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第43回 バーチャル座談会 『新春放談、行く年来る年2021−2022』 その4
皆さんのお便りで『新春放談、行く年来る年2021−2022』その4を無事終えリリーズします。まだ始まって1週間も経っていないのにその4が終わります。これからクリスマス、新年を迎え年末年始のお便りが届くと何処まで続くのですかね。大事な時期、皆さんのお便りを出来るだけ話題と時期に合わせ拾って行く積りですが、前後が揃わなくなり尻切れトンボになってしまう話題もありますが、読みずらいでしょうが我慢して下さい。出来るだけ前後を揃えるように努力します。今回は、11枚も写真を付けて呉れたしゅくこさんのお便りから写真を使うことにしていますが、どれも素敵で選ぶのに苦労しましたが、エイヤーで選んだ1枚を使うことにしました。しゅくこさん有難う。残りはBLOGに張り付けて置きます。


丸木で~す 天皇の世継ぎは男女の性別を問わず、天皇の実子でなければなりません。選択肢が他にあるのは実子のない場合のみです。天皇には愛子内親王と言う、れっきとした実子が在らせられます。天皇の弟君に当たる秋篠宮が皇嗣になってるのは、お門違いです。更には、その次代には天皇の甥までが将来の天皇に擬せられる風評が巷を騒がせてますが、それはあくまで愛子内親王に実子が産まれなければ、或いは生まれても死亡すればの話で、今上陛下にお子様が在らせ奉るにも拘らず、その様な風評は不敬罪と思考します。

松栄:みなさん 先ほど、以下のニュースが出ました。
私個人としては、女性天皇が即位されれば、日本も変わるのではないか、と期待しています。
愛子天皇は実現するか?成人されたのに“2つの選択肢”が残された辛さ《天皇になるのか、結婚したら民間人になるのか》
12/20(月) 6:12配信 2021
文春オンライン
「文藝春秋」2022年1月号より、本郷恵子氏(東京大学史料編纂所教授)、野田佳彦氏(元内閣総理大臣)、古川貞二郎氏(元官房副長官)による皇室鼎談「愛子天皇は実現するか」を一部公開します。 【写真】愛子さま成年儀式の帰りの車中で“ほっとした表情”を浮かべたという黒田清子さんの近影 ◆ ◆ ◆
愛子天皇が実現する日は
野田 最近は国民の間でも「愛子天皇待望論」が話題になっていますが、私はそれも選択肢だと思います。 本郷 4月の有識者会議のヒアリングの場で、「内親王・女王に皇位継承資格を認めることについてはどのように考えるか。その場合、皇位継承順位についてはどのように考えるか」との質問項目があったんです。愛子さまの皇位継承も想定に入れた質問だと思いますが、「資格の拡大には一定の根拠があり、自然な流れである」と答えました。
全く異なる2つの進路
本郷 過去の歴史を振り返っても、10代8方の女性天皇が存在していましたし、一方で例えば、大臣や大納言の職には、女性が就くことは決してあり得ませんでした。そう考えると、天皇というのは他の職とは違って、公的な役割であると同時に、皇族の血統を備えた身体や生理そのものとして捉えるべきであって、そこには女性を排除する論理は入ってこないと考えられるからです。 野田 早急に決めないといけませんね。愛子さまは成人されたのに、「将来、天皇になるのか」「結婚したら民間人になるのか」と全く異なる2つの進路がまだ開かれている状況です。あまりにお辛いと思います。
国民の8割が「愛子天皇」を支持
古川 他の女性皇族の方々も、国の方向を早急に決めてほしいはずですよね。現行制度であれば、結婚後は民間人になるわけですが、女性天皇や女性宮家への道が開かれれば、皇室に留まり続けることになるわけで、心構えも覚悟も全く違ってくるはずです。最も大事なことは、皇位の安定を図り、今の天皇制を将来、幾代にもわたって継承していくことです。国のそうした方向が定まったら女性皇族のあり方ももっと明確になっていくものと思います。すでに女性皇族の方々は結婚適齢期に入られているので、その意味でも議論を急ぐべきだと思います。 本郷 一部マスコミの調査では、国民の8割が「愛子天皇」を支持するという結果も出ていますよね。
上皇ご夫妻がお元気なうちに決めるべき
野田 やはり国民も合理的な選択肢だと考えているのではないでしょうか。もし、女性天皇を認めて長子優先ということになれば、男の子を生まなければというプレッシャーからも解放されます。  愛子さまが天皇になるとなれば、当然、天皇としての心構えが必要になってきます。先ほども申し上げたように、それは象徴天皇制を切り開いてこられた上皇上皇后陛下に直接、教育していただくのが最もいい。上皇ご夫妻がお元気なうちに決めるべきですね。 ◆  本郷恵子氏(東京大学史料編纂所教授)、野田佳彦氏(元内閣総理大臣)、古川貞二郎氏(元官房副長官)による鼎談「 愛子天皇は実現するか 」は、「文藝春秋」2022年1月号と「文藝春秋digital」に掲載されています。
「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2022年1月号

丸木で~す 医者からの禁酒命令が解除されたら、先ずはサンパウロに行きこのテーブルで、このサンタカタリーナの地ビールを飲みたいです。カポスドジョルドンのバーデンバーデン地ビールも飲みたいです。3ヶ月おきのキモテラピアが終わるまで後一年の辛抱です。

松栄:広橋さん 丸木さん みなさん このテーブル、イワン君がわたしのむすめと2人で、過日、閉店したロシア料理店から普通の丸テーブルをかってきましてた。
自分で飲んだビール瓶の栓(フタ)を貯めておいて、まるーく並べて、透明のアクリル板を切ってもらって、貰ってきて、2人で蓋を張り付けて上からアクリルをくっつけた、苦心の作だそうです。自分でビールを飲むために作ったのだそうです・・・が。
日本人には無い、ロシア人の独自の芸術性、みたいな感じも受けます。吾々には無い感覚のようです。
毎月一度、ロシア人の朝市がたちますので、そこからロシア人の自家製の生ビールを買ってきて楽しんでいる様です。
細かい点ですが、やはり文化が違うな―、と思って毎日いろいろ楽しませてもらっています。

松栄:杉井さん みなさん 陰謀と言う言葉が適切かどうかわかりませんが、今回のコロナ騒ぎで、世界大手製薬会社が、特に今回R-NAワクチン製造をやっている会社の経営陣と言うか戦略メンバーが「ここを好機だ」と考えたことは窺えます。
生ワクチン、不活化ワクチンが5年とか10年とか時間がかかることを逆手に取って、遺伝子組み換え、と言う新手のよく分からないワクチンを早急に作れば、世界経済を取り込めるという戦略を考えた・・・と言うのは・・・凄いですね。
それに対して、中国は以前のサース、マースの流行した折、10年以上に前から、このコロナワクチン開発を始めていた、と思うのです。
既に時間的な試験期間制約はクリアーしていた、即ワクチンが製造出来ると言う状況にあったと想像できます。
そういう過去の経験から、コロナバックは製造されたと考えるので何等、時間的技術的制約はなかったのではないかと思います。
それは中國だけが知っていた。(細菌戦争の本質かなと思います)
しかし、その本元中国が、新形コロナを世界にばらまいてしまった、という引け目からか、戦略的なものだったか?、世界にそれを公表できなかったし、しなかった!、のではないでしょうか。
欧米、日本等からは、巧妙に無視されるように導いた中国の意識的結果で、安価で安全で安心なワクチンが、中国の友好国以外には出回らなかった。
そこを、現在の欧米の大手ワクチンメーカーが営業目的完遂に、突いていった感じもあります。
書いてゆけば、長大な文章になりそうですが、長い文章は、私自身読みにくい、ので端折りますが、世界が最初から 生か 不活化 ワクチンを追っていれば、道筋はかなり変わっていただろうと思います。
今となっては、R-naワクチンに後遺症が出ないことを願っています。
最初から副反応が出ることは承知されていたわけで、今度は後遺症的なものが人間に出なければ、と思います。
生物学的には、やはり自然のものが良いのではないか、と感じています。

丸木で~す 医療業界に居た僕も医薬品業界の陰謀論を信じます。僕達の放射線業界は戦中戦後の肺結核が日本国中に蔓延し、旧陸軍病院が国立結核療養所となりX線装置を設置するので商売繁盛したのです。病気は増えると金が儲かる因果な商売でした。今でもMRIとかCTとかPETとかの高額な画像処理装置は新たな病気の発生に応じて販路が広がってます。

井川: 和田さん、みなさん、井川です。ご無沙汰しております。今年一年、わが「花咲爺の会」は、コロナ禍の影響も受けて、活動らしい活動もできず、しょぼくれていました。
ただ6月に神戸の出石さんのご紹介で、越前市の教会へ2株のイペーをお送りしたのと、五味さん・稲見さんのご努力により、10月横浜solidarioの皆さまへ8株のイペーをお贈りしたのと、合計二つのお仕事しかできませんでした。皆さまのご期待に添えず、まことに申し訳もございません。
さて、来年令和4年ですが、いまのところ、目標は二つあります。_一つは、横浜山下公園への移植(五味さんが交渉中)。もう一つは、ペンディングになっている金沢市への移植です。_来春のコロナの状況にもよりますが、できれば再度挑戦したいと考えております。そして、立川の東京都農林総合研究センターで育てていただいた7年物のイペー【約100本】を活用するためにもぜひブラジル大使館(または領事館)とタイアップして、イペーを日本各地へ移植したいと思います。どうかブラジルの皆様、ブラジル大使館などへのアプローチの方法やコネなど、良い情報があれば、ご教示ください。
 関西のはなさん、出石さん,しゅく子さん、杉井さん、いつも楽しい情報をいただき有難うございます。来年もよろしくお願いします。そして、50年の皆さま、花も咲かせない、頼りない会ですが、どうぞ見捨てずご期待ください。

和田:「花さかん爺の会」ですか??? 咲かないイペーの樹を切り倒し焼いた灰を振りかけると花がさくのでしょか? ハナサカジイサンの会の会長ご苦労さんです。助かっています。これまでに遣って来られたお仕事だけで充分です。来る年も無理をせずにのんびりと続けて下さい。生きている内にもう一度は日本にも行って見たいと思いますのでその時は宜しくお願いします。無理をしないでパンデミアの収まるのを待ちましょう。来る年も宜しく。。。是非イペーの花を日本でも咲かせましょう。

丸木で~す ご苦労様です。状況が状況でっさかいに焦らんで、ぼちぼちやっとくなはれ。コロナ禍が済んだら、日本国土にイペーがパ~ッと咲き誇るかも

しゅくこ:和田さん、昭子さん 、杉井さん 、みちこさん & みなさまへ しゅくこです
昭子さん。個性的なアマゾン便り、いつもたのしみにしています。
日本にはない珍しい樹や花、 食べ物、生活の違い。そして昭子さんのおおらかな笑い声が聞こえる素敵な着物姿。
わたしは着物は何十年も着ていません。似合う女性がうらやましい。母にもらったものもすっかり和箪笥のこやしになったまま。
2年前のクリスマス プレゼントに、元ホームステイ先の長男のお嫁さんに帯などと一緒に大きなダンボール箱にいれて船便で送りました。
手芸が好きで、着物や帯の生地で小物を作りたいというので送りましたが、まだ半分は箪笥に眠ったままです。
写真のお隣の女性は100才の方ですか?  そんなにはみえませんが、とてもおきれいですね。
こちら三田は小雪が舞って、とうとう冬将軍の到来かと、体がかじかむ日があったかとおもえば小春日和の青い空があらわれたり、ウオーキングに行くには、つい bundle up (着ぶくれ)してしまう季節です。
「Xmas Bouquet (クリスマスのブーケ)」を読んでいただき、さっそく御礼の手紙を送りたかったのですが、ちょうどその日は六甲山の北に広がる田園地帯の中の1868年に建てられた農村歌舞伎の舞台を見学にでかけるところでしたので、ゆっくり書けませんでした。
無事帰宅して、2日ごろごろして、いまコーヒーをのみながらパソコンに向かっています。

アマゾン昭子: 昭子さん wrote: しゅくこさん  お久しぶりです。山歩きいいですね。NHKで高山100選をみていましたら100高山は終わったのでしょう。最近は低山1000選になっていました。この低い山なら私でも上れそう。と思うだけで実際には上れないでしょうね。
私の近くに山はありません。同じパラー州に"よろこびの山"(Monte Alegre)と言われる町⁷には200〜300mの岩の低い山があって昔の人類が彫ったり書いたりしたあとがあって。
なんの整備もされてませんが上の50mぐらいは生えている木の根に捕まりながら上って岩絵をみたり小さな洞窟をみたりしました。(2015年)
同じパラー州でも我が家からバスで5時間 さら飛行機で小1時間行ってそこからモーター船にのって50分モンテの友人宅につくまでに疲れてしまいました。
次の日友人ご夫妻と登って岩絵をみた時は感激でした。
詳しく知りたいと言ったら近くの高校の図書館に詳しく写真入りで載った本がありました。
そのときの写真がパソコンのどこかにあるんでしょうが。悲しいかなパソコン替えたらますますこんがらがって分かりません。
機械音痴は困ったものです❗
草花のブーケいいですね。ここはそういう小さな花がないので大きな花束になってしまいます❗
私と同じ此の地で初めての百歳の方にプレゼント。
しゅくこさんの楽しい読み物 楽しみにしています。

和田さん、杉井さん、みちこさん
杉井さん、山登りは相変わらずたのしんでらっしゃることでしょう。
何年か前にいただいた白イチジク、今年は初めて5-6個収穫できました。
ピンポン玉より一回り大きく、とっても甘かったです。
みちこさん  山歩きの声をかけていただいて、一年あまりがすぎました。
おかげさまで月Tの逢山峡での自然観察はすばらしいリーダーに恵まれ、わたしが一番安心して、愉しみにしている日になってます。
いまのところ、故障がないどころか、すこしずつ山友も増え、行先も広がつてきています。
人生は思いがけない出会いばつかりですね。これがいつまでつづけられるのか。まあ、そんなことは考えないでたのしみたいとおもいます。こんごともよろしくお願いいたします。
初めて見たまたたびの花
和田さん
お二人のせっせと歩いてらっしゃるようす、わたしのwalking の励みにもなっています。
恵子さんの絵も毎回たのしみに拝見していますよ。よろしくお伝えください。
昭子さんにも上で触れましたが、いつもならこの行先が毎回変わる、トレッキング グループは、わたしにとつてはかなり厳しいコースが多いのです。
「犬の散歩道みたいなもんですよ。大丈夫、大丈夫」というリーダーの言葉にのせられて、いざ山道にはいると、道なき道のガレ場の急坂が続いたりするので、地面に張った木の根を足がかりに、そして、しっかりした目前の枝をつかんで手掛かりに登らなければならないコースになったりして、「犬の散歩道っていったじゃない!」と叫び、内心、もう二度とくるものかと音をあげるしまつです。
ときには渓流の岩をつたって渡る途中、踏み外してドボンと靴を濡らしながら。なので風景など愛でている場合ではないのです。
そんなとき、犬と足どりも軽く降りてくる人とすれ違い、「毎日、ここを犬と散歩していますよ」と声をかけて下っていくその後姿をあっけに取られてみているわたしに、「ほらね」と案内役の方が笑うのでした。「ここは地元の人にとっては犬の散歩道なんだ」と。
渓谷のなかで手を振るわたし。おぼれてるわけじゃありません。
1) 鎮守の森のおにぎり
今回はこのグループが六甲北に広がる静かな田園地帯の平坦な道だけ歩きながら、農村歌舞伎舞台を見学に行く、というので大阪からぜひ行きたいとの友人の声もあり、ぽかぽか陽気の中をほどけた気分で参加してきました。
このへんは、源平の戦いにかかわりをもち、県や国の重要有形民俗文化財などのとくに多く残っているところだということ。
今回は1868年に、鎮守の森の中に建てられたかやぶきの歌舞伎舞台。
人っ子一人会わないこの静かな山村も、秋祭りの歌舞伎にはたくさん見学者たちでにぎわうとか。
広場をまんなかに、天満神社が対峙して建っていました。
太古から息づくその自然のなか、5人の小人数の集まりで輪になって、ベテランの歴史をひもとくお話に古代の世界にワープしていく午後のひととき。
温かい陽射しのなか、日本の古典芸能やその歴史が学生時代まったく苦手だったわたしが、いまごろになって素直に案内の方に耳をかたむけて、むかし むかし、その昔の物語の世界に迷い込んだようなワクワクした気持ちでいつぱいでした。人は学ぶのに年なんて関係ないんですね。どこからか子供の頃に歌った村まつりの太鼓がきこえてきそう。
「 ♬ 村の鎮守の神様の〜、今日はめでたい御祭日〜 ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓 ♬」
鎮守の森のなかで、青空を隠すほどの大木たちにかこまれながら、持参の梅干入りのおにぎりはまた格別でした。
上谷上 の舞台 1863 年建立
2) 頂上のフランスパン
もうひとつ心に残っているのは、深山(みやま 791m)登りでした。
誘ってくれたのは、三田の親しい友人 と大阪の友の3人で、登山歴の本格派です。
やっと山に目覚めたわたしを、最近はあちこちレベルを落して同伴してくれるようになりました。
深山は大阪の北端の 豊能郡能勢町と京都府南丹市との境界に位置する山。
麓の瑠璃(るり)渓谷近くの温泉に車をとめ、そこから登山口にはいります。
杉井さんは行かれたことがあるとおもいますが、経験者にはらくちんな山歩きだとおもいます。
わたしには、初めての山、といっても低山ですが不安だらけでした。
渓流もガレ場もなく、ひたすらススキの群生した道なき道をどんどん上がっていっていき、広い頂上のようになったところで一息つくと、眼下は海のようにうねる山並み。
ほっとして、やれやれ、これでランチにありつけるとおもいました。ところがどっこい、友人が笑いながら「頂上はまだよ」とスティックで指しながら「ほらあれ」と、指したのは向かいにそびえる山。そのときはずつこけそうになりました。
でも気を取り直してススキの大群をかきわけながら進んでいくと、長―い石ころの上り坂に蹄鉄の跡を発見。
馬で登ってきた人がいるんだ〜、とコロナが始まる前まで例年行ってた八ヶ岳の外乗がなつかしい。
その時、毎回乗せてもらっていた老齢のベテラン馬、大楽毛(おたのしけ)くんのことをおもいだしました。
「あの子、げんきかな〜」と呟いたら、前を歩いていた50才の女性がパッパッとスマホを動かして、一分後に「げんきだよ」とおしえてくれました。
蹄鉄は昔から幸運をもたらすと言われて玄関に飾られたりアクセサリーに使われたりしています。
こころなしか、蹄鉄がもうひとふんばりのお守りのようにおもえて、あっというまに頂上につきました。
一緒に行った3人はリュックの中に、コンロ、ガスボンベ、トマト缶、皿やコップ、沢山の切った野菜、肉なんかを詰めてきて、頂上で手慣れた料理が始まりました。
初心者の私はフランスパンだけを持参するように命じられていました。前日、美味しいと有名なパン屋さんで、パリパリの皮のフランスパン 3本を仕入れておきました。大きなリュックに縦に入れるとぎりぎりのサイズ。
ステンレスの鍋はガスバーナーに火をつけると中身がすぐに沸騰してきて、わたしたちは山並みを見下ろしながら、
チキンのトマトスープにフランスパンを浸しながら、ふうふういいながら舌鼓をうち、小娘のようにはしゃぐのでした。
その残りに炊いたお米とチーズをまぜてリゾットができあがり。すべてたいらげたあと、カットしてきたお餅いりの熱々のぜんざい。
風がすこしでてきたので、わたしたちは下山して温泉に入り、ほかほかに温まって深山をあとにしました。
ホントに山って色々な容(かたち)があるもんだなぁ、どれひとつとして同じものがない。
そして、熱々のトマトスープとフランスパンのことも、山との一対の思いでになってことしも暮れようとしています。
ながくなりました。 ではこのへんで
Merry Xmas & a Happy New Year 💛

和田:しゅくこさん 長い長いクリスマスの挨拶と新年の寿ぎ有難う。これで行く年来る年その4が7000字に達っしました。後少しでその4も完結するでしょう。送って頂いた写真の1枚を使わせて貰い残りは、BLOG掲載時に全て貼り付けることにします。40年!!のホームページ、花談義での花咲爺の会のホームページ、BLOGを盛り立てて頂き有難う。来る年2022年も宜しくお願いします。

三上:和田さん、マツエさん 皆さん ご無沙汰しております、千葉在の三上です。
今般ニッケイ新聞も廃刊となり(新年よりブラジル日報が発刊されますが)ひとしお寂しさと思いが募っておりこのメールをさせていただきました。
 2011年8月4日号のサンパウロ新聞に、インタ―ビュウを受け「世話になった人々に感謝 50年ぶり来泊の三上裕弘さん」で写真付きで載せられました。担当していただいた方のお名前は、松本様でした。
 お陰で農大出でP.Alegre 時代にお世話になった、角忠三郎ご家族、Flirianopolis時代に懇意にしていた鹿児島出身の故Elio 宮原(健一郎)さんご遺族らの連絡をいただき大変助かりました。
 3.11の震災の後、思うところあって半世紀ぶりに南米を訪ねたのですが、事前に担当の松本氏/サンパウロ新聞のご協力なければ実現できなかった一生の思い出です。ヤフーyahooでのやり取りで助かりました。
P.Alegre時代に共同で青果店をしていた拓大出の高田さんの、アマゾンでのマラリアによる客死もその時に知らされました。
 昨年の訪伯、訪パラグアイ出来たのも、否、そもそも71歳を超えて日本語教師の資格を取ったのもその時の角さんの奥さんの、S.Catarina で日語講師やらんか、パラグアイのESTE市の下さんのイグアスでの同様な話が無ければ思いもしなかったことです。
 昨日アメリカ、シアトル在の義兄が昨日94歳でなくなりましたが、旅行もままならないこの状況では駆けつけるわけにもいかず電話で姉を慰めるだけ。旅行可になったら即、シアトルとOHIOの姪を訪ねて訪米、そしてハノイ国立工科大で1年教えた教え子達を訪ねての旅に出たいのですが。
 どうか皆さまご健勝で是非又お会いできること熱望しています。

和田:三上さん お便り有難う。パンデミアが収まればまた北米、南米を訪問したいとの事、機会があれば、住んだことのあるポルトアレグレにも足を延ばして下さい。シアトルにお住みだった義兄さんが、94歳で天寿を全うされたとの事、お悔やみ申し上げます。お姉さんを是非訪ねて励まして上げて下さい。
字数に達したのでその4をこれで終了します。



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