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戦時下に喪われた日本の商船 商船隊への鎮魂レクイエム 【笠戸丸】
掲題の戦時下に喪われた商船への鎮魂を込めて船の歴史と最後を伝えるHPが見つかりました。田中祐三さん(ペンネーム)の快諾を得て転載させて貰いました。第1回移民を乗せてブラジルに着いた笠戸丸の生い立ちとその最後が語られています。戦前の初代あるぜんちな丸の最後も知りたいと思い尋ねて見たところ田中さんより次のような返事を頂いております。『私のサイトでは、最終的には戦没商船2400隻すべてを記述したいと思っております。現在65隻です。先はながい...少しずつ調べているのですが、あるぜんちな丸など、却って情報が多すぎて、なかなか着手できない状況です。姉妹船ぶらじる丸について近く掲載するつもりです。』田中さん是非その内あるぜんちな丸に付いても掲載して下さい。有難う御座います。
尚、掲載写真については同HPから使用させて頂きましたが写真説明にはこれは、山田廸生「日本の船 汽船編」発行:船の科学館よりとの説明書きがありました。


ロシア船として日本軍に,日本船としてソ連軍に沈められたイギリス船
イギリスと南米をつなぐ船として進水,その直後ロシアに売却され西のオデッサと東のウラジオストックを行き来するうちに日露戦争が勃発,病院船として旅順港で日本軍に沈められ,のち引き揚げられて笠戸丸となりブラジル移民や台湾航路で活躍,その後転売を重ねて最後は蟹工船としてカムチャッカで今度はソ連軍の爆撃で生涯を終える波瀾と激動を生きた船です.関係書類が関東大震災で焼失したこともあって不明な点も多いそうなのですが,山田廸生氏の著書「船にみる日本人移民史」(中公新書)からその歴史をたどってみます.
●ロシアの病院船として
イギリスの船会社がリバブール〜南米航路用に発注,十九世紀最後の年1900年にネプチューン工場で完成し南米ボリビアの鉱山都市ポトシの名をつけられたこの貨客船も,20世紀の荒波に揉まれるように激動の生涯を送ることになります.まず予定航路の需要が落ち込んだため,進水後すぐにロシア義勇艦隊協会に売却され,普通時には貨客船いざというときには病院船として使えるように改装されたうえで,カザンというロシア名でオデッサ〜長崎〜ウラジオストック航路に就航します.
そこに日露戦争が勃発し,カザンは病院船の任務につきます.日本軍はロシアのバルチック艦隊を迎え撃つ前に,旅順港にいるロシア太平洋艦隊を撃破しようと考えます.旅順港を見下ろす高台に大砲を据えて港の軍艦を沈める作戦を実行する過程で,日本軍が膨大な犠牲をだしながら戦ったのが有名な二百三高地の戦闘です.高地占領後,港の軍艦に対する日本軍の砲撃が行われたとき停泊していたカザンもまた被弾し水深の浅い港に沈みます.
●第一回ブラジル移民船
日露戦争後この船を引き揚げた日本は,カザンに因んで「笠戸丸」という名をつけました.もともとベッド数が多く大きな人員収容力と長い航続距離を持っていた船だけに,移民船として絶好の条件をそなえていた笠戸丸は,歴史的な第一回ブラジル移民船として新たな人生をスタートさせます.
それからは台湾航路,南米航路,再度台湾航路,日本海の鰯工船や蟹工船となって船主の手を転々としたようです.最後は山田廸生氏の前掲書をそのまま引用します.「笠戸丸の最期は近年明らかになった.敗戦直前の一九四五(昭和二十)年八月九日,カムチャツカ半島西岸の日魯漁業ウトカ工場沖に停泊中,ソ連機の空爆によって沈められたというのが真相らしい.」日本に,そしてソ連によって沈められた運命の船は今も北冥の海底に静かに眠っているのでしょう.ブラジルの灼熱の太陽の思い出を夢に抱きながら.〈この項おわり〉

笠戸丸/六〇〇三総トン/日本海洋漁業
昭和二十年七月二十七日小樽出港。♯2龍宝丸と船団を組みカムチャッカ、ウトカに向い八月一日夜半到着。ここで護衛艦とも別れ単独となった本船は、十日正午帰路の予定で積荷を開始し水産加工品の搭載を実施した。作業が順調に進捗中、九日〇九〇〇頃ソ連兵十名が乗船し突如全員に対し下船を通告。これに対し船長以下強硬に拒否したが武器をかまえ、あくまでも下船を急がせたため遂に決意し一〇三〇下船を終了した。それから一時間過ぎた頃ソ連将校より開戦を知らされ捕虜になったことを宣告された。空船となった本船はやがて一三五五頃飛来したソ連機四機の爆撃により一四三〇沈没擱座ここに歴史的生涯を閉じた。因に本船は日露戦争当時パルチック艦隊所属の病院船であったが日本が拿捕し以後南米への移民船となり次いで船主が三回かわるなど変転の船歴を刻んだ船舶であった。
駒宮真七郎/戦時船舶史/55





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