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「あるぜんちな丸」同船者の記録保存の重要性。
『私たちの40年!!』企画を始めるに当たりアンケート用紙作成から各種記録、資料、写真等の保存の重要性を認識されブレインとして協力頂いているサンパウロ人文科学研究所の主任研究員の森幸一さんより同船者記録保存の重要性と題して寄稿してくれています。今後私たちの集めた資料、写真等の記録を学術的に分析、保存して頂ければと期待する次第です。写真は森さんを挟んで右側が元JICE職員でパラグアイの移住地にも長く勤務された斎藤良夫さんで今回パラグアイの戦後40年史を現在執筆して頂いております。


皆様、初めての同船者の集いが盛会で開催されたことをお喜び申し上げます。私は、ブラジルへの日本人移住者の歴史やアイデンティティ、宗教などを調査研究しており、その縁で、皆様の同船者の一人である高野さんや和田さんらと知り合い、いろいろとお話を聴いてまいりました。その中で、いつも痛感してきたのが、戦後、日本から南米諸国へ渡った移住者の方の貴重な体験や経験が現在まできちんとしたかたちで残されていないという事実でした。戦前移民に関する研究はそれなりに蓄積があるのでですが、戦後移民に関しては、ほとんど調査研究がなされていないのが現状です。こうした認識もあって、私は特にサンパウロ市Vila Carrao地区に定着した沖縄県出身移民の方々の調査を行ってきました。
高野さんや和田さんあどから「あるぜんちな丸」(第12次航)の話をお聞きする過程で、この「あるぜんちな丸」の重要性を認識するようになりました。まず、この移民船には戦後期の移民先の諸国への移住者が乗船していること、第二に、戦後の主な移住制度を通じての移住者が乗船していること、この意味で「あるぜんちな丸」は戦後、日本からの南米諸国への移住者を、ある意味で象徴する船であったといえるのではないでしょうか?
従来、戦後移民の研究は当然ながら、移住先の国家という枠組みの中で研究が行われてきました。つまり「アルゼンチン戦後移民」「ブラジルへの戦後移民」「パラグアイへの戦後移民」。。。これらが研究の枠組みであったわけです。そこには、「南米諸国への戦後移民」という大きな視点はできません。私には「南米諸国への戦後移民」という大きな視点を持ち、日本人移民が異なる国家に移住することによって、どのような特殊な経験や体験をもってきたのか(移民にとっての国家という境界のもつ意味あるいはその移住先国での日本人社会の存在の違いなど)を対比的に調査研究することで、日本から南米諸国への移住の意味や意義、言葉を変えて言えば、戦後南米移民とは何だったのか、といった問題がマクロな視野で見えてくるのではないかと思われるのです。勿論、マクロな視野でとはいっても、調査研究の対象となるのは、実際に生きてきた「生身の人間」個人であり、家族であります。皆様の人生における経験、あるいは家族史を作成しなければ(つまりミクロな主体の体験の救出、記録)、通り一遍の「比較移住史」にしかなりません。生身の人間、家庭のミクロな体験、経験を救出しながら、それぞれの主体が状況をどのように読み解き、行動してきたのか、それをマクロな視点から捉えなおしていく作業を行うことができれば、それは素晴らしい研究になるのではないでしょうか。
しかし、これまではこうした研究を行うに当たって、どのように研究対象を設定したらいいのかという点で困難性に直面してきたのです。一人の力では、南米諸国への戦後移民をすべて研究することは実質的に困難であります。そんなことを考えているときに、和田さんや高野さんから「あるぜんちな丸」の話を伺ったわけです。もしかすると、この船で渡航した戦後移住者の方を対象にすると、以上のようなテーマがすべてではないにしろ、見えてくるかも知れないと考えたわけです。
実は移民船に乗り合わせた移住者たちに関する研究はまったくないわけではありません。それはブラジルの日本移民研究の端緒となった泉精一グループの一人塚本哲人先生による
 

研究や体験をもってきたかといった(一国に止まらない)研究は皆無といえるでしょう。
このように考えると、「あるぜんちな丸」という移民船を対象にして、体系的な調査を実施することは戦後移民の記録としての重要性は勿論、それを越えて、南米諸国への戦後移民の意味や意義の総括という意味においても重要なものといえるのではないでしょうか?こんなことを考えて、和田さんや高野さんに、こんな研究ができたらすごいだろうと熱く語ってきたのでした。
勿論、これはすぐに、お手軽な作業でできるものではありません。かなりの長期間にわたる努力が必要とされてくるでしょうし、先ほども言いましたように個人の力では到底太刀打ちできないものであります。この種の調査は研究者の特権ではありません。むしろ、その当事者である皆様にとって、自らの移住の体験を振り返り、自らにとって移住とは何だったのかを積極的に語っていただくことが意味のあることなのです。少しは研究に携わってきた者と皆様の共同作業の中から「移民とは」「異国での体験とは」「日本人とは」「日本という国家とは」といった問題に対する「何らかの答え」を模索していくことができれば、すばらしいことではないでしょうか?このような参集の機会を『事始め元年』として位置づけ、こうした作業にご一緒にかかわれば素晴らしいことだろうな、そしてその結果として『記念誌』といったかたちやビデオ・ライブラリーというかたちで皆様の体験や経験を救出し、保存することによって、皆様の子供や孫の世代にも、その体験を伝えていくこと、さらに言えば、皆様の体験を「戦後南米移民の体験」として日本の日本人に提示していくこと、これは歴史的にも意味のある仕事になるのではないでしょうか?
           平成14年1月15日
サンパウロ人文科学研究所主任研究員
森 幸一



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