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トメアスー移住地の三宅昭子(旧性佐藤)さんからのお便り。
1月に北伯アマゾンの河口べレンで下船した同船者31名の動向を訪ねての旅でほぼ40年振りに胡椒の里トメアスー移住地を訪問しました。船内新聞の編集委員の一人として活躍された三宅昭子(旧姓佐藤)さんより8首の俳句と共に近況を知らせるお手紙を頂きました。原文のままタイプアップして置きます。
このお手紙は一度『私達の40年!!』HPに掲載しておりましたが、ご本人より一部書き換えたいので削除して欲しいとの依頼受け削除しておりました。今回新しく書き換えた文を郵送して呉れましたので再度タイプアップしたものです。
写真は、前回と同じトメアスー十字路から程近いご自宅の花の咲き乱れる庭で撮ったものです。


雨季ただ中のアマゾンから和田さんへ
*アマゾンの猛暑に耐えて移民の詩
*金剛婚父母健やかや菊香る
*アマゾンに金剛婚や移民祭
*アマゾンに老いて菊の香金剛婚
*松過ぎて同航の友四十歳(ヨトセ)ぶり
*新涼やビデオレターの友の顔
*凡庸に生きて幸わせ蝉しぐれ
*十字架を確かに仰ぐ受難節

遠いところトメアスーを訪ねて下さって感謝でした。
大雨のためまたパラー州全体と云える程の停電のため、たいへんご迷惑をおかけしまして、レストランもキャンセルされるという対応の悪さを重ね重ねお詫び申し上げます。同船者の動向をたずねてということでまあまあノ成果でありました由、よかったですね。でも全員にお逢いできなかったそうですが、不手際なところはおゆるし下さいませ。
母は和田さんが来られた時、入院中でしたがあれから十日間の治療を受けて再診の時は、「手術しなくてもよいようだ、奇跡としかいいようがない」と医者にいわれて天地創造の神に感謝して帰って参りました。
それから船の中で演芸会だったのでしょうか、私も唄いましたが、母と田村さんの奥さんと新屋さんの奥さんの3人マドロスものを唄って最高ということでタオルのセットをいただいたのだそうです。今でも40年間母の針箱として使われ、我家にきてからも引き続き使われています。
唄は”別れ惜しむなドラの音が…“で始まるのですが題名も歌詞も忘れてしまったそうです。新屋さんか田村さんがお元気でなら覚えておられることでしょうに。私も覚えていず残念です。
私も多少父のアルツハイマーを受け継いでいるということでしょうか。父母が結婚60年を記念は、めずらしい(両方そろうのがなかなかむずかしい?)といわれ、地区の方々100人ほどに祝っていただきました。これからはどんどん金婚と同様にダイヤモンド婚を多くの方々も迎えられることでしょう。長生きする方々が多くなりましたから。
また”日の丸“のこと、御主人と逢えてどんなに喜んだことでしょうか。99年父母が私のところにきた時、荷物の中に出征の旗と一緒にきちんとしまわれてありましたので父が県庁からでもいただいてきたのかしらと思っていました。よく読んでみもせずにトメアスー文教が移民70年祭につき移民資料館建設に力を入れ、当時のものを募っていましたので、当時のナベや湯わかし、バケツなどと一緒に献品しました。和田さんから「俺の日の丸があるんだって?」といわれてわざわざ見に行ってきました。なるほど「俺たちも後で行くぞ」ということは、若い人の云うことであって…と納得。でもどうしてそれが父の荷の中にあったのでしょうか。私は着伯してすぐ嫁いでしまい、和田さんがトメアスーを訪ねていたことは覚えていません。きぅと船内でもあなたがたのあとをついて回っていた妹たちが、また来るというのなら、その日の丸をとねだって取り上げたのではないでしょうか。妹かおるはそのあと渡伯1年の5月12日14歳で自ら命を断ちました。妹の遺品だから父母が大事にしまておいたものではないかと推測されます。今それを思いだす力は二人にはもうのこされていません。父母は多分に逆緑にうちのめされて病に負けてしまったのでは…と思います。その10年後には弟夫婦の事故にも逢っていますので…。私も結婚して家を出ましたので詳しいことはよくわからないのですが、日の丸が無事に御主人にで合えてよかっです。もし父母がきちんとしまっておかなければ日の目を見ることはなかったでしょうから。どちらにしても神のならることは奇しいことだらけです。すべてを益にかえて下さるとは、こういうことなのでしょうね。日の丸の下に柳ゴウリがりましたでしょう。あれは三宅の両親が大切にしていたものです。私も70年祭の折り記念に日の丸とコオリあの日の丸とコウリの前で写真をとっていただきました。和田さんと一緒に撮りたかったですね。5月には、なんとか都合をつけて「あるぜんちな丸第12次航同船会」に出席したいと今から心しておきます。みなさんにお逢いできる日をたのしみにしております。
船内の思い出は、船酔いと讃美歌と日の神の役をさせていただいた赤道祭です。船酔いからさめて船内新聞のお手伝いをさせていただき、楽しい船中生活であったことは確かです。ブラジルへ着いたら年齢に関係なく勉強できるということで、私も勉強して二ヶ国語を話せるのが夢でしたが。。。夢と現実はいつの世も合うことはないようです。学ぶチャンスを持ちましたが。。。結局自らの力不足でまだ片言、二世が日本語を覚えられないのも同感です。今も父母をかかえてしばらく手がふさがています。80才でブラジル学校へ入学した方もありますので私もまだまだこれからと思って今は暫くは父母の介護に専念するつもりです。私の年代の方々は、介護を余儀なく去れておられる方が多いと思いますがお互いに自らをかえりみる如く、頑張って伊湖ではありませんか。
それでは、田村さん、新屋さんにお逢いの節はよろしくお願いします。吉田(旧性)美智子さんの住所もわかればお願いいたします。同船者の中で牧師をされておられる方と陶芸をされておられる方がいらっしゃるとお伺いいたしました。御本人に問い合わせてもし御迷惑でなかったら住所をお知らせ下さいませ。陶芸には興味のあること、天地創造のイエスキリスト様に出会して人並みよりちょっと変った人生を歩ませていただいておりますので、お会いしたいお二人です。それでは後ほどまた書かせていただきます。今日はこの辺で。お元気で!
                シャローム
               2月3日 日曜日の夕方
              トメアスー 三宅昭子



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