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南米産業開発青年隊40年史 1956-1996
南米産業青年隊協会が刊行した40年史を同船者の隊員からお借りした。写真はその表紙ですが1956年6月9日サントス到着の第一次17名から私たちの同船者第8期生33名、1967年以後の飛行機による移住生を含めて総勢326名が南米産業開発青年隊員としてブラジルに渡って来ている。開発青年隊員は、日本を出る前の研修から到着後のパラナ州の訓練所生活等を通じて仲間としての強い絆を育て現在もその団結は、『私たちの40年!!』HPでも取上げている他の移住者団体例えばコチア青年協議会、南米工業移住者協会、星座の会、花嫁移民等と共に特異な存在となっている。40年史刊行当時の吉田茂治会長の『40年史刊行の辞』と私たちの同船者の一人牧 晃一郎さんの2001年7月に書かれた『青年隊ビジョン「今から始まる」』を下記に掲載して置きます。もっと早く掲載したかったのですが、タイプアップが出来ずそのままになっていたのをこの4月より日伯交流協会の第23期研修生としてポルトアレグレで研修している檀野 令奈さんがタイプアップして呉れました。檀野さん有難う御座います。


40年史刊行の辞
南米産業開発青年隊協会
会長 吉田茂治

月日のたつのはまことに早いもので、磯中さんたち第1次の方々が先発隊としてブラジルに移住されてから40年が経過したことになります。渡伯時20歳前後だった青年隊員も、いまでは髪がすっかり白くなるか、あるいは乏しくなっておりますが、そのなかで所期の夢を達成できた者が何人いることか。いずれにしろ、いまだ子供の育成と教育に終われ、現在もなお、それぞれ奮闘されていることでしょう。

40年前、私たちをブラジルに送り出して下さった長沢亮太師(というよりは、やはり所長と呼びたい)も、当時は33歳、気鋭の建設事務官でした。その所長もやがて喜寿が近づいております。少なくとも、白寿くらいまでは頑張っていただき、ブラジルにも再々来ていただいて、われわれを叱咤激励してもらいたいものです。

われわれ隊員も、この40年史をじっくり熟読して、反省すべきは反省し、後継者の育成にももうひとふんばりしなければなりません。幸いにして、われわれは師弟に恵まれております。記念式典の席上、子供達の決意を聞かされ、本当に感動しました。こんなに素晴らしい子供達をつくり育ててくれた母親たちにも、心から感謝しております。と同時に、これまで青年隊を支えて下さった多くの方々に、誌上をかりてお礼申し上げ、本誌刊行の言葉に代えさせていただきます。

1997年11月


青年隊ビジョン「今から始まる」

45周年記念のテーマは、「今から始まる」
常に若いのが青年隊であり、活力と活性化を目指し、特徴ある団体集団に育て上げる、そんな気概ある催しをしたい、式典の意義の位置付けとしたい、とある。時として新鮮で大胆、且つ、思い切った発言も発想も要るだろう。正直に言って残り少ない若さを、絞り出す勇気をもって発表させてもらいます。
去年の9月、先輩6期生の皆さんが、渡伯40周年を迎えられ楽しい団欒をされたと聞きました。その折り、ふと思った事があります。この記念を仮に先輩、後輩の渡伯数年の平均値と見て、各人の40周年と言う歴史感を大切に丁寧に合わせてみると、全隊員200有余名の仲間達の歴史を積み重ねると、雄に8千年の歴史の重みで返ってくる。これに我々の大切な行動力、エネルギー力を持って、これから先の10年を読むと、1万年という歴史の厚みで返ってくる。俺達の万年道がそこに有る。あの鶴は千年亀は万年、伴に栄えて弥栄の万年道、これからの10年、隊としての50年の歴史であっても、びっしりと濃縮、圧縮された、汗と体験と、経験を通しての叩き挙げの其々の物語を持って、先輩と中堅の我々と、今働き盛りの後輩の人生感も、年代の違いで多少の段差は有ると思いますが、逆にその差があるから、人生、結構面白いのです。この暖かい人間味を共に共有し、10年後の式典を皆さんと共に迎えることが出来れば、その時が多分、各人の南青協の熟成期かも知れない。その後の10年は大志の士を常に心に持ち続け、生涯現役を持って勤められ、人間味と優しさや思いを家族に出し切り、又、人生の豊かさの確かさの何たるかを求めての心の充足の旅路でもあり、内なる充実の時でもあろうかと思います。
心に余裕でも出来ればペンを取り、庶民の家庭の匂いの味のする作文の綴り方教室のひとつやふたつは出来るだろう。又、丁寧に人生積み重ねの中から人間味溢れる、青年隊万葉集のひとつだって決して夢じゃないだろう。
中堅の我々だって、これからどう引き伸ばしてみても、20年と言う年齢を若さで包んで行く気概と発想を今、堅持する時ではないのだろうか?
我々の人生そのものの中に、ひとりひとりの胸の内に不動不滅のビジョンとして確りと捉え、堅持し、お互いの心の中に深い信頼と和で支えて、終生、色褪せる事のない、共通のテーマとして継承して行く姿勢が今こそ必要ではないのか?改めて問われている気がする。
各州各地のロマンの大地の中、職業もまた多種多様、足跡も航跡も共に歩く道は違っていても、老いて尚褪せぬ使命感を持ち、立ち枯れて光り、光り方に注意し配慮して、熱き思いの胸の内ひとつ、倒れて尚青春ど真ん中で逝けの心だ。必ずそこにはひとつの門が立っている。それが俺達の青年隊群像の森、この勢いが、情熱が欲しい。この若い若さから見る生死感を人生を共に共有し、俺達のビジョンとなして不滅のテーマとなし、南青協と言うひとつの壷の中で326名の花弁で育てた真心花一輪、日系コロニアのマホロバ開拓者への献花となして行く姿勢こそ大切だと思います。これからの時代、隊員である前に一人の日本人としての姿勢も又、ヒューマニティも要求される年代でもある。皆さんと共に唱和した我々の網領も、決して我々だけのものでなく、2百年、3百年後の後の世の、若きブラジル青年の胸に、産業人の胸に継承されて行くものであり、人間不滅の世界がそこにある。若くあれ、謙虚たれ、青年隊。
「親しき仲にも礼儀あり」
先輩も、中堅の我々も、共に若さを抱いて眠る、その日は何時かやって来る。その後に尚、隊旗と共に歩く後輩の姿勢、その背中に青年隊を問われれば、人間散り方の学を丁寧に、滅びの学を大切に、人間味不滅が合言葉。
さようなら、だけが人生ではないと、これがマホロバ青年隊の行く道だと、胸を張り一声唱和して欲しい。又、我等が群像の森への魁けとなり、先輩の逝ってみせるの志し、中堅のやってみせますの志し、後輩の受けてみますの志し、この3つの志しで出来た青年隊と言う一台の押し車を、全員参加で引っ張っていく、押して行く、「今から始まる」、これから始まる、南青協の真の姿がそこに有る。
今一度、先輩と中堅の我々が謙虚になって、集団、団体の責任、義務とは何かを問い直す姿勢と、さらなる奮起も必要かと思います。
45周年式典の真の意義はそこにある。隊旗にいい汗をかかせたい。皆でひと汗かかせたい。それが皆さんと共に育った手作り青年隊人間考(かんがえる)で有るのなら、又、手作り青年隊人間学と言えるその日が来るのなら、それが皆さんと共に明日に向かって歩く総集編の道であるのなら、それで良いのだ人生は。生きて行くのが下手でいい。突っ張り方も下手でいい。世の中波乗り下手でいい。寡黙で朴訥で勤勉、努力で生き抜いて行く、俺はそう言う男達の群れの中のひとりで有りたい。

2001年7月吉日
牧 晃一郎



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