アマゾンのトメアス移住地の名物おばーちゃん海谷ことさん逝く。
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昨年1月に【40年目のビデオレター アマゾン編】取材の為、映像作家岡村 淳さんとアマゾンのピメンタの里トメアス移住地を訪れ同船者の海谷ことさんのお元気な姿に接し【頑張れ!】と肩をドンと叩かれた温かみがまだ残っていますがその海谷ことさんが去る9月12日にトメアス移住地の病院で永眠されたとの通知を受け取り驚いております。謹んで海谷ことさん享年90歳の天寿を全うされた安らかな幕引きをお知らせします。私たち同船者仲間で着伯僅か2ヶ月足らずで亡くなられた海谷千栄子さん享年21歳の眠るトメアス移住地の墓地に9月13日に埋葬されたとの事で先に逝ったお嬢さんと天国での41年目の再会を果たしておられると思います。
写真は、トメアス移住地訪問時に撮らせて頂いたお元気そうな海谷ことさんです。
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海谷ことさんは、1913年6月6日山形県に生まれご主人の海谷長蔵さん(故人)と千栄子さん(故人)、秀雄さん、隆さんの5人家族でトメアスに入植され41年間、ピメンタ(黒胡椒)の里トメアス移住地に住んで来られたトメアス移住地というよりアマゾンの元気なおばーちゃんとして有名を馳せておられました。もう30年以上前の1970年代初頭に結成されたトメアス移住地の婦人連合会の初代副会長として戦後移住者の代表格で戦前移住者の会長さんを補佐、移住地の婦人会を一つに纏め上げその後も常に第1線で率先してコロニアの諸行事に参加、その指導力、強調性、底抜けの磊落な性格に多くの同調者を得て名物おばーちゃんの名を欲しいままにしておられました。
9月4日に東京で開催されたブラジル講演会の席上でも【40年目のビデオレター アマゾン編】を上演しましたがその中で一番印象に残り皆を沸かせたのは、海谷のおばーちゃんで走り鉢巻、手につばを掛ける仕草のことさんの発言になんてお元気なおば〜ちゃんと皆を驚かせていたのにその1週間後、脳溢血で倒れ意識不明のまま他界されていたとは誰が想像できたでしょうか。人伝に海谷さんの事を知り、トメアス移住地の同船者、三宅昭子さん、ご子息の海谷 秀雄さんと隆さんにお電話をして事情を聞かせて頂きました。
ことさんは、次男の秀雄さんと共にトメアス移住地に住んでおられ今年6月に90歳のお誕生日を皆で祝い足が弱って来ていたとは云え頗るお元気に過ごしておられたそうです。8月頃喘息の発作を起こしその治療の為に飲んでおられた薬のせいか血圧が210程度まで上がり気になっていた矢先に9月12日の朝、普通通りに起きだし少し頭が重いとの不平を云いながら洗面に向かい入り口に戻って来たところで突然倒れ込みそのまま意識不明に陥り直ぐに病院に運ばれたそうです。医師の診断では、脳溢血との事で4時間後に意識を取り戻す事無く永眠されたとのこと。9月12日(木)午後2時35分、享年90歳の天寿を全うした、苦しむ事もない大往生だったそうです。生前何時も自分は人に迷惑を掛けず桜花のように綺麗に散って見せると云っておられたと秀雄さんが教えて呉れましたが、あっぱれな人生の幕引きだったようです。10月30日が49日に当たり隆さんのご家族もトメアスに集まり11月2日は、初盆でもありトメアスの墓地に安置された海谷家の3人(千栄子さん、長蔵さん、ことさん)のお墓参りを済ませて帰って行った所だとの事でした。
ことさんは、1962年あるぜんちな丸第12次航乗船の時には、船酔いで船内生活は、苦しい思いでしかないとのことで船には2度と乗りたくないとの事でしたが、当時日本鋼管に勤務しておられた長男を日本に残して来られており、1979年にご主人と共に長男の家族を尋ねて3ヶ月程訪日したとのことです。1992年に金婚式の記念にご夫妻で再度訪日する事を楽しみいしておられたそうですがご主人が癌で急逝され結局金婚式も日本訪問も実現せず1995年には、日本の長男の方も癌で亡くなられたとのことでそれ以後は日本の話はしなくなっていたとの事です。
現在海谷 秀雄さんは、トメアス移住地に住み農業を営むと共にアマゾン森林文化研究会の会長さんとしてアマゾンの自然環境を保護する活動を進めておられ隆さんは、ペレンの近郊でピメンタ栽培を手広く遣っておられるようです。
同船者の皆さんに謹んで海谷ことさんのご逝去をお知らせすると共にご冥福をお祈りします。
合掌
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