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メンソーレ(いらっしゃい)おばぁ==@平良とみさん明日公演 【ニツケイ新聞8月15日版より転載】
ブラジルでもNHKの番組が見られるようになって久しい。ニュース、天気予報が多くもう少しドラマ等もと望む向きも多いが、そんな中で朝の連続テレビ小説は、地域性と話題性を持たせた毎日15分の番組ですが、放映時間がブラジルでは夜の8時15分、特別に何もなければこの時間までには家に戻るのを習慣にしている。現在放映中の浅草を舞台にした『こころ』、ハワイの2世が出てくる『さくら』、大阪、和歌山を舞台にした『ほんまもん』等を熱心?に見ていたが
2年前に訪日した際に放映されていたのが沖縄を舞台にした『ちゅらさん』でつい沖縄まで出向いてしまった。ちゅらさんの中で、印象に残ったのが飾らない名演技で“おばぁ”役で人気をさらっていた平良とみさんです。その平良さんがブラジルにやって来た。8月16日、17日の2回にわたりサンパウロで公演するとのニュースがニッケイ新聞に出ていました。見て見たいですね。 


沖縄から〃おばぁ〃が元気にやって来た―。十六、十七日にサンパウロ公演を控える役者、平良とみさんが十四日朝着聖。「以前から来たいと思っていた国。飛行機に乗っていた時間も長いとは思わなかった」と、沖縄に輝く太陽(ティーダ)のような笑顔を見せた。
 到着ゲートからトコトコと歩く姿が目に入った。手荷物に大きな丸い箱がひとつ。中身は帽子だった。気候に合わせて三つ用意してきたという。
 「沖縄芝居は自髪が基本なのでパーマなどのおしゃれができない」せいもあるが、「ぜいたく出来ない時代に育った。お金を自分で稼げるようになったら、帽子を買いたいと夢見ていたの」
 日本を発つ前日、愛知県内の沖縄物産店で日系の若者から励ましのメモを受け取った。サンパウロでは長年のファンが待つと聞いて、思わず「イチャリバチョーデ(会えばみな兄弟)」。ウチナー言葉が口をついて出た。
 本土が鎖国していた時代にも沖縄は外国との交流があった土地。「全然知らない人にも心を開いて『うちでお茶でも』となる」。そんな気風に魅せられて、昨年本土から住民票を移した人は約二万七千人を数えるそうだ。
 しかし実際、土着の文化や風俗習慣は目に見えて消えつつある。今公演のような一人語りの舞台はもちろん本業の沖縄芝居でも琉球方言が基本だが、「沖縄でさえ三十歳以下の人には理解してもらえない、だから標準語交じりに変えたりする」。ただ、文化は言葉が基本。ウチナーの言葉でしか伝えられない気持ちもあるというのが正直な思いだ。
 夫は役者の平良進さん。沖縄歌舞団の一員として来伯公演を二回経験している。「ブラジルにはまだかつての沖縄が残っている」。進さんからそう聞いていた国で、念願の舞台が実現する。もちろん昔ながらの琉装でステージに立つ。
 平良さんの語りに花を添えるのが島唄・三線の大島保克さんだ。同日到着した足でリベルダーデを散策。「同じ村(石垣島白保)に住んでいた両親の知り合いが移住したと聞いている。移住者の方々と話をするのが楽しみ」
 現在は関西を拠点に活動。故郷には年に五回ほどのペースで帰省しているが「沖縄は急激に変貌している」。だからこそ、これが沖縄という〃匂い〃を放つ文化を伝え残したい、と力をこめる。
 一方、自作の曲を積極的に発表、欧州各地で公演するなど活動の幅を広げる。民族音楽ではアイルランド・ケルトの音楽が好きだ。「イングランドとアイルランドの歴史的関係が本土と沖縄のそれに似ているせいもあって」と、ここでもウチナー意識が顔を出すこだわりを見せた。
 公演は明日(沖縄県人会)、明後日(文協)の二日間。ともに午後三時から。チケットはニッケイ新聞社(電話3208・3977)、文協(3208・1705)、沖縄県人会(3106・8823)明石屋宝石店(3208・1833)まで。二十レアル。

平良とみ『ニライカナイ』公演=沖縄のククル(心)に感動=カチャーシーで盛
り上がり=島唄で大合唱------------8月19日(火)【ニッケイ新聞より転載】
 「どこに行っても、生まれ島を忘れてはいけないよー」――。NHK連続テレビ
小説「ちゅらさん」の“おばぁ”役で知られる平良とみさん、ショーロ・クラブ、
若手三線奏者の大島保克さんの昔語り舞台『ニライカナイ(海の彼方の楽園)』が十
六日文協、十六日沖縄県人会であった。両会場合わせて約千五百人の観客が詰め掛
け、とみさんの親愛に満ちたウチナーグチ(琉球方言)に感動の涙を流した。
 十六日の第一回公演・第一部は、ショーロ・クラブのコンサートで開幕、「ゆきや
なぎ」などオリジナル曲や沖縄民謡「ティンサグの花」など五曲を演奏。続いて、
とみさんが登場した。
 『ニライカナイ』と題したとみさんの一人舞台は、夕涼みのなか、八重山諸島の
伝説を語り聞かせる形で始まった。石垣はフゥ(父)、西表はアンマ(母)、竹富、
黒、新城、小浜はチョーデー(兄弟)とした「島々は家人衆」、神司が人の流す涙は
みんな清らかで美しいと悟り、涙が星砂へと変わっていく物語「星砂の伝説」は、
観客の心を和ませた。
 第二部は石垣島出身の大島保克さんの島唄で始まった。昭和二十年代、移民を送
り出す山原地方(本島北部)の沖縄県人が見送りに行けず、山上で狼煙をあげて別
れを告げたという歌「じんとよーワルツ」。会場からは、かつての体験を思い出して
か、すすり泣く声が聞こえた。
 大島さんが白保で百年前に生まれた即興曲「ナツパナ(夏花)」を唄うと、とみさ
んが再び登場。一人芝居「太陽の童」では、孫娘と“おばぁ”の心暖まる交流が、
ウチナーグチ混じりで描かれた。おばぁが島を出ていく孫娘に、「島のティダガナシ
ー(太陽神)が見守っているよ。チュバリヨヤー(頑張れよー)」と声をかけるシー
ンに多くの観客が心を打たれた。
 十六、十七日の両公演とも、最後は沖縄独特の踊り「カチャーシー」で締めくく
られた。第一回公演で舞台近くまで躍り出た比嘉哲夫さん(二九)は沖縄県系二世。
三年前の中城村費研修など、これまでに三回、沖縄に行ったことがあり、「昔から、
カチャーシーを踊っていた」と満面の笑み。「沖縄のことを思い出した。とてもうれ
しくなった」と語っていた。
 第二回公演では開演前、「言葉がわかるかしら」と心配していた広島出身、一九六
〇年移住の池部光子さん(五七)も、とみさんの優しい語りにすっかり魅了された
様子。
 第二部で大島さんが竹富島の「安里屋ユンタ」を披露すると、会場からは、「さー
ゆいゆい」「またはーりぬ つぃんたら かぬしゃまよー」など囃子や指笛が鳴り響
いた。沖縄市出身、十一歳で移住した金城清美さん(四六)も大島さんとともに客
席から熱唱。とみさんのことを「私の“おばぁ”にそっくり」と喜んだ。
 また、二十六歳で中城村を後にした比嘉光子さん(六七)は、約十年前、母親が
亡くなった際に帰郷できなかったことを回想。おばぁの孫娘に対する愛情をみて、
「お母さんを思い出した。親不孝だった」と目頭を熱くした。




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