HOME  HOME ExpoBrazil - Agaricus, herbs, propolis for health and beauty.  Nikkeybrasil  編集委員会  寄稿集目次  寄稿集目次  通信欄  通信欄  写真集  リンク集  準会員申込  em portugues




第41回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2020ー2021』その14
バーチャル座談会その14は、やはりカナダのふみさん、丸木さんから始まります。その後、砂古さんと東海林さんの談話に富田さんのアメリカ便りのゴルフ談義が続き賑わいますが、今回80回目のエイージシュートを達成した東海林さんに富田さんは700回を達成した83歳のアメリカ老人、日本では植杉さんが95歳で 2019年 1月に記録を 1,472回にしたとの事、東海林さんは、何回まで継続しますかね。さてバーチャル座談会は、まだ続きそうですね。新記録になさそうです。写真は、コロナビールスを追い払う闘牛の牛を謹賀新年と共に送ります。


ふみ: 今年はたいへん苦しい一年でした。みなさんご苦労様でした。よく耐えてこられましたよね。一緒に集まって肩抱き合ってお互いの苦労を慰め合いたい気持ちでいっぱいです。
来年こそは春になれば桜の下でお互いに笑いながら楽しく話し合いたいものです。
今年は旅行にも行けず外出も制限されて何もかも厳しい統制のもと、なんだか戦争みたい、でもこれは戦争ですよね。戦争で死んだ人以上にもうすでに殺されていますものね。早くこのコロナ戦争収束してほしい、形を変えた変型コロナがイギリス、南アフリカからまたやってきて次の戦争の始まりでしょうか?
ところで柳田さんのAVE MARIA UTUBE でみました美しくて思わず涙が出てしまいましたよ。まだ見てないかた是非ごらんになってください。
昨日はonlineの友人家族の音楽のプレゼントでした。とても嬉しかったです。online今大流行りですね。私もonline楽しんでます。
それでは良いお正月をお過ごしくださいませ。来年もどうぞよろしく。

丸木で~す 将来の戦争は細菌戦争と聞き及んでましたが、こんなに早く到来するとは思いませんでした。敗退した筆頭がアメリカ、その次が印度とは正しく中国の狙いが的中した様です。中国人の多いカナダは大丈夫でしょうが、米加国境封鎖が解除されればどうなるか判りません。

東海林: 砂古さんは、昔アルジャーGCでゴルフをされていた方だと思っていましたが、写真では面影が違うので、どうも人違いの様ですね?

砂古: 年をとると小食になり痩せるものです。アルジャ時代は19ホールで飲み喰いの遊びゴルフで体重80数キロ、今はお蔭で反対の68キロ。表情が違っているかも知れません。それに家内のショットはブレています。
東海林さんが50年に入会早々、歓迎の積りで50nenに投稿したのに応対が無く、何かの理由でけい遠されたかと解釈し, 50nenでは さわらずアタラズ の距離を置いてきました。
歓迎投稿の内容は、東海林さんは技術派、僕は遊び派だったので思い出に共有する事なく、東海林さんが一時我が家の近所のsobradoに住んだ事、アルジャへのカローナを一回頂いた事だけで、歓迎内容なしの駄文でしたが、60数年まえに下手なホビー時代に描いた、東海林さんが住むEnseadaの終わりにあったと思える岬の登り坂を徒歩でのみ横断アクセスできる岩だらけの海岸の水彩を探し出してわざわざ写真を撮り添付しました。
読まれなかったのですね? 題目も 東海林さんへ と書いて眼に着くようにした記憶がありますが・・・。
今回アプローチを貰い、有難う。 これで仲良く50nenを楽しめます。次回はこの50年であえて触らなかった、今年中頃息子の運転で連れて行ったもらった、guarujaの日帰り旅行の回想を投稿します。

東海林: 砂古さん 北米ご在住とのことで人違いかなと思っていましたが、やっぱりあの砂古さんでしたか。お久しぶりです。お元気でなによりです。折角歓迎のご投稿を頂きながら、見落としてしまって大変申し訳ありませんでした(旧メール、探してみましたが見つかりませんでした)。おっしゃているソブラードは、アクリマソンに住んでいた頃のことですね?懐かしい思い出です。砂古さんが、絵描きさんだったとは存じませんでした(そんな繊細な方には見えなかった...失礼)。グアルジャーで描かれた絵とは、多分「ペニンスラ」と呼ばれる半島の足元にある岩場のことだと思います。当時、半島には家もまばらだったと思いますが、今は豪邸がビッシリと建ち並んでいます。投稿された絵の、São Vicente の出島とはイーリャ・ポルシャですね。あの島のてっぺんに、海に面してラブホテルがありました。「遠く続く波の音 窓をたたく潮風 これきりといいかけた 唇がくちびるに ふさがれる北ホテル」クールファイブの「北ホテル」の歌詞そのままのホテルでした。旧友との再会(?)で、昔の思い出が色々と蘇ってきました。どうぞ、良いお年をお迎えください。

砂古:東海林さん、皆さん、今年、某月某日のBate e Volta(当ってもどる=日帰り旅行)の回想記を送ります。
明日息子が何処かへ車で連れ出してくれる との家内を通しての伝言どうりに、翌朝長男が一人で現れ、車に乗ると、グアルジャに連れて行くと言う。 50年での投稿仲間の東海林さんの海岸別荘都市だ。平日なのでスイスイ一時間で到着。 休憩に予約してあった息子の大学時代の友人が週末使用するアパートに到着。待機していた、キチンとした風貌のハウスキーパーは我々に鍵を渡すと帰ったのか何処かに消えた。場所は大西洋に面した細長いグアルジャの島の中央辺りだろうか、Pitangueiras と Enseadaの二つの海岸を区切る海に突出した岬の最先端の六階だったか、ベランダに出て下を覗くと道を隔てて大小の岩が並び大西洋の白波が踊っている。
右を見るとPitangueiras海岸に高級アパートが遠くまで並び、いい風景だが絵には向かない。左のEnseada海岸の彼方には60数年まえ勤務の社員バスbate e voltaで徒歩で登ってその先のTarutaruga岩場を眺めた岬がある。
このアパートの所有主はUSPのPoliでの息子の学友で、アメリカの不動産のブラジル支社長。
この夫婦と更に学友夫婦数組の合計10数人を息子家族3人が昨年末日本観光に同行案内した間柄。この主人は同じビルの9階にもう一軒所有で、貰った鍵のなかの別のカギで開けられると言うので登ったが開かなかった。
少し休憩した後、グアルジャの一番東側の海岸Perequéに向け出発。このPerequeは3〜40年程前にアルジャのゴルフ会員で、毎週木曜日夕方テニスもしてその後夜遅くまで飲み食いした、今は亡き仲間の、大橋カンゴ、NGKの永田陸郎、神戸商事の瀬戸口との合計4夫婦でペレケ海岸の手前のペルナンブッコ海岸の Jequitimarホテルにテニス宿泊した折に皆で初めて覗きに来た海岸だ。それ以外に、サンパウロの美術協会の写生旅行でも来た事があり、これで3回目になる。
沖には多数の漁船が停泊し、海岸通り迄引き揚げられ底まで丸裸の大型漁船の横には、東海林さんが魚を買うと思われるVende-se peixeの看板があった。写真を撮ったので、家で描きかけたが、砂浜と空が占める範囲が多すぎて、狙う海上の漁船群が目立たない。自分の眼の位置を高くして見下ろす目線に変更して漁船の上下幅を広くして絵を進めたが、不自然にも見え、放棄したまま毎日眺めて一月以上。
帰り道に角に目立つ店一軒あり。息子が此処を右に曲がるとゴルフ場だという。東海林さんのコースを想像。草の手入れが悪くて打ちにくいと昔聞いた事がある。 それでもエイジ・シュート80回とは世界のアマに何人いるだろうか。少し進むと左に昔4夫婦で泊まった、すごく広い敷地に平屋で広がったJequitimarホテルの場所には大きな数階建ての別名Sofitelホテルに代わっていた。我々の2〜3泊中に描いた3枚の水彩を、ホテルから3脚を借りて、持参の台紙に貼り収め、額なしでホテルの食堂の入り口に飾ったら、海岸風景に犬を入れた絵は子供連れの若夫婦に買って貰い、ホテルの海に出入りする裏口を描いた風景は瀬戸口夫妻が購入、僕の最初のミニ個展だった。これに気を良くしてアルジャゴルフで個展したら良く売れて追加投入に追われた。ほとんど完売だったのは東京の京橋寄りの銀座にあった母校の外語同窓会臨時事務所での個展だった。サンパウロの文協での個展2回も運がよかった。今時代は個展開いても、一点も売れないだろう。良き時代に素人上がりの絵描き生活だった。            
帰り道に、注文してあった食事をRestaurante Farolでテイクアウトしてアパートに持ち帰り昼食。昼寝をして帰路についたBate e Voltaでした。
今顎を出して見送っている絵は4枚添付の写真のうち海のある3枚の合成構図です。

東海林:砂古さん 私は何か勘違いをしていたみたいで、北米ご在住とばかり思っていましたが、サンパウロに居られるのですね。失礼しました。私の住居は、全長6kmあるエンセアーダ海岸の丁度真ん中辺りにあるOásis というコンドミニアムです。今度来られる機会があれば、是非声を掛けて下さい。ペルナンブーコ海岸にあるジェキチマール・ホテルのオーナーは、有名なシルビオ・サントス氏です。ペレケー海岸は、その昔は魚介類専門レストランで有名でしたが、昨今は質が落ちていて、上客はエンセアーダのレストランに移っています。ペレケーから更に北上すると島は細くなって「龍の尻尾」と呼ばれる地域に入り、超高級コンドミニアムが次々に続きます。チジュコペーバ、イポランガ、サンペドロ、ピニェイロスなど、それぞれ美しいプライベートビーチを有しており、制限付きですが、外来者も訪問出来ることは、一般には余り知られていません。グアルジャー・ゴルフクラブは10年前にバミューダ芝に全面植え替えられ、今はメンテナンスも行き届いていて、グリーンも速く、一流のゴルフ場にヒケをとりません。池がらみのホールが多く、難コースの部類に入ると思います。

砂古: 東海林さん、北米には次男と長女が永住しているので、82才までは毎年会いに行っていました。その時か後に思い出の投稿したのを感違いされていたのでしょう。今は体力がないので、向こうから毎年やって来ます。
今年だけはコロナで来伯をキャンセルしました。次回にもし機会があったら、enseada のoasisに寄らしてもらいます。有難う。

東海林: ≪仇敵とのバトルと80回目のエイジーシュート≫ 今日も、ロナルド・ガンとのプレーでした・彼は若くして、北米企業の駐在員として来伯し、ブラジル人の女性と結婚してそのまま永住した経歴を持つアメリカ人です。リタイアー後は、帰国してフロリダに居を構えて居ますが、グアルジャー島のマンションはそのままキープしていて、毎年年末年始には家族で一か月ほどブラジルで過ごすためにやって来ます。彼とはほぼ20年来の付き合いです。私が62才でリタイアーして、ブラジル・シニアトーナメントに初めて参戦し、惨敗した後に彼との付き合いが始まりました。彼は私にとってゴルフの恩人です。15年前にアップした、彼との付き合いを書いたブログの一部を抜粋して下記します。
(中略)
その大会のスクラッチ部門の優勝者は、ロナルド・ガンというアメリカ人で、HC・05、年令は58才であった。彼は55才で、このトーナメントに参戦して以来、既に20回以上優勝をしている、ブラジルのアマチュア・シニアーゴルフ界の第一人者であった。表彰式後のパーティーで、彼が偶然、私と同じグアルジャーGCのメンバーであることを知った。
それ以後、グアルジャーGCでのゴルフは、ほとんど彼と一緒にプレーするようになった。私は彼のゴルフを、身近でつぶさに観察した。飛距離はほとんど同じだが、方向性は彼の方がはるかに正確である。各ショットとパットにおけるルーティングが常に一定だ。もっとも注目したのは、彼のショットにおけるテンポとリズムの良さである。常に一定のテンポで、リズム良く球を打つ。そして集中力が抜群だ。精神面でも、学ぶべき点が多くある。例えば、ミスショットをしても、何事もなかったように顔色ひとつ変えない。劣勢になっても、決してあきらめない。ピンチの時に大胆なショットで切り抜ける。守るべきところでは、決して無理をしない。総合的に、トーナメント・ゴルファーとして、ロナルドは私とは雲泥の差があることを、改めて思い知らされた。その半面で、彼がやれて自分に出来ない筈がないとも思った。
その日から、ロナルドに追いつき追い越し、シニア・トーナメントで優勝することが私の目標になった。先ず、飛距離とショットの正確さを増すためにスイングの改造を手がけた。ロナルドのスイングが、非常にコンパクトであることに着目し、ルーティングとリズムについては、自分なりのものを見つけ出して、意識的に実行した。精神面では、ショットやパットの結果による一喜一憂を表情や態度に出さないことを心がけた。
私のゴルフは目に見えて変わりだした。最初は、ロナルドに6打のハンディを貰っていたのが、徐々に減り、半年後にはとうとうグロスで互角に勝負できるようになった。何よりの収穫は、ロナルドとの数え切れないほどの勝負で、自分が最高のプレーをしても、相手がそれ以上のプレーをすれば、負けて当然、とゲームを達観することができるようになったことだ。
それから、シニア・トーナメントでのバトルが楽しみになった。優勝争いにからむことが多くなり、一打を争う息詰まるような場面でも、リズムを崩さず、耐えることが出来るようになった。
そして、2005年、シニア・ツアー第3戦、リベイロン・プレート市のイペーGCのトーナメントで、遂に初めてロナルドを抑えて優勝することが出来たのである。
私が、ゴルフで、ここまでやってこれたのは、間違いなくロナルド・ガンという最高のライバルがいたからだ。しかも、彼が同じクラブに所属していたことは、私にとって極めてラッキーだった。ある日の、ロナルドとの会話だ。
「ここまで来られたのは、君のお陰だよロナルド。本当にありがとう」
「俺も同じだよ。刺激を与えてくれたショージには、感謝しているよ」
と、ロナルド。
「それにしても、戦場がゴルフ場でよかったよな」
「本当だ。もし我々が15年早く生まれていたら、ヤバかったな」
「同感だ。硫黄島あたりで、出会っていたら大変だったぜ」
「俺は刀で、お前の首を飛ばしていたかも」
「その前に、俺のライフルで、ぶっ飛ばしていたさ」
いつか見た映画、「硫黄島からの手紙」で、最後の決戦に当って、劣勢の日本軍の司令官が、部下たちを鼓舞するシーンを思い出した。
「米人は、臆病で愚鈍だ。勇敢で俊敏な日本国陸軍は、少数でも負ける筈がない」
ロナルドを見ていると、あの司令官の言葉は、間違っていたと思う。アメリカ人は、勇気と根性、それに忍耐力もある。一対一でも日本人が勝てるとは限らない。私は、15年遅く生まれて本当によかったと、つくづく思う。(完)

和田: 東海林さん 80回目のエイジーシュート達成おめでとう! バーチャル座談会その14に掲載しておきますが、今年は80回だけで終わらせて下さい。仇敵ロナルド・ガンさんは、いつまでブラジル滞在ですか?彼がいる間は、エイジーシュート続発ですかね。BLOGには、掲載しますが、バーチャル座談会には、80回だけにします。貴兄の50年!!参加で賑やかになり皆さんが喜んでいると思います。来る年も宜しくお願いします。

富田: 和田さん&W50年の皆さん、お元気ですか?コロナ禍に明け、コロナ禍に暮れる2020年でした。テキサスにいると歳末気分にはなりませんが、「年の瀬や 続く天気に はげまされ(星野立子)」といった日が続いています。昨日はあくまで青い空のもと息子、孫とゴルフを楽しんできました。さて、今年最後のアメリカ便りは、下手の横好きのゴルフ談義をお届けします。題してアメリカ便り「歳より少ないスコアを出したアマ・ゴルファー」。これは米国の83才アマチュア・ゴルファーのエイジ・シューターものがたりです。ブラジル在住の東海林さんは80回もエイジ・シュートの偉業を達成しましたが、この83才翁の記録は桁が違うのです。ゴルフの秘訣のみならず、彼の生き方、健康法が光輝高齢者には大いに参考になります。
さて、本年も相変わらぬバカバカしい小話と駄文でお目汚しを致しました。これに懲りず来年もよろしくお付合いお願い致します。では、師走のお忙しい合間に、下記のブログをお訪ね頂ければ幸いですBhttp://iron3919.livedoor.blog/archives/8737377.html

東海林:富田さん いつもは愉快な小話で笑わせる富田さんが、どんな風の吹き回しか、今回は真面目なお話なので、少なからず驚きました。83才でエイジシュートを700回達成したデイビット・フェアレイさんは、本当に凄いと思います。ところが日本にはもっと凄い人がいます。
「日本人のアマチュア、植杉乾蔵という人が 2013年の 1月 14日に 89歳で 1,000回目のエージ シュートを達成し、2015年には 91歳で 1,300回目、そして その記録をさらに更新し 95歳になった 2019年 1月までに 記録を 1,472回までに伸ばしたそうで それが日本の最多記録である。」
エイジシュートを一生の内に一度でも達成する確率は、全ゴルファーの0,5%以下、すなわち200人に一人以下だとされています。今も昔もエイジシュートはゴルフにおける快挙であり、全てのゴルファーたちの夢であることに変わりはありませんが、お金が特定の金持ちだけに多く集まるように、エイジシュートも特定のゴルファーに集中して達成されるようで、全てのエイジシューターたちに万遍なく配分される性質のものではないようです。
私がエイジシュートを意識したのは10年前の68才の時でした。シニアートーナメントで同組だったナガオ・ヒデミ氏(当時77才)が、私の目の前でエイジシュートを達成したのです。彼の喜びようはひとしおではなく、「ホールインワンとは比較にならないくらい感動的だ」とのことでした(ちなみに彼はホールインワンも過去に2度ゲットしている)。その時私は、「80才までに自分も一度は達成して、同じ感動を味わいたいものだ」と思ったものです。アルジャー・ゴルフクラブのメンバーであるナガオ氏は、その後合計5回のエイジシュートを達成し、メンバーたちの羨望の的でした。
2016年5月に、私は74才で初めてのエイジシュートを達成し、目標をナガオ氏を超える6回達成に定めました。そして2018年2月にクラブ記録である6回目を達成し、その祝賀会の席上で、皆に100回達成の大ボラを吹いて、その目標に向かって歩み始めたのです。
奇しくも今年になってコロナのパンデミックが勃発し、自宅謹慎になりましたが、一か月後にゴルフ場が(条件付きで)再開されることになり、唯一の外出可能な場所がゴルフ場ということもあって、プレーする回数が急激に増えてスコアーがまとまりだしました。過去4年で43回達成したエイジシュートが、わずか7か月で37回(月平均5,4回)達成して80回になり、にわかに目標の100回を、予定より3年前倒しによる達成が現実味を帯びてきたのです。自分では想像もしていなかった、新たな自らの可能性を発見した心境です。おそらく来年の4月迄には到達出来ると思います。
「一年の計は、元旦にあり」といわれます。私は、元旦には79才になります。これまで生涯で多くのエイジシュートを達成した人たちは、79〜81才の間に最も多くの回数を稼ぐとのことなので、この元旦には「新たな目標」を定めたいと思っているところです。週に4回、年間200回のペースでいけば、83才までに1000回プレーすることになる。2ラウンドに一回の割でエイジシュートが出れば、500回になりますが、健康面に問題がなく、最近のプレーのペースが保てれば、決して不可能な数字ではないような気がしています。
さて、話はデイビット・フェアレイさんのことに戻りますが、エイジシュートが正式に認められるためにはいくつかの「規定」があって、その一つに「全長6000ヤード以上のコースでの達成が必要」という項目があります。彼のホームコースのシニア・ティーだと、6000ヤードに足りないので、正式にはエイジシュートとして認められない筈です。それと、正式な記録に残すためには同伴競技者のスコアー確認サインが必要で、家族と一緒や一人で回ったときの達成などは、有効ではありません。多分、デイビットさんは結構呑気な方で、シャカリキになってエイジシュートを目指しておられる訳ではなさそうなので、その辺は結構無頓着なのではなかろうかと思います。そのあたりについては、日本の植杉乾蔵さんの記録に関しても、コースの全長距離や同伴競技者の存在についての定かな情報がある訳ではありません。
ちなみに、私のホームコース、グアルジャーGCのレギュラー・ティー(シニア・ティーは無い)は、6109ヤードで、私のスコアーカードは全て同伴者のサイン付きで、サンパウロ・ゴルフ連盟に提出して登録されています。例えば、家内と回った時や一人でラウンドした時に出したエイジシュート(おそらく50回は下らない)は、勿論、数には入っておりません。常に同伴者が居るということも、実は簡単なことではありませんが、その点は、私は友人たちに恵まれていると思います。
元旦を前に、刺激的なお話をいただいた富田さんには、心から御礼を申し上げたいと思います。何よりもまず健康を保つことが大切です。これまでよりも一層、身体に気をつけて、これから定める新たな目標に挑戦したいと思っています。 

富田: 東海林さん、メール拝見しました。日本のエイジ・シューターに関してご教授頂き、ありがとうございました。日本のアマチュア・ゴルファーにも植杉さんのような記録保持者がいることに驚くとともに、同じ日本人として誇らしく思いました。
また、東海林さんの意気込みにも圧倒される思いでした。この記事は、東海林さんのご許可があれば、「83才エイジ・シューター物語」の訂正版として、小欄「アメリカ便り」に掲載したい、と思います。よろしくお願いいたします。就いては、貴方さまの写真(エイジ・シュート達成時のスコアカードを掲げた)を一葉、拝借させて下さい。
さて、フェアレイさんのエイジ・シュートの記録は、コースの距離が6000ヤードに満たないため、「正式にはエイジ・シュートとして認められない」とのことですが、アメリカではシニア・ティーどころか、70才以上にはそれより短い、Forward teeもありますから、問題ないと思います。
シニア・ティー或いはForward teeはシニアがゴルフを楽しめるようにと、PGA,USGAからも奨励されているほどです。TPC San Antonio のOaks コースのForward Teeは2748+2766=5514とかなり短いですね。これはLady`s teeと共用されています。従って、「Ego」で使いたくない、というMacho的老人からは敬遠されています。ぼくは平気でForwardから出ますが、それでもエイジ・シュートが出来ません。僕の年は84才、週1Golfが限度です。
 更に驚かされたことは、日本にはエイジ・シュート大会があって、116名が参加したとの、週刊ゴルフの記事で知りました。しっかり調べたわけではありませんが、アメリカにはこういう大会はないようです。
同時にUesugiさんに関する記事も英語版にはないのは残念です。
 今回は早速ご連絡いただき、感謝しています。今後もよろしくお願いいたします。末尾ながら、東海林さんにとって、2021が良い年でありますように。大記録の達成を楽しみにしています。

和田:≪花談義597≫ 地元ポルトアレグレから年始のご挨拶を世界3大花木と共に送らせて頂きます。
前回今年最後の花談義と云って置きながらもう一度今年最後の花談義を送ります。
ブラジルでは、クリスマスも終わり師走最後の週に入っていますが、どこにも行けず自宅待機が続いていますが、夕刻の1万歩散歩は、続けています。
昨日の散歩時に見つけた世界三大花木の火炎木(スパトデア)、鳳凰木(フランボヤン)、ジャカランダの花を貼り付けて置きます。同じ日に世界3大花木の花を見つけるのはこの季節だけです。
2020年は、コロナ禍で散々な年でしたがやっとワクチンの接種が世界で始まっておりブラジルでも2021年には、81歳になる私は優先権があるようで接種が早いうちに可能となるようですが、来年の干支に当たるごって牛にこのコロナワクチンを退治して貰いたいとの願いを込めて伴侶、けいこに描いて貰った謹賀新年を皆さんに送ります。

丸木で~す 闘牛とは勇ましいですね。来年の丑年はともかく再来年の寅年には阪神タイガースに優勝して欲しいですね。

砂古: 和田さん、皆さん 和田さん、何時も素晴らしい花木の写真見せて頂いて、有難う。
長年毎日の一万歩散歩実行に敬意を表します。
恵子さんの描かれた年賀状、牛らしい動きがあって素晴らしいです。
私からは今年の絵は公表済で残っていないし、牛を描くセンスはないので、免除させてもらいます。
皆さん、更に悪化を続けているヴィールスに気を付けて
良い新年をお迎えください。



アクセス数 6203575 Copyright 2002-2004 私たちの40年!! All rights reserved
Desenvolvido e mantido por AbraOn.
pagina gerada em 0.1282 segundos.