花嫁移住者 吉川幸子さんよりのお便り。
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あるぜんちな丸第12次航には10数名の花嫁移民の方達が乗船しておられましが、その後の消息を調べるのに苦労しており乗船者名簿の原本にある本籍地と留守家族連絡人宛に東京の日本ブラジル交流協会事務局の御好意によりお便りを20数通郵送しましたが、40年前の住所と宛先人で多くは戻って来ており、目的を果たせんでしたが、愛媛県出身の吉川幸子さんから下記のお便りがあり編集部を喜ばせました。原文のままタイプアップして置きます。写真は5月12日のサンパウロにおける40年目の集いの際に撮らせて頂いたものです。 |
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私、吉川幸子 当時24歳。あるぜんちな丸第12次航にてサントスに下船しました。
私は、花嫁移住として参りました。39年、思えば長く、又昨日の様に思い出されます。今では孫にも恵まれおばあさんです。
サンパウロ市郊外で小さな文房具店を営んでおります。地球の裏側に移り住み小さな根を1本おろした感じの昨今でございます。
この『お知らせとお願い』のニュースは、日本の兄よりFAXで送られて来たものです。
YUKIKO YOSHIKAWA
AV. RODOLFO PIRANI 385 SAO MATEUS
SAO PAULO S.P. CEP 08310-000
TEL/FAX 011-6751-2054
(2001年8月25日受け取り)
平成14年3月3日
『私たちの40年!!』編纂委員会
和田 好司 |
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