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第45回 バーチャル座談会 桜便りを迎えての新春放談です。その5
バーチャル座談会は、その5で終わりにする積りでしたが、しゅくこさんの特別書き込み『山笑う』が入ったので写真を1枚お願いして単独でその5としてホームページに掲載したいと思いますが字数がオバーする場合は2回に分ける事にします。写真が7枚添付されており上手く取り込めれば良いのですが上手く行きません。
しゅくこさんに選んで頂き2−3枚送って頂ければ助かります。
写真なしでHPに掲載して見ます。字数はどうでしょう???
しゅくこさん 写真送って頂き有難う。早速使わせて頂きます。字数もOKのようですので1回で終わりにします。


和田さん、みなさまへ
                 しゅくこです
みなさま お元気ですか? 
体調のメインテナンスに取り組み中のみなさま、あせらずゆっくり構えてくださいね。わたしもあちこち修理中です。
さて、桜に溺れそうだった日本列島も、あっというまに、つつじやシャクナゲなどの舞台に変わってきましたネ。
杉井さんはじめ、みなさまの桜情報を楽しませていただきました。
そして、日本でもあちこちイペの花がさきはじめたんですね。
昨日、神戸に住む旧友から、元町駅の交番横に咲いたイペの見事に咲いたイペの写真を送ってきました。それに誘われて、
わたしも久しぶりに「しゅくこ風、花見便り」を送ってみたいと思います。
よかったらのぞいてみてください

「山笑う」 川越 しゅくこ 23.4.14

1) 2度目の廃線跡ハイキング 
50年のマツエさんを迎えて 武庫川沿いの廃線跡のハイキングをしたのが昨年の冬だった。
4か月振りの今は春。男性2人とわたしたち女性の2人は山仲間。
自宅を出るときすでに春雨がしとしと降っていた。今日はみんなの顔をみて、おやつを渡して帰ろう。そんな気持ちはほぼ間違いなかった。
集合場所のJR三田駅につくと、曇り空から煙るような春雨。わたしは雨が大の苦手。むしろ敵意すら感じる。
3人に挨拶をして「雨だよ、それでもいくの? 」とわたし。
「これくらいなら行くよ」リーダーがいつもの静かな優しい口調。
「わたしはごめん、ここでお別れするわ。風邪ひくもん。雨のなかを歩くなんて、いったいどんな人種なの?」と減らず口を叩く。
「雨も自然の一部だよ。これくらいの雨を嫌がるそちらこそ、いったいどんな人種なの?」小雨なら大好きというリーダーはニコニコしながら茶化しかえす。
「無理にとは言わないけど、一度行ってみたら?」なにかその口調の温かさに抗い難い力がある。「2年前のしゅくこさんは、1mの坂さえ登れなかったでしょ。この2年で足腰も強くなったし、ずいぶん進歩したじゃない。なにをそんなに弱腰になってるの。もっと前向きに進まなきゃ」
わたしが弱音を吐くとリーダーが必ずいういつものセリフだ。(それは違うよ。60才の若造のあなたには、70,80才の体力の急降下がどんなものか、理解できてない・・・) 内心でつぶやきながら、笑ってごまかす。
でも、まあ今回はついていってみるか。どうにでもなれ、1人で途中から引き返しても一本道だから迷う心配はないし、と思いつつ、自然に足はみんなの後に続いていた。
もしかして、私の気持ちのなかに、マツエさんたちと行ったときの、あの同じ対岸の淵で、もう一度、一匹の大きな鯉が目の前で水面から飛び跳ねるシーンがみられるのではないか・・。
エラ フィツジェラルドが歌う、「Summer time」のなかの歌詞の一節「fish are jumping」というシーンを今回の3人にもぜひみてもらいたい。
大嫌いな雨の中をあえてついていった本当の理由は、そんな願望が心のすみにずっとあったからかもしれない。

2)武庫川は66kmもあり大阪湾まで流れている。
三田を流れる武庫川はその一部。広い川に沿って5000本もある有名な桜街道も市民の楽しみでもある。
コロナ前にはこの桜街道で歌のグループに誘われて、テーブルをだしてピクニックをしたことがある。そのうち歌いだすと、通りかかりの見物客がたちどまり、喝采をあびた。
その上、奈良や京都のお寺に出向いて、由緒ある老桜の貫禄に見とれてため息をついていた。それが例年の花見のパターンであった。
今年は特に意識したわけではないけれど、廃線跡コースに決まった。冬から春に、同じ舞台には別のドラマが演じられるのは想像がつく。
ただ、なぜか「fish are jumping」だけは同じ演目であるだろうと、根拠のない希望的観測があった。

3) 雨に濡れて
武田尾駅からハイキングコースの入口まで傘を挿していても、肩から袖、帽子まで春雨に濡れた。
リーダーが自分のリュックのなかから、からからに乾いた手ぬぐいを帽子のかわりに、と手渡してくれた。
三田を流れる武庫川沿いを毎日のように歩いているわりに、わたしは山歩きの仲間にいれてもらうまでは、それについて興味も薄く 詳しく考えたことがなかった。
Net によるとこの武庫川は兵庫県東部を南流する川で、丹波高地に源を発し、青野川、羽束川、有馬川、八多川などを合流して 宝塚市に流れ出て、さらに尼崎市と西宮市の境界を流れて大阪湾に注ぐとあった。
そして、JR三田から2つ目のJR武田尾駅から宝塚に流れる。
武庫川沿いの約5kmのハイキングコースも、7年前の 2016 年に整備され桜の季節はお花見の人気スポットになっている。すぐ近くなのに山歩きなど興味のなかったわたしは、なんてもったいない年月を費やしてしまったことだろう・・・。

4) スミレとサワガニ
枕木はトンネルの中だけではなくて、トンネルに入る前から朽ちた頑丈な枕木が並んでいる。その上を歩いてもいいし、両脇の草の生えた足に優しい方を歩いてもいい。
枕木にぴったり寄り添うように、親指の爪くらいのタチツボスミレがあどけない顔を並べている。ブルーと紫を混ぜた 春をつげるちょっと
おちゃめなエンゼルのようにほほえんで、わたしたちの笑みを誘う。
岩陰の草むらにせせらぎも流れていた。小さなサワガニが道の真ん中でわたしたちをみあげている。しゃがみこんでみると、甲羅がやわらかくて、やさしいオレンジ系の茶色、きっと赤ちゃんかも。まだ怒ることも知らず、両手のはさみをあげるわけでもなく、私たちをじっとみている。私は手のひらにのせて岩陰に移してやる。温かい。こわれそうな体。
「いくら人が通らないといったって、まんなかにいると踏まれるかもしれないよ。岩陰にいこうね」

5)急登をあえぎながら。
トンネルを2つ抜けると、そこから左に、桜の園へ、という登りのコースがある。前回はパスしたコースだった。
今回はその急斜面を登って東屋でランチということになっていた。
幸い,その地面は湿った程度である。わたしはたじろいだ。がここでみんなが下りてくるのを待つわけにいかない。なぜなら、おいしいお弁当は
東家で広げることになっているから。かなりきついが一歩一歩踏みしめながら、こっそりハアハアいいながら一生懸命についていった。
もっと上がっていくと、タチツボスミレが、あらゆるところで群生している。
やがて、二人が並んで歩けない幅の狭い山道になっていった。
右は柵のない急斜面の森林になっていて、ふらふら歩いていると足がとられてすべり落ちてしまうような錯覚に陥る。
気を確かに足を踏ん張って立ち止まってみると、森のむこう下に武庫川のせせらぎの音が聞こえ、泡立つ水流が岩にぶつかって流れていくのが見えた。
はるかな山々の層が、厚く青空の下に連なっていて、山肌はいろんな種類の緑が重なってまるでグラデイションの水彩画のようだ。
白い桜の木が1本ポツンとある。そしてコバノミツバツツジ、椿の大木も1本ずつポツンと。山肌に溶けた具合。その桜は名所という肩書を背負ったものでなくて、ごく自然の中の一部である。
その時にふと遠い昔に聞いた正岡子規の俳句を想いだした。
「ふるさとやどちらをみても山笑う」そのときまだ中学か高校だったか、その良さがわからなかった。(山笑う? もっといい言葉がないの?
笑いたいのはこっちだわ)と生意気盛りの女学生は思ったけれど、は〜、そういうことだったのね。と今頃実感するとは思わなかった。
「山笑う」という言葉には、わたしたちを豊かにするエネルギーの意味が含まれていたのかも。

6) ようやく東屋に着いた。
笑う山からもらった息苦しいほどのエネルギーのせいか、わたしたちの感動は異常にハイになっていた。
まわりの緑の若い芽の多くは含みを持った優しい赤茶色を帯びて層をなしている。
そういえば、うまれたての子供は赤ちゃんと呼ぶ。発芽も赤っぽい。サワガニもやっぱり赤ちゃんだったのかしら。そんな話に盛り上がる。
東屋でわたしはもってきた着替えを全部リュックからひっばりだして湿気から救われた。鮭おにぎりをぱくついて卵焼きとお漬物、熱い味噌汁の普通のランチは美味しかった。温もりの中に、ふと目をあげて横の茂みをみるとたくさんのタチツボスミレが歌うエンジェルのように群生している。そしてコバノミツバツツジの惜しみない咲きっぷりはまるで天国にいるようだった。
これくらいの春雨なら、他の3人のように雨は平気というまではいかなくても、いままでもっていた雨に対する敵意に似た感情は消えて、生まれてはじめて、近しい親しみをもって感じることができた

7)「Fish are jumping♬」をアンコール
雨もやんで、春らしい明るい陽ざしがまぶしかった。
わたしたちは渓流沿いの河川敷まで下りてきた。
対岸の淵の岩陰に、大きな鯉がもういちど飛び跳ねてくれるように、と祈りながら期待でわくわくしていた。
高く青い空にはるかな白い雲、その2つはどちらも主張することなく、おだやかに 同じ色の量で溶け合っている。天から降り注ぐその光彩は、まるでこの舞台にスポットライトを当ってるようだ。
渕というのは河岸に接している岩のあるところで、流れがよどんでいる深いところ。そこには栄養物がたくさんあって、機嫌のいい鯉が水面に飛び跳ねる。そんな一瞬をみんなに見せたい、と願いつつしばらく待った。
だが、私たちの前に、鯉はとうとう姿を見せなかった。そのかわり、今回は水際の泥のところにたくさんの鳥の足跡が深く刻まれている。
きっと人のいない早朝か夕暮れに、この辺で遊んでいた鳥たちに違いない。ふと、顔をあげると対岸にかなり大きなシラサギが不動の姿勢で何かを言いたげに、じっとわたしたちを見ていた。
残念だけれど、人には人の事情があるように、鯉には鯉の、シラサギにはシラサギの事情があるんです。そんなことを言ってたのかもしれない。

8) トンネルで合唱
皆が新しいを生命力をもらって次のトンネルに向かう。静かで穏やかなリーダーがトンネルに入るや、突然大声で歌いだした。「ヤッホー、ホーツラララ♬」みんなも合わせて大声で歌った。次はわたしがオーシャンゼリゼ オーシャンゼリゼ ♬、と歌いだすと、みんなも歌う。子供のように。知らない歌詞はみんな同じ。そろってララララで流していく。
今回の花見で、わたしは「山笑う」にすっかり魅了されていた。
山を盛り上げているさまざまなエネルギー。山笑う、という言葉の意味。
これまでとは異質の不思議な満足感。初めての体験。
自然の力。見えないものでもわたしたちを治癒してくれる力がある。そう思うと幸せになる。
春雨はすっかりあがっている。風がなく温度も高かったので、次第に雨は気にならないどころか、わたしに親しみのある存在になっていた。
春は過ぎていく。

次の季節は自然はまたどんな演出をして楽しませてくれるのだろう。
人はいくつになっても、思いがけない展開というものが待っているものだ。だから人生はおもしろい。

 





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