ブラジル研修から「日伯架け橋の会」へ 4期生 櫻澤 健一(現、警察庁)
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日伯交流協会(旧称 日本ブラジル青少年交流協会)の研修生は現在600名を越す元研修生を排出日伯架け橋の会を通じて今も元研修地ブラジルとの絆を大切にしながら日本とブラジル、否世界を股に掛けて各界で活躍しております。4期生の櫻澤 健一君の=ブラジル研修から「日伯架け橋の会」へ=の寄稿文を日伯交流協会のHPから転載させて戴く事にしました。櫻澤君達の4期生とは特に16名全員を中間研修時に南伯に迎えポルトアレグレ、カシアス、ラーモス移住地等を訪問して貰った関係もあり印象強い団結の16名です。山口現日伯交流協会事務局長がまだニチレイのレシフェ事務所でアセローラの対日輸出に汗を流している時にレシフェを家族と共に訪問し蝋山さん、浜口君と4期生3名と再会、バルガッソでムケッカを皆で突いた懐かしい思い出があります。当時、良くお客さんを我が家に招く機会がありましたが、若者16名が一度にバスで乗り付け皆でカレーの食べ放題パーテイには流石の女房も根を上げ特にライスが間に合わず3度も我が家の大釜で炊いて凌いだ事を今でも思い出してコメントしています。写真は、多分櫻澤君が撮ったものと思いますがインテルナシオナルのサッカー場内での全員の記念撮影です。真中にいる小さいのが既に25歳になり現在ポルトガル語の新聞記者として東京で働く長女弥生で抱かれている小さいのが次女の茜です。 |
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ブラジル研修から「日伯かけ橋の会」へ
4期生 櫻澤健一(現・警察庁)
しばらく書棚に積まれたままになっていた「第4期生(1984年)ブラジル留学研修報告書」を何年かぶりに開いてみた。13年前の同期生たちの顔が写っている懐かしい白黒の写真、武田元会長、玉井理事長、平野仁先生、清原瑞彦先生の寄稿から始まり、「盛りだくさんの事前研修」「ブラジル留学研修の1年」「印象記」「1年の総括レポート要約」「帰国座談会」「先輩のことば」と続く。約50ページの簡素なものであるが、16人のブラジルへの思いが詰まった大切な宝物だ。あらためて読んでみると、当時の青臭い文章に思わず恥ずかしくもなるが、一方で一人一人が自分の言葉で精一杯表現しているブラジルへの思いに当時の感動が蘇った。
ブラジル研修が初めての海外となった私にとっては、ブラジルの印象はあまりに強烈だった。誰一人として日本語を知らない会社と学生寮に放り込まれ、悪戦苦闘しながらも皆の助けで楽しく過ごしたクリチーバでの生活。今になって振り返ると、言葉も十分できず、ましてや日本文化の紹介もできない私が「日本とブラジルの交流のためにブラジルに来た」などと言えるはずもなかったが、多くの方々や友人たちは暖かい励ましと援助でそんな私にブラジルがどんなところかを教えてくれた。特に同じ部屋に住んでいた医学生のヒッバス君と会社の上司であったアリさんには何から何までお世話になった。
そんな素晴らしい1年を過ごして、日本に戻り、丁度、その報告書ができたころ、かけ橋の会づくりがスタートした。頭の半分がまだブラジルの中に浸かっていた4期生は、「何かブラジルと関係することをしよう」という先輩の声に思わず乗ってしまい、気がついたときには秋のイベントの準備に取りかかっていた(ちなみに、当初の会の名前は「日本ブラジル交流促進委員会」)。事務所でのミーティングには東京周辺のメンバーだけでなく、大阪の浜口君、福田君が交代で状況。「我々が日本とブラジルの新しいかけ橋になろう」という理想だけは高く、ブラジルとの文化交流をテーマとするシンポジウムや講演会の開催をという意見も出るほどであった。議論の途中からは、居酒屋に流れるのが恒例で、時として代々木の山口君宅に泊まり込むことも多かった。その結果、まずは「ブラジルをもっと知ってもらおう」「ブラジル人を呼ぼう」「ブラジル関係者のネットワークづくりから」ということでブラジルに興味を持つ人を集めてのフェスタ開催となった。
開催当日、四ッ谷の主婦会館では、ブラジルの写真を展示し、フェイジョアーダやカイピリンニャをつくってサービス。ホールの中央では、スライドを使ったブラジル紹介や、ちょったした意見交換会を開催し、その後伊藤さんら日体大グループによるレクリエーションと続き、最後はサンバを踊って終了した。考えられる団体に、手当たり次第にを連絡したせいか、日本人、ブラジル人併せて 200人くらいは集まったと記憶している。その後、フェスタ・ジュニナを東京と大阪で開催したり、研修生のための勉強会や事前研修の応援、機関誌の発行(かけ橋通信)等をするなかで少しずつ会らしくなり、名称も「日伯かけ橋の会」となった。
その後、メンバーが増えるにつれ、新しいイベントや交流も広がり、気がつくと会発足から既に10年以上が経った。社会人のメンバーも増え、ブラジルとの間で活躍する会員はもちろん海外で働く会員も多く、ネットワークはどんどん広がっている。かけ橋の会代表として思うことは、これからこのメンバーのつながりをさらに広く、強くしていく中で、協会とともに日本とブラジルの交流のためにキーステーションの一つになっていければと考えている。
報告書に同期生のこんな文章を見つけた。「日本とブラジルを踏み台にして、地球全体にかかわるような人間が育っていくといいな、そして、どんな職業についても、みんなが21世紀のリーダーを目指していくような自覚が欲しい(安達)」「私達は、この研修のチャンスに恵まれて、協会に大きく育ててもらったと思います。今度は私達も一緒に、活動を発展させていく番(蝋山)」「これから先は今まで鍛えた力をバネに一人一人が主役になって、自分の舞台で活躍する番だ。我々の本番はむしろこれからだと思う(小幡)」。それぞれの職場で、きっと今もこの気持ちは変わらず残り続けているに違いない。
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