旧神戸移住センター 「海外日系人会館」に 神戸新聞7月25日朝刊より
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あるぜんちな丸第12次航の私たちをブラジルに運んで下さった当時の二等航海士の吉川 誠治さん(神戸市在住)から『本日の神戸新聞に移住センターに関し添付ファイルの記事が掲載されていましたので送ります。』とのメールと共に記事の写真を頂きました。吉川さんいつも私たちを見守って下さり有難うございます。今回訪日の機会が有りますので神戸在住の当時の二等機関士高根 健次郎さん、次席事務員の
広野信行さん他にお礼を述べると共に当時の話、その後の人生等に付いて語り合えればと楽しみにしております。今後とも宜しくお願いします。
現在、財団法人日伯協会参与で国立海外日系人会館推進協議会事務局長の黒田 公男氏が藤本副知事と共に来伯されておりニッケイ新聞の7月26日付けでも関連記事が掲載されておりますので転載させて頂きます。
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旧神戸移住センター 「海外日系人会館」に
神戸市は二十四日、日本からの多くの海外移住者が渡航までの日々を過ごした旧・神戸移住センター(同市中央区)を国立の「海外日系人会館」(仮称)として整備・保存するよう外務省に要望することを決めた。日本の移民史を象徴する建造物としてのブラジル移民百周年となる二〇〇八年のオープンをめざし、二〇〇四年度の国家予算要望に初めて盛り込んだ。
要望内容は、建物の保存に必要な改修と、移民政策に関する資料・展示など。ブラジルの日系人団体が二〇〇〇年4月、「移住政策は国策で進められた歴史的事業であり、国として移民の功績を後世に残してほしい」と、建物の保存と整備を求める要望書を外務省に提出。所有者である同市にも支援を求めている。
同センターは鉄筋コンクリート四階建て、延べ三千五百平方メートル。一九二八年、移民を奨励する政策政府によって初の「国立移民収容所」として建設された。七一年に閉鎖後、同市が買い取り、准看護婦寮などに使われ、昨年からは芸術グループの活動拠点「CAP HOUSE」として暫定的に利用されている。
移住者顕彰の第3ステップ=旧神戸移住センターを国立の「海外日系人会館」へ=在伯日系団体も協力
7月26日(土)
国立海外日系人会館推進協議会(平田幸廣会長)は、五年後の移民百年祭にむけて旧・神戸移住センターを、国立の「海外日系人会館(仮称)」として保存・活用するよう進めている。同会の海外移住者顕彰事業は、三つのステップにわかれており、現在は第三ステップ。第一ステップとして〇一年、神戸港メリケンパーク先端に移住一家の出発像を建立。翌年、第二ステップは海外移住者が移住センターから港まで歩いた移住者ルートの整備を行った。
ブラジル日本文化協会(上原幸啓会長)、ブラジル都道府県県人会連合会(中沢宏一会長)、サンパウロ日伯援護協会(和井武一会長)の日系三団体が、同センターの保存・活用に協力を約束した。
来伯した黒田公男同会事務局長は「二十四日の段階で、正式な書類のサインに至ってはいないが、面会や電話で協力する約束は貰った。また、兵庫県人会(尾西貞夫会長)にも出向き、支援を依頼する予定」と言及。「特に、上原会長は十歳の頃、神戸移住教養所(戦後は神戸移住センターに改称)で過ごした。また、専門の水利事業でも神戸と密接な関係があり、全面的な協力を約束してくれた」と笑顔を見せた。
同センターは、鉄筋コンクリート四階建て、延べ三千五百平方メートル。二八年に移民を奨励する政府の政策によって「国立移民収容所」として建設された。戦後に「海外移住センター」として活用し、七一年に閉鎖。その後、同市が買い取り、准看護婦寮などに使われた。昨年からは芸術家グループ「CAP HOUSE」が管理している。
同事業に関して、以前からコロニアは協力を惜しまない。九九年十月に県連(当時、網野弥太郎会長)、文協(当時、岩崎秀雄会長)、援協、兵庫県人会が連名で笹山幸俊神戸市長宛ての陳情書「移民記念館実現に関するお願い」を提出。〇〇年四月にも文協、援協、県連(当時、西谷博会長)が連名で河野洋平外務大臣に要望書「『旧神戸移民収容所』建物保存及び国立神戸移民記念館のお願い」を提出。同事業推進に大きく貢献した。
今回、コロニア団体は、兵庫県に対して要望を行う。その背景には、二十四日に神戸市が外務省に対してセンターの保存・活用を要望することを決定したことがある。さらに、県から外務省に対して働きかけることを狙う意図が見える。
黒田事務局長は「センターは現在、地域のブラジル人子弟に対してポ語教育行っている。資料を展示するだけでなく、若い人も来るような未来志向の会館にしたい」と意気込みを語った。今後は伯国のみならず、アルゼンチンやペルーなどの日系団体にも協力を要請する予定。
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