福井県人会のホームページ公開。コロニア・ピニャール(福井村)40周年!!
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福井県人会のホームページ立ち上げを手伝っておられたサンパウロの石田さんよりHP立ち上げの通知とURLを知らせて頂きました。そもそも福井村は、《在伯福井県人会会長宮本由太郎氏が日本移民50周年の記念事業としてブラジル福井村を建設したいと県に献策、県が賛同したのが始まりである。》との事、第1陣が62年12月に3家族14名が入植したと記されているが我々の12次航でも金井三郎さん一家4名と産業開発青年隊の浜埜英輝さん(単身)の5名が福井県出身者として移住してきている。ピニャール福井村入植40周年という立派な刊行物を出しており今回その記念誌の表紙と祭典委員長の山下 治さんの挨拶文と時の福井県知事栗田幸雄さんの挨拶文をお借りして掲載して置きます。 |
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刊行のごあいさつ コロニア・ピニャール入植40周年記念祭祭典委員長 山下 治
ピニャール移住地が入植40周年を迎えるにあたり、今日までの歩みを纏め後世に伝えるべく「移住地40年の歩み」として小史を刊行することになりました。
ピニャール移住地はブラジル福井県人会が、日本人移住50周年の記念事業として母県に献策したことが発端となり、実現した経験から福井村とも呼ばれており、1962年12月、福井県から3家族14名が第一陣として入植して始まりました。当時、祖国は戦後経済の復興の兆しがあり、移住者も減少して北陸三県にそして現地での募集を経て一応満植となりました。
以来四十年、移住事業団、福井県、南伯農協と関係機関のご支援のもと、日系移住地として堅実なる発展を遂げてまいりましたが、世代の移りかわりの時期となり第一陣として入植された方も織田真由美さんのみとなり、この機会を逃してはとの強い責務から少ない資料や証言、写真等を纏めると同時にご支援を賜りました関係者にご寄稿を頂き日伯両語での刊行と致しました。戦後移住者が大勢であった当時からみますと今日では一家の中心は二世の時代に移り入植者の移動も繰り返されましたが、確実に優秀な後継者も 育っており彼等がこの小史をひもとき、先人の意志を受け継ぎ新しい時代の農業農村の発展に意欲的に取り組む良き刺激になることを期待するものでありす。
最後にご祝辞ご寄稿を頂きました関係機関の皆様、編集にご協力下さいました方々に心から感謝の意を表し刊行の挨拶と致します。
2002年7月吉日
入植40周年を祝う 福井県知事 栗田幸雄
コロニア・ピニャール(福井村)が開村40周年を迎えられましたことを心からお祝い申し上げます。私は、24年前、初めて訪伯団長として訪問させていただいた際、大歓迎を受けたことを思い起こし感動を新たにしております。コロニア・ピニャールは、福井村建設構想を建議した在伯福井県人会ならびに関係各位のご熱意とご支援により、現在の国際協力事業団の直営入植地として出発されました。以来、福井県人と他県から入植された方々が新天地に力を集結し、ブドウ、びわ をはじめとする果樹栽培の普及定着に精励され、サンパウロを市場とする都市近郊型農業を確立されましたことは、誠にご同慶にたえません。また県としてもコロニア・ピニャールの皆様の活動拠点となる文化センターや日本語モデル学校などの整備に協力させていただき、皆様の福利厚生と児童の教育水準の向上に貢献できましたことをうれしく思います。
さて、40年の歳月は、孔子の言葉「四十而不惑」を思い起こさせますが、昨今、移住世代の交代や現地への同化といった日系社会を取り巻く状況の変化が指摘されております。この記念すべき入植40周年を機に、来し方を振り返り、次世代に惑うことなき発展への道しるべを記念誌の刊行などで示すことは大変意義深いことであります。現代は交通網や情報通信技術等の飛躍的な発達で、人物、情報等が容易に国境を越えて行き交う時代です。福井県とブラジルの新たな交流、協力関係、発展に向け、コロニア・ピニャールと本県の次世代を担う青壮年が連携を強めていくことを切に念願する次第であります。
終わりに、日伯移住関係者の皆様の今後のますますのご健勝とご多幸、ご活躍を心から祈念申し上げ、お祝いのことばといたします。
2002年7月吉日
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