第3回バーチャル座談会 新春放談!! 地球の裏と表。日本とブラジルの違いを語る!!(後編)
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第3回バーチャル座談会からは桐井 加米彦さんにも参加、協力頂きその前編を12月21日(土)に一足先にUPしました。色々なコメント、感想、御批判等を掲示板、メール等を通じて頂いておりそれらの一部も紹介しながら後編として2003年度最初の寄稿集201番目として掲載します。第4回の2月からはブラジルの各界で活躍しておられる方にお願いして各論というかメインテーマを設定しそれに対して日本側の皆さんにご意見、ご質問を頂く形式でブラジルを語って頂く事にしたいと思います。2月は1月1日にブラジル大統領に就任するルーラ労働党名誉総裁への期待を込めてブラジルの政治、経済を中心に取り上げて見たいと思います。3月にはブラジルに置ける日語教育の問題と今後、4月にはブラジルに置けるサッカーの締める地位、その後も文化(映画、音楽)、移民史、日伯青少年交流等のメインテーマの設定とそのコメンテター(発言者)の協力をお願いして行く予定です。
今回の写真は、桐井さんのHP『詩とエッセーの広場』のトップを飾る《湯の町別府、観輪より望む高崎山》を使用させて頂きました。
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和田:一回掲載の字数制限の為、新春放談(前編)は、少し尻切れトンボになりましたがその後編をお届けします。皆さんのフリートーキングへの参加が桐井さんの協力も得て日本からは積極的なご意見を頂いているのですがブラジル側が奮いません。サッカーで言えば前半3−1でブラジルが日本に負けており、レフリーとしては、どちらにも応援できない立場ですが後編も桐井さんに参加頂き4人で話を進めて行きたいと思います。新春放談後編は、既に掲載している前編に対するコメントから入りましょうか。
香西:コメントと言うより、続きのようになりますが・・・座談会に参加下さる方が増え、ブラジルに在住の方・ブラジルと関りを持つ日本の方から、多岐にわたるお話を聞き、ブラジルという国の一端を知ることができたと思います。
特に吉田さんのお話のように、人間関係の基本にカトリック教があることを知り、無宗教の私は衝撃を受けました。
今の日本には、極一部の人を除き、生活に密着した宗教はありません。
あえて言えば、「物狂徒」(笑)・・・ばかりです。
40年前に南米に移住された一世の方々の多くが、吉田さんのように、宗教的な規範をお持ちなのかどうか、チャンスが有れば、お聞きかせ願いたいと思います。
MASAYO:吉田さんのお話でブラジルの社会をすこしのぞけた気がします。階級社会でカトリックの教えが色濃くブラジルの社会に影響していることなど初めてお聞きする興味深いお話でした。和田様のHPの寄稿集で読ませていただいたのですが、その中に交換留学生としていかれた方が書かれたブラジルでの生活の感想がありましたが、ブラジルは人と人との関係が近い、おせっかいとも思われるくらい他人の力になろうとするところがあるとありました。日本人はあまりにプライベートに立ち入ることを遠慮するようなところがありますが、その中では神戸の気風はちょっとブラジルに似ているかなと思う事があります。街中でも外国の方が困られていたらよく話し掛けて力になろうとしている姿をみかけます。神戸祭りでもブラジルのサンバがシンボルのようになっているのですがどうも相通じるものがあると思うのは私だけでしょうか。
しかし、宗教とブラジルへ移住された方とのかかわりは非常に興味があります。ぜひそんなお話も伺いたいですね。
和田:ブラジルの国教とも言われるカトリック、国単位では一番カトリック教徒の数が多く近い将来教皇(パーパ)がブラジルの大司教から選ばれるとまで云われているお国柄ですが、同船者の中でどれほどカトリックに帰依した人がおられるのでしょうかね。私は2度目に渡伯する前に日本で洗礼を受けたカトリック教徒なのですが殆ど教会には顔を出さないし懺悔をしないので聖体拝受も受けていない名だけの教徒ですが同船者の仲間の一人産業開発青年隊員の丸谷さんがブラジルに来てから牧師になられ現在レジストロという町で活躍されておられるので折を見て彼に聞いて見たいですね。話題の主役の吉田さんご自身は、どうなのか知りたいのですが、如何ですか。
吉田:私の住んでいる場所は世界一の大聖堂の近くです。友だちが来るといつも連れて行きます。私もそこの展望台からの眺めが素晴らしいのでよく行きます。あるとき会社をクビになったとき毎日何もすることがなかったので、そこに行きました。早く仕事が見つかる様に祈ろうと思いましたが止めました。というのは私はカトリック教徒ではないし、困ったときの神頼みなどあさましい事だと思ったからです。そのまま家に帰りました。
しかしその一週間後ウリシスが彼の会社に仕事があるから、面接に来いと電話をかけてきました。
その会社の知能テストに通らなくて不合格になったとき、また私はその大聖堂に行きました。しかし祈りをするわけでもなく、国の守護神を見つめただけで家に帰りました。
その一週間後ウリシスは奇跡が起きたと電話してきました。私は神に助けられたと思いました。ベン ハ−という映画でベン ハ−が刑場へ引かれていくキリストに水を与え、家に帰ると母や妹の瀬病が治っていたことを思い出しました。神様は私が祈らなくとも私の心情を見抜いて助けてくれたのだと思いました。高校時代宗教の時間に先生が奇跡がなければ宗教というものはありえないと言ったことを思い出しました。また、神様は道端の小草にも愛を注ぐ、ましてやキリストの兄弟であるあなたに愛情を注がないなどと言うことはありえないと書いてあった本の一部を思い出しました。
工学を修めた私が奇跡について、また宗教について考える機会に出会ったと思いました。
MASAYO:吉田さま、すばらしい心に沁みるお話をありがとうございます。
私は神様を信じるものではありません。無宗教者ですが、祈る心は信じます。
想いは通じると思っています。祈る対象は違いますがこの祈る心、想いが自分にとっての宗教なのかなと思っています。
和田:この宗教問題は、その内各論として皆で考えて見たいと思いますが後半のトップバターに桐井さんのHPの常連で「堺市夢見頃HP」管理運営者の猪口茂さんのお話を伺いたいと思います。
猪口:「詩とエッセーの広場」桐井さんよりのご依頼もあり、参加させて頂きます。「私たちの40年!! あるぜんちな丸同船者寄稿集」を読ませて頂いていますが、今回私のHPのリンク集に追加させて頂きました。
以前堺で知り合った、南米チリへNASAの仕事で宇宙観測に行かれた高橋敷先生の南米での生活体験の本を読みましたが、日本での朝鮮人らに対する人種蔑視や偏見が日本人に対するものと同様に感じられたとの事でした。多分高橋先生が南米行かれたのは30程前だと思いのます。現地での日本人の生活は厳しいものだと書かれていました。特に移民第一世の方々の苦労は筆舌に書き尽くせないものが有る事と思います。
私の妹の主人のお兄さんは大企業からの転勤でブラジルに赴任して数年後に現地で友人と会社を設立してブラジル国籍になられた後に事業に失敗して、数年前に日本に出稼ぎ仕事に来られていたと聞いた事が有ります
和田:いつも桐井さんのHPの書き込みでしゃれた5行歌、現在『秘密の扉』に掲載している映画評論等楽しく拝見させて頂いておりましたし直接HPにも立ち寄らせて頂いておりました。このたび貴HPのおすすめリンクのリンクの友に『私たちの40年!!』を掲載頂き有難うございます。
南米チリへNASAの仕事で宇宙観測に行かれた高橋敷先生の南米での生活体験に付いて書かれた本の中に人種蔑視や偏見を感じられたとのコメントがあったとのことですが、ここブラジルは、原住民のインヂオの世界にポルトガル人を中心としたヨーロッパ、アフリカの黒人、日本人を中心としたアジア人等々ありとあらゆる人種が交わり『人種の坩堝』と言われるブラジルに置いては人種差別等は感じませんが、やはり貧富の差が激しく経済格差による階級差別は歴然として存在しています。前編の吉田さんの発言の中にも階級差別が語られており上流、中流、下層階級と区別しておられますが、高橋先生が指摘されておられるのは裸一環で日本の貧しい頃の国策の一環として戦前に南米に移民された方達が経済力を着けるまでの苦労を指摘されておられたのではないかと思います。ペルでは、砂糖黍畑、チリややボリビアでは鉱山労働、ブラジルでも奴隷解放後のコーヒー園での代替労働力として始めた歴史を思うと人種差別というより経済的に恵まれる所まで辿り着いていなかった多くの一世の移民が惨めな階級差別を受けているのを見て心を痛めて呉れたのではないかと思います。その苦労があってこそ現在の2世、3世(現在は6世もいます)の繁栄と定着があるのだと思います。移住助監督として私たちをブラジルに送って下さった産業開発青年隊の長澤亮太隊長が「開拓は百年の計。一世が耕し、2世が種を蒔き、3世が収穫する」の言葉通り40年になる我々一世は、未だに南米の土を耕している所です。
猪口さんの身近にもブラジルと関係のある方がおられるのですね。それぞれの方のブラジルとの関わり、生き様を一つ一つ集めて残して行ければと念願しております。
今後とも宜しくお願いします。
次はブラジル側にお願いしますが、工業移民として通信電話会社、スタンダード・エレトリカ社に当時『週間現代』でも取り上げられて『私たちの40年!!』の寄稿集にも紹介している<初任給19万8千円につられた70余名の男たち>の一人石田さんにお願いします。
石田:和田さんの言われている遠くて近い国に関してのピアーダを作ってみました。ある日系コロニアで毎年新年に全員が会館の広場に集まり会長さんの音頭で東方遥拝をやっていますが、今年も又会長さんが東方に向かって最敬礼と号令をかけましたところ、皆さんは東に向かって最敬礼をしたのですが一人だけ反対に西に向かって最敬礼をしていたので、会長さんが、貴方はどっちを向いて最敬礼をしているのですかと言いますと、その人いわく、どちらを向いても宮城に向かっている距離は変わりませんと言いました???ところがもう一人の会員の方の姿が見えないので会長さんが探したところ、広場の隅にある井戸の中に頭を突っ込んでいる人がいましたので、会長さんが貴方はなにをしているのですかと聞いたところ、その人いわく、井戸の底に向かって最敬礼をするのが一番宮城に近いと思ったから???こんな馬鹿馬鹿しいピアーダも新年放談なら許して貰えますよね。
和田:ブラジルでは3人集まればピアーダ(小話)が始まりますが石田さんはブラジル人に負けずお上手ですね。このピアーダの落としが中々理解できず(言葉だけでなく)どうして皆が笑っているのか理解できず何時間後かに分かって一人笑いした経験がありますがいつもピアーダのネタに使われるポルトガル人、日本人を基にした小話を何方かブラジル側から披露してほしいですね。
残念ながら小話の語れるユーモリストはいないようですのでまた桐井さんのHPの仲間の一人女性のMICHIKOさんに登場して頂きましょう。
MICHIKO: 座談会前編にある吉田さんの発言を読ませて頂きましたが、素晴らしい友人に出会われて、本当に良かったですね。親以外、自分の事を親身になって考えてくれる方は滅多にいないものと思っています。
姉の勤めていた会社にも、ブラジル2世が沢山きていたそうです。若い世代の人ですから保育園に通うような小さな子を持った家族が何家族もいたそうです。ミシンがけや裁縫が出来ない人が多く、保育園に持っていくお昼寝用の布団を姉は何十枚も作ったそうです。義兄は自分で辞書を作り、2世達との交流に努めていました。
吉田様の記事を拝見し、遠い国でブラジル人に助けられた人もいるのだから、遠い国から来た人に、親身になってやるという事が、如何に大切かとつくづく感じました。今年もまた2世達をお呼びして忘年会をするといっていました。不況で姉の会社も随分整理したそうです。
ブラジルに帰った方も沢山いると聞きました。日本に来てよかったと少しでも思えるような気持ちを大切にしたいな・・と思っています。これからもお元気でご活躍くださいませ
遠くから祈念しております。良いクリスマスを・・・
吉田:あなたのお姉さんがブラジル人とかかわりのあるお仕事をされているそうで大変だなあと思いました。彼らは会社では服装が悪いとか、礼儀を知らないとか、家に帰ればゴミの分別を知らないとか大家さんに小言を言われ、毎日カルチャーショックの狭間で悩み、夜ベッドにはいってから悔し涙を流しています。そのような彼らを慰めるには、やさしい言葉がいちばんです。かれらはセンチメンタルな国民ですから、かわいそうに今によくなるからと言えば、とても喜んで元気を出します。彼らには現実的な助けよりやさしい言葉がとても慰めになります。
MICHIKO:そういう方もいらっしゃるでしょうが、皆さん明るくて、気持ちがよいと姉はいつも云っています。
里帰りした時など、お土産などを届けてくださるそうです。私もおすそ分けで布巾や、石で出来た飾り物をいただきました・・
気持ちは、下手な日本人より日本的・・といっていました。一度、小さな子を連れてきたときに逢った事がありますが、人懐こくて若いお母さんも物怖じせず、とってもよい印象を受けました。心は通じる物と思っています。
地球の反対側・・という考え方をすればとても遠い国と思いますが、宇宙全体から見れば、同じ地球人・・・何かの縁で知り合った人々と気持ちよく、過ごしたい物ですね。
いやな印象を受けた方にお詫びしたいような気持ちです。意地悪な人ばかりではありませんので、吉田様も安心してくださいね。
間もなく新年、吉田様にとって良い年となりますように・・・
和田:Micikoさん暖かいご発言有難うございます。お姉さまは確か茨城県の土浦にお住まいとか聞いておりますが、こうしてお話を伺っていますと日本中で日系二世がお世話になっているようですね。今年も2世達を呼んで忘年会をするとの事、さぞ盛り上がることでしょう。もう一人桐井さんのご紹介で瀬戸内の小豆島に住んでおられる上谷さんからもお便りを頂いておりますのでご紹介します。
上谷:新春放談会を読みました。私の小豆島の内海町苗羽に近いところですが、ブラジルから夫婦で来られて、まだ若い方たちですが、島の香シマノカという佃煮会社に勤めておられる方達がいます。日系三世だそうです。社宅も出来て綺麗な家に住んでおられます。
www.simanoca.co.jp/">http://www.simanoca.co.jp/
これが「島の香」のHPです。社長もパソコンが好きと聞いていますが、また、ブラジルの方の話でもメールで聞かれたらいいです。三世ですから、顔立ちは少し日本人と違いますね。しかし彫りの深い顔ですから、美男美女です。もう子供さんも出来て自転車で走っているのをたまに見ます。
異国で懸命に生活される姿を見ますと、私のサラリーマン時代は本当に島国の、また島国根性で過ごしたとというのが実感です。
和田:桐井さんのHPへの書込みに色々なコメントが寄せられておりますが、その内の横田さんからのご指摘として『多少気になるのは最初に伯剌西爾は○日本は×感覚の処から論を進められて人情の有無うんぬんでその善し悪しに結論づけようとされているのでは無いかと思います。』とあります。また『映画や音楽&スポーツの部門を通じて伯剌西爾文化が頓に最近もてはやされている現実に即した会話に発展することを期待しております。』とのコメントも頂いており是非これは今後のバーチャル座談会にも取り上げて行きたいと思いますしその筋の専門家としての横田さんの参加も今後期待しております。
何時も話が佳境に入り始めると字数が気になり始めます。最後に皆さんの新年度に描ける期待、夢、希望と言ったものをお願いしたいと思います。
香西:座談会を通じて、日本で生活した者と、自分の意思で異国に渡たり生活して来られた方々の生き方の違いを強く感じています。
日本は経済発展を目指し各種の制度・政策がとられ、良し悪しは別にして、一般国民の生き方のレールが敷かれ、国民はレールの上を懸命に走って来たように思います。
一方移住された人達は、自分の生きる道を自分で切り開き、多様な生き方をされて来たように感じました。
今の私には敷かれたレールが有りません(?)。正直に言って、これからの生き方を模索中です。
とりあえず、今年も野鳥を探し続け、現在60種程の野鳥の写真を100種位にしたいと思います。
MASAYO:2003年度の期待、夢、希望…いろいろありますが、2002年思いもかけないブラジルをキーワードのたくさんの方との出会いがありました。
まさに一つのキーワードから結び付けられた点と線の展開で、インターネットの現代社会を象徴するような出会いをありがとうございました。
2003年はもっともっとたくさんの方との出会いを期待したいです。せっかくのこの素晴らしい出会いを大切にしていきたいです。
いろんなことをお聞きしたい、食事、文化、今思われていることなどいろんなお話をお聞きしたいです。それは今の日本での自分たちの生活を考えることでもあるからです。
そして自分自身のことではもっと勉強して充実したHPをめざしたいです。気持ちは充分あるのですが何しろ勉強不足を痛感しております。2003年はやる気でいっぱいです。(いつも気だけはあります。(笑))
桐井:「バーチャル座談会」をご覧になった高校時代の友人、K,Iさんから次のような感想が寄せられました。
「加米彦さん バーチャル座談会を読ませていただきました。地球の裏側(日本にとっての)だから、地球上もっとも遠い場所との交信、あるいはそんなところでの日本人の活動について感激を覚えます。」と。
バーチャル座談会に参加した一人として、このようなメールをいただくことはとても嬉しいです。
最後になりますが遠く日本を離れていらっしゃる日系ブラジルの方に是非カラオケを楽しんでいただきたく思います。
「懐かしのメロディーwww.owasechojuen.or.jp/karaoke/">vhttp://www.owasechojuen.or.jp/karaoke/
2003年が平和な年でありますよう心からお祈りいたします。
和田:久し振りの年末休暇を家族と過す事にしたためPCが丸6日間不通となりましたが何とかブラジル時間1月1日付けで第3回バーチャル座談会『新春放談』(後編)をUPする事が出来ました。多くの仲間の参加と発言、心から感謝します。多くの皆さんの参加という形でこれからも私の住む私の大好きなブラジルを仲間と一緒に日本の皆さんに伝えていく努力を通じて戦後移住者の我々の40年の生き様を我々の子孫にそのルーツとして書き残して置ければこれにすぐる幸せはありません。これからも宜しくお願いします。
日伯交流協会第13期生の臼井幸之助さんよりの日本とブラジルの違いに付いてのご意見を掲示板に投稿頂きましたので追加文としてここに掲載して置きます。
『ところで、バーチャル座談会への意見を何か書かなければと思いつつ新年となってしまいました。
日本とブラジルの違いについてなのですがブラジルは多くの民族の方がそれぞれのidentityを持って生活されていると思います。
ポルトアレグレなどはドイツの移民の方も多く移民されておりポルトアレグレの領事館の家政婦さんが当時確かドイツ系移民の方だったのではないでしょうか。当時の領事が『彼女たちは昔のドイツ語を話す』といっておられたのを思い出します。
それが2世、3世の方になってくるとそれぞれの文化をうまく融合してブラジル人として生活されているのではないかと思います。
僕などは生まれてこの方日本人社会ですので僕のパーソナリティーを形成した背景はモノカルチャーですがおそらくこれは他の多くの日本人と同じですので例えば仕事をしてもなんとなく相手がわかるといったこともありますが、ブラジルなどの多民族国家ではそのなんとなくわかりあえるといったことを期待するのではなくはっきりものを言うことが求められると思います。これは実は僕が最も苦手とした部分でしてこの部分では今でも苦労することがあります。とりあえず、ここまで僕の意見として送付致します。
大変返答が遅くなり申し訳ありませんでした。』
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