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陶芸家として第1人者―鈴木章子さん 宮尾 進 著 ブラジルの日系芸術家たちより
11月28日サンパウロでブラジル日本移民100周年記念「人文研研究叢書」第1号としてブラジルの日系社会論集 ボーダレスになる日系人の出版記念式典に参加することが出来寄稿集183番目に紹介しておりますがその日系社会論集の中の一章<ブラジルの日系芸術家たち>の中に日系芸術家の大先輩 半田知雄さん、最も活動的な女流画家―大竹トミエさん、海外でも広く活躍する彫刻家―豊田豊さん等と共に陶芸家として第1人者―鈴木章子さんとして同船者の一人鈴木さんが紹介されております。鈴木章子さんに付いては既に寄稿集44番目にブラジルに健在 阿波の武将大嶋氏・末裔 関ヶ原の配陣図や古書鈴木さん徳島県文書館に寄贈。【パウリスタ新聞より転載】として写真と共に掲載しております。
写真は、出版記念祝賀会で請われるままに揮毫しておられる宮尾 進さんを撮らせて頂いたものです。


鈴木章子さんを訪ねた日は、はからずも鈴木さんご夫妻に取って、ブラジル移住30周年にあたる記念すべき日であった。1962年の5月13日、章子さんは画家であるご主人幸夫さんとともに、技術移民という移住枠でサントスに上陸した。
1929年、東京生まれの章子さんは、戦後まだ女性の陶芸家がほとんど見られなかった頃から陶芸に打ち込み、国内各地の陶芸展に出品するほか、海外ではヂュッセルドフ陶芸展にも入選するなど、陶芸家として精進を続けてきた。そうした修業を続けるなかにあっても、章子さんには「私が本当に生きるところは日本ではない別の世界のどこかにあるはずだ」という熱い思いが常にあった。そんなとき、テレビの探訪ルポでブラジルの中央大高原のなかに忽然と建設された新首都、ブラジリアの映像が紹介されるのを見た。この南米の大地こそ、私の求めていた『どこか』だったのだと、感動のなかでブラジルへの移住の思いが強く湧いてきた。そして1961年には三軌展で賞を得、プロ作家としての前途を約束されたにもかかわらず、この受賞をきっかけに逆にブラジル移住に踏み切った。
それから30年、移住の初期はご主人と一緒にペンダントを土で焼き、それを売って糊口をしのいだこともあったが「ゼロから生きたい」と思ってきた章子さん夫妻にとっては、そうした苦労も得難い経験となった。そして4年後の1966年には親しくなった日系の友人知人の励ましや援助もあって、サンパウロ市近郊の現在地に居を定め、登りがまも完成して、本格的な陶芸活動に打ち込めるようになった。
以後、章子さんは陶芸一筋に生き、個展やグループ展を合わせると、ほとんど毎年のように展示会に出品し、倦むことを知らず励んできた。そんな章子さんの作品と人となりは、ブラジル美術界にも広く知られるところとなり、今ではSHOKOの名は陶芸界の第1人者として、高い評価を生んでいる。
本格的な陶芸家が見られなかったブラジルで、その後陶芸家を目ざす人たちが続々とうまれてきているが、そのほとんどが女流である。おそらく章子さんの活動が刺激となったのではないかと思われる。
章子さんはブラジル陶芸界の先駆けとなったばかりではなく、多くの女流陶芸家を生みだすきっかけとなった点で、ブラジルの美術興隆のために、大変貢献をしているといえる。
(「海外移住」 1992年8月号)



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