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第4回バーチャル座談会 ブラジルの政治経済を語る!! (中編)
第4回バーチャル座談会では、1月1日にブラジル第36代目大統領に就任したルーラ大統領の話題を中心にブラジルの政治に付いて山下さんに判り易く説明して頂きましたが中篇は日本の皆さんには想像も出来ないというか信じがたい数字となるブラジルのハイパーインフレとその解決策としてのゼロが3個落ちるデノミの歴史とそれに伴う世界でも得意な経済政策等に付いて話し合いたいと思います。我々ブラジルに住む者は皆、実生活の中でこのハイパーインフレを凌いで来たしたたか者でその苦労話、思い出等を仲間の皆さんにも語っても貰えるのではないかと思います。日本の皆さんには初めて聞く別社会の出来事かも知れませんがこれらの話を通じてブラジルを身近に感じて頂ければとの狙いもあり人事としてでなく一緒に考えながら参加頂ければ幸いです。積極的な参加をお待ちします。
写真は、ブラジルの最高額紙幣の50万クルゼイロスですが小さく表示されたゼロ3個がデノミで落ち500クルゼイロス・レアイスになり古いお札に500と刻印された珍しい?もので記念に取っていたのですがコレクションとして日曜日のノミの市で幾らで買えるのか調べて見る積りです。


和田:ブラジルの経済を語るにはやはりハイパーインフレのものすごさとデノミ、何度も試みられた新経済政策等を説明することからはじめる必要があると思います。そこで山下さんにこれまでのブラジル通貨の名称、デノミの歴史と言ったものを時を追って説明して頂きたいと思います。

山下:ブラジルの通貨の切下げは
1942年 1000レイスを1クルゼイロに
1967年 1000クルゼイロスを1クルゼイロ・ノーボ
1970年 クルゼイロ・ノーボをクルゼイロに名称変更
1986年 1000クルゼイロス・ノーボスを1クルザード
1989年 1000クルザードスを1クルザード・ノーボ
1990年 1クルザード・ノーボを1クルゼイロに名称変更
1993年 1000クルゼイロスを1クルゼイロ・レアル
1994年 2750クルゼイロス・レアイスを1レアルにして現在に至ります。
3桁のデノミを過去数回経験しています。
なぜデノミになるかと言いますとハイパー・インフレがあるからで、なぜハイパー・インフレが起きるかといいますと、このシステムには説得力のある持論があり後で説明いたしますが、今デフレで困っている小泉首相に教えてあげたいものです。
デノミの最初の混乱は大変で、スーパーやレストランの価格は鉛筆で書かれて毎日修正され、商品隠しで品不足、空港のタクシーの運転手からおつりを1/1000の通貨でもらった可愛そうな海外からの旅行者もおりました。しかしながら、これほど何回もデノミをするとブラジル人の対応力はたいしたもので、1990年代に入ると、経済はインフレ慣れして何でもインデックス化され、給料、家賃、物価、決算書の資産勘定などすべてが自動調整となり、国民は慣れっこになっておりました。

和田:ブラジルのデノミの歴史は1942年が最初との事で約60年の間に都合5回ゼロが3個ずつ5回で15桁1000兆倍のデノミが行われた事になります。最後の2750クルゼイロス・レアイスを1REALへのデノミを加えると私の頭では兆の上の単位は分かりません。この凄まじい貨幣価値の下落と共に生活して来たのですが山下さんがおっしゃるようにそれ程の苦労も無く過して来た気がしますがこのデノミは通常物価凍結等と共に新しい経済政策が持ち込まれますが、その内のコロールプラン等を中心に幾つか説明して頂けますか。

山下:コーロルプランの凄さは、通貨インフレは通貨量の増加で起きるその逆を実証したことで、それまでインフレ経済で何でもインデックス化して、その指数が自動的に新たなインフレを加速させる状況になっていましたから、インフレを止めるために、ゼリア蔵相は預金を凍結して、流通通貨量を一夜にして急減させました。結果は見事にドル・レートが1/3になり、イパネマの高級ホテルの宿泊料が突然一泊750ドルになり、観光客は青くなって引き上げました。ちょうどサンパウロでF1レースが行われていましたが観光客のドルを換金する通貨がなく、一日前の1/7で換金して水を飲んだ人もありました。

和田:ブラジル政治談義も馴染みが薄く日本の皆さんからの参加が少なかったのですが、今回のブラジル経済特にハイパーインフレ、デノミの話は、話としては面白いかも知れませんが実際に経験したものでないと現実感が薄いと思いますが、日本側の香西さん、MASAYOさん、桐井さんを中心に多くの皆さんからの疑問、質問等を出して頂き山下さんに答えて頂く形で進めて見たいと思います。

香西:経済政策について話せる程の知識はありませんが、日本も戦後すぐに新円に切り替え、預金封鎖、引き続きインフレ政策をとりましたね。
子供心に、親が愚痴を言っていたのを思い出します。
生命保険の満期金で、本来なら家の一軒も建てられる筈が、家族全員の下着類を買い揃えるだけで無くなったとか・・・。
経済政策は、大変難しいと思います。ブラジルにおけるインフレ、デノミについて、その経過・理由・効果がどうであったか、その関連性をもう少し知りたいです。
私が覚えている戦後からの日本経済の経過は、次の通りだったと思います。
戦後のインフレ政策は、通貨の発行額を増やすことで金融を楽にし、生産と消費を刺激する政策ですから、物不足の日本では成功したと思います。
それに、円が低いままの固定為替制のお陰で日本の輸出は伸び、日本経済は発展を続けました。その後、変動為替制とエネルギーショックで、2回の景気の落ち込みを経験しました。
しかし、いずれも国内生産の合理化(コストダウン)・途上国の安い原材料や安いコストの一次加工製品を輸入し、付加価値を加えて輸出することで克服しました。
問題は、その後のバブル景気です。消費と生産のバランスを伴わないバブル経済は弾け、それまでの過剰融資が不良債権になり金融の硬直化を招きました。
さらに、物の生産拠点が日本から中国や途上国に移り、日本で物の生産が困難になって来ています。融資が受けられない企業は潰れ、一般国民も将来の社会保障に不安を感じ、また省資源の気分も広がり、消費の伸びは期待できない状態です。これが、デフレスパイラルの崖っぷちにある日本経済です。
デフレの歯止めにインフレ政策の声も有りますが、それで消費や生産の活性化はできないでしょう。インフレで円を下げ、国民生活を途上国並に落としてゆくなら別ですが・・・先決の問題は、金融の正常化でしょう。
小泉総理は、政治・経済の改革を言っていますが、諸説・思惑が絡み、なかなか前に進みません。日本の将来はどうなるのか、非常に不安を感じています。

山下:ブラジルにおけるインフレ、デノミについて、その経過・理由・効果がどうであったかですが、高インフレで価格の桁が増えて大変で、当時の計算機などは8から10桁のものが多かったので、仕方なくデノミで3桁取るがすぐ追いついてまた3桁取るの繰り返しでデノミそのものに抑制効果はありませんでした。
高インフレがなぜ起きるか、ブラジルには50以上も間接税があるのです。消費税率が50%だと考えてください。日本の場合も税金は高いのですが、所得税ですから赤字のときは払いませんが、ブラジルでは赤字でも頭から持っていかれます。さらに資金不足で、いずこも借金経営なのですが金融機関も金利にインフレを上乗せするのです。ここが重要なポイントです。何かの理由である月に5%のインフレがあったとします。5%値上げしても60%は税金と金利に払いますから5%の損害補填はできないのです。したがって5%よりも多めに値上げすることになります。さらにインフレで目減りすると労組の圧力で給料も義務調整されるなどで物価はインデクス化して自動値上がりで、金利はそれ以上に上がって、毎月1%は確実にインフレが高進し3年もすると月35%、ブラジルは1994年6月に47%、過去12ヶ月では6000%のハイパー・インフレになりました。

桐井:ブラジル経済、特にハイパーインフレ、デノミの話は、実際に経験したことのない我々日本人にとっては現実感が薄いように感じますが、話としては大変興味関心を持っています。これを機に大いに勉強しようと思っているところです。
香西さんがおっしゃっておられますように、第2次大戦後の日本経済は多くの失業者が発生すると同時に、物資の欠乏が顕著になり、インフレが猛烈な勢いで進行しました。このことは子ども心にも大人たちの会話から何となく覚えています。
山下先生のお話に「インフレを止めるために、ゼリア蔵相は預金を凍結して、流通通貨量を一夜にして急減させました。結果は見事にドル・レートが1/3になり、イパネマの高級ホテルの宿泊料が突然一泊750ドルになり、観光客は青くなって引き上げました。」とあります。
「イパネマの高級ホテルの宿泊料が突然一泊750ドルになり、観光客は青くなって引き上げました」とありますが、それまで幾らしていたものがこのように変わったのでしょうか。
具体的に商品名等あげて、時系列的に価格を表示し(インフレの状況)、デノミでどのように切り下げられたかを示していただきたいですね。また、その時の国民生活への影響や国民の受けた動揺、印象等も知りたい。そうしてデノミの結果はどうなったかも具体的に知りたいです。実際に経験していませんので抽象的な話ではよく理解できません。恐れ入りますが具体的に解りやすくご説明方お願いいたします。

香西:ブラジルのハイパーインフレは、制度的にインフレを継続する仕組みになっていたのですね。デノミは、山下さんが仰るように通貨の桁を小さくするだけですから、原則的にインフレ抑制にはならないでしょう。
理論的に、消費力が生産力を上回るとインフレになり、物の流通に必要な通貨量を増やす必要があります。政策インフレは、流通に必要な量以上に通貨を発行してインフレを起し、消費と生産を刺激するのですよね。その逆がデフレですが、コーロルプランは日本が戦後に行った政策インフレの逆を行う訳ですか?
かなり危険ですね。インフレの抑制だけに止まらず、流通の停滞、生産の停滞を起さぬよう細心のコントロールが必要でしょう。
さらに、外国からの投資の状況が判りませんが、外国資本が引き上げたら経済の混乱が起こります。その辺りは、どうなのでしょうか?

桐井:需要と供給の関係
(1)価格が下がると需要は増える。
(2)価格が上がると供給は増える。
(3) (1)と(2)より、需要と供給がバランスしたところで価格が決まる。
貴国ではどのようなプロセスを経てインフレになったかご説明して欲しいですね。

山下:イパネマの高級ホテルの料金は現地通貨建てですが200ドル程度でした。円が360円から一夜にした100円になったと考えていただけば良いのですが,ドルで払う人にとっては750ドルになってしまいます。
価格は凍結でしたが、インフレ経済では値を下げることは誰も知らなかったのでそのまま続行しました。私の例で恐縮ですが、TAXIで通勤し昼食が刺身定食で日に18ドルで済んでいたのが、72ドルに上がり、払えないので事務所を自宅の近くに移して通勤を止めました。サンパウロでは定宿として20ドルの安宿を使っていたのですが、80ドルに上がったので、観光客がこの安宿にキャスター付きトランクを引っ張って来るようになりました。当時豆腐を切っただけの冷奴が8ドルする食堂もありました。
参考までコーロル・ショックとレアル・ショックの前後3ヶ月のインフレ率は
1990年 1月(71.9%)2月(71.68%)3月(81.32%)コーロル・ショック
    主な政策は物価凍結、預金凍結、自由為替
    4月(11.33%)5月(9.07%)6月(9.02%)
    1994年 4月(42.46%)5月(40.95%)6月(46.58%)レアル・ショック 主な政策は来月のインフレ50%含み価格を強制凍結、しばらくURVというインデクス通貨で走り突然価格と為替を強制凍結
    7月(5.47%)8月(3.34%)9月(1.55%)
インフレの概念は需要と供給でしょうが、ブラジルの場合は通貨と為替が重要な要因となり、インフレになってから商品を隠して(供給を減らす)更に値を上げて儲けることでこの理論も実証されています。ブラジルの場合、隣に中国のような供給国がないのと輸入する外貨も無いので供給は増えません。
ブラジルのインフレの最初の引き金は労組の強制賃上げだと思います。最低給料というものがあり、これが上がると同じ率で一斉に全国の給料が上がります。
この2大ショックの時の外国からの投資状況についてですが、倒産するところは倒産または撤退、継続するところは何倍も投資をしなおして強烈なリストラで切りぬけました。決断の基準が「ブラジルで継続するのですかどうですか」ですから本社の経営陣も大変だったと思います。本社のないコロニア企業はこの2大ショックで壊滅となりました。

MASAYO:私が勤めている会社は貿易会社で取引先のひとつにブラジルの日系の方の会社がありました。1990年に入ったころから取引高がみるみる大きくなり輸出するだけ売れる景気のよい国なんだという印象がありました。会社は円建てだったので通貨の影響はなかったのですが今にして思えば大変な時期だったのですね。よく日本にも来られて買い物もされていたのですが残念なことにこんなブラジルの経済の事情などお聞きする機会はありませんでした。ただ現地での銀行の支払い業務にトラブルがあるとかの話は耳にしたことがあり、すごい社会を切り抜けてこられていたのだとあらためて考えております。そういえば和田さまも貿易のお仕事でしたね。きっと大変なご苦労もあったものと思われます。ブラジルではもう慣れっこになってとありますが私など消費税導入の時の会社の事務の煩雑さに頭が痛かったくらいですからつい、売り仕入れの関係や事務関係の煩雑さをまず思い浮かべました。

香西:ブラジルのインフレの凄さと、ドラスティックな政策を実行できる強権力(政治体制ですか?)に驚きました。
「URVというインデクス通貨」は、実際に使用されるレアル通貨による物価を決める基準になるもののようですが、通貨の2重構造の仕組みがよく判りません。非常に複雑な通貨制度のようですね。
自由経済でありながら物価も為替も統制する、世界でも珍しい経済社会が9年近く続いていることに驚きました。
インフレを克服した今、社会保障などを充実する公約で新政権が生まれた訳ですね。
ブラジルが益々住み良い国になることを期待します。

山下:URVは直訳すると実価値単位でドル貨が基準になっており、URVという通貨はありませんでした。物価を単に凍結するのは今まで何度も失敗したので、ある期間自由に調整させてから1994年1月は1URVが333だったのが7月1日は2740クルゼイロス・レアイス(ドル換算0.85)にも上った所で凍結し1REALにしました。その後の物価も為替も統制ではなく政府の見解では自由です。ただし為替は今だパリダーデがなくREALの値は国際為替市場では立ちません。

桐井:貴国がインフレになった理由やプロセスなどかなり解ってきました。しかし、何故こういう政策を採らなければならなかったのでしょうか。
次に、デノミの結果、預金や生命保険等流動資産の目減りに対する国民の不安は如何でしたでしょうか。
デノミに従って、価格等もそれに相応しいように下がったのでしょうか。
デノミ後の国民の経済生活を知りたいですね。

山下:桐井様するどいご指摘です。極端なショック療法を取るのは、だらだら苦労よりも魔法を求める国民性と学者の政治家が持論の実験をしてみるようでして、サッカーの試合で負けると監督の追放まで大騒ぎをするのですが、この種の政治的大ショックには黙って受け入れる植民地時代からの習慣があるようです。非常に巧妙なのは、人口の大半を占めるいわゆる国民は外貨や預金に関係なく、給料と物価はスライド調整されるので全然困っていないのです.むしろREALプランの最初のころはドルより価値があったのですから裕福であったわけで、塗炭の苦しみをしたのは外貨資本や外貨借金をしているところと、企業家だけでした。なおインフレ時代は預金は残高自動運用でインフレ補填の金利がつき、保険額や決算書の資産勘定にはインフレ価値修正がありました。
デノミで価格は凍結でしたからしばらく過去と同じ物価水準を保ちましたが、過去のインフレになれた市場は値下げの考えがなく、生産設備増、新規事業などで市場圧力による値下がりが起きはじめるまでに3-5年が必要でした。
なおブラジルのように貧富の差のはげしい経済では、供給・需要曲線が理論どうりにはならず、一部の金持ちがペットのために食品を買い占めるとたちまち品不足、1億4000万の人口が豆を一人50グラム多めに買うと7000トンの需要が増えるのです。

かず:ブラジルのハイパーインフレについての、討論は偶然にも大変時期を得ているものと思います。この三月に日銀総裁の任期が切れ、小泉首相は、インフレターゲット設定に積極的な人材を次期総裁に指名したいと言及しました。デフレ絶滅、インフレ待望論は、今や熱病のように蔓延しております。赤字国債の累積は、660兆円にも達しており、国債相場崩壊による国家財政破綻も、あまり遠くないと見られ、国債金利上昇、発行増加のスパイラルが起きれば、さらなる国債発行は不可能となり、その対策は日銀引き受けしかありえなくなって、財務省造幣局の輪転機フル印刷による通貨供給量の拡大から、インフレは避けられない。これがいままでブラジル、アルゼンチン、ロシヤなどで見られた、経済破綻の典型でしよう。しかし、日本でも、ハイパーインフレは経験がないわけではなく、終戦後の戦時国債累積、日銀借り入れによる通貨量拡大、引揚者のため総需要が拡大のためハイパーインフレが引き起こされました。戦後10年間で百円の給料が1万五千円で約150倍以上のハイパーインフレでした。さらに昭和48年のオイルショックのインフレでは一年で30%もの物価上昇がありました。この苦境でも、日本では、歳出削減、議員、公務員整理などの緊縮財政を取ることなく、いまだに箱物、高速道路など不必要な公共投資中毒にかかっており、国家レベルで、孫のクレジットカードで飲み食いするような馬鹿げたことをしております。この国の無責任体制は、行き着くところまで行くしかないのでしょう。
  
  和田:前回のブラジルの政治談義同様、馴染みの薄いブラジルのハイパーインフレ、デノミ、コーロル大統領の経済プランと山下さんの解説に日本のメインスピーカの香西さん、桐井さん、MASAYOさんそれに新しくかずさんにも日本の現状と照らし合わせた時宜を得たコメントを頂き私の出る幕もなかったのですが制限字数も近づいておりますので戦後40年このブラジルに住んで来た者の一人としての体験談を述べさせて頂きます。まずブラジルの経済は全てドルとの為替レートが中心なって動いているという事実です。40年前の60年代前半は、公定為替相場制度が引かれており1年から1年半の間隔で大幅公定為替レートの変更がありその変更が近くなると実勢に近い闇ドルが横行し予想変更レート近くまで公定との差が出て来ます。64年に大学の休学が2年以上認められないことから帰国する船の運賃を日本からドルキャッシュで取り寄せそれを闇ドルとして売却、公定で船賃を支払いその差額で近隣国を旅して回れたという不思議な体験?に始まり1日に1%以上の為替レートの変動とそれにリンクされた金利によるオバーナイト(一晩で1%以上の金利が毎日クレジツトされる)給料も毎月前月の為替レート即インフレ率で調整されスーパーの買い物は給料日に1か月分を纏めて購入、カードで払えるところはDUE DATEを見ながら一番長い支払い期日のカードで払い、お金の余裕があれば闇ドルを買いブラジル人の誰もが財布にドル紙幣を入れていた時代、半年毎の給料調整時代には最低給料の20倍以上の高給取り?には6ヶ月間のインフレ率の0.8掛け調整となり半年で給料が80に減り、1年で64、1年半で51.2(半減)、時の社長に文句を言ったら甲斐性があればもっと払って呉れる職場を探せと云われた苦い経験等色々思い出すと日常生活はこの為政者が打ち出す経済政策に翻弄されて来たようですが、郷に入れば郷に従うというかブラジル特有のDAR UM GEITO(何とかする、何とかなるといったブラジル特有の生活方式)に慣れ、なるようにしかならないと云った達観と国土の広い貧乏で豊かなブラジルに慣れて来たように思うのですが山下さんは如何ですか。中篇の纏めをお願いします。

  山下:今回はスペースいっぱい討論しましたから纏めは特に必要ありません。ただこのインフレで日本からの戦後の巨額投資はウジミナスや石川島はじめ資本を擦ってしまったことは頭に置いておくべきです。これが意図的であるかどうかは別にしまして、これからも社会資本が外資依存で貧富の差が多く人口の多い国ではブラジルに似たようなことが起きると考えておいた方が良さそうです。日本をハイパーインフレにする方法は分るが止めかたは分らないので、小泉首相に教えるわけにはいきません。ブラジルのインフレは昨年後半からそれまで0-1%だったのが月間2%以上になり少々心配しています。ルーラ政権がこの1-2月に20%程度支払い手段を削減してくれることを祈りつつ、後はなるようにしかならないと云った達観で未来有望の大国で生活を恭賀しましょう。



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