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期待される『ガイジン2』−農場に巨大セット−英国系コロニア忠実に再現【ニッケイ新聞より転載】2
前回1979年製作の山崎チヅカ監督の処女作『ガイジン−自由への道』に主演女優として選ばれた塚本恭子さんは現在東京で「クルービ・ド・ブラジル」を主宰しておられますが、その「クルービ・ド・ブラジル」のHPより山崎チヅカ監督のプロフィールを転載させて頂きました。
山崎チヅカ監督〜プロフィール
国籍:ブラジル連邦共和国
出身大学:ブラジリア大学、リオ・デ・ジャネイロ連邦大学(専攻=社会コミュニケーション(映画)
略歴:リオ・グランデ・ド・スル州の州都、ポルト・アレグレ出身の日系3世。大学在籍中より映画界に従事し、1974年には『O AMULETO DE OGUN(オグンノ魔よけ)』の助監督として本格的に業界デビュー。1980年の長編処女作『GAIJIN〜自由への道』はブラジルはもとよりフランス、ベルギー、キューバ、インド、日本など各国の映画際で上映、絶賛され、機多もの賞を授与される。1983年公開の映画『PARAHYBA MULHER MACHO(男まざりのパライーバ女)』や84年の『PATRIAMADA (パトリアマーダ)』などでも監督としての評価は高い。現在『FICA COMIGO(私のそばにいて)』と『O NOVICO REBELDE(やんちゃな修道院)』がブラジル国内でロングラン上映中。また短編・長編・フィクション・ノンフィクションを問わず多数の映画制作を続ける他にTVドラマ、CM、ビデオはもちろんオペラ、舞台演劇、音楽クリップなど幅広いジャンルで活躍。ブラジル国内における社会的業績と評価は映画界のみにとどまらない。1996年3月、カルドーゾ大統領が公式に日本を訪れた際には同訪日団の一員として随行。


期待される「ガイジン2」(3)−農場に巨大セットー英国系コロニア忠実に再現

3月16日(土)
 笠戸丸移民のチトエがロンドリナに初めて自分の土地を買うという設定で、この映画は始まる。一九三五年、既にチトエにはシノブという娘がいる。そして四〇年代の終わりには二人の孫カズミとマリア(今回の主役)にも恵まれることになる。
 市の中心街から赤土に染まる田舎道と大豆畑の中を車で走ること約三十分。自然保護区域内にあるサンタ・ヘレナ農場に、この時代の空気を再現するための巨大なセットが設けられた。その規模、四百メートル四方。
 地元紙記者は、「家々はパルミットの木で造られ、日本とドイツの様式がしっかりと取り入れられている。ドキュメンタリー映画でないにもかかわらず、その町並みは(ロンドリナ入植の先駆者であった)イギリス人コロニアの習慣をも忠実に再現している」と取材翌日の紙面に少なからぬ驚きをもって記していた。
 当然だろう。セットの地鎮祭に招かれたかつてのピオネイロたちでさえ、「ああこれは俺が住んでいた家だ」と感激いっぱいだったというのだから。
 映画ではロンドリナの歴史がどう描かれるかも見所の一つになっているようだ。
 同地は三十三の人種で成り立つとされ、豊かな赤土を有し、チトエが「おばあちゃん」になったころは、カフェによるモノ・カルチャー時代を謳歌していた。山崎監督は「当時、ロンドリナにはブラジルで三番目に大きい空港があった。農業主は自家用機で、あちこちへ飛び回っていた」と説明する。
 しかし、一九七五年の大寒波をきっかけにカフェ時代は終えん。自殺に追い込まれた農業主も目立ったという。以降、カフェは大豆や小麦にその肥よくな赤土を譲ることになる。「こうした歴史的事情をバックにして話を語っていきたい。だからこそ、日系移民だけが出てくる映画ではないのです」と山崎監督は繰り返す。
 各国移民の風俗習慣、時代背景をいかに正確に再現するか。「世界」を狙う映画ならば、安易なミステイクは許されない。もっとも監督には全面的に信頼を寄せることができるパートナーがいる。妹のユリカだ。舞台美術を務める。
 山崎監督の処女作「ガイジン」以来、ずっと一緒に仕事をしてきた。姉の作品以外でもその活躍は目覚ましい。例えば、ABC地区の自動車労働者の生活と家族を描いた悲劇「エレス・ノン・ウザン・ブラック・タイ」(一九八一)。ベネツィア映画祭審査員特別賞に輝いた同作にユリカは参加している。または、昨年の白眉(はくび)である、「ラボウラ・アルカイカ」。レバノン移民の家族を描いたここでも舞台美術は光っていた。
 夫婦や兄弟が力を合わせて一つの映画を撮る例は映画史においていくつか例があったし、今もある。でも、姉妹というのはまれだろう。 (小林大祐記者)

期待される『ガイジン2』(4)−5ヵ国の役者起用―異文化が生む「緊張感」狙う
3月20日(水)
  「ジョイ・ラック・クラブ」の富田タムリンと、「苺とチョコレート」のジョルジ・ペルゴリアが夫婦を演じる。世界の映画ファンの心を「へー」とくすぐる組み合わせが実現した。しかも二人がブラジル人役に抜てきされたというのだから、「えっ」と驚きも加わる。
 ブラジル映画である「ガイジン2」の主役を、アメリカ人とキューバ人が担う。これはいい意味で予想を裏切った。このほかに、カナダ、日本から出演者を集めた。実にブラジルを含めて五カ国の役者が登場するまさに国際的な映画に仕上がるが、これは一つの賭(かけ)でもあろう。
 言葉はどうするの?という疑問がわく。実際、富田はポルトガル語を話せない。ペルゴリアも「ポルトガル語はだめだ」とずっとスペイン語で通していた。夫婦の会話などにおいてはアフレコ(事後録音)をうまく用いるのか。
 記者会見で言葉の問題を突っ込まれた山崎監督だったが、「当時の一世は(ポルトガル語よりも)自分の国の言葉の方を熱心に子供に教えたもの」と一蹴。多少二人のポルトガル語が下手でも状況としてはおかしくはない、と言いたげだった。
 確かに演技力でもカバーできる。キャリア、人気、実力の三拍子がそろった二人だ。監督も特に心配はしていないのだろう。
 〃夫婦〃は取材のこの日、初めて顔を合わせた。にも関わらず、カメラに収まるその姿がぴたりと決まる。早くも〃夫婦〃の空気を醸し出していた。会話を交わす暇はほとんどなかったようだが、一緒にレンズの前で寄り添えば、「あうん」の呼吸が生まれている。言葉は要らない。これが世界の一線で活躍する俳優なのだ。
 役づくりの方はすんなりいくはず。国籍こそは役柄と違うものの、富田は日系人。ペルゴリアも役柄同様、スペイン系。アメリカもキューバ移民の受け入れ国。さまざまな文化、人種が同居するときに顕在化する融合と区別あるいは差別の問題を肌で知っている。
 これは今作で描く大きなテーマでもある。
 スペインとイタリアの血を引くガブリエル(ジョルジ・ペルゴリア)は、日系三世のマリア(富田タムリン)と結婚する。マリアと結婚後にできる二人の子供(ヨウコ、ペドロ)はしたがって、チトエにとっては混血の孫になる。
 ガブリエルはファゼンデイロの息子で、土地の売り買いを仕事とする成功者だったが、九〇年、コロル政権成立後の経済危機で一家は破産。チトエのもとで暮らし始める。
 故国への望郷の念を募せながら、〃ガイジン〃の世界で必死にもがき生きてきたチトエの身内にもついに〃ガイジン〃が。
 ドラマはここから急展開する。ガブリエルは財産を取り戻そうと、日本(兵庫県神戸市)に出稼ぎにいく。そこを襲うのが九五年の大震災。ガブリエルは消息を絶ってしまう。不安に駆られたマリアは娘ヨウコを連れ立って、夫を捜すためにロンドリナを後にする。
 チトエがずっと「帰りたい」と夢見ている祖国で、二人がまず直面するのは、外国人への偏見とカルチャーショックだった。
 五カ国からの役者を起用するのは一つの賭かも知れない。だが、撮影現場での言葉と文化のずれは、花火も上げれば、火花も散らそう。そんな緊張感のある空気を画面に出すことができれば、リアリティは確実に増す。山崎監督にとってこの選択は必然のカードだったとみた。  (小林大祐記者)

期待される『ガイジン2』(5)−富田タムリンも出演―かける思いは山崎監督と同じ
3月21日(木)
 「あの娘には花があった。ただきれいなだけじゃなかった。自分では美人と思っていないようで、きさくに冗談を言う娘だったね」
 「あの娘」は当時まだ二十歳になるかならないかの学生だった。それが八五年、ブラジルで開催されたミス・ニッケイ・インタナショナルでグランプリに輝くや、一躍ハリウッドの銀幕を飾るスターへの道を歩み始める。
 「出演者にタムリンの名前を発見したときはいやー懐かしいなと思ったよ」と、デビュー前の富田タムリンを知るミスコンの関係者は感無量の様子で話す。「彼女はやはりブラジルに縁があったんだね」。
 ミスに選ばれた富田はその翌年、再びブラジルの地を踏む。つい一年前はコンテストの候補者に過ぎなかった彼女だったが、今度はVIP待遇で迎えられ、ニッケイパラセホテルの特別スイートに泊まった。来伯の目的は二つあった。ミスコンへのゲスト参加、そして、パウリスタ大通りの映画館で封切りされる、初出演作「カラテキッド2」の舞台あいさつを務めることだった。 
アジア系女優の仕事が限られているハリウッドだが、彼女は順調に階段を上っていった。九一年には『ピープル・マガジン』誌に「世界で最も美しい五十人」の一人に選出されただけでなく、話題作「ジョイラッククラブ」、「愛と哀しみの旅路」に出演を果たし、実力派としての評価も固めていく。
 インタビューではまず、成功の秘訣を富田に尋ねた。すると本人はいたって淡々。「特別にはないわ。非常にラッキーだったか、あるいはわたしがとてもステューピド(馬鹿)で深いことを考えない性格が幸いしたか、どちらかでしょう」と分析した。
 日本の女優がハリウッドでうまくいかない理由については、「日本から挑戦にくる人は自分のイメージを売ろうとする。わたしはいつも普通の人として、プレーン(淡白)であろうとしている。後は与えられた役を全力で演じるだけ」と自分と比較して答えた。
 もっとも後日、関係者に聞いたところによると、「ガイジン2」への出演に関しては例外的に富田の意向が大きく作用した。「与えられた」のではなく、むしろ自分のイメージをアピールすることでその役を「選んだ」というのだ。
 「今はテレビ番組のパイロット(試作)がたくさん作られる時期で彼女にもいくつかの仕事が舞い込んでいた。だから、彼女のプロダクションとしてはブラジルの映画に出演して二カ月間も拘束されることをとても嫌がったようだ」と共演者は証言する。
 富田の思いは山崎監督のそれに相通じるものがあろう。両者とも活躍の場は広く与えられている。何も日系に限った話でなくとも仕事は来る。そんな二人があえて今、日系移民の映画に身を捧げようとしている。
 沖縄生まれ。生後わずか六カ月で富田はアメリカへと渡る。父親は日系アメリカ人二世、母親はフィリピンと日本人の血を引く。既に亡くなっている父親は日本語が達者だったが、「わたしは少しだけ。赤ちゃんの日本語」。それでもインタビューでは片言の日本語を交えてくれた。
 ロサンゼルスに住む。日系社会とのつながりは「二世祭りに参加したりするわ」。ハリウッド女優が現地の日系コミュニティにも積極的に顔を出す。この日、白鶴が舞う黒のドレスをまとっていた彼女も、そんなときはジーンズにTシャツ姿らしい。
 気取らない素顔は「あの娘」のときと何一つ変わっていない。映画の制作会社から受け取った富田のプロフィールには「二十五歳以上には見えない」とある。が、実際は三十六歳になり、その美しさはいっそう深みを増している。二十でミス・ニッケイ・インターナショナルに選ばれた彼女の一つの到達点として、ふさわしい舞台が今用意された。(小林大祐記者)



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