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「喜寿の思出」 大西重里 出石さんが送って呉れました。
神戸の旧移住斡旋所、現移住と文化の交流センターに週末に語り部として訪問者に説明をするヴォルンタリオとして活躍されておられる出石美知子さんの所に送られて来た移住センターの東隣にあった「大西商店」と云う支度屋さんのオーナの大西重里さんが書かれた自叙伝「喜寿の思出」をプレゼントされ驚いたそうですが、それを読まれた喜びを生き生きと語られています。620万回のアクセスを今月中に記録する予定の40年!!ホームページに相応しい話題ですので残して置くことにしました。出石さんのお仕事の一つにこうしてお仕事上の話題を残して置くという楽しみが増えたようですね。今後も是非色々話題を提供してください。有難うございます。写真も出石さんが送って呉れた本の表紙です。


和田さん みなさん いずしです。
移住センターで過ごされてからブラジルに行かれた方は、移住センターの東隣にあった「大西商店(百貨店)」という支度屋さんがあったのを覚えておられるでしょうか?
先日の日曜日、ミュージアムに行きましたら机の上に私宛の切手をいっぱい貼った大きな封筒がありました。送り主は全く知らない人です。「何だろう?」と思いながら開けて見ると“2020年8月4日の神戸新聞で出石さんん記事を拝見しました。移民収容所の東隣に渡航用品株式会社があったことをご存知でしょうか。大西重里さんが設立された会社です。(以下略)“ ということで、お孫さんと親友だった縁でそのお母様から頂いた大西さんの「喜寿の思出」という自叙伝を送ってくださいました。
大西商店のことはよく聞いていて、「うちがやっていたお店です」という女性の方たちも来られましたし、「うちの母親が大西商店で働いていた」という方たちも来られたことがありました。
でも読んでみて上面のああだった、こうだったという話ではない真実が(“内容は、正真正銘の偽りのない実話であることを、自らの誇りとして一生懸命に、そのありのままを記述したのである”とあります。)わかって非常に興味深かったです。
大西さんは兵庫県氷上町の南由良という農村の方だったそうです。
私は子供の頃、田んぼの傍を通ると三角形のすげ笠を被ったモンペ絣の女性たちが3〜4人横に並んで、前に置いた長い棒に沿って稲の苗を植えていたのをかすかに覚えているのですが、それ以前の明治の初めはそうではなかったことを知りました。
横一列に並んで苗を植えていくのは昔からやっていたそうですが、まだ若かった彼は横から見たら筋は通っているように見えるが、縦から見るとバラバラで真っ直ぐに植わっていないと気づいたそうです。縦横真っ直ぐな方が日光を浸透し、風通しを良くして稲の発育にもいいと思ったのです。
“長さ3間(約5.4m)の真っ直ぐな竹に九寸(約27cm)間隔にしるしをつけて縦の間隔をはかり、端に長さ1尺(約30cm)の木をつけ横の間隔をはかる様にした。”いわゆる「正条植」を思いついたそうです。初めは周りから笑われるだけだったそうですが、先ず1反分に植え、翌年は一町5反分の自作田全部に植え付けたそうです。他所の田との違いは一目瞭然で、やがては真似をする人が出て来て村全体が「正条植」をするようになったとか。
また当時疲弊していた農村には「副業」が必要だとムシロ織機を村に導入したり。その結果、南由良村は一躍「模範村」となって、兵庫県農会や氷上郡教育委員会、神戸新聞社などから表彰されたそうです。
36才の時に農産物の販路を求めて、同じく神戸新聞社から表彰されて以来書面での親交のあった知人を訪ねて神戸に来たそうです。知人は「丁度今日、神戸新聞社で“興風会”の例会があるから一緒に行こう」と誘われたそうです。
※“興風会”とは神戸新聞社より表彰を受けた者ばかりを通常会員とし、神戸市長が会長で副会長には商工会議所の会頭、その他、岡崎忠雄、沢田清兵衛、榎並允造、福本義亮、田村新吉、中村直吉(ビックリ、財閥の人達ばかり!)名誉会員としては神戸新聞社関係という立派な会で毎月12日を例会として集まることになっていた。とあります。(へぇ〜、そんな会があったんだと思いネットに打ち込んでも出て来ませんでした)
鐘紡の小山氏が「鐘紡には何千人といる工員が食事をしている、そこに納入したら?」と言われてご用商人として許可されたそうです。これが縁で大正10年3月に父親、家族を連れて神戸に移住したそうです。
でも農家出身の彼が商人になるには難しくいろいろ失敗したようです。ある時、山本通に国立移民収容所が建てられていると聞いて見に行ったそうです。
今まで移民宿から移住していたころは「金子商店」というところが独占的に移民宿を回って商売をしていたそうで、既に金子商店は新しい店を構えようとしていたそうです。(そこで収容所より1丁半下ったところに貸家を見つけたとあるが、今のどの辺でしょうか?)
移民用品支度屋さんには悪徳商店があって、どうせ文句を言う頃には洋上だからと粗悪品を売ったり暴利を取っていた話は聞いていました。一時、収容所の中に購買部が出来た程ですから・・。
大西さんは良心的な商いをすれば収容所の中に購買部を設ける必要がないからと東京の外務省迄購買部反対の陳情に行ったりして、業者をまとめて話し合うという条件で一時は設置を止めたりしたのですが、その後も悪徳のうわさが絶えず、業者間の意見もまとまらず収容所内に購買部が設置されてしまいます。
自叙伝を読んでいて印象に残ったのは後年、(昭和35年?)3月22日に故郷の瑞雲寺の平田和尚が「お宅の仏に今年百回忌に当たる人がおりますのでお経をあげたい」と来られたそうです。丁度彼岸で休みだったので孫たちも来ていたそうです。
和尚が孫たちに「あなたたちのお祖父さんは昔は南由良というところに住んでおられて、若い頃はよく村の為に尽くしてくれた方です。田を改良したり、副業を奨励したり、また村の共有山の一部に「鎌止め」と言いましてなぁ、枝を打ち込み縄を張って「それから向こうへは立ち入ってはならぬ、どんな小さな木でも伐ってはならぬ」というところを決められたのです。周りの猛反対にも「これは南由良振興のため百年の大計であるから」と説いて回られたのです。
それから20年が経ち30年が経ちますと年々沢山の松茸が生えるようになり村の経済を助けてくれました。また昨年は山の木の一部を売りましたところ沢山のお金が入って、各々の家に分けることが出来てお金を受取りに来た人は口々に「これは重里さんのおかげだ」と喜びました。あなたたちのお祖父さんは昔はそういう徳を積まれた方ですよ」と話すのを聞いて、すっかり忘れていた「鎌入れ」のことを思いだして嬉しかったとあります。
自分の行って来たことを予期せず第三者の口から、孫たちに話して聞かせても貰っているのを見るのはさぞ冥利に尽きることだったろう〜なと思いました。
今日は、全く思いがけず知らない人から貴重な「自叙伝」を送っていただいてビックリしたことをお知らせしました。
お礼のメールをしましたら「実は記事を呼んだ時に直ぐに送りたい!と思ったんですが、何所においたか失念して今日になりました」と返事がありました。



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