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香西さんのHP「神戸じいじ」に掲載された第2回バーチャル座談会の紹介文。
12月1日同時UPで第2回バーチャル座談会を香西さんのHP「神戸じいじ」のたわごとコーナにバーチャル座談会(第2回)をUPして頂いております。これ全文を下記しておきいますます。
「国策が間違っていたのでは・・・?」との問いかけを香西さんから受けましたが、私の返答の主旨は、「夢が叶った・・・、国策に感謝している・・・」という香西さんの短い記述と少しニュアンスが違い移住とは本来本人の意思で決めるものであり(家族の選択としていやいや移住した人もいますが)政府に騙された国策が悪いと言ったドミニカ移民、ボリビア移民、一部のブラジル国内でもアマゾンの移住地等過酷な移住地の選定に基本的な間違いがあった面も事実ですがその移住という人生の選択肢を自ら選んだ場合は、各本人の責任ではないか。人生の一つの選択肢としてブラジル移住を選ぶ事が出来た私は、それなりに精一杯生きて来たしブラジル40年の人生に悔いはないし10万2千円の渡航費を貸付(その後無償援助)と貰った事に感謝しているといった主旨だったと思います。この『私たちの40年!!』HPも同船者681名の一人一人の方がこの40年をどう生きて来たか40年前の選択の結果がどうだっなのか?一人でも多くの仲間が40年前の選択を肯定できる人生を歩んで来て居られる事願う気持でやっています。
次回は、香西さんが提案されている日本とブラジルの南米各地で生活して来た我々と日本で生活した日本人との「生き方」・「価値観」などにどの様な差があるのか語り合って行きたいと思います。
写真は、香西さんのお住まいから眺められるという明石大橋の夕暮れの写真です。


バーチャル座談会(第2回)
(2002/12/1)

 インターネットのお陰で地球の裏側(日本から見て)の国に住む方と、第2回目のバーチャル座談会を行うことができました。
 戦後10年が経った昭和30年代の日本は急速な経済発展に向かっている時期でした。
 その後、日本は工業生産を中心として飛躍的な経済成長期を迎え、深刻な人手不足になりました。
 農村の働き手は都会に流出し、農村の過疎が深刻な問題となりました。

 一方、国は1954年(昭和29年)に「ぶらじる丸」、1958年(昭和33年)に「あるぜんちな丸」を建造し、国策で移民を奨励して多くの方々を南米各地に送り出しました。

 私は、移住された方々のご苦労を思い、「その方々が日本に居られたら苦労も少なかっただろうに・・・、国策が間違っていたのでは・・・?」と、思っていました。
 ところが、移住された当の和田さんから、「夢が叶った・・・、国策に感謝している・・・」旨のメールを頂き、安心すると共に、新しい疑問が湧きました。

 確かに日本は、経済大国と呼ばれるまでになりました。
 しかし、自然は破壊され、礼節が失われ、家族の絆も薄くなりました。
 バブル崩壊以来、経済大国は何処へやら・・・、構築された筈の社会保障制度の行方もどうなるか分かりません。
 日本経済の崩壊さえ心配されています。

 南米各地で生活された日本人と、日本で生活した日本人との「生き方」・「価値観」などに、同じ日本人でありながら大きな違いが生じているように思われます。
 異国で生活された方々が、日本の変化をどのように見て居られたか知りたいと思います。

 これからも、月に1回程度のバーチャル座談会を開く予定なので、そうした疑問をテーマにして頂く積りです。

 座談会の内容は、ここ をクリックして、ご覧になってください。

 本稿をお読みくださった方は、ぜひ『私たちの40年!!』にAccessして下さるようお願いいたします。




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