、リカバリー・ショットがいつでも許されるとなると悪がはびこることになる。日本とラテンの折衷くらいが望ましいと言えよう。
エピソード 14 ポピュリズム大好きマジック
一般国民とりわけ貧困層からすると、施政者が人気取りのためであっても、給与を上げてくれたり、福祉政策を充実させてくれたりするのは、大歓迎であろう。今やポピュリズムが全世界に蔓延しているようでもある。
施政者にとっては、運不運が大いに影響する。ラテンアメリカの場合、石油、天然ガス、鉄鉱石、銅鉱石等の鉱物資源、小麦、大豆、とうもろこし等の農業資源の価格が好調の時の施政者は、ラッキーである。50年代のアルゼンチンのペロンによる労働者優遇政策、近くは、アルゼンチンのキルチネル夫妻による政権、ブラジルのルーラ政権、ベネズエラのチャベス・マドウロ政権、ボリビアのモラレス政権等々が容易に頭に浮かぶ。景気の動向や資源の国際価格の下落等により、明らかに破たんすることがわかっていても繰り返す。第三者から見ていて、「またか」というため息も出る。まるで魔法のように繰り返されるのである。
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