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コチア青年移住四十周年記念誌 【コチア青年連絡協議会発行】
1955年9月15日コチア青年第1次1回生109名があめりか丸でサントスに到着しその後足掛け13年間52航海で都合2508名のコチア青年をブラジルに送り込んだ。産業開発青年隊の626名、工業移民、力行会等の団体による送り込みの中では数字的にもその後のブラジル社会における定着、活躍は、ダントツであり、1995年に四十周年を迎えコチア青年連絡協議会主催で実態調査、記念誌発行、記念祝典の3事業を計画、完遂している。記念誌の巻頭所感としてコチア青年連絡協議会黒木 政助会長の【覚悟を新たに頑張ろう】を転載して置きます。コチア青年呼び寄せの母体であったラ米最大の18000人の組合員を擁した母体コチア産業組合は、経済破綻を来たし1994年9月に自主解散に追い込まれており母体を亡くしたコチア青年連絡協議会の今後の活動が元組合員初めブラジル日系社会で期待されている。あるぜんちな丸第12次航でもコチア青年第2次第17回生として40年祭に参加された青柳さん初め17名が着伯しており4名が帰国しておりますが、現在もコチア青年として活躍されている皆さんの消息を消息を調べています。写真は40周年記念誌の表紙です。


巻頭所感   覚悟を新たに頑張ろう
コチア青年協議会 会長 黒木 政助
コチア青年も、ブラジルで40年を迎えた。
1995年9月15日、希望と不安とが交錯する複雑な心境で、第1回生が、サントス港に上陸、その後、12年間で2508名の「青年」がトランク一つで海を渡った。
当時、母国日本は、失業者600万人と言われてた時代で、今日の経済大国は想像できなかった。
ここで、志半ば逝去された仲間(「青年」夫人を含めて)の冥福を祈ると共に、過ぎにし日々を簡単に回想して見たい。
大部分のコチア青年は、ブラジルについては何も知らずに移住して来たが、この国の歴史的な転換期の中に生きる事になった。
吾々が、未だ契約期間中、あるいは独立を模索中の頃、それ迄農業国だったブラジルは工業国を目指して、五十年の遅れを五年で取り戻そうとする野心的な目標を掲げて、大きく変った。
その結果としての人口の都市集中化で、農産物は、急激に需要が増加、また政府の農業振興策による低利の農業融資が始まり、コチア青年は、独立後の短い期間に、生産基盤を作り上げ、先輩移住者に匹敵する規模に達した者も少なくなかった。
しかし、一九八〇年代、ブラジル経済の混乱と後退が始まり、年率一〇〇〇%、二〇〇〇%というインフレの中で、農業融資も特典が次々と削られ、そのメリットは皆無となった。
農業者が、何かおかしいと気付いた時は、手遅れで、三〇余年をかけて築いた資産を、手離さなければならない仲間が、相当数出た。
吾々の親元コチア産組も、解散を余儀なくされた。ショックの大きな出来事だった。
しかし、コチア産組が、このブラジルに残した立派な事業と言い伝えられるものに、セラード開発とコチア青年移民の導入がある。
肥沃な土地の開発は終わり、不毛の地として放棄されていたセラードを、新しい技術を駆使して、緑の大地となした。そこに吾々の多くの仲間も、参加した。特に、コチア青年移住二五、三〇周年の頃は、セラード開発はピークの状態で、最前線を行く仲間たちの鼻息は荒かった。
が、ブラジルの歴史の中でも、農業者の最も恵まれた環境の中に浸っていたために、事業に対する姿勢が甘かったようだ。
八〇年代半ばからの、あの状態を「これは何かの間違いで、間もなく正常に戻るサ」程度に思い、あれが本当のブラジルだという事を理解できなかった。故に、事業に蹉跌を来たした。
しかし、吾々は移住者であり、このブラジルで生きていかねばならない。移住者は、その国の経済状態がどうであれ、そこに根を下ろし、家族を形成し、どっかりと腰をすえて、生活の基盤を築かなければならない。これが、移住者としての正しい道であろうと思われる。
進出企業の様に、利益の追求のみに走り、うまく行かなければ、本国に引き上げるという姿勢では、エコノミック・アニマルと言われても仕方があるまい。
吾々は、ブラジル社会の一員として、この国と運命を共にする覚悟で、風俗、習慣、制度等を謙虚に受入れ、先輩移住者が得た「日本人は勤勉で、誠実である」という大きな評価を維持していけるよう、四〇周年を期して覚悟を新たに頑張ろうではないか。
コチア青年連絡協議会では、この記念すべき節目の年に当たり、実態調査、記念誌の発行、記念祝典と三つの事業を計画、会員諸氏の物心両面に渡る絶大なる協力によって立派に完遂することができました。心から御礼申上げます。
この事業の中で、特に記念誌は、一年余り時間をかけて、発刊の運びとなりました。二五、三〇周年の頃と異なり、その後の十年は農家の苦難の時代で、ともすれば暗い話題が多かったものでした。が、内容を明るく、仲間たちが満足する記念誌をと、それに努め、編集委員会、実務担当の外山氏の努力により、本誌を皆様にお届けできますことを喜び、四十年の総括とした本書を精読下さるよう、お願い申上げます。
この四十年は、まさに「激動の四十年」でしたが、今日まで大過なく過して来ることができたのも、元パトロンを始めてとする多くの先輩諸氏の指導、日本の留守家族の方々や知友などの激励の賜物でした。
ここに改めて、御礼申上げます。
また、家族の人たちにも深く感謝しなければなりません。困難な時期に本当に無理な要求をして来ましたが、よくぞ内部から、今日まで、吾々を支えてくれました。
最後に、明日のブラジルの発展のために、さらに、努力することを誓いたい。
一九九五年十二月
(平成14年9月8日 タイプアップ 和田 好司)



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