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南米開拓前線を行く。その10 松栄 孝
杉野先生の「南米開拓前線を行く」を松栄さんが毎日少しづつ写論されており今回は、もうその10に到達しました。まだ半分程度でしょうか。今回は、66から始まり76迄の11回分を掲載します。最後の76には松栄さんの余談が入っていたのですが、これを含めると1万語遥かにオーバーしてしまうことから約500字を次回の77の冒頭に記載することにしました。松栄さんの大事な余談を次回に回すのは、断腸のおもいですが、字数オーバーで掲載不能ですので了解下さい。写真は、東京農業大学ブラジル校友会「移住百年史」よりお借りした杉野先生の慰霊碑です。


南米開拓前線を行く 66
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第一款 農産物過剰生産論に対する批判
ーー7月4日記入ーー
 これは理論の問題であると共に、教育上の問題としても必要とせまられた。それは以下にのべる所によって明らかになるであろう。私は、農業拓殖学を学問として独立させる事と同様な比重で、農業拓殖活動の現在における必要性を究明せざるを得なかったのである。抽象的に人類は食糧を必要とすると言う大前提から演繹(注・演繹ー演繹(えんえき英: deduction)は、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法である)して、故に拓地増産は必要なりという演繹的論理から論ずるのでなく、帰納的実証的に現実の実証的研究から帰納する兵法からも論ずる必要があると考えた。実は事程さように、農業拓殖活動の不必要論、更には有害論までが、あらわれて学生の研修意欲を阻害する傾向があるからである。
 それは先ず、現代はもはや食糧不足の時代ではなくて、人類が到達した物質文明は、資本主義と言う経済機構を生み、戦争や恐慌で一時的には食糧不足の時機もあるが、その時機を経過すれば、間もなく恢復して、生産は需要を超えるものであると主張する。そして現在の生産力はたえず発展しつつあるので人類はむしろその生産力をもて余していると主張する。現代にあっての問題は農業恐慌であって、増産ではないと主張する。現在各国が食糧増産に努力しているのは、各国が常に一旦緩急の時の社会不安に対処する為に行うのであって、人類全体、世界経済全体より見れば、問題の根本的解決ではなくて資本主義社会の矛盾を激化するだけではないかというのである。実例をあげると、一体日本で米の増産の為の農業拓殖活動が必要なのかという議論の如きその例である。適地適作。生産費の安い東南アジアで米作をして、それを買えば、東南アジアに日本の商品の市場も拡大し、けっこうではないかと言うのである。農産物貿易も自由化されるに従ってこの議論益々盛んになる。砂糖、果物、畜産物等々競争の結果は益々過剰となるであろうと言う。海外の熱帯未開発地域の開発においも、たとえば、日本人によってブラジルの農業に非常に貢献したアマゾン流域の胡椒の生産の如きも、胡椒が世界市場で不足したじだいの黄金時代がいつまで続くであろうかを心配して迷っている人が沢山いる。アマゾンのゴムの植栽についても同様な消極論が行われている。コーヒーに関しても同様である。最近の問題としてバナナの問題がある。日本でバナナが戦後は非常に高価であり、台湾バナナが大いに輸入された。今日では南米からも東南アジアからも殺到して、時には投げ売りされる場合すらあり、価格は下落しつつある。こうなると、東南アジアでバナナの植栽企業を企てる事に対して、慎重になってくる。そこで、拓地増産よりも滞貨処分や所謂流通機構が問題であるという。(つづく)

南米開拓前線を行く 67
(余談)食糧問題とFAOなど。
杉野先生が当論文の今日の写論の最終部分に述べられている「それにもかかわらず、何故に農業拓殖活動に対して不要論、有害論が流布されるのであるか。これを追求する事は、原論としての当面の理論的課題であると考える」 不要論、有害論の授業を、我々が現役学生時代、杉野先生が亡くなられて5年余りの時期に、ある先生から授業で講義された記憶があり、そういう流れが当時すでに農業拓殖学科にあったわけです。そういう授業があって、この先生いったい何なんだろうかと思った記憶があります。
 私がブラジル実習から帰って復学して5年生の時、農業拓殖学科5期で卒業された杉村先輩に、たった1度ですがお会いしました。杉村先輩は、海外移住連盟の幹部をされた慶大OBの杉村さんのお兄さんで、その当時、杉野先生が以下で述べられている FAO 国際連合食糧農業機関の調査官を務められておられ、イタリアのローマのFAO本部で食糧問題の国際調停をされている、と言うご紹介を拓殖4期の江口先輩からお聞きしていました。
とても優秀な先輩でした。その後、杉村先輩は体調を崩されて、数年後に亡くなられた、とブラジルでお聞きしました。
 当論文を読ませて頂き、杉野先生の考えられていたことが実感としてよく理解できる、と今更ながら、思います。
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第一款 農産物過剰生産論に対する批判
ーー7月5日記入ーー
 そして農業拓殖学は、何所で何を、栽培できるとか、その栽培の方法とか如何にしてその栽培費を安くするか、その場所における健康なる生活は如何にするか等と言う、生産技術、生活技術、経営技術の研究と併せて、以上の如き増産に対する種々なる疑惑を解決せねばならぬ。換言すれば、農産物過剰生産論に対して、実証的にこれを打破するに非ざれば、農業拓殖活動はその理論的根拠を失う訳である。吾々は今日、その点においては、国際連合の一専門機関であるF・A・O 即ち、FOOD & Agriculture Organization の活動によって、国際的な調査機関を持ち、これを論破するに充分な材料を持つことが出来るのである。このF・A・O からの資料に基いて研究する事がこの観念的な、そして多分にマルクス経済学的な過剰生産論を充分に批判する事が出来るであろう。ブラジルのカストロ博士の「Geography of Hunger」(¹)(注・飢えの地理学)や、中村浩博士の「飢餓」(²)の如きは、これらの資料に立つ批判論であり、野間海造博士の「人口爆発と低開発地域の開発」の如きも亦国連の資料に立脚した実証的研究である。(₃)これら一連の実証的研究によって、今や農業拓殖活動が如何に国際協力によって強力に展開されなければならない歴史的社会的根拠のある運動であるかは実証されていると思うのであるが、(⁴)それにもかかわらず、何故に農業拓殖活動に対して不要論、有害論が流布されるのであるか。これを追求する事は、原論としての当面の理論的課題であると考える。(つづく)

南米開拓前線を行く 68
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第一款 農産物過剰生産論に対する批判
ーー7月6日記入ーー
 私は不要論文及び有害論文を追求して、それが現代を規定して、「依然たる植民地主義」時代としていることを見出すのである。(⁵)即ち論者は植民地の独立を見せかけにすぎず、依然として帝国主義が横行しているとするのであって、かかる時代の拓地増産は帝国主義の植民政策に変わらぬとする。この考え方からして、反帝国主義運動の思想運動として反農業拓殖思想が打ち出されてくるのである。農業拓殖学を学ぼうとして入学してくる学生がかくの如き思想戦にさらされている現状は、思い半ばにすぐるものがあるのである。これに対して批判の武器を与えるものが原論の役目であろうと考える。
そこで第二の課題は次の如くである。(第二章 題四節 第一款 終了)

南米開拓前線を行く 69
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第二款 現在における植民地主義の批判
ーー7月7日記入ーー
 私は上来のべ来たった如く、現代を規定して曾つての植民帝国が植民地を失い、旧植民地は続々と独立し、原住民による、原住民の為の、政治を確立しつつあり、世界を通じて人間の幸福を求める自由と自主的活動と、そして平等を求める人種確立の主張が普遍化してきた時代と見、所謂先進国もこの大勢に順応して、その曾つての本国民だけの利益のための植民政策の方向転換の余儀なきに至った時代と規定したのである。然るに戦後あらわれた諸家の労作の中に、殊に所謂進歩的と称される思想家は多く、現代をして依然たる植民地時代とする人が多いのである。戦後にあらわれたこれらの理論は所謂後進国開発に関する理論の中に見出される。よって、これは又、後進国開発の諸理論の(⁶)批判でもある。私は曾つて是等の問題をそれぞれ別項に分かって東京農業大学の農学集報にのせたが(農業拓殖の理論的諸問題第二部)、これは楯の両面とも言うべき問題でもあるので、茲には双方一括して批判の対象とする事にした。

南米開拓前線を行く 70
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第二款 現在における植民地主義の批判
ーー7月8日記入ーー
 私も、1944年8月5日、即ち日本が連合軍に対して軍事的敗退を認めた終戦の日をもって一切にの植民地が世界的に消失と言うものではない。
(マツエ注・この部分の記述に疑問があります、日本の終戦は1945年8月15日と言うのが事実と思いますが、杉野先生の誤記なのか、何か別の意味があるのか、それとも原論本文を本遺稿集に書写する時の誤記なのか、よくわかりません。1944年8月5日を歴史的に調べても、【1944・8.5 大本営政府連絡会議,最高戦争指導会議と改称。首相の戦争指導への発言権強化を意図。】という書き込みです。ドイツ軍の終戦は1945年5月9日とされています。この記述に2日ほど考えたのですが答えは不明です。先輩方でご存じの方がおられましたらご連絡お願いします…マツエ)
しかし歴史上の重大事件をもって、殊に人類の文化発展に劃期的(=画期的と同じらしい)な作用を有する事件をもって時代を区分する事は、歴史的研究上常にとられて来た研究方法の一つである。何故に第二次世界大戦の終末と共に植民地主義の時代が去って国際協力による農業拓殖時代来たれりとするか、原論構造の一部として農業拓殖活動を歴史的社会的現象として、その人類史的な統一的な把握を企てる場合、この「何故」と言う問題に答うるべきである。(つづく)

南米開拓前線を行く 71
(余談)しばらく時間が開いてしまいました。気合を入れなおして、写論続行に頑張ります。
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第二款 現在における植民地主義の批判
ーー7月13日記入ーー
 若し論者が植民地の独立なるものを、政治的のみならず、経済的にも、文化的にも、独立するのでなければ、独立に非ずとするならば、それこそ狭きNationalismの立場に立つものとせざるを得ない。確かに戦後の独立運動には多分に排外的傾向の強い事は認められるが、この傾向こそ、人類文化の発展に逆行する現象として考えられるべきではないか。(⁷)人類の歴史は、人類が創生時代以来数十万年の間に、地球上に四散し、民族を発生し、国家を形成し、相対立抗争して来たが、次第に全世界を共同の場として、高次の統一へ向かって進みつつあるのではないか。そして有無相通ずる国際的な交換経済が発展し、文化は伝搬され、受容され、変容されつつあるのではないか。
曾つて新渡戸稲造博士は Colonization is the Spread of Civilizatio と言って植民活動の本質は文明の普及にありとされた。(⁸)旧植民学すら植民活動が政策的には本国の利益の為の政治と観ても結果的には文明の普及が、終局的の目標となる性質の根底にあることを自覚されていた。かく考えると、農業拓殖活動時代来たると観る私は、この人類的視野から考えざるを得ぬのである。解放された植民地の独立の意味が、狭き国民主義にとじこもる事であっては自縄自縛である事は、早くも賢明なる政治指導者は自覚しつつあるのある。(⁹) 戦後は反動的に一時追放した旧植民帝国の資本や技術や、指導者を再びむかえつつあるのが、東南アジア諸国に見られる。ネールがインドの独立樹立後もイギリス連邦の一国家としてとどまっている事等は、すこしくインドの実情を知るものにとっては、賢明な政策であった事がわかる。私はかくの如き現象をとらえて、隷属的関係と見るのは、相互依存関係と言う今日の全人類生存の基礎的関係を客観的に見る事のできない為でないかと考える。
お互いがお互いを必要とする平等関係を、支配と服従の関係として観る事は、それこそ旧態依然たるものの見方ではないだろうか。(つづく)

南米開拓前線を行く 72
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第二款 現在における植民地主義の批判
ーー7月15日記入ーー
 未開発地帯や低開発地帯の開発に当たって、資本や技術の必要な事、又、場合によっては治安の確保する必要な事がある。その場合、国際協力を実現するためには、その実行者が個人であれ、団体であれ、国家の代行機関であれ、また国際機関であれその事業の継続し得るためには、資本が消耗され、技術者の消耗される事は避けられなければ事は係属されえない。農業拓殖活動は、一時的な慈善事業ではないのである。それは何よりも生産活動なのである。生産活動である以上は、そして、又それが需要の増大に伴って発展するためには、単純なる再生産活動ではなく、常に拡大再生産活動でなくてはならぬ。仮にマルクスの言うが如く、余剰価値が労働の搾取によるとし、搾取なく社会をもって人類の理想とし、或いは労働全収取権思想を主張して、一切の余剰価値が労働にのみ帰属する如き制度が樹立されるとせば、人類の文化はどの様になるであろうか。私は労働が搾取される事よりも、搾取された余剰価値が如何に利用されるかが問題なのではかと思う。資本と技術とに豊かな資本主義国からの開発援助を、植民大衆の搾取であるから不可というならば、それは後進国の開発を延引きさせるだけである。技術援助についても狭き国民主義にとらわれて、国際協力を拒否する事は、結局これ又開発がおくれるだけである。(10)明治のはじめに、我が国の指導者が北海道開発にアメリカの援助を受け、アメリカの農務長官ケプロンが先頭になって多くの技術者を伴い来たった。それは76人の多数にのぼった。今日の北海道大学の前身札幌農学校の創立もその企(劃)(きかく)の一であり、クラーク博士によってその精神的基礎がおかれ、その余沢は今日に及んでいる。(11)我々の先輩は、米国人に搾取されたとは考えない。金銭では評価されつくせぬ精神的財産を得たのである。クラーク博士の全心身のエネルギーを搾取したのは日本人なのであった。(12)(つづく)

所謂南米開拓前線を行く 73
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第二款 現在における植民地主義の批判
ーー7月16、17日記入ーー
 戦後におけるアメリカの後進国開発の不手際はもうアメリカ人自身がよく知っている。それの反省が、ケネデイー大統領のアメリカ青年の精神的勤労奉仕の運動としての平和部隊の派遣である。(13)又、戦時中からはじまった国際連盟内部における世界経済再建の構想がプレトン・ウッズ協定となって結実し、今日の国際連合の、後進国開発の各般の協力運動として展開しつつある事実等、我々の現代における国際的開発政策の現実に眼を蓋う事は、事物を客観的に見るべき科学者にとっては許されない所である。後進国開発活動の批判者として有名なステーリーの所論にしても(⒕)所謂後進国に対するアメリカの開発活動の欠点を指摘するにとどまり、共産圏側よりの方策の成功性を論じているが如きはその一例である。
 歴史は日々前進する。是等の批判があり、失敗があってこそアメリカも亦反省しつつ、前進しつつあることを知らねばならぬと思う。(15)後進国開発の諸理論や植民地主義論に対して我々はたえず現実の中から実証的な方法で帰納して批判せねばならないのである。しかし乍ら、どうしてもこの様な現実に目を奪うような議論が相も変わらずくりかえされるのか。それを追求すると、私は研究者、乃至思想家の歴史を見る見方、即ち、歴史観の作用の存在することをを感知せざるを得ないのである。即ち、後進国開発の性格を帝国主義の一作用と考えたり、農業拓殖活動を帝国主義の一翼をになうものとするのは、マルクスの唯物史論観にその理論的基礎をおくに他ならぬ事を知るのである。又、狭き国民主義でなく、自由主義、資本主義の先進国においても、国民主義はもちろんある。それも亦、人類史を民族逃走史として見て、国際協力を夢物語と考える歴史観がある。そこで、国際協力による農業拓殖活動が現代の課題である事の客観的承認を確立するためには、この二つの歴史観を打破せねばならぬ事になる。そして農業活動のよってもって立つ所の歴史観の確立に至らねばならぬ。これも亦原論の課題であると考えたのである。(第二款終了) (つづく)

南米開拓前線を行く 74
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第三款 歴史観の批判
ーー7月18日記入ーー
 我々が自分の歴史観の確立の為に必要な手順として、在来の歴史観の批判をしようと言う場合に、実に多くの歴史観が存在した事、及び現存することを知るのである。ベルンハイムの歴史学入門を一冊読んでも如何に多くの歴史家が夫々の歴史観のもとに歴史を書いたかを知るのである。(16)クローチェの歴史学史(17)の如きも結局は歴史観多きが故に書かざるを得なくなったものと見る。その結果は、英国のカー教授(Prof. E. H. Carr)(18)の如く歴史とは歴史家の心を通して再構成された過去の解釈であるとまで明瞭に、史観の主観性を表明する学者も出てくると、史観の客観性は如何にして確立されるかを問題にせざるを得ぬ。私はここに問題とするのは、この様な史観一般に対する批判ではない。農業拓殖活動を阻止する作用を有する二つの史観にだけ焦点をしぼるである。
 唯物史観、特にマルクス唯物史観(19)に対する批判はすでに多くの哲学者、史学者、思想家によって為されてきた。多くの歴史観の中で、これほど多くの批判を呼び起こしたものはないであろう。私はマルクスの唯物史観、その本質的な点の人類の歴史は拓殖の歴史であり、更に詳しくは農業拓殖の歴史なりとする訳である。どちらが正しいのかと言う絶対性をめぐる批判と言うよりも、どちらが現実を、よりよく説明し得るか、即ちより客観性を有するかの相対性を認めつつ批判するのが適当ではないかと考えるのである 。私はここで、哲学的、史学的にマルクスの階級闘争史観を批判する事は、他の多くの人々の過去の業績で沢山だと思うし、それをくりかえしても、マルクス主義者が反省しそうもないのである。しかし彼らにとって痛い点は、マルクス、エンゲルス自身が、彼等の言う歴史とは、人類の全期間の歴史ではなくてーーすくなくとも原始時代はその研究範囲から外してーー人類が或る程度の発展を遂げそして階級が発生した以後の歴史について、それに立脚した歴史観である事を表明している点である。⒇ (つづく)

南米開拓前線を行く 75
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第三款 歴史観の批判
ーー7月20.21日記入ーー
「人類の歴史は」と言う様な表現がこの様なことで許され得るのか。たとえば、人類が科学を発達させて、月世界へ探検隊を送るようになった時代が来たとして、人類の歴史は宇宙探検の歴史であると表現する事も出来る事になる。歴史観と言うものが過去の出来事の説明と言うよりも,常に現代の歴史であり、現代から見た過去だと言うのはかくの如き意味に解される。しかし、過去に人類が月世界へ行ったのでない。しかし現代を説明するのに、いやしくも「人類の歴史は」と言う以上は、人類の百万年の歴史を除外するのは困った限定方法だと思う。しかしそれよりもなお痛い点は、マルクスが階級闘争史観を発表した当時と、現代とでは資本主義そのものが体質変化をきたしたと言う事実である。ロシアに於ける共産主義革命が成功か失敗かも問題とするに値する。私はこの現実に立脚した批判が、彼等の階級闘争史観が過去のものであることを自覚せしむるに充分であると思う。エンゲルスの書いた英国労働階級の状態と、(22)現代の英国労働階級の状態とを比較しても判る事である。十九世紀中葉の材料を土台として生まれた歴史観を、激変させるこの一世紀の後にも通用せしめんとする所に無理がある。
 しかるにもかかわらず、何故にこの信奉者が後を絶たないのであろうか。それは、ともかくも、マルクスの理論を思想戦の武器として革命を行い、国家の建設を行ったロシアが、その政治権力を維持する共産党の独裁を維持する為には、マルクス主義の原理程都合よきものはないのである、階級闘争史観が真理であるか否かは、別物であって、又、現実を説明する理論であってもなくとも、現在のロシア共産党がその政権を維持するには、必要なのである。現実を説明すると言うよりも、彼らの現実を肯定する点で、orthodox の理論である事は間違いない。それに加えて、その支持者を国外に作る上からも、必要な理論である。それは非共産主義国内に友党を結成させる事が、ロシアの存立を全くする上に非常に必要であるからである。(つづく)

南米開拓前線を行く 76
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第三款 歴史観の批判
ーー7月22、25日記入ーー
この点は、これからの要開発地帯が、旧植民地であり、民族的な対立と階級対立とが重なっていたと言う事は、ロシアにとって非常に有利な社会条件でもある。即ち、ロシア共産党にとっては、勃興せるNationaslism を利用することが出来るのである。レーニン以来の民族主義理論を読み、又、彼らの旧植民に対する政策の現実やら、所謂ソ連同盟内の各民族に対する政策を実証的に研究するならば、階級闘争史観そのものを巧妙に、民族闘争に利用し、植民地支配の先進国に対する植民地民衆の闘争を、階級闘争の一形態として、扇動しているのである。(23)ソ同盟、及びその中心勢力たるロシア共産党の存在する限り、この歴史観は後をたたないであろう。それはその学説が真理であるとか、客観性があるとかでなく、一つの歴史的社会的存在が必要としているということなのである。階級闘争史観の信奉者の跡をたたぬのはその為であると私は見ている。と言う事は我々においては、かくの如き国際的な対立を是なりとする事が、客観的な見方であるか否かである。前述をくりかえす様であるが、人類はかくの如き、国際不和を許しえない程、発展し、自覚して来たと見るべき傾向が日増しに強くなってきて、国境を越え、民族を超えて、協力してこそ、人類の生存そのものが確実にされる事を知って来たのである。換言すればロシア共産党だけに都合の良い立場から一歩も二歩も前進した立場に立ち、国際協力を是とする歴史観を必要としてきた。歴史観の相対性と言う立場に立って、現代の人類の要求し、且つ、現実を説明し得、そして又、かくの如き歴史的現実を生むに至った人類の発展を歴史として把握するには、階級闘争史観でなく、人類生存の根本問題から説明する歴史観が、要求されていると考えるのである。相対的とは言え、それは時代の要求する意味で、妥当性客観性の大なると言うべきである。すくなくとも、これから低開発国へ行って活躍しようとする若い学徒にとっては、各種の歴史観に対して明確なる批判力を与える事が、原論として重要であると考える。(つづく)



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