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小雨のベレンで下船された同船者を訪ねての旅。
1月16日から21日まで北伯のベレンで下船された同船者31名の動向を訪ねてベレン、トメアスー(40年ぶりの訪問でした)、カスタニャール、アバエテツーバ等を訪ねました。記録映像作家の岡村 淳さんにも同行して頂き『40年目のビデオレター』北伯編として現在纏めて頂いていますが、トメアスー文化協会頴川会長宛の御礼の手紙の型で皆さんにもご紹介します。添付の写真は、和田が40年前に途伯送別会で皆から貰った日章旗への寄せ書きでこれがトメアスー文化協会の移民資料館に飾られていたものを撮ってきたものです。当時これを見た友人が『和田さんもいよいよ歴史上の人物に成った?』と冷やかしてきたもので40年振りの対面をして来ました。


トメアスー文化協会
会長 頴川 幸雄 様

先日は、トメアスー文教の移民資料館を案内して戴き有難う御座いました。私がブラジルに発つ時に書いて貰った日の丸の旗への寄せ書きが大事に保管され展示されていたのには、青春との邂逅と云うか40年前が胸に飛び込んで来て何とも云えぬ感懐を覚えました。もし佐藤さん(三宅)さんの所に預けて行かなければアマゾン川で手拭代わりに使用ボロボロになって捨てられていた筈ですが、大事に今まで保存されていた事に感謝の念を禁じ得ません。お約束した通り5月の同船者の慰霊祭、集いが終わりましたら船内新聞の1部と船内新聞ニュース班で作成したあるぜんちな丸第12次航乗客名簿(黄色く色褪せたガリ刷りのものですが)を寄贈させて頂きますので一緒のコーナに展示して戴ければ幸甚です。
62年5月初旬にベレンでトメアスーの組合の船アントニーナ(?)に乗り移り本船と別れを告げてモエマとトメアスーに入植して行った31名の皆さんの消息が分り14名(43%)の方にビデオレターに参加して貰いメッセージを戴きました。亡くなられた方が10名(30%)、帰国又は現在一時帰国中の同船者が7名(21%)、サンパウロへの転住者1名、面会拒否1名(6%)の結果でした。
早稲田の学生の頃お世話になった新井範明さんとも40年振りに再会、感激しました。若い頃に書いた今では見たくもない悪筆に再会、63年初頭のトメアスーの演芸会で「男ならやって見ろ」との蛮声を披露拍手喝采?を浴びたとの思い出す事もなかったエピソードを新井夫人に聞かせて貰い然もありなんと汗顔の思いをしました。学生時代に多くの計画移住地を見て歩きましたがトメアスーには同船者と共に多くの青春の踏み跡が残されており懐かしさが一杯でした。
トメアスーに到着したのが1月10日(木)の夜8時頃でしたが、生憎のどしゃ降りとPARA州ほぼ全域の停電に見舞われ40年目前に逆戻りの感が強くこれも神の摂理?BOAS
VINDASの挨拶かと嬉しく受け止めました。
私の趣味に近い同船者の消息を訪ねての旅にも身に染み付いた根っからの商売人(本業は弁護士の筈ですが)気質を発揮、CAMTAのジュース工場を訪問、伊藤社長、斉木専務にお願いして工場見学と日本向けアサイ、クプアスの冷凍ポウパ輸出の可能性を話し合う機会もありました。4月に行われる東京でのFABEX2002の惣菜展への参加等で具体的なお手伝いが出来れば40年前からお世話になっているトメアスーへのお返しになるかと今後関係者と打ち合わせしながらBUSS開拓に注力して行く積りです。
トメアスーの墓地に同船者とその関係者が都合7名眠っており墓前に額ずきご冥福を祈りましたが、当時トメアスーに蔓延していたマラリアに到着後直ぐに罹り僅か2ヶ月でブラジルの土に化した同船者海谷千栄子さん(当時19歳)の無念を思うと胸に込み上げて来るものを感じました。千栄子さんのお母様に当たるトメアスーの名物おばさん海谷ことさん(現在88歳)に肩をボンと叩かれ「生きている我々が先に逝ったものの分も生き、頑張らなくてどうする娘は同船者で一番早く亡くなったがわしは、一番長生きする積りだ」との発言に救われるものを感じました。
船内新聞の編集に携わりベレンまで同士として一緒に苦労した三宅昭子(旧姓佐藤)さんが呟く様に話していた   『人生差し引きゼロの哲学?』にも昭子さんの人生体験が滲んでおり胸に染み込んで行く話を聞かせて貰いました。妹に当たる船内での人気者おしゃまで誰にも好かれていた薫ちゃん(当時14歳)がトメアスー到着後1年足らずで自らの命を絶ち、弟の正邦さんが27歳で他界、ご主人の三宅さんも3年前に先立ち皆静かにトメアスーの墓に眠っておられました。亡くされた身内の事は片時も忘れる事が無いと思いますが、昭子さんには昨年11月に結婚60周年(何婚と呼ぶのでしょうか?)を祝われたご両親がご健在でお祝いに駆けつけた海谷ことさんと3人で撮った合計254歳の3人組の写真を戴いて来ましたがこれは稀に見る長寿者3人組と云えます。トメアスー入植者の海谷さん一家5名は、現在12名に増えており、6名で入植した佐藤家は現在19名に増えており確実に根を下ろしており、第2トメアスーに入植した大島家4人も孫信さんのご家族がマラニオン州で頑張っておられると聞いている。
それにしてもアマゾンのトメアスー等に入られた31人の皆さんはそれぞれ苦労されたとの事でその一部なりとも聞かせて貰え自分の選択でアマゾンに入植した家長以下と自らの意思でなく寧ろ来たくなかった親の選択に従わざるを得なかった中学、小学校低学年、幼児だった者にもそれぞれの人生があったようです。当時船内で2歳だったモエマに入植された田中博泰さんにもビデオレターに参加して戴きましたが14名中唯一ポルトガル語での挨拶となり当然とは云え違った形での定着を見る事が出来興味深く感じましたが、現在42歳で日本と関係のあるアルブラスのプラントで日伯両語を駆使して活躍しているとの事で嬉しくなりました。
入植当時のトメアスーは、マラリアが蔓延毎週金曜日にはその週に亡くなられた犠牲者のお弔いがあったとの話にその過酷な当時の生活が伺われます。
ベレンの町にも田中家5名が現在では20名に増え、3名でブラジルに付いた安武家も現在は12名に増え、7名で入植した篠崎家でも84歳の篠崎千代子さんがお元気で総勢21名に成長しておられるのを見聞して『どっこい生きている!!』との逞しさを感じる事ができました。
人生差し引きゼロ、小さい家族単位又はアマゾン地域に入られた31名の単位更にはブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンに入った方達の大きな単位、最終的にはあるぜんちな丸第12次航の681名の大きな単位で見ても見えざる神の手(経済理論でもこの神の手が引用された例もありますが)が働き人生差し引きゼロの大きな均衡が保たれているのではないかとの強い印象を受けた北伯への旅でした。皆からは親しみを持ってトメアスーの名物バーちゃんと呼ばれている海谷ことおばちゃんの先に逝った者の分も生きている我々が強く生きて行く義務があるとの言葉を肝に銘じこれからの与えられた人生を懸命に生きて行く事を心に誓いました。
お世話になった多くのトメアスーの皆さんにも機会があれば頴川会長から宜しくお伝え下さい。
    
       平成14年1月18日 
『私たちの40年!!』刊行委員代表
      和田 好司



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