在ポルトアレグレ日本国総領事 津嶋冠治さんにお話を伺いました。
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『私たちの40年!!』HPでもお馴染みの津嶋冠治総領事が2年弱のポルトアレグレ勤務を終えて1月9日に本省に戻られる事になりました。初代藤本総領事(1962年の学生の時に総領事室でご挨拶させて頂いた)から1967年から73年まで現地補助員としてポルトアレグレ総領事館に勤務中の佐藤総領事、尾戸総領事、西川総領事、その後の歴代総領事と数少ない全総領事を個人的に存じ上げている者として『私たちの40年!!』HP開設の年に在勤しておられた津嶋総領事にお話を伺い記録に留めて置きたいとの希望でお話を伺い纏めたものです。写真は既に画像掲示板にも天皇誕生日のお祝いの際にポルトガル語で挨拶されている姿、餅つきの姿等を掲載させて頂いていますが、今回は、総領事室で撮らせてもらった1枚を使用させて貰いました。 |
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1)津嶋冠治総領事略暦:1943年9月20日京都市に生まれる(ご両親は富山県出身)。1965年3月同志社大学卒業、外務省に入省。戦後初めてのルーマニアへの語学研修生としてルーマニアに3年間語学研修。その後ルーマニアに2度に渡り勤務都合13年をルーマニアに過ごす。外務省におけるルーマニア語の権威としてチャウシェスク大統領(1989年12月25日に処刑された)の訪日の際には昭和天皇の通訳として活躍。ルーマニアの隣国ハンガリーにも勤務、ニューヨークでは、領事として邦人保護及び5000人も居るといわれる日系児童の日本語教育問題と取り組む。今回は6度目の海外勤務で2001年3月23日ポルトアレグレに着任。2003年1月9日ポルトアレグレを離れる予定。2年に満たない比較的短い勤務を終え本省に戻る。
2)ポルトアレグレ勤務中の印象等。
@ ブラジルは、地理的な面だけでなく大国であるとの認識は、外務省内でも常識として認められているが実際に赴任してその本当の大きさ、重要性を認識した。140万と云われる日系人が住んでいる割に日本ではブラジルが知られていない。これはブラジルに住む日系人や在外の本邦メジィアからの発信が不足していたのではないかとの認識でブラジルについて各種情報を鋭意発信してきた。日本サイドでもサッカー、サンバ、コーヒーと云った表面的な認識でなくもっとブラジルの現状に目を向けて貰う努力が大切と痛感した。
A 南伯の雄都、ポルトアレグレは、ヨーロッパ風の町並みとドイツ人、イタリア人を中心としたヨーロッパからの移民が多くブラジル国内でも《もう一つのブラジル》と云われる通り気候も含め住み良い町だと思った。黒人が少ないと聞いて来たが、中心街の公設市場の界隈とか黒人と云うより低下層階級の惨めな生活も見られ心が痛むこともあった。
B ブラジル特有というよりグロバリゼーションの進む世界経済の特徴として国の経済格差、国民の貧富の差が目立ち持てる階級と多くの持てない階級の2分化が進み政治への不信、新しい社会を求める気持ちが今回の大統領選挙の結果に繋がっているのではないか。新しいブラジルの動向を直接フォロー出来ないのは少し残念な気がする。
3)ポルトアレグレ勤務中の出来事等。
@ 日韓共催のワールドカップが行われサッカー大国のブラジルがペンタ・カンペオンに輝いたがスポーツとしてのサッカーそのものより共催国としての日本に付いての報道がブラジルにおいてどのように伝えられるか注意深く見守ったが残念ながら表面的なレポート、コメントが主流を占めた。そんな中で当地のZERO HORA派遣のDAVI COIMBRA記者の連日の日本紹介記事は目を引いた。紫式部、清少納言から子ギャルまで飛び出し精一杯のレポートを掲載していたがそれでも「日本人は規則通り動く」との指摘は正しいのだがそれではどうしてそうなるのかと云った原因、因果関係等の掘り下げが見られなかったのは、若干残念に思った。
A 任期中に持ち上がった2005年にポルトアレグレ総領事館を廃止するとの朝日新聞の報道に対しては本省から直接何も伝わって来ておらずコメントをする立場にないが地元日系団体を中心とした廃止反対署名運動、キャンペンは、しかるべき所に伝える努力はしている。
B 最後に個人的な動きとしての剣道ですが、外務省に勤務後始めました。93年に5段を得てその6段への昇段試験を受ける資格が出来たが残念ながら勤務と練習不足でそのチャンスを逃して来た。ポルトアレグレではカトリック大学の課外スポーツとして週3回に渡り防具を付けた選手16名と防具なしの生徒同数程度常に30名近い生徒と一緒に練習が出来た。剣道については、日本製の竹刀、防具は高価なもので普及に経済的な理由も付いて回るが幸い当管轄にはラーモス移住地の尾中6段が家族そろって剣道普及に努力しておられカトリック大学でも初段を取った弟子が育っており尾中師範のご指導で今後もこのカトリック大学に蒔いた種が育って行くことを願っている。
4)日系コロニアの皆さんに残して置きたい言葉等。
@ 最後に日系コロニアの皆さんへのお願いとして日本の伝統をブラジル社会に伝えて行く努力をお願いしたい。相撲大会、演芸会(カラオケ大会)、運動会等の行事をブラジル人も参加して実施されているがすばらしいことであり続けていただきたい。
A 日本から移住してこられた一世の皆さんとブラジル生まれの2世の間に隔たり、距離が生じて来ているのではないかと感じますが、日本語教育の問題もさることながら、若い人たちにもっと日本を知って貰う事、日本の良さ、自分たちのルーツとしての日本の事を知って貰いたい。その為の努力を惜しまないで欲しい。
B 100周年祭の記念事業の一つとして南伯2州の戦後移住史を書き残す事が検討されていると聞くが、この移住史は、形式ばった移住史でなく村上春樹がサリン事件を取り上げてその被害者の一人一人の証言を書き止めた『アンダグランド』的な戦後移住者の一人一人の《呟き、嘆き、雄叫び、吐息、感涙、悲嘆》といった生きた話を書き留めたものにすれば良いのではないかと思う。直接お手伝い出来ないのが残念である。
(平成14年12月10日 文責:和田 好司)
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