南米開拓前線を行く。その12 松栄 孝
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諸事情が重なり松栄さんの杉野先生の南米開拓前線を行くが停まっていましたが、何とか最後まで写論を続けたいとの松栄さんの強い希望もあり、継続しておりその12を40年!!寄稿集に掲載し残して置くことにしました。その12は、南米開拓前線を行くの第81の資料集から始まり82,83,84,85,86迄来ました。後2回位で終了するのではないかと思いますが、松栄さんの時間の許す限り急かず、急がず終わりまで続けて頂く事にします。写真は、東京農業大学ブラジル校友会「移住百年史」堅き絆1914−2014よりお借りしたものを順次使わせて貰う事にしています。これまでに使用した写真と重ならないように新しく準備しました。今回は、お馴染みの移民船第1号の笠戸丸を使わせて貰います。松栄さん残りの文を宜しくお願いします。 |
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松栄:和田さん ご迷惑おかけしまして、本当に申し訳ありません。自分の根気の無さで、一気に終了できず、いろいろもったい付けて、引き伸ばしてしまって申し訳ありません。
この土曜日曜の出版会を終えましたら、出来あがるように今一度頑張りたいと思っています。
杉野先生の書かれたことが、流して写していくことが出来ず一つ一つどういうことか? どういう意味か? を吟味し乍らの作業で、原稿用紙2−3枚の文でも、書き直しができるとぐったりしてきて、大変な話になってしまいました。
話を進めさせてもらう最中にも、いろいろ厳しい事が起こったり身内、友人、お世話になった方、が亡くなられたりで、結局今年いっぱいかかるかも知れません。申し訳ないです。
今日送っていただいた 南米開拓前線を行く11番に、記載が無かったのですが、 81の資料集、82,83、84 までは、既に送らせて頂いてはいないでしょうか。 ご確認お願いします。
81から84までを、下に改めて添付させて頂きます。85を移していたら、ヤフーメールがパンクしまして、下書きまで消えたようで、85から改めて、週明けから送らせて頂きます。
杉野先生が、教え子の学生さんに、先生の夢と希望をかけられて送り出された、その教え子先輩方も、だんだんおられなくなってきました。日に日に寂しくなってきた最近です。
順番だから、という事なんでしょうけど、本当に寂しい日々が続く最近ですね。
すいません、もう少しですので、お付き合いお願いいたします。本当に、ご迷惑おかけします。ありがとうございます。
サンパウロ マツエ
和田: 松栄さん 早速のお便り有難う。実は、その11は、84迄記録していたのですが、どうしたものかWORDの記録が突然消えてしまい再度残っていた80までに村松さんのお便り他を使わせて貰い何とか掲載したのですが、81,82,83,84を探して収録する作業を始めようと思ったらどうしたものか10月14日までのメールしか残っておらず松栄さんに送って頂こうかと思っていたら以心伝心、松栄さんから送って頂いたのでこれを使わせて頂きます。85からは、来週から始まるとの事、大事に記録していく事にします。どうも有難う。年末までには終了する予定との事、楽しみにしています。
南米開拓前線を行く 81
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第二章 農業拓殖学の学論の研究
第四節 原論の当面する理論的課題
第三款 歴史観の批判
ーー8月8・9日記入ーーーーーーーー
参考資料
(1)Josue de Castro 1952 Geografy of Hungly
(国際食糧農業協会訳 1955年訳 飢えの地理学)
(2)中村浩 1956 「飢餓」
(3)野間海造 1962「人口爆発と低開発地域の開発」
(4)F・A・O 1957 Man and Hunger
(国際食糧農業協会訳 1960 飢えと人生)
(5)簑島兼三郎 1952 「激変するアジア」
(岩波新書版)
同 1958「現在の植民地主義」
(岩波新書版)
真保潤一郎、神谷謙 1961「世界経済の主要課題
としての後進国」(三一書房版、社会科教育体系
第四巻所蔵)
(6)坂本徳松、西野照太郎、中川信夫、1960
「植民地主義と民族革命」
岡倉古志郎 1958 「民族」
アジア協会編 1956「後進国開発の理論」
Manrice Dobb. 1955 Some Aspects of economic
Divelopment (小野一一郎訳「後進国の経済発展と経済機構」
(7)アジア協会編 1957 「アジアナショナリズム」
(8)矢内原忠雄編 1953 「新渡戸伊庭像博士 植民政策講義
及論文集」
(9)大来佐武朗 1955 「アジア経済の発展」
(10)Gunner Myrdal 1957 Economie Theory and Under-
developed Regions (小原敬士訳 経済評論と低開発地域)
(11)若林功 1940 「北海道農業開発秘録」其の一
(12)大島正健 1958 「クラーク先生とその弟子たち」
(13)Roy Hoopes 1961. The Complete Peace Corps Guide
(坂西志保訳 平和部隊読本)
(14)Eugene Staley . 1954, The Future of underdevaloped
Countries
(15) W.W.Rostow , 1960. The Stages of Economic Graws
(木村健康、久保まち子、村上泰亮訳 ロストウ経済成長の
諸段階)
(16)E. Bernheim、1920、Einleitung in die Geschicht-
wissnschaft (坂口昂、小野鉄二訳 ベルンハイム、歴史と
は何ぞや、岩波文庫版)
(17)Benedetto Crice, 1920, Zur Theorie und Geschichte der
Historiographie (羽仁五郎訳 クローチェ、歴史の理論と歴史
岩波文庫訳)
(18)E,H.Carr, 1961, What is History (清水幾太郎訳、E H カー、
歴史とは何か。岩波新書版)
(19)Karl Marks , (K.Kautzky の1897年版) Zur Kritik der
Poltischen Okonomie.
(20)Karl Marks, Friendrick Emgels , 1848 Manifest der
Kommunistischen Partei
(22)Friedrich Engels, 1845, Die Lage der Arbeitanden Klasse
in Englend (武田隆夫訳 イギリスに於ける労働階級の状態)
(23)ソ同盟科学アカデミー歴史学研究所「植民地、従属国の歴史」
(24)Darre , 1936 , Blut und Boden (黒田礼二訳 血と土)
Darre , 1937, Das Bauerutum das Lebenaquelle
der Nordisechen Rease (岡田宗司訳 土と民族 上)
Dr, K. C.Thalheim 1933. Agrarpolitik (橋本元訳 ナチスの
農業政策)
(25)高田保馬 1959 「力の欲望と唯物史観」(新開博士還暦記念
論文集、社会学の問題と方法 所蔵)
(26)A.J.Toynbee 1946 A Study of History.
(27)H.G.Wells . 1930 . The Outline of History
(つづく)
南米開拓前線を行く 82
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第三章 農業拓殖学並びに原論の研究方法
第一節 学論構造上研究方法論の意義
ーー8月11、18日記入ーーーーーーーー
通常、学論の構造は、何を研究対象するとする学問であり、何を研究の目的とするのか、そしてその研究方法とするのは
何かを説くことを以て任としている。農業拓殖学が自己の学問としての独立を明かにする為には、その学問論においてこの対
象論、目的論、方法論は書くことが出来ない。特に農業拓殖学をして独立の科学たらしむるには、その研究方法が、科学的であらねばならぬから、方法論を明らかにする事は重要なる要素である。
私は本論文の第二章において、農業拓殖学の性格や体系を論じた時に、農業拓殖学が、農学(広義の)の如く、技術部面と社会学部面にわたる所の総合的応用科学であって、その総合の意味は、農業拓殖活動の目的の視点からの知識の体系化であるとした。今茲に方法論を一括して扱うとすれば、勿論これは農業拓殖学原論の仕事であり、扱わるべき問題は、農業拓殖学の研究方法という意味であらねばならない。所が、上述の如く農業拓殖学の体系は、6コの夫々分科した個別の技術学と五つの夫々分化した個別の社会科学としから成立しているのであって、夫々の研究方はその独自性をもち、すでに確立されている。と申してよい程、歴史のある技術学の方法なり、社会科学の方法に準拠しているのである。それで農業拓殖学として採り上げねばならぬ研究方法とは、この両系列の科学全体として体系づけた所の農業拓殖学をして、他の諸科学から独立せしめる所の独自の研究方法
如何と言う意味がなければならない。ウインテルバントやリッケルントが、自然科学と歴史科学或いは文化科学との分離をその研究方法の差によって図った如き意味に於いて、如何なる研究方法によって、農業拓殖学が、その学としての独立性を主張し得るかである。
所が、困難な事には、前述の如く農業拓殖学は、その研究対象たる農業拓殖活動が、自然科学と文化科学とを基礎とする所の技術学と社会科学とを構成分子として、一つの体系をを有する科学的知識を必要とするものなのであるから、農業拓殖の研究方法と言う時には、あたかも、土壌学や農業経営学やを構成分子とする農学の研究方法如何と問われるのと同様な立場にある。
この様な場合は、農学の研究方法を問題にした先輩はどのように対処されたであろうか、研究に値する。野口弥吉博士の農学概論、柏祐賢博士の農学原論、いずれもこの点で苦心の跡歴然たるものがある。しかしら、前者に於いては、農業を成功的に導くために必要となるこの両科学夫々に必要な研究方法の説明に了っており、後者においては、その悩みはさらに深く「農学はこうして相互に全く関係のない多数の専門科学の単なる混成科学であるという事になってしまう」として「現在に農学はこの分化時代の悲劇を、いままざまざと演じているのである。」と嘆じておられる有様である。この苦境を柏博士は、農業に関する科学が分化し専化する結果生ずる中間領域を埋める科学的研究が必要になる事に着眼し、専門科学が益々発達して平面的、立体的、重層的、連鎖的につらなって、自ら相対的に組織化されるものとの考えに到達された。この中間領域説も一つの考え方であろうが、これは科学分類論として見るべきものであって、農学それ自身の方法論による区別としては、依然として二つの方法論の埒の内にあると思われる。それ故に、柏博士が農学の体系論に於いて、これを運営農学、生産農学にわけられる場合に、共に
農業的生産過程、生産行動を研究対象としているのが、視点の整え方が異なるとされ、この両科学の統一の面は方法ではなく、対象の同一という所に、救いを求められているという点と、応用科学である点において共通点を認められておられる。(つづく)
南米開拓前線を行く 83
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第三章 農業拓殖学並びに原論の研究方法
第一節 学論構造上研究方法論の意義
ーー8月20日記入ーーーーーーーー
農業の技術学も応用科学であり、農業の経済学も応用科学である事は間違いない。その両部門を構成分子とする農学が応用科学たる事怪しむに足りないと言うよりも、元来沿革的には農業そのものが、まず応用科学として独立し、その研究対象の部分部分が研究の進むにつれて独立したと言うべきであろう。農業拓殖学の問題として、この農学方法論研究者の苦心に学ぶことは多大であるが、先方はすでに分化発展をとげた後の収集が問題であり、当方は、これから出発しようと言う段階である所に大きな差がある。それだけに科学として独立せしめるに足る研究方法の吟味は、より重大問題である。
私は、農業拓殖学が科学たるべき条件に付いては、すでに前章で述べた。そしてそれが、農業拓殖活動を対象とする事によって、植民活動や、農業と区別さるべきことを明らかにした。そしてその活動が、技術的側面と社会的、歴史的側面を有することを説き、農業拓殖活動を成功せしめんとする実践的目的を有する科学たる意味において実学たる性質を有する事、実学たる以上は準則発展的性質を有する応用科学たることを説いた。そして、それが科学というい以上は、知識の雑居ではなく、合目的に組織立てらるべきを論じ、百科全書や、科学の併記であってはならないことを述べた。即ち、農業拓殖学は農業拓殖に関する諸科学の総称か否かの問題に答えて、総称の意味が、体系全体をさすならば、あえて否定せぬが、体系をもたざる併列された群をさすならば、それは総称とは言えないと考えたのである。(つづく)
南米開拓前線を行く 84
申し訳ありません。1か月近くの時が流れました。
杉野先生の論文の書き直し、再開させて頂きます。
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第三章 農業拓殖学並びに原論の研究方法
第一節 学論構造上研究方法論の意義
ーー9月22日記入ーーーーーーーー
それ故に、私の体系論は、ラウル博士の農学体系に準拠したけれども、何故に発展させたかと言えば、すでに成立した諸科学の総合ではなくて、新しい農業拓殖活動を対象化して構成せねばならないから、まず農業拓殖学を成立せしめ、次にその専科的研究分野の範囲領域を規定したのである。
この点において私は農学の場合とは、順序が逆であったとも言えるし、若き科学の分離独立の場合当然であろう。その意味において農業拓殖学を科学として組織するに足る研究方法たるや、従来の技術学、社会科学の既に確立された諸方法のすべてを含むと共に、技術学と社会科学に共通なる研究方法は何かを追求せざるを得ぬこと前述の通りなのである。それは何よりも先ず実
証的研究方法を必要とした点は双方とも共通である。又、歴史的社会的活動である側面において、歴史的研究方法の必要なる事申すまでもないが、生産技術の側面において、歴史的社会的研究を必要とせぬかと言うと、技術学にも技術史の知識が必要であるので、歴史的研究方法も亦必要とした。又、農業拓殖学の対象たる農業拓殖活動の本質如何としたと言う問題は、すべての文化せる構成科学共通の問題であるから、この様な研究が、本来学問論の問題である以上、哲学的研究、乃至、私の言う内省的研究を必要とするので、これ又、分化し専科せる構成科学にも共通した。更に柏博士の言わるる中間領域というか、相関面の研究は、この農業拓殖に於いて非常に多くを必要とするので、私はこれを統合主義社会学的方法として一括したが、かくの如き統合方法を Integralistic とした。( マツエ注・・・Integralistic =統合主義とうごうしゅぎの形容詞)
これによって、分析した面と面との相関関係の把握をつみ重ねて、統合したのである。
これは一つの人類の統合的活動の科学的な把握としての手順として必要と考えたのである。社会学的方法と称したが、必ずしも社会科学系列のみにかぎらぬ。旬技術においても、それが自然科学そのものでなく、価値―それは人間の立場がすでに予見さ
れているーーの実現を目的とする行動の学である以上、社会学ーーそれは価値実現の為の人間の集団の科学として考えられているーーに無関係たり得ぬ。それ故に、これらの方法論の全べてが、駆使される事によって、農業拓殖学が成立するのである。農業拓殖学の体系なるものは、この成立せる農業拓殖学の部門に他ならぬともいえるし、又、農業拓殖活動の区分を基礎として成立させた科学でもある。農業拓殖学は個々の構成科学が先ずあって、然る後に組み立てられたのではなく、先ず An such として農業拓殖活動があり、(マツエ注・An such=そのような という意味、しかしここでのいみは?)それを科学の対象とする事によって先ず農業拓殖学を成立せしめ、その研究を一層深める為に分化をひつようとするに至って体系図が出来たのである。sの分化も農業拓殖学活動の発展の順序に従って組織的に区分したので、科学の併記ではないのである。
併し乍ら、農業拓殖学の総論とも言うべき原論の研究に於いては、一層明らかに、これらの研究方法の吟味の駆使が必要であった。それ故に、茲に一括記述するに当たっては、表題の如く原論の研究方法としたのである。この順序配列も亦原論の研究過程に即応した。【第一節終り】
和田:松栄さん 9月22日記載の84迄無事収録終わりました。次は85から始めて下さい。
南米開拓前線を行く 85
杉野博士論文
すみません、また2ヵ月ほど経ってしまいました。 12月2日記述。相変わら杉野先生の難しい語句に悩まされます。
如何に自分に基礎知識がないかを自覚して、何を学んできたのか、と今更と思いながら・・・
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第三章 農業拓殖学並びに原論の研究方法
第二節 歴史的研究方法
農業拓殖学は経験の科学である。経験には技術学の研究に於ける如く、 反復して経験を現在行う、所謂実験の可能な、又、実験を必要とする科学もあるが、過去における人類のの経験を出来るだけ集めて、それによって学ぶことが非常に必要である。即ち、人類の過去に於ける経験。
これを通常、歴史という。歴史は先ず記録されたものから集められ、読まれるが、人類が農業拓殖活動を経験し始めたのは、その創生期にはじまる以上、我々の研究せんとする歴史は、書かれた歴史以前にさかのぼらねばならないのである。更にまた所謂歴史時代に入っても近世の植民活動は多くの原住民文化を滅ぼしたのである。その結果、今日になって、それらの埋没された歴史の必要とする有様である。(1) これらの人類の過去の経験の復元。それは重要な研究である。
経済学の理論の研究に如何に多くの歴史的な事実の研究を必要としたかは Freiderick List の如く歴史派経済学の人は申すまでもなく、アダム・スミスの国富論に於いて我々は、彼の理論が、豊富なる歴史的事実の研究に基いている事を発見する。特にその第三篇の諸国に於ける富裕の進歩の差異についての諸章は全編中いわば経済史論編とも言うべきであるが、よく全体を通じて読めば、彼の理論の裏付けとなるべき歴史的事実をこの行間から彼は汲み取っている事が感じられる、農業拓殖学が、
人類の歴史的社会的活動として農業拓殖活動を見る場合、その歴史の研究は必然に含まれなければならない。その場合歴史の研究としては農業拓殖史が受け持つのであるが、原論としては、その成果を吸収するだけでなく、逆に、農業拓殖史研究の範囲や研究の目的、それらによる資料の選択などが先行する作業として考えられる。これは、何をか拓殖史、或いは農業拓殖史とするかと言う問題が原論の仕事でもあるのである。即ち、歴史的研究方法において先ずとり上げるべきは、歴史とは何か、歴史的事実は何、そして無数の出来事の中から、農業拓殖活動に重大な関係ある出来事を選別してかくして選別せられた資料と資料の間に因果関係を発見し得る如く関係づける作業が必要である。「農業拓殖活動なる重大な関係」と言う限定は、他の歴史と農業拓殖史とを区別する点でもあるが、実は農業拓殖史の形で過去の人類の経験の中から農業拓殖活動の何等か法則的なものを把えようとする為には施さざるを得ざる手法である。或いは別の表現をすれば、分析して、因果関係に不用と考えられる出来事を捨象する作業である。(捨象(しゃしょう)とは。=概念からある要素を抽象するとき、他の要素を捨てること=「切り捨てる・排除する等)かくの如くして我々は農業拓殖活動の過去の経験の中から、将来の活動への貴重なる示唆を得るのであり、又、歴史的社会的運動の統一的把握が可能となる。拓殖の諸形態の把握も、歴史的研究を基礎とするし、歴史観の批判や形成も、歴史的研究を必要とする点では、実証的研究に劣らぬ。農業拓殖活動の建設と言う仕事に取り組んで、私は歴史的研究方法の実に必要なる事を痛感した。(第二節終了)
南米開拓前線を行く 86
杉野博士論文
「農業拓殖学の構造に関する研究」
第三章 農業拓殖学並びに原論の研究方法
第三節 内省的研究方法(Introspective method)
前節に於いて歴史的研究方法の重要性を述べたが、その中で、歴史観の形成に歴史的研究の必要を述べたが、実は、既に歴観そのものは、歴史的研究以前に、歴史の観方、即ち人類の無限多数の経験の中から、歴史の形で、何かを物語らしめようと言う資料の選別が行われているのである。各種の歴史観を比較検討すればこの事はよく判る。ここいらがProf.Carr をして歴史は歴史家の心によって再構成された過去の解釈であると言われる所以でもある。こうなると歴史的研究方法によって農業拓殖活
動の過去の経験を選別するに当たって、選別者自身たる自分自身が歴史をどう見るかという哲学的研究が必要になる。歴史の哲学的研究によって、自己の歴史研究が客観性を要求するとも言える。すくなくとも史観の確立にはこの哲学的研究が必要となる。それは歴史哲学的研究が。客観性を要求するとも言える。すくなくとも史観の確立にはこの哲学的研究が必要となる。それは歴史哲学である。マルクスの唯物史観が彼の唯物論に立脚し、人間の意識を決定するものは人類の社会的存在であるとして、唯物史観の構想を彼の経済学批判序説にのべた事は誰も知る所である。ここに、学論そのものが、農業拓殖学の哲学的研究であって、哲学を必要とするのみでなく原論を構成するところの農業拓殖活動の全体の統一的把握の仕方として、その歴史的社会的側面を歴史的発展として観て、その運動法則的なものを見出さんとする場合、それが歴史哲学的研究を呼び起こすのである。故に私は茲で、農業拓殖学の研究方法、或いは農業拓殖学原論の研究方法として内省的方法と言わず。哲学的方法(Philosophical method) とすべきであったかも知れない。然るに何故にこの内省的方法(Introspective ) なる表現をしたかについて一言する必要を感ずる。Introspective(3)とは独逸語で表現すれば sekbstーbeobachtung の謂であって、自己の意識過程を観察することである。(注・謂=い と読むのだそうです。「意味する」と言う様な意味だそうです)これが科学的研究方法として採用される時にこれをIntrospective method と称されているが、それは現在は内省、即ち自己観察によって二よって精神現象を研究する心理学の研究方法として理解されているのである。私は、この内省なる意味をその本来に意味たる自己の意識過程の観察として考えると、それは自己の直接経験、即ち自覚に他ならぬと考える。自覚の意味をこの様に解する事について研究の余地はあるが、(⁴)農業拓殖活動の研究にどうしてこの様な Serbst-beobachtung が必要なのかと言うと、人類の拓地増産活動の本質は何かと問う時、我々はそこに人類とは何か、人間とは何か、本能とは何か等々の問題に答えなけれ得ぬのである。マルクスの唯物史観が矢張り人間のどの様な動機であるかを見定めている。彼が階級闘争をする人間を、絶対的な飢餓からの闘争でなく、どれほど生活水準が高くなっても、隣の壁が高くなればそれを不愉快に思うのが人間の心であるとして階級闘争を説いているあたり、それは客観的な観察もあるが、根本的には彼の人間観であり、その人間観は間接経験であるが、多分に彼の直接経験であると考えざるを得ぬ。通俗的に言えば、彼がユダヤ人の家に生まれず、彼の有能な才覚が認められて、幸福な大学教授としての生涯を送りえたとしたら、果たして彼の階級闘争史観が生まれたであろうかと疑わざるを
得ぬほど、このマルクスでなければ判らぬ彼の内的経験と間接経験としてとらえた人間観との関係は密接なるものであるべきである。
私は農業拓殖活動を何故に人類は必要とするか、又、何故にそれは必然の運動として把え得るか等に答える為に、人類の生本能を折出した。(折出=せきしゅつ=[名](スル)液状の物質から結晶または固体状成分が分離して出てくること。)
この分析は人類の一員としての自分自身の自覚に他ならぬのである。マルクスに於いては階級闘争をする人間を析出したし、農業拓殖活動を析出したが、無限多様の動きをする心の中に、その根底的なものとして生本能をとらえた。それは An-
sich としての人間の一面であるが、(An-sich =ドイツ語で・それじたい の意)かく把える事によって、或いはこの仮定によって、知識の体系をたてたのであるが、かく人間を見、それが歴史発展の機動力とする歴史観の土台は、この内省に基ず
くのである。自覚とか、内省とかを心理学からはなれて哲学の問題とされて論ぜられた名著に西田幾多郎博士の「自覚に於ける直感と反省」がある。ここで私は内省的方法を哲学の問題としとしじようと企てているのではない。むしろ自己内心の諸所の
動きを反省し観察して、農業拓殖活動に不可避的に関係するものを分析し抽出して見る。
そしてこれを客観化し、普遍化して考えてみて、それを農業拓殖活動の起動因と考えるに至ったのである、
(注・起動因 とは 物事の原因となる、質料因・形相因・起動因・目的因と呼ばれる四つの原因となる原理の在り方)
しかしこの内省的方法には一つの限界線がある事を思わざるを得ない。それは内省を深め行くと、それは如上の自己の意思、或いは本能に突き当たるが、更にその本能の背後にまでせまろうとするとき、それはすでに宗教的な世界に入る、と言う事である。(如上=〘名〙 前に述べたところ。上述。前述。上記。叙上。にょじょう)
科学の世界はここで止まらざるを得ぬのである。(6)農業拓殖学の、特に原論の研究において、私が内省的研究方法として用いたのは、この様な意味においてであり、特に哲学的研究法と言わなかったのも、哲学の意味が広範であるからでもある、
石黒忠篤先生が老躯を提げて(75才)遠く南米アマゾン河畔に視察旅行された報告会に、自分は何故にこの様なことをするのだろうかを旅中に度々反省したとのべられ、これは結局人類の持つ生本能がそうさせるのだと気がついたと言われた事がある。
私は農業拓殖活動の発生論の研究に当たって、かくの如き内省的方法に負うところが多かった。(7)
【第三節了)
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