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<ブラジル留学の報告書>青少年交換学生 岡村孝子(県立弥栄西高校)
国際ロータリ第2780地区相模原グリーンロータリクラブから1年間交換留学生としてブラジルのサンパウロに派遣されて今年の8月に帰国された岡村孝子さんのブラジル留学報告書です。
『私たちの40年!!』HPの掲示板に9月10日に「人探しをしております」との書き込みをして下さった篠崎雅彦さんが相模原グリーンロータリクラブの会員でブラジルから帰国された岡村さん現在篠崎さんがお世話しておられるブラジル人留学研修生のララさんと大学の休みを利用して訪日していた私の次女茜と東京に置けるブラジル関係の若者の交流をプロモートして下さり10月26日に歓談されたとの事で写真と共に報告頂いておりますがそのブラジルで1年間生活された岡村孝子さんの<ブラジル留学の報告書>が相模原グリーンロータリクラブのHPに掲載されていましたのでそのままご家族と撮られた写真と共に転載させて頂きました。岡村さんこれからもブラジルでの生活を忘れずに日伯交流に尽くして下さい。                             


今日は9月の19日(グリーンの皆さん、すみません!本当に遅くなってしまって)。さて、私が日本に帰ってきて、まだ一ヶ月しか過ぎていない。なのに「私のブラジル生活」はもう遠い昔のことのだったような気がしている・・・  
私が帰国してから、昨日で丁度一ヶ月になる。帰国してからは遊びに、学校行事に、そして進路ことなど、あれこれ考え「すっとばした毎日」を送った。それだからかもしれないが、帰ってくる前には、自分があんなに帰るのを怖がっていたのがバカみたいなほど、すぐに自分の「普通の生活」に戻れた。最近も毎日が楽しくてしょうがない。
ブラジルが嫌いというわけではなく、むしろ大好きだが、さりとて今すぐ戻りたいとは思っていない。(日本に戻った直後は思っていたが!)一年も日本を離れると、今度は『日本が恋しくて、恋しくてしょうがなくなっていた!』ので、今はそれを埋めるので一生懸命だからだと思う。私のブラジル生活を一言で表すのなら「楽しかった!・・・」になる。そう、確かに楽しかったが大半を占めているが、その影にやはり留学でしか味わえない苦労もあったりした。その苦労を乗り越えられたこと、さらに楽しい思い出がたくさんできたこと、そのようなこと全てが、私一人でやってきた成果だとは思っていない。一番私のことを考え、協力してくれた私の「たった一つのブラジルの家族」、ブラジルの学校の先生や生徒、グリーン・ロータリークラブの皆様、弥栄高校の先生や友達、そして私の家族…. あげていったらきりがないが私は今、私を助けて下さった人達全員に、心から感謝している。
よく人は私に「一人で行くなんてすごいね!」と言うが、私がこの留学の一年間で、「私は独りぼっち!」と感じたのは、行きのサンパウロに向かう飛行機の中ぐらいで、あとは逆にいつも「私は一人じゃないんだ!」と感じていた。孤独を感じるどころか、むしろ私のもうすぐで18年になる人生で、一番いろいろな人達に出会い、そして助けられた一年だったと思う。そのいろいろな人達が私にやってくれたことを、間接的ではあるけれども、これから恩返しをしていこうと思っている。
ブラジルに行く前は私の持っていたイメージが抽象的すぎて、「どういう国なのか?」あまりよく解っていませんでした。そのため人が「ブラジルはこうなんだって!」と言えば、すべて疑いもせず、まる飲みしてそう思い込んでいた。しかしほとんどの人は大雑把に、口伝えでそういう知識を得た人達だったので、実際には「そうではなかった!」ということもしばしば。行く前までは一番心配していた"治安面"も、そこまでというほどひどくはなく、一回もスリや盗難にあわずにすんだ。もっとも自分でそれなりに気を付けていたというのもあるが、一番は私のことを厳重に守ってくれたホストファミリーのおかげだと思っている。ところで私は、ブラジルよりもむしろ"今の日本"がよそのことを言えないくらい危なくなってきていると思う。帰ってきてびっくりしたのが、学校での盗難が確実に増えていること、そして街中で防ぐにも、どうやって防げばよいのかわからないような異様な事件が増えていること!だから今の時代、ブラジルだから特に危ないということはないと思う。今は、「どこの国もそれほど安全ではない」ということ。もちろん日本もそのうちの一つだ。
ただ、ブラジルよりも日本の方が‘国的に豊か’だった。日本は経済格差は小さいし、あったとしても僅かで、ほとんどの人が中産階級だ。それに比べればブラジルは、貧富の差が大きい、大きい!私を一年間お世話してくれた家庭はその中でも丁度まん中、いわゆる「一般庶民の家庭」だ。日本の私の家と同じくらいの「位」なので、文化や習慣の違いを除いては、日本の自分の生活と同じレベルの生活をしていた。だからかどうかは判らないが、この家庭は私にはピッタリで、最高の私のホストになってくれた。  ブラジルでは留学生の半数くらいはロータリアンの家庭にお世話になっていて、私もそのつてで何人かの家に遊びに行ったが、そりゃまた「びっくりするほどのお金持ち」の家に行ったりもした。すごく、ものすごく大きな別荘を持っていて、そこにヘリコプターまで持っている家。家が凝りにこって複雑構成で、家の中のかざり物も、すべてブランド品でありそうなゴージャスな家。なんと高級車を5台も持っている家など日本では一回も会ったことがないようなお金持ちの人達に会ったりした。その一方、道や駅には履く靴にも困っているような人達がいたりして、その差は一目瞭然だ。車の信号待ちをしている時に、幼い子供達が車に寄ってきて、いろいろな物を売っている光景!日本では考えられるだろうか?同じブラジル人でも、目には見えない階級にはっきりと区分けされている。極端な貧富の差について、お金持ちや一般庶民の人達は全く政府のせいにして、私にはその人達が、その問題から少し逃げているように思えた。知らんぷりをしている人達が多すぎるのだ。貧しい人達は貧しい人達で、持てる人達に助けてもらうのが当たり前だと思っていて、「自ら働いて生活を良くしよう!」とする人が少ない。もっとも、サンパウロでは、市の協力で貧しい人達の家( Favela )が徐々に減少しつつある。今や市内では「‘お腹が空き過ぎていて死にそう’ という人はもういない」と言われるくらい食料の供給が行き届いて、状況は徐々に、徐々に良くなってきているそうだ。まだ時間はかかりそうだが、いつかはこのFavela という存在もなくなり、この極端な貧富の差もなくなるだろう。
話がとびとびになってしまうが、私はブラジル人から「ブラジルの何が好きなの?」とよく聞かれていた。そしていつもの私の答えは「食べ物と人(国民性)」だった。食べ物が美味しいということは、私のこの体型を見てもらえばすぐに納得できると思うが、「人」と言ってもたぶん「どのように良いのか?」と疑問を持ち、想像もつかないのではないか?きっと皆さんのブラジル人に対するイメージといえば、「みんなが底抜けに明るい」というものではないのか。確かにそれも大当たりなのだが、それだけではない。ほとんどの人達は誰に対しても、例えそれが見知らぬ人であったとしても、とにかく「親切」なのだ!人が困っていたら、「おせっかい」というほど皆助けようとする。(なのにどうして貧困層に対して、政策的に援助がなされにくいのかが不思議だが!)私も何人の見知らぬ人に助けてもらったかわからない。そしてそれに慣れてしまった私は、今、見知らぬ人にでも気楽に声をかけられるようになった。これは日本では怪しい人だと思われてしまうかもしれないが?とにかく私はそのような性質を持っているブラジル人が大好きだ!日本人にとっては抵抗があるかもしれないが、ブラジルでの挨拶が「ほっぺにチュー」というのでもわかるように、人と人との関係がすごく近い。私ももちろん最初はすごく抵抗があったが、今となっては慣れ、そして気に入ってしまった。日本に帰ってからは、ほとんどそれがないので、すごく物足りない感じがしている。だからといって日本でやったら逆セクハラになるのでやりたくてもできない。
いろいろ触れたが、本当にブラジル人には、こんな紙三四枚では、書ききれないほど良いところがたくさんある。もちろん「ブラジル人だから絶対にそう!」ということではないが、ほとんどの人がそうだ。今回の報告書にはあまり具体的な私のブラジル生活については書かず、私が「"ブラジル"と聞いて、みんなに知ってもらいたいこと」を書いた。もしもご期待にそっていなかったらすみません。最後にこの一年間いろいろと私の大きな力になっていただき本当にありがとうございました。以上



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