南米開拓前線を行く。その6 松栄 孝
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南米開拓前線を行く その6をUPします。今回は、写論37から43までの7回の書き写しとなりますが、松栄さんの余談が入り読みやすくなっています。第2章、第2節が終わったところで切り目が出来終了しましたが、少し字数に余裕が出来ていたのですが松栄さんの余談43が入り9200字を超えました。気持ちよく新しい第2章第3節に44から入って貰うことにします。余り急がずにのんびりじっくり杉野先生の論文を松栄さんの写論と共に勉強して行きましょう。
写真は、東京農業大学・ブラジル校友会「移住百年史」堅き絆1914年―2014年伯国東京農大会「移住百年史」編纂委員会と云う786頁の編集委員のお一人、麻生悌三さんから頂いた分厚い本の中から選び出し掲載して行くことにします。
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和田:マツエさん 写論ご苦労さんです。南米開拓前線を行くその5を50年!!と学移連に送りましたが、学移連の方は、管理者から除名処分を受けているようで投稿権が亡くなっているようで戻って来ました。杉野先生の論文を読みたい方もブラジルに住んでいる学移連メンバーには、多々いると思うのですが、届ける術がありません。松栄さんにお知らせして置きます。カリフォルニアの村松さんが学移連ALLに参加したいとのご希望を出しておられましたがこれでは駄目なのでしょうね。残念です。
マツエ:和田さん いろいろご努力頂いてありがとうございます。
私たち、日本から移住してきた者が、何をしに異国にやってきたか、という原点に立ち返ってみたく思うのは、自然の気持ちではないか、と思います。
ヨーロッパ人が考える海外雄飛、その感覚というのは日本人が今考える海外への気持ち、とは少し違うように思います。
日本では、海外への夢とか興味を持たなくなった子供たちが増えている、と聞きます。親元を離れたくない若い人たちが多くなっているそうですね。
我々が少年のころに考えたことと、今は時代が変わってしまったと言われますが、今の子たちとは少し違うように思えます。違いはしない、と思います、そしたら周りの大人たちが変わったのか???
そんな息の詰まりそうな閉鎖的な社会になったら、また日本はおかしな方向にむかうのではないか、と思うのですが、・・・
すでにそんな傾向が現れてきているのかなー っと。最近思います。
杉野先生が、青年に何を求め、どういう生き方を追及されたか、そんな先生からヒントをもらって。
戦争で痛い目にあって、何が日本に足りなかったのかを悟られた杉野先生は、我々が海外の何たるかをまだ知らない頃に、既にそれを知ってられて、理想の
若者の生き方を教えられようとしていた、と感じます。
はるばるやってきた何も知らない異国で、苦労して、努力して、その結果、海外で楽しく過ごせるようになった。
杉野先生に背中を押されて、移住してきた当時の青年。農大にも、学移連にも、そんな青年が沢山いた、と言う事を知ってもらいたいと思うのです。
日本の事、日本人の事を本当に思うのであれば、この移住政策と言うのは、是非復活させてほしい、と思うのでが、なかなか真意は伝わらないようですね。
和田さん、粘り強く、力の続く限り言い続けませんか。われわれの後進の為に。
みなさん 杉野先生論文
南米開拓前線を行く 37
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第二節 農業拓殖学の性格、所属及び研究範囲
ー5月19日記入ー
田辺元博士は、これをさらに発展せしめて科学を先験的科学として数学、経験的科学として没価値的普遍化的科学として自然科学と価値関係的科学として文化科学を挙げられた。所が、農業拓殖学は博士の言われる自然科学に含まれる鉱物学や自然地理学、地質学、社会進化論、生物発生学、植物学、動物学等のみならず、文化科学に入る歴史学、人文地理学、経済学、政治学、宗教学、言語学にもわたるのである。この両科学に関係する別個の科学たる運命を有する事を感ぜざるを得ぬのである。田辺博士の研究は、自然科学について更に追及せられ文化科学に関しては発展させられていない。
この問題に一石を投じたのは、若き日の柏祐賢博士の1943年に公にされた「経済学の構造」(⁴)であろう。
これは、経済学は自然科学なりや文化科学なりやをを問題にし、経済学の哲学的研究を展開した点で田辺博士の展開分野に光を与えたが、なお一層自然科学に接近した農学に関して1962年に出された同氏の農学原論に(⁵)おいて科学としての農学の特質を展開されて、茲に「科学としての農学は純粋の自然科学とも、又文化科学とも異なって、独特の特性、特質を持つ科学」と見、何がゆえにこれらの科学と異なる性格を有するかと言えば、それが人間の目的的な行動、即ち有機的な物財(植物及び動物)の培養獲得と言う行動を対象としているからであると言い、ここに応用科学に属する科学と言われている。応用科学とは何ぞや。これはすでに古くから慣用された名称である。又、実学とも言われた。これも珍しい名前ではない。かくすれば、農業拓殖学も、応用科学の一種であるとして人は不思議に思わないであろうが、学問論を追求すると、応用科学とは何か、実学とは何かを追求せざるを得ぬのである。応用科学域は実学の性格は、自然科学域は文化科学がとらえた法則的知識を手段として、それによって、特定の価値の実現を図ろうとする知識の体系である事がわかる。(つづく)
みなさん 杉野先生論文
南米開拓前線を行く 38
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第二節 農業拓殖学の性格、所属及び研究範囲
ー5月20日記入ー
応用科学たる点において、農業拓殖学は農学や工学や医学と同じ性格を有すると言えるであろう。農学が農産物の獲得を、医学が人間の健康を、工学が衣や住の価値実現を具体化する科学であるが如く農業拓殖学は農業の基礎を作出するという目的に制約された応用科学であると言える。実学であると言うことも、それが純利に関する科学でなく、純利の法則的認識を用いて実際的価値の作出を可能とならしめる準則的な知識の体系であると言う意味に他ならぬ。(マツエ注【準則(じゅんそく)とは。規則にのっとること。また、よりどころとすべき規則。】)
柏博士は経験科学を自然科学(法則定立的)文化科学(個性記述的)形成科学(範型設定的)の3系統に分ち、その第三の形成科学の中に生産学としてそれに農学、工学等を抱えられている。確かに一つの考え方であり、農学は確かに生産の学に関係しているが、政策学や経済学を含む今日の農学はそれでよきのか疑問なき能わぬところである。況んや農業拓殖においておやである。(【マツエ注・況んや農業拓殖においておやである の意味?。 「農学でも疑問なのに、まして農業拓殖はなおさらだ」ということか? 例文「いわんや近代、現代においておや」=近代でさえだ、まして現代はなおさらだ。)
私は応用科学とは、基礎科学、或は純理科学に対比せらるべきもの、即ち Pure Science と Applide Science とが相対する分類法であるべきではないかと考える。又、実学と言う概念は Theoretical に対するPractical であると解する科学の分け方ではないか。換言すれば、自然科学と文化科学を一括して theoretical Science 或は pure Science とし、それに対するものとして、applied Science 或は Practical Science とするのが論理的に正しいのではないかと考えて、敢えて柏博士の如く第三の科学とはせぬ考えである。(つづく)
みなさん 杉野先生論文
南米開拓前線を行く 39
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第二節 農業拓殖学の性格、所属及び研究範囲
ー5月21日記入ー
農業拓殖学は自然科学なりや文化科学なりやと言う問題に対しては私はそのいずれよりも養分をとる所の独自の実学であると言うべきであると思う。養分を取るとは、それらの科学の発見した自然必然の法則的知識や価値に関する法則的知識を色々に利用して、農業拓殖活動を成功に至らしむる為に人類が利用せねばならぬ」準則発見を目的とする科学であると言ういみである。実学とは、「天地の自然の道に従う人間の道なり」と橋本伝左衛門先生は定義せられた事があるが、端的に実学の本質を表現せるものであろう。
農業拓殖学の研究の対象、性格、目的、所属の次に、私は研究範囲の問題をとりあげた。対象を明らかにする事とこれは表裏一体の関係にある。これは、次節にのべる体系論につながるものであるが、それは研究の範囲の次に来るものである。ここにいう研究の範囲決定とは農業拓殖学が準則発見の為に如何なる問題を問題とすべきかと言う事であり、研究のThema の決定でもある。(つづく)
【マツエ注・実学とは「天地の自然の道に従う人間の道なり」と橋本伝左衛門先生が定義されている】
みなさん申し訳ありません。先ほど送信した文章の訂正をお願いします。
杉野先生の論文南米開拓前線を行く 39の2行目 それらの科学の発見した自然質必然の法則的知識の中の 自然質必然という語句の質の一文字を削除願います。紛らわしい一字を誤記入になってしまいました。以後、気を付ける所存です、申し訳ありません。(削除訂正生済み)
みなさん 杉野先生論文
(余談)仕事の後の楽しみ、として写論させて頂いていますが、仕事の関係で時々帰宅が遅れます。記述の抜ける日があります、申し訳ありません。
南米開拓前線を行く 40
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第二節 農業拓殖学の性格、所属及び研究範囲
ー5月24日記入ー
それは、従来の科学の成果から何をえらび出すかと言う事の他に未知の世界、即ち未だ経験せざる未来の世界から素材を発見すると言う仕事である。若き科学の宿命でもあろう。これらの問題は別章研究方法において論ずるが、茲で言う研究の範囲とは、更に時間的及び空間的の限定にも及ぶ。そこでまず時間的には研究の範囲はどこまで及ぶかと言うと、勿論歴史的研究としては人類の創生期即ち100万年の昔にさかのぼる事になる、又、空間的とは人間の生活する場所としての地表は勿論、大地を含み、気象、気温の変化が人類の拓殖活動に及ぼす作用を考えれば、地球全体、或いは宇宙全体が研究範囲となる。農業拓殖活動の準則発見的の視角から言えば、氷河形成が重大なる関係を有する。大気の乾燥等空間の出来事によって砂漠が形成され、或いは水草を追って民族の異動が行われる等、農業拓殖活動の準則発見的研究には、かくの如き地学的研究が必要なのであり、従って宇宙の研究にも及ばねばならぬことになる。天文学の研究なくしては航海術は発達しなかったであろうし、航海術の発展なくしては、コロンブスのアメリカ発見はなかったとも言えるのである。
(マツエ注・なぜか杉野先生は「水草を追って民族の異動が行われる等」という農業拓殖に水草がでてきた。 私も5年ほど仕事として水草を追ってブラジル 中を移動していた思い出があって、偶然の一致かもしれないけれど、何か思いが繋がっているのかなー、と面白く感動しています)
丸木さーん みなさん マツエです。
寒い日曜の昼過ぎ、夕べの店の残り物でお昼を済ませて、丸木さんに転送して頂いた、慶應の先生の、政治談を拝読させてもらいました。
今、杉野先生の論文、杉野理論と言われる原文を写論させてもらっているのですが、そんな内容の根本にかかわってくる話なので、じっくり書かねば
ならないのですが・・・どこまで書けるか?ーー。
今の日本は、矛盾だらけの政治経済文化を包含してしまって、抜け道が分からなくなって、その上のこの新型コロナの問題が更に覆いかぶさってきた。
事の根源は、政府の政治家、役人が誰の言う事を信じて、施策を決定すればよいのか、分からなくなっている兆候が見て取れます。
何故、杉野理論と関わってくるか、という一面に・・・学術会議が大きくかかわっている、ということではないかと思います。(ダメになってしまった学術会議)
何故かと言うと、昔から本当は、学術会議は政府が分からない問題が発生すれば、それを学術会議に諮問する制度があって、会議は、そのアドバイスみたいな答えを学術会議の学者の意見をまとめて答える=答申する。
政府が諮問して、会議が答申と言う形で指針を示した。政府・閣僚・官僚は、その答申を軸にして政策の策定決定を進めてく、と言う形で、やってきたわけです。しかし、いつの間にか、その会議が数人の、声の大きな意見で=声の大きさ、で決まってしまい、冷静な機関を逸脱し始めた,感があります。
(ある人は学術会議が乗っ取られた、という)なぜ杉野理論がここに関わってくるか、と言うと、我々の世代では辛うじて覚えているのですが、池田勇人(いけだはやと)さんが総理になって、所得倍増、「貧乏人は麦を食え」と言って、日本の工業化を進めた基本政策が・・・今の日本を決めた。と記憶しています。
農大の授業で、聞いたのですが。この時の学術会議の答申が、農業を捨てて工業化を進める、と言うものだった。
当時の津川先生の授業で、そんな講義があった事をうろ覚えしています。杉野先生の授業をわたされたのが津川先生だったかもしれません。当時の学術会議の農業部門の親分が、工業化推進の東大の東畑教授で、反して農業化を押した一方の親分が京都の橋本先生だった・・・という話だったのです。
結論は、東大派の東畑教授が勝って、京大派の橋本先生の論が負けた、という勝ち負けの話ではないですが、結論です。
結局、東畑派が勝って、今の日本の姿になった・・・工業で儲けた金で農産物を買う、という今の日本の現状況です。
この時に、橋本先生派が勝っていれば、日本は農業国家の道を歩んで、今のヨーロッパ諸国のように極端な工業化はないにしろ、食物の自給率は7−80%はできていた、と言う形の国になっていた、と思いますが・・・
そんなやり取りがあって、池田さん提唱の工業化に突っ走り世界2位の国になれたのです。それから50年以上が経って、工業政策の弊害が出てきて、今の状況になっている。
学術会議も、赤だか青だか、右なのか左なのか、分からい内容会議になってしまって、国民からの信頼も失ってしまい、政府、政治、経済、がおかしな方向に走っているのではないか、と思います。
茲の点が今の日本の混乱の大本になって、訳の分からない薄っぺらな補佐官関係政府と、国民の気持ちになれない政府の方向性を突っ走っている、ようにみえます。学術会議の衰退が、国家の衰退に繋がってしまった。
池田さんの決定によって、今の日本の食物自給率30%台という数字の国が出来てしまっているわけです。それを肯定するのであれば、もっと徹底して一段と高い工業研究に走ればよいし、農業もただの経済追及農業でなく、生き方、哲学を含んだ農業に青年が目指せば、良くなってゆくのではないか、と思うのですが。どうでしょう?
杉野先生が、なぜ農業拓殖を推進されようとしたか、が少しづつですが分かってきました。そのあたり、じっくり写論しなが、ヒントを頂こうと思っています。個人的な意見ですので、ご了承願います。
みなさん 杉野先生論文
(余談)今回が5月24日の筆記となります。期日(日時)誤認が多くて、申し訳ありません。
昨日の(マツエ注・)で、水草の話が出て、杉野先生が水草と関係あるのか、どうか? 真剣にじっくり考えてみて、はたと思いました。
ひょっとしてこれは、水草ではなく、水、草ではないか、と思い至りました。
水草を追って民族が異動する、なんてあまり常識的に考えられないですね。動物の本能として、水、草を求めて大群が移動する、それを追って古代人も移動する事が一般的だったのではないか、と思ったのです。
日本語の難しさを実感します。区読点 、 が有ると無いで、全く意味が違うことになって自分ながら、可笑しくて笑ってしまいました。
正確には 水、草を追っての民族の異動・・・ 重ねて、お詫びさせていただきます。杉野先生と水槽に入れる 水草は、あまり関係なかったですね。
南米開拓前線を行く 41
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第二節 農業拓殖学の性格、所属及び研究範囲
ー5月24日記入ー
農業拓殖活動者が現代においても同様な立場にある。農業拓殖活動が探検的活動を必要とする事は、近世初頭の地理上の発見時代にも劣らぬのである。文明は進歩したと言うけれど、天文学的知識はなお、探検家が持たねばならぬのである。農業拓殖学は前節に述べた如く、自然科学と文化科学の両域から養分を吸収せねばならぬから、そして又応用科学の仲間からも、同様であるから、研究の範囲としてはこの両科学にふくまれるすべての個別科学、並びに応用科学に及ぶことになる。只研究者は彼が農業拓殖学の研究者である限りは、農業拓殖活動の要求する準則発見の角度からその個別科学の成果を選択して組織せねばならぬが、ともかくも研究の範囲と言う事になれば、正に百科全書的である。この事を言うのは農業拓殖学の研究者が視野を広くして研究してもらいたいと考える事と、それが実人生の効用につながる限り、即ち実学たる限り、実人生の価値の角度から無限多様の作用を把握する学問的研究が結局は必要であるからである。
併(しか)し乍ら、その百科全書的知識がそのままで農業拓殖であると言うのではない。かくの如き広き研究範囲を有するけれども、その得られたる知識を組織せねばならぬ。農業拓殖学を構成する特有の概念、或は視点によって選択せられ、濾過され、組織されてここに一個独立の科学となるのである。これが次に述べるところであるが、研究の範囲をかくの如く解する時、農業拓殖の研究題目は、実に広範極まる大海からの一滴一滴の雫の如きものに感じられる。ニュートンが彼の研究をあたかも大海の岸辺の小石を一つ二つ神の示唆によって拾う子供にたとえたが、正に同様の感を抱かざるを得ぬ。(つづく)
みなさん 杉野先生論文
南米開拓前線を行く 42
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第二節 農業拓殖学の性格、所属及び研究範囲
ー5月24日記入ー
研究の全範囲、しかもすでに何らかの科学として組織立てられたものを学ぶだけでも大事業である。況んや応用科学の特徴として、その科学と科学との相関する分野に幾多の研究が必要である。例えば、熱帯の土壌の特質の研究には、土壌学の知識の他に熱帯の気候の特性、熱帯の植物、土地の微生物等の知識が必要であり、その相関、或は総合が必要である。この土壌の特質の認識の上に開拓営農或は開拓生活がいとなまれるのである。分化し専科が必要であり不可避であると共に、実学として益々その成果の統合的把握が必要となって来る。科学的知識の細分化と、その実用化とは別問題として措かず、それを総合して実行上の判断の指南車たらしむるところに実学の使命があるのであるから、農業拓殖学の研究者は非常に勉強せねばならぬ訳である。これが一人にして為しとげ得る事は、殆ど不可能な程今日の科学は進化している。(⁶)(⁷)それ故に、農業拓殖学科と言う独立の学科を編成して、多くの関係科学の専門的研究者の集団を持ち、その協力を得て、学生を教育する必要がある訳である。これは次にのべる体系論を見れば、今日の農学のどの学科内にも包摂し得ざることが判明するであろう。それと共に農業拓殖学科の中に、農業拓殖活動そのものの全体を統一的に把握して、達観し、農業拓殖活動の本質とその史的社会的な運動法則的な把(とら)え方が必要となる。これらは原論の課題でもあると考える。詳述はその節下にゆずるが、農業拓殖学の範囲論としてその焦点に属する問題としてのべたのである。(この節、終わり)
参考文献
(¹)田辺元 1918「科学概論」第5章
(²)W. Windelband 1894 Geschichte und
Naturwissenschaft (篠田英雄訳、1942 岩波文庫版、 歴史と自然科学)
(₃)H. Rickert 1898 Kulturwissenschaft und Naturwissenschaft (佐竹哲夫、豊川昇訳、岩波文庫版 文化科学と自然科学)
(⁴)柏祐賢 1943 「経済科学の構造」
(⁵)柏祐賢 1962 「農学原論」
(⁶)石原純 1952 「科学史」
(⁷)全国農学校長会 1943 「日本農学発達史」
和田: マツエさん 皆さん 南米開拓前線を行く その6は、37より42までで8千字弱になっていますが、第2節が終わりましたので新しい節に入る前に終了したいと思います。字数が余っていますので余談としてこれまでの読後感他、コメントがあれば寄せて下さい。2−3日待って43に入る前に40年!!ホームページに掲載させて頂きます。
和田さん みなさん 今5月26日午後6時を過ぎたところで、今日はこの時間に帰宅しました。水曜木曜は昼の営業だけにしています。
節の区切り目で、今朝書いてから出勤した文章、「南米開拓前線を行く 43」の (余談)として書いていました。
それを投稿させていただきます。
次の節から。44で始めさせていただきます。
杉野先生論文 43(余談)今朝早く、また夢で目が覚めました。
「お前 分かったか・・・?」という声がしたような気がして、杉野先生の顔写真が現れて、そんな声がしたような具合で、頭にくっきり残っていました。。
第2章の第2節が終わった段階で、先生が仰りたかったことが少し見えてきたからで、私の感覚での話になりますのでご容赦願います。杉野先生は「農業拓殖学科ではなく、本来は「農業拓殖学部」という一段上、を考えてられたのではないかと感じています。
農学とか、文学とか、経済学とかと同等の位置づけとしての農業拓殖学。そんな農業拓殖学部の中に、農業海外移住学科、であるとか農業国内移住学科など別個に考えられるし、技術部門では、国際農業援助学とか国内農業開発学の分野、などもあって、そして考えられるもう一方の農業拓殖を単なる農業でなく、生き方を含めた、農業哲学科なども考えられるわけです。
金儲けの方法としての農業と、人間の生き方としての、農業や畜産業なんか。畜産などにはとても大きな問題があって、職業として動物(大、中、小)を飼育し、それを人間の食糧として殺さなければならない過酷な部分も入ってきます。農業と言うのは大変な仕事を包含しているわけです。
人間が暮らすために、そこには確固とした信念(考え方)が無ければ出来ない精神部分もあって、そういう考える部門の農学もある訳です。農業すべてを包含した農業拓殖学ではないか、と、この論文を読ませていただき分かってきた次第です。
東京農大の中に、農業拓殖学部を開設し、農業の本質を研究する、と共に、世界平和に如何にして農業分野で考えてゆくか、と言う事を目指されていたのではないか、と思いました。農学を単に農業だけと考えるか、人間の生き方とか、そういう経済、科学、精神学、部分も包括した農業を考えられていたのかな、と思ったのです。
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