11,102名!! あるぜんちな丸(含むにっぽん丸)で移住された方の総数がわかりました。
|
|
以前に日本ブラジル交流協会の藤村 修理事長(大阪選出の民主党代議士)のご協力を得て私たち第12次航の乗船者名簿を取り寄せる事ができ、これが『私たちの40年!!』企画を推進する原動力ともなりましたが、戦後の移住貨客船あるぜんちな丸とその改修後の船による最後の移住者を運んだにっぽん丸の合計41航海でどれだけの移住者が日本から運ばれてきたのかその総数を知りたいとの気持ちを伝え再度、藤村 修代議士にお願いしていた所、今回その回答を得ました。
『和田さま
ご依頼いただいていました件、回答がまいりましたので、お送りいたします。
ふじむら事務所 えぐち』
これで大阪商船が乗船記念として出していた出航時のあるぜんちな丸の写真の確認、出航日から第何次のあるぜんちな丸だったとか調べ易くなりました。できたら41航海すべての乗船記念写真、赤道通過許可書、乗船者代表者の証言等を見つけ出し記録に残したいと思います。あるぜんちな丸で渡航された方は、是非ご一報ください。
写真は、花嫁移住の武吉民江さん(愛媛県出身)さんよりお借りした37年神戸出航前の記念写真です。サイズを大きくしたものを写真集に収録します。花嫁移民、産業開発隊員の皆さんの元気な若かりし頃の勇姿が見られます。
|
|
◎ “にっぽん丸” 昭和48年2月14日出航、南米移住者285名が乗船。以上1回のみ
◎ “あるぜんちな丸”出航年月日及び渡航者数
西暦年 昭和 出航月日 渡航者数
神戸 横浜
1 1958 33 6月2日 842
2 1958 33 10月4日 653
3 1959 34 2月4日 518
4 1959 34 7月2日 7月4日 763
5 1959 34 11月2日 11月4日 715
6 1960 35 3月2日 3月4日 728
7 1960 35 8月2日 8月4日 778
8 1960 35 12月2日 12月4日 477
9 1961 36 4月2日 3月30日 773
10 1961 36 8月2日 8月4日 590
11 1961 36 12月2日 12月4日 263
12 1962 37 4月2日 3月30日 678
13 1962 37 8月2日 8月4日 165
14 1962 37 11月29日 12月2日 148
15 1963 38 4月29日 5月2日 213
16 1963 38 8月30日 9月2日 105
17 1963 38 12月27日 12月30日 106
18 1964 39 4月29日 5月2日 67
19 1964 39 8月30日 9月2日 33
20 1964 39 12月27日 12月30日 36
21 1965 40 4月29日 5月2日 33
22 1965 40 10月30日 11月2日 76
23 1966 41 2月27日 3月2日 91
24 1966 41 6月29日 7月3日 65
25 1966 41 10月30日 11月2日 122
26 1967 42 2月27日 3月2日 207
27 1967 42 6月29日 7月2日 133
28 1967 42 10月30日 11月2日 52
29 1968 43 2月28日 3月2日 130
30 1968 43 6月28日 7月2日 86
31 1968 43 10月30日 11月2日 108
32 1969 44 2月27日 3月2日 139
33 1969 44 6月29日 7月3日 71
34 1969 44 10月30日 11月2日 95
35 1970 45 3月3日 151
36 1970 45 7月2日 83
37 1970 45 10月29日 11月2日 122
38 1971 46 2月27日 3月3日 207
39 1971 46 6月29日 68
40 1971 46 10月29日 127
10817
(注1)あるぜんちな丸第12次航の私たちの同船者名簿には681名として全員の名前が記載されたものを以前に入手しておりこれを寄稿集にも掲載しておりますが、今回の調査結果では678名となっております。この3名の差は、ボリビアで家族到着後に出産した方等が含まれているとのご指摘をサンファン移住地に入られた本多桓三郎さんから受けておりその事実関係は究明出来ておりますが名簿通りの681名で今後も統一して行きたいと思います。
(注2)あるぜんちな丸第12次航678名は、処女航海の842名、4回、5回、6回、7回、9回の700名以上乗船した頃に次ぎ7番目の大きな数字で最後の600名台の大型移住輸送団であったことが分かり、ブラジル、ボリビア、アルゼンチン、パラグアイの4各国に入植、会協連の計画移住地、南伯雇用、コチア青年、産業開発青年隊、野球移民、花嫁移民、単身呼び寄せ移民等当時の移住形態全てを網羅する形での集団であったことから『私たちの40年!!』企画は、サンパウロの人文科学研究所の森幸一博士のご指摘にもあるように戦後移住のひとつの縮図とも言える最後の移住船でその戦後移住史の一コマとしても興味ある研究対象であるとのコメントを頂いておりいずれ集めた資料等を総合的に分析、解説して頂ければと念願している。
|
|