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第43回 バーチャル座談会 『新春放談、行く年来る年2021−2022』 その2
バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2021−2022』その2は、前哨戦で拾い残した村松さんと古谷さんの談話から始めた所、元阪神タイガースのオーナーの宮崎さんのお便りを丸木さんが転送して呉れたりブエーノスの相川さんと東海林さんのニッケイ新聞の廃刊に寄せてのコメントが入り、吉田さんのピンダの街の様子、しゅくこさんの山歩きを集めていたら字数に達してしまいその2をリリーズすることになりました。写真は、丸木さんが送って呉れた水泳の練習中の室内プールの近くにあるお庭の雪景色を使わせて貰うことにしました。


村松:古谷さん、大東亜戦争、太平洋戦争の違いを語っていただき勉強になりました、また我々の時代は両戦争名と第二次世界大戦を「大東亜戦争」と語るだけでしたので理解できました。また私の投稿は本、雑誌を含む出版物やSNSでの放映で心に残った案件を投稿する事が多く、自分の投稿の中では如何しても人間が生きて行く上に最も大切な「農業と食糧」関係に偏ってしまいます、ご容赦ください。
 日本は少子高齢化が進み人口の減少に歯止めが効きません、然し乍ら世界の統計では人口は増加し続け、その結果食糧不足で飢餓や病気で短命に終わる途上国の問題が持ち上がっています。
 果たして日本の人口減少は問題なのでしょうか、高齢化人口の増加を心配しているが寿命の伸びによって今後20年、30年は立派に労働や奉仕活動ができる時代が来ています、外国から労働者を入れなくてはいけないと言う政府の方針には疑問です、ハイテクを更に進化させる事によってロボットが3Kを担当する様になれば問題解決になるのではないでしょうか。
 食料の自給も日本の農地面積から換算して1億人を養うには狭すぎます、人口減少で8千万人位になれば自給は可能となるでしょう、勿論農業・水産業も高度なハイテクに依存できる技術が進んでいます、これからの世界は食糧は自国で自給できる様でなければ安心安全は確保できません。
 もうすぐ新しい年を迎えます、日本国の少子高齢化、人口減少について古谷さん初め皆さんの御意見をお聞かせください、こんなテーマでの論戦も2021年の終わりに当たり意見交換は如何でしょうか。

古谷:村松さん 貴信に対し、以下に私見を述べます。
1)貴信にあります下記の一節(赤字)「世界の食糧不足問題」に就いては、世界の学者がその解決策を述べています。
  「世界の統計では人口は増加し続け、その結果食糧不足で飢餓や病気で短命に終わる途上国の問題」
  その一つが「放牧を止め、土地を農耕に利用する事」。又、先年アフガニスタンで命を落とした中村哲医師が
  行っていた農地開拓の為の灌漑設備の設定もその一策です。単位面積当りの農産物生産量の拡大を図る事です。
2)日本の人口問題
  以前にお送りしました資料を再送します。壱頁目と弐頁目をご参照下さい。
   www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000055150.pdf">https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000055150.pdf
  少子高齢化は、生産者人口の減少を招く危険があります。生産者人口の減少は(1)生産高の減少を招き、遊休設備の
  海外移転を招きます。(2)生産高の減少は、国民平均所得の減少を誘発し、少子高齢化を更に進める結果となります。
  この悪循環を食い止めるには、二十年先〜三十年先の長い道程ですが、(イ)14歳以下の人口を増やす、(2)給料が
  安くて結婚出来ない、(3)給料が安くて子供を産めない、等の社会問題を行政がどう解決を図るか?、が必須です。
  片や、労働環境の改善が必要ですが、他方、若夫婦も経済環境を克服して、夜な夜な事に励む事も必要です。要は人口
  問題は国家形成の最重要問題である事を多くの日本人が理解する必要があります。
  工場・事務所作業の機械化は、生産性を高める為には必要ですが、ロボットでは子供を産めません。
暴言多罪。完。

村松:古谷さん、農業問題や人口減少に関して貴殿への返信を記してみました、この二つの問題が日本の将来を左右すると思います。
 1)現在の食糧は何等問題なく広く行き渡っています、その事で食糧危機を問題とする案件には多くの日本人は関心がありません、然し乍ら食糧の半数以上を輸入に依存する国にとっては地球食料の気候変動と人口増加によっていずれ食糧生産は危険が生ずる。中国の食糧の爆買やインド、中東諸国そして最大の飢餓を抱えるアフリカ諸国への食糧支援等で現在も食糧生産輸出国への依存度が高まっており、価格競争に勝る国、そして国連による支援だけが輸入可能状況です。将来の食糧輸入はますます競争が激しくなり輸入国の経済状況次第となるでしょう、今、中国は懸命に穀物や飼料の買い占めそして備蓄に懸命でそれらの農産物価格がシカゴ市場で高騰しています、日本お商社はこれからますます苦労する事でしょう。
 現在の日本農業は加工食品を除外すれば米麦、野菜、芋類、果樹等は自給可能です、畜産(肉牛、酪農牛、養豚、鶏卵、肉鶏、馬肉)等は濃厚飼料の輸入に依存しています、これが不足をきたせば日本はど記事に自給をしなければなりません、その為に不可欠の酪農(牛乳生産)は放牧や菜草地が必要です、肉牛、馬、豚の大型肉畜産は大量に輸入飼料に依存します、これ等の肉は廃止してダチョウやエミュー等の鳥類に置き換えれば放牧地は雑草の生い茂る山間地が利用できます、鶏卵も同様ケイジ飼育をやめて採草地飼育に切り替えられる事、そして米の余剰生産で国の生産調整を即廃止し水田の多くが荒廃化しかけている山間地での作付けを奨励し輸入飼料に変わってコメを鳥類の飼料とするべきです、自給食糧推進のためには国家が食糧生産に大きな資金を注ぎ込むべきです、農大を始め全国の農業学科を持つ大学卒業生が都道府県の農業公務員としてこの生産に加われば食糧生産は大きく自給高に繋がります。
 2)人口減少のため労働者不足を軽減するための移民政策に変わって、55歳、60歳定年者に頑張ってもらい、必要に応じて時間雇用できる制度を設ければ、更に増加する定年組への年金プラスの所得となる。定年組は経験と能力を備えているので日本の経済を押し上げに貢献できる、また定年組の地方への移動促進を促すための政策を遂行する、その為には医療機関、交通機関等のインフラ整備が必要となる。地方にはJA組織がある農産物生産、流通、加工、販売、金融事業、不動産事業、厚生福利事業、保険事業等ありこれに国、都道府県が資金を注ぎ込めばJAが地域の活性化に大きく変貌する、特に農村の田舎暮らしが定年組にとって健康で長寿が期待できる、都会暮らしの家族も地方移住で地元の安全安定の食料消費、オゾン一杯の環境、ストレスゼロで出産率が加速し健康で元気な子供が育つため数十年後には減少した人口も復活できる、日本お将来は地方にある。

宮崎:ご無沙汰致しております。Mailを拝読しておりますと、丸木様も相当お元気になられたご様子で、何よりに存じます。
コロナで水泳大会が無く、当地でのマスターズも延期で、残念な気も致しますが。コロナ禍により、まさに失われた2年間で、年配者には貴重な毎日なのに自粛生活を強いられて旅行もままならず、甲子園球場さえも1回も顔出しせず仕舞いでした。
今年のタイガースは、前半の勢いでみんなが優勝を期待していたのに、僅差とは言え2位に終わり、気が抜けたようで、このオフはマスコミもファンも静かなものです。
来年こそはと言いたいところですが、誰もそんなことを言う気がしないくらい落ち込んでいます。とにかく来年は、コロナが収束して以前の賑わいが戻って欲しいところです。良いお年をお迎えください。
宮崎 恒彰

和田: 丸木さん 元阪神タイガースのオーナーの宮崎恒彰さんからのお便りを転送して頂き有難う。お元気のようで何よりです。50年!!の行く年、来る年のバーチャル座談会にも宮崎元オーナーの年末の挨拶状を残して置くことにしました。来年は、寅年、是非とも阪神タイガースに優勝し日本一になって貰いたいですね。また甲子園で試合を見る機会をもてるでしょうか?是非実現させたいですね。宜しくお伝え下さい。ブラジル阪神タイガース友好会 

相川知子:12月18日付けでニッケイ新聞終了したそうですね。 ■記者の目■さようなら、ニッケイ新聞!=日本語文化圏があるところに邦字紙www.nikkeyshimbun.jp/2021/211218-22colonia.html は上記のリンクにあります。">https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/211218-22colonia.html は上記のリンクにあります。
次はブラジル日報で こちらのページで来週からテスト掲載だそうですwww.brasilnippou.com/">Bhttps://www.brasilnippou.com/
記事の引用などの紹介は楽しいですが、今までもそうだと思いますが、コピペと言われるものだったので、転載はまあどういう関係になるのかわかりませんが、これからはできれば 上記のようにリンクを貼ってリソースを明確にしてから、内容を共有するのがいいかと思いますがいかがでしょうか。
なお、上記記事で、そこで働く記者としては、襟を正して「日系社会の未来」に今まで以上にまっすぐに向き合う必要性を感じる。「移民の生活体験を書き残すという邦字紙の使命を、もっとしっかり全うせよ」とむち打たれたと言った方が良いだろうか。と、おっしゃる 深沢 正雪記者の言葉が印象的でした。
ニッケイ新聞お疲れさまでした。これからも新しい新聞 ぶらじる日報期待しています。

和田:知子さん コメント有難う。コピペに付いては、必ずニッケイ新聞WEB版よりと明記させて頂いています。もしこれはと思う記事で有料記事以外のものを選びコピペさせて頂いていますが、URLだけで記事が明記されていなければ忙しい50年!!メンバーでクリックして探して読んでくれる方は、少ないでしょう。記事が明記されていても読まれる方は少ないと思いますのでコピペで全文を配信させて頂いています。これからもBLOG掲載、それを皆さんに流すと云う手間暇は、私の所でやらせて貰うことにします。悪しからず。。。深沢編集長始めニッケイ新聞関係者に頭を下げてご苦労さんを送りたいと思います。有難うございました。

東海林:最後の邦字新聞が廃刊になるとのこと。思い起こせば1960年9月、ブラジルに到着し、サンパウロのJ商会に雇用されてその就業第一目のことでした。新米社員に課された役割は、始業時間の1時間前に出社して一階の店と二階の事務所を清掃することで、先ずは店のシャッターをヨイショと上げました。すると新聞が投げ込まれているのが目に入り、手に取ったところ何と邦字新聞ではありませんか。しかも3紙です。その時の私の驚きは衝撃的でした。ブラジルに邦字紙があることなど露ほども知らなかったからです。開いてみて驚きは感激に変わりました。日本のニュース、ブラジルのニュース、そして日系コロニアのニュースが満載されており、それを読むと自分の居る場所が明確に理解できたからです。それからというものは、さらに30分早く出社して入念に3紙に目を通し、再び折りたたんで社長のテーブルに置いてから掃除の仕事にとりかかるのが日課になりました。邦字新聞のお陰で、ブラジルで新たな人生をスタートすることに何の不安もなくなったと言っても過言ではありません。しかしその体験が、その後の私のブラジルにおける人生に大きな影響をあたえることになるとは知る由もありませんでした。
それから30年の時を経た1990年、折から経済成長著しい日本では、人手不足を補うために外国人労働者を受け入れるべく入国管理法が改定され、企業はこぞってブラジルの日系人導入を推進するようになりました。当時、ブラジルでは大卒の給料は500ドルといわれており、日本で就労すれば2000ドルになるということで、老若男女がこぞって訪日し、その数はアッという間に日本からのブラジル移民と同数の30万人に達しました。いわゆる「出稼ぎブーム」の到来です。ほとんどの日系人たちは日本語を話せず、日本文化の知識のない人たちでした。それを目の当たりにした私は、彼らと30年前の自分をダブらせ、彼らのために日本で「ポルトガル語新聞」を発行することを思い立って帰国したのです。思惑は当たり、在日ブラジル人社会で「ポルトガル語新聞」は、インターネットが普及するまでの15余年に亘り、ブラジルにおける邦字新聞と同じ役目を果たすことになりました。
日本の出版業界に籍をおいたことで、思わぬ恩恵に与かりました。業界のツテで大手出版社とコネができ、日本文化紹介本をブラジルでポルトガル語で出版販売する権利を得ることができたのです。それがブラジルの「JBC(ジャパン・ブラジル・コミュニケーション)社」の始まりで、数々の日本文化紹介本の出版販売を手掛け、その流れで「マンガ」をブラジルに導入するパイオニアになり、私の人生の集大成となる、今日の「JBC社」を築き上げるに至りました。
もとはといえば、60年前に店のシャッターを上げたときに目についた邦字新聞がご縁になって私の人生が開けていったと言っても過言ではありません。そんな邦字新聞が廃刊になるというニュースは、私にとって恩師を喪ったような無量感に襲われるものでした。

吉田:クリスマスが近い。ピンダモニャンガーバの街もクリスマスの飾りつけが済み、クリスマスを待つばかりとなりました。夜になると、いろいろな催し物ものがおこなわれでいますが、今週中はコロナ感染者は一日に一人か二人までに減りました。なんとかこのまま収まってくれるといいなあと思っています。

丸木で~す この季節になると、僕の住んでるアパートの庭園の遊歩道に何箇所かあるガゼボ(四阿)でクリスマス コンサートをやってます。僕はプールのテラスの前にあるガゼボを眺めながら泳いでます

和田: 丸木さん お庭には、クリスマスソングがあちこちで聞こえる中を雪が積もる寒い中、泳ぎに精を出しているようですね。90歳にして世界1にならねばとの大きな目標の基、寒さに負けず泳ぎ三昧の年末、年始になるようですね。酒を断って新記録に臨んで下さい。今度は何時会えるかわかりませんが機会を見つけて応援に行きます。楽しみにしているので頑張って下さい。

しゅくこ:和田さん、みなさま しゅくこで〜す
みなさまいかがおすごしですか? わたしは相変わらず山歩きをたのしんでいます。 書くことはすっかりごぶさたしてしまいましたが、やっと落ち着いてパソコンの前に座る気分になり、最近感じていることを書いてみました。
もしよろしければ、のぞいてくださると嬉しいです。どうぞ、お体を大切に
「Xmas Bouquet (クリスマスのブーケ)」2021. 12. 18 川越 しゅくこ
毎年、クリスマス会には10個以上のブーケを作る。すべて小さな我が家の庭に咲いた季節の草花で。
30数年来の付き合いになる英語仲間が月一度我が家に集う。その時の、わたしから仲間へのささやかなクリスマス プレゼントである。
ブーケといっても庭の草花だけで作る素人作そのもの。もしかして、独りよがりのチャチでけち臭いプレゼントかもしれない。そんなものを、もらって迷惑な人がいたら? と ふと思うと、気後れがして弱気になる。
ときおり、花屋のショーウィンドウに並んだブーケの前でたたずんでいることがある。たいてい1個1000円以上はする。わたしの作るブーケは、オアシス(スポンジのようなもの)代とアルミホイルで材料費が1個50円くらいしかついていない。でも、店頭に並んでいるものとそう引けを取らない、と思う。あれでいいんだと密かにほくそ笑みながらその場を離れていく。そしてまたつつましい草花のブーケをせっせと作り続けるのだった。
いつごろ、だれから作り方を教えてもらったのか思い出せない。たぶん70才近くなっても手先の器用な母が家業の保育園で子供たちと牛乳パックの底を使って、色とりどりの折り紙を貼り付けて小物入れなどを作っていたから、その影響かもしれない。
作り方は牛乳パックの底部分を10cmくらい箱型に残して切り取り、そこにオアシスを詰めて水で浸す。これで即席の花瓶ができる。赤いアップルセージ、白いカスミソウ、黄の小菊、香りのいいローズマリーを挿し、最後に緑のアイビーで回りを囲む。文字通りただの草花。花が枯れたら、それごと燃えるゴミの日にポイと棄てればいいし、その中の一部をさし芽にして育ててくれている友もいる。もらわれていった後のことは分からない。人には人の運命があるように花にも花の運命があると割り切っている。
実は、20本ほどのバラの花束をサプライズで旧友からもらったことがある。胸に抱いて顔を埋めると、香水とは縁のなかったわたしは、エキゾチックで妖しい魅惑的な香りにひきこまれて、一日になんどうっとりしたことだろう。それは50日間、誇り高く長生きし、いまはドライフラワーになって西洋人形の腕のなかにいる。
花にもそれぞれの舞台があり出番がある。
わたしの草花たちは、日頃、仲良くしてくださっている友人や、お世話になっている方たちにちょっとしたお手軽な感謝の気持ちを伝える役割を果たしてくれる。まあ、言ってみれば脇役の存在である。
ニュータウンに越してきた当時はママ友だったわたしたちは、30年たってそれぞれの生活にずいぶん変移があった。両親を亡くした人、子供たちが結婚して孫が6人もできた人、ヨガをはじめて70を目前にますますきれいになった人、仕事を変えた人、N・Yやドイツにご主人の転勤で数年過ごし、いまは帰国している友人たち。コロナの時代が拍車をかけてさらに生活が変わっていった。
1)すみれさんのこと
なかにはもっと厳しい現実に見舞われ、体調を崩してしまった友人もいる。
そのうちの1人、すみれさんはわたしの弟と同じ脳内出血という試練にあった。現在リハビリ中だが、杖をついて毎回集まりに出席してくださる。
着物の似合う彼女は、自分の意見を通すのに躍起にならないで場をなごませてくれる静かな友人である。肝心なところで自分の意見を伝えるので、わたしたちは自然に耳をかたむける、そんな存在だった。
「入院以来、ずっと世話になっているケア・マネさんが、とても頼りになる存在なの」と微笑む。「ケア・マネさん?」「そう、ケアー・マネージャーさんよ。実際の介護を行う介護士さんとは別に、保険のことや総合的なサポートをしてくれる人なの」なるほど、彼女が落ち着いて過ごしているように思えるのは、そんなケア・マネさんたちの存在が基盤にあったのだ、と頷けた。
そういえば、高齢化社会になり、わたしのまわりでもデイサービスや介護施設の看板をたくさん目にするようになった。そこで働く友も多くなった。
すみれさんは英語の仲間と話すと気分転換ができた。その日は山の話がでた。
若い頃登った数えきれないくらいの山々がよみがえる。とくに八ヶ岳が好きだった。
背中に大きなリュックを背負って、ストックを両手でつきながら、コケの多い湿った森林の中を歩いたこと、渓流の中の石をつたって渡った時の、登山靴から直接感じる足裏の地球の鼓動。
草原に出ると青い空に入道雲がいっぱいに広がっていたこと。
もういちどそこにいくのは難しいことだろう。でもあのときの感動はいまでも体の細胞に生きている。
そしていま、それ以上に伝えたいことがあった。それは自分を支えてくれているケア・マネさんはじめ、なによりも家族の愛情であった。 あらためて、もう一つのすばらしい世界があったことをみんなに知ってほしい。
彼女の言葉はクリスマスにふさわしい温かいメッセージとなって、わたしたちの心にしみていった。
帰りがけにわたしは彼女にもクリスマス ブーケを差し上げた。
生の草花に触れたり香りを喜んでくださればいいな、と思いつつ。
2)ひかりさんのこと
森のトンネルのむこうから、柴犬のひかりちゃんが身もだえしそうな勢いでわたしに尻尾を振っている。このこんもりした静かな散歩道はわたしたちくらいしか歩いていない。いつも同じ時間に会って話しているうちにひかりちゃんのリードを持たせてもらって一緒に散歩する仲になった。
そのうち、互いの名を名乗りあったかもしれない。しかし、わたしは彼女を愛犬のひかりさんの名にしたままだつた。
介護関係の仕事をしているらしい40才くらいの、いかにも体力のありそうな明るいオーラを発散させている。でも私的な仕事の話はしたことがない。それは個人情報の関係で不文律としてお互いにわきまえていたからだ。
「どうしたの? きのう見なかったから、何かあったのかしらって心配してたのよ」とわたし。「仕事がメッチャ忙しくてね。ダウンしてた」「ごくろうさま」「でも、この仕事がホントに好きなのよね。だから苦にならないの」大きな目が輝いている。
「はい、これ」といって小さなビニール袋を渡してくれた。実家から届いたたまねぎ、トマトなどをときどきおすそわけしてくれる。「いつもありがとう」
その日の夕食は、新鮮な野菜で一流のレストラン以上のスープができた。
翌日、わたしは庭の草花を摘んでひかりさんにブーケを作っていた。彼女がいかに必要とされている人であるか、あらためてその仕事の大きさに思いを馳せながら。
「きれいね。花は癒されるわ」彼女は指で花びらをそっと愛撫し、顔を近づけて香りをかいだ。
その横顔にどこか一瞬の小さな寂しそうなかげがよぎったのは気のせいだったろうか。
ひかりさんは長いおつきあいの訪問先に車を走らせていた。少し遠いが会うと心が和む人だった。
街はクリスマスツリーやリースで賑わっている。カーステレオからマライア キャリーの歌が流れてきた。「♫ クリスマスのプレセントはなにもいらない。♬欲しいものはただひとつ。それはあなた、あなただけ ♫ 」 🎵all I want for Christmas is you 〜 ♬」
しばらく付き合っていた彼の胸のぬくもりがよみがえる。サンバとサッカーに熱狂的だった、愛の表現がいっぱいの年下のブラジル青年だった。コロナの時代を迎えて、彼はサンパウロに1人残した母親の介護に帰ってしまった。
洋館建ての門の前に車を停めて、もういちどバックミラーをのぞく。ひかりさんはそっと目をぬぐつた。鏡の中のもう一人の彼女が微笑んでいる。「あなたには大好きな仕事があってよかったね、元気をだしなよ」と。
人はだれしも傷つき弱る時がある。それでも、一粒の癒しの妙薬はどこかに必ず用意されている。人生はそんなことの繰り返しなのかもしれない。
ドアのベルを鳴らして中に入った。
リビングに入ったとき、何かいい花の香りがした。彼女の足が突然止まった。ほの暗い部屋の中央にがっちりしたアンティークのテーブル。その真ん中にたった一つの鮮やかな色彩のクリスマス ブーケ。「あれ? すみれさん、これ、そっくり。もしかして・・、カワゴエさんという方からもらったブーケ?」「えっ? そうですよ。シュッキーさん、いえ、そのカワゴエさんからですよ」 2人は同時に声をそろえ「お友達だったの?」と相手をまじまじとみた。そして、驚きの笑い声が部屋にあふれた。
さっそくこの話を別々に聞かされたわたしもその偶然に、あら〜と声をあげた。
カーテンを背景に影のような2人のシルエット。健康な笑声が弾けて温かい空気が満ちている。その真ん中にはやさしい香りを放ち、2人のやりとりに誇らしげに耳をかたむけている庭の草花たちが見えてくる。
それはまぎれもなく30年にしてはじめてドラマの主役を演じた、わたしの愛しい草花のブーケであった。
Merry Xmas to you all from Shuky


しゅっくこ:和田さん、昭子さん & みなさまへ
さっそく「Xmas Bouquet」を読んでいただきありがとうございました。
昭子さん
今日は 六甲の裏手にある里山あたりに、古い 能舞台を友人たちと一緒に散策にでかけます。
12月になったら山歩きも少なくなるだろろうと思っていたら、誘われるままについていくうち、今月も4-5回になりそうです。おかげさまで膝や腰の痛みを忘れて約2年になります。
平地歩きだと安心していけます。
帰ってきたら、ゆっくりまた報告したいと思っています。
とりいそぎ、たのしいお便りをありがとうございました。ではこれからいってきま〜す
石田さん
おひさしぶりですね。おたより、嬉しく拝見いたしました。
お元気そうでなによりです。またupdate 聞かせてください。たのしみにしています

和田: しゅくこさん お便りは、バーチャル座談会にも使わせて貰うので訂正して置きました。尚、この期間中のお便りは、出来ればすべてバーチャル座談会に残して置きたいので50年!!宛にして下さい。
皆さんにも個人宛のメールでなしに皆さんで共有できるように50年!!宛にするよう励行して下さい。お願いします。



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