田代恵美子さん(旧姓佐藤)の若き頃の新聞投稿記事より。
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今年1月にアマゾンを訪問した際にベレン郊外のカスタニャール市に住んでおられる田代恵美子(旧姓佐藤)さんのアルバムに大切にファイルされていた黄色く変色した小さな字の秋田県で発行されている秋田魁新聞の67年度の記事をお借りしてきました。田代夫人は現在51歳ですが投書された時は、着伯後五年目にあたりお下げ髪のあどけない写真が掲載されています。原文のまま下記しておきます。 |
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佐藤さんからたより
「ブラジルは雨の季節」
この欄で先に、アルゼンチンの移住地にいるお友達のお便りを紹介しましたが、今度はブラジル・パラ州のテメアス市に住む佐藤恵美子さん(16才)からみなさんにおたよりが届きましたので紹介しましょう。佐藤さんは、秋田市大平の出身です。
秋田をはなれて,五年九カ月たちました。ブラジルはいま、五カ月つづいた乾燥期が終わり、雨の季節にはいっています。
長い乾燥期で弱り切っていたピメンタ(コショウ)も、雨でやっと元気をとりもどし、いまいっせいに新芽を出しています。このまま順調にいけば、ことしはピメンタの豊作になるだろうと移住地の人たちは話しています。八月ごろから収穫し、おもに北アメリカに輸出されます。
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現地のおもな年中行事としては、二月のカーニバル、九月の独立記念日、十一月の入植記念運動会、十二月のナタール(クリスマス)などです。
独立記念日には、小学生が集まり市内を行進します。女の子は、白のブラウスに紺のスカート、男の子は混合色の制服姿です。また入植記念運動会には、毎年日系人家族五百人以上と現地の人たちが集まりとてもにぎやか。年に一度の運動会ですので、真っ黒に日焼けして一日じゅうたのしみます。
学校は小学校と中学校がありますが、年齢はまちまち。小学校で成績のわるい人は、何回でも落第させられますので、同じ学年に何年もとどまっている人も珍しくありません。
現地人のこどもたちは、日本人の子どもとなかよく遊びます。おにごっこ、なわとびなどは意味もわからずにただまねているだけですが、思わずほほえみがわいてくる光景です。
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ブラジルに来てからやがて六年になろうとしていますが、日本、そして秋田もずいぶん変わったことでしょう。
現地の人と話していて、ことばが旨く通じないときなどは「日本ならこんなことはないのになあ」と祖国が思い出されます。秋田をはなれるとき、私はまだ幼かっただけに、ふるさとをはなれる悲しさよりも、むしろ大きな船に乗って外国へ行くというあこがれと喜びの気持ちが強かったものですが、こうして外国に住みつくと、やはり生まれ故郷の人たちや、先生、お友だちがなつかしく思いだされます。
こちらも、決して住みにくいところではありません。「住めばみやこ」というように、私にはブラジルが第二の故郷となるでしょう。いま私がいちばんたのしみにしているにしているのは、遠くはなれた秋田のお友だちとの文通、そして日本の雑誌などを読むことです。
さいごに、秋田のみなさんのご健康としあわせをお祈りします。
以上ですが、1月にカスタニアールを訪問した際に撮った田代恵美子さんの写真を添付しておきます。
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