思い出の【南米への旅行】庄田淑子さんのHPより転載
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5月27日(土曜日)
浜松駅初 4:02 ひかり156
東京駅発 16:03 NEX31
メンバーは夫婦3組だけの贅沢なツアー、東京駅でお世話になる添乗員の山口さんが出迎えてくれる、明るくて有能な可愛い女の子です。ニューヨークまで12時間20分、 ニューヨ−クからサンパウロまで9時間15分 機内食 3回 ブラジルと日本は12時間の時差、昼と夜が反対になるだけなので時計の針は動かしませんでした、気候も正反対の秋です地球の反対側を巡る旅です。 飛行機の中は乾燥しております、目薬と水分の補給は必要だと思いました、お肌がからからに乾いて手が皺だらけ哀れです。 テレビゲームに夢中になり、「ロボットのフレディー」のビデオを楽しんで、3時間の睡眠を取っただけでした。 今回は珍しく窓際に座ったので外の景色を見ていると飛行機は白く氷の残るカナダの上を通りトロントの方からアメリカへ入っていきます。 非常に揺れるなと思っておりましたら、「強い向かい風のため12分ほど着陸が遅れます。」とのアナウンス。
ブラジルは日本の国土の23倍の大きさ、北と南、東と西では気候も風土も違うし、町毎に全く違う顔を持っていると言います。最初の地がサンパウロ。ガイドさんの話「ブラジルの134万人の日系人の内80%がサンパウロに住んでいる、6月からが冬で、真冬には電気ストーブも必要になってくる。町を歩くときはセフティーボックスに貴重品とパスポートを入れて置くこと、持ち歩くのはパスポートのコピーです。ロビーはT階、部屋のチェーンロックは必ずして相手を確認してからドアを 開けること。」空港からCaesar Park Hotel迄バスで40分。
5月28日(日曜日)午前6時29分サンパウロ着
未だ太陽は地平線から顔を出しておりません。
2日ほど前までは雨だったのに今日は抜けるような青空、(この調子は旅の間中続きました、誰が晴れ人間だったのでしょう)ホテルから歩いての散策です。 ユーモアのある公衆電話ボックスです、コーヒー豆からのデザインだそうです、色は変わってもブラジル中見ることが出来ました。
美術館の下にテントが張ってあり露天市が開かれてました、骨董品もあり賑わっております、記念にブローチを買う、美術館はびっくりするほど充実しております。 USPサンパウロ大学の毒蛇研究所に参りました、年間830件もサリ毒蛇に噛まれる被害が有るのだそうです。 州立大学の入学の門は大変狭く、しかしその高競争率の中、11%の日本人が合格していると誇らしげに話しておりました。(総人口の8%の日本人) 大学構内でパオブラジルの木を教えて貰いました、幹に突起があります、染め物に使うそうです、昔は至る所にあったこの木も希少価値に成りつつあるそうです。
ブラジルのパトカーの色は陽気です。 セナのお墓は芝生の丘の頂上近くに有ります、この墓地の芝生には文字を書いた鉄板の墓が沢山並んでおり、うっかりすると踏んでしまいそうでした。
東洋人街はお祭りらしくバスを止められず通り抜けました、サンパウロの町は一方通行が多い。 旧市街は教会の前で写真を撮るため一寸降りただけ、浮浪者も多く見るからに物騒そうです、それでも今日は日曜日なのでパトカーが多くで ており、いつもより安全な方だそうです。
夕食はこのレストランでシュラスコをいただく。地元の方のご招待だけに味はこの旅で一番でした。
牛、豚などの肉の塊を長い串に刺して、炭火で時間をかけて焼き上げた料理、肉の種類は20種類を越え、ボーイが串毎テーブルに持ってくるので、好みの焼気具合の所を好きなだけ切っ客は其れを受けて取り欲しいだけ食べます。 「少しだけ下さい」のポルトガル語、覚えたばかりの「ポコ、ポコ」を連発しながら、随分食べました、何度でも廻ってくるのです、ワニの肉も食べました。 胃袋の予備が2.3個欲しかったです。
5月29日(月曜日)
頼んでおいたプロポリスをガイドさんが持ってきてくれた。水、牛乳、ジュースなどに風邪なら20滴くらい、毎日飲むなら5滴くらい垂らして食前に飲む、お茶とは一緒に飲まないこと。7本12ドル ポンチアエリア VP610 でリオデジャネイロの小さな飛行場で場所によっては翼や尾翼が町の道路に飛び出す感じでターンをし、短い助走で離陸した。
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