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早稲田大学海外移住研究会先輩、近藤博之さんからのお便り。
近藤博之さん(政経経済31年卒)1956年着伯は、早稲田大学の海外移住研究会の創設メンバーでもあり私が41年前にサントスに着いた時にはサントスに住んでおられ出迎えて頂きサンパウロの高井先輩(稲門会の責任者)の所まで届けて頂きお世話になりました。
ご子息の利秋さん42歳がパラナ州のポンタグロッサの近くで6月5日夜、交通事故に遭遇、逝去されたとの知らせを受け驚愕しましたが、事故より1ヶ月が過ぎ平常心を取り戻しつつある近藤先輩よりお便りを頂きました。この手紙を一人占めするには余りにも勿体ないとの気持からお電話で手紙の全文を掲載させて頂きブラジル稲門会の仲間、多くの読者に1移民としての試練を乗り越えお孫さんの成長を見届けるために100歳まで生きるとの新たな決意をお伝えすることにしました。
『花一輪 空しく散りし 晩秋の朝』涙なくして読めない句です。
写真は、同封頂いたニッケイ新聞の2002年8月1日の『ブラジル日系3世 ロボット相撲で世界一 出稼ぎ息子快挙! 群馬県太田市の高校生 快さい叫ぶウムアラーマの祖父』等の大きな活字が躍る同封頂いた新聞です。この新聞の内容もタイプアップするつもりです。


和田 様
前略 今日(7月5日)相田さんよりメールのコピー(君から松岡氏に送った)が届けられ、君の心情を知りお手紙さし上げている次第です。私は事故から1月、やっと落ちついた日々を形ばかり送れるようになりました。
この1月は、思っても見ないことが起き、夢の中に居るような状態でしたが徐々に現実になり、毎日近くの墓まいりをしている中に、彼の死を受け入れることが出来るようになりました。
人生とは、人間とは何だろうか。また一つ大きな疑問符が私の上に大きくのしかかってきました。しかし時は流れ、すべてを浄化していくでしょう。また新たな人生がひらかれていくのです。
私は100才まで生きるぞと冗談で云ってましたが、それが冗談でなくなりあと30年はぜがひでも生きなければならなくなってしまいました。
孫達の成長を確かめたい。それが私の今の移民の夢です。
君と会って40年、早いものですね。私も1956年に着伯しましたからあと3年もすれば50年、半世紀です。
色々のことがありましたね。君がサントスについた頃は2才位の利秋が今42才で亡くなってしまたのです。人生とは泡沫の夢劇場ですね。しかしその中で死んで行った利秋の足跡を知り、親ながらよく生きてきたなと感心し、葬式に集まった数多くの彼を慕った人たちを見て、彼の人生をほめてやりたい気持で一杯でした。
彼はロンドリーナ大学の農学部得おでたあとコチア産組、DUPONT、Roullier(フランス系の会社でPorto Alegreにブラジルの本社があり、利秋は時々航空便でPorto Alegreに行きました)に勤め、この最後の会社と気が合ったのかパラナ州のSUPERVISORとしえ当地の牧場、農場のための新しい肥料の販売に尽力し、今年の大豆景気も手伝い売上目標を突破、会社よりプレミオとしての夫婦共々のフランス旅行をいたただき6月20日出発直前の事故でした。やはり、そうした喜びに心にスキが出来たのかな等と思いましたがこうしたことはやはり定まった命であったとしか云いようがないようです。
彼は小生に似ず熱心なキリスト教信者で深い信仰の持ち主でした(嫁からの感化と思いますが)、云えばむしろ亡くなった母親(由美子)似だったと思います。他人に好かれ当地のロータリークラブに入り社会活動など積極的にし一時期この地域の会長にも籍を置いていたようです。二世感覚でのつき合いの仕方もうまかったし、仕事の仕方もブラジル感覚の持ち主でした。
そのようなことを思うと惜しい男を亡くしたな、後10年生かしたかったなとあきらめがつかない心境になってまいります。
唯々私がS.C州の農場経営に失敗し多額の借金を返済すべく日本へ出稼ぎのハシリ(1985年)として行って15年。やっとすべてが処理出来て再渡伯し利秋の家族と3年間充実した生活を送れたことが今思えば何よりの慰めになっております。
移民人生も中々思うようにいかないものです。しかし、初期の移民の人々のことを思えば私達の苦労など高が知れているでしょう。
こうしたことは覚悟で来ている筈なのに、インテリ移民というのはどうもアマエが先に来てしまいますね。
故西野入 徳先生(初代移住研究部長で小生渡伯の際、港まで見送りに来て下さったカトリック信者で大隈総長の愛弟子)が以前生きておられた頃、毎年下さった賀状に子供は12人つくれと云った意味が今にして分り自分の不明をお詫びしている次第です。
メールにありました娘の恵子は、ラーモスの人と家庭をつくり4人の子(男2人女2人)をつくりましたが、子供達の教育は日本でするのだと家族で日本に渡り8年前より日本の太田市に住んでおります。幸いなことにこちらは上の男子がもう大学2年となり(ロボット作りに興味をもち昨年世界チャンピオンなる。同封の新聞コピー参照)あとの子供達も順調にその目的を達成しつつあるので楽しみにしています。
移民人生に限らず人生は川に流される木の葉のようなもので浮き上がったり沈んだりはたまた浮き上り、一体どのような結末を迎えるのか今はただ若き日の夢を大切に利秋のいだいていた夢-それはとりもなおさず私の移民の夢ですが-それらを2人の孫に伝えるべく日々を過して行きたいと思っております。
『一日、一生』これが今の私が毎朝暗いうちに起きて近くの森の中を歩く時に私の口ずさむ言葉です。
お互いに健康第一、ゆっくり歩いて行きましょう。
本当にワセダの友人には故由紀子の時もそうでしたが今回も心の支えになって貰いました。ありがたいことです。
利秋の逝った翌朝、サーラのメーザに飾ってあった鉢植えの一輪の蘭が散っているのに気がつきました。
『花一輪 空しく散りし 晩秋の朝』
             合掌
DIA 7 de Julho de 2003
パラナ州 ウマラーマにて
近藤 博之



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