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『ブラジル移民』 戦後40年の記録 旧トップページの保存(4)。
『私たちの40年!!』HPは、これまでに3000回達成の昨年9月16日と12345回達成の今年2月22日にトップページを書換え更新しております。更に今年5月11日の着伯41年記念、『私たちの40年!!』HP公開1周年記念に当たり17000回アクセスの日に書き換え更新しております。今回、『私たちの40年!!』HP開設1年半に成る11月11日付けでTOP PAGEを書き換えるのあたり古いTOP PAGEを保存する事にしました。一つの記録としてこのTOP PAGEを寄稿集に残して置きたいと思います。
10月31日には3万回のアクセスを記録しており6ヶ月弱で13000回のアクセスがあった事になります。ポルトガル語のHPは、担当の和田弥生が時間的な余裕が少なく更新がままならぬ状況ですがそれでも3400回のアクセスを記録、それなりの需要もあることから更新を続けて行きたいと願っています。
写真は、43年前の私がまだ日本の学生時代の懐かしい姿の写真を同窓生の志村君が神戸に遊びに行った時に撮ったのだといって今回の訪日の際に呉れました。『私たちの40年!!』HPも私のこの写真の時代が背景となり神戸で生まれて来たものであると思うと貴重な写真でもあり使用させて貰う事にしました。


『ブラジル移民』 戦後40年の記録
私たちあるぜんちな丸第12次航(1962年5月11日サントス港下船)の同船者681名は、平成14年5月11日で40年を迎えました。当時のあるぜんちな丸第12次航の船内新聞「さくら」の編集責任者をしていた私と船内ニュース班の仲間として手伝って呉れた編集員が中心になり船内新聞の40年後の特別号、号外の形で戦後40年の移住史の一部を皆で書き残そうとの企画が持ち上がり、出来れば印刷、出版もと考えていましたが、時間的な問題、資金面の問題もありせめて寄稿して頂いた貴重な記録、原稿を大事にし、書き物にして後世に残して置きたいとの切なる願いから、当時のガリ版刷りの船内新聞の一部、黄色くなった名簿、懐かしい写真等を文明の利器パソ\\\コンを使い資料のDIGITAL化による保存を考えついた次第です。これらの無形に近い数多くの資料、写真等を我々同船者全員の資産として共有し、後世に残して行く事、民族の移動、移民、移住問題、個人の人生の選択等に関心を寄せる人達、特に海外に夢を馳せる若い人達に読んで頂ければとの気持ちでホーム・ページを開設しました。

HP正式公開後丸1年、同船者仲間、ブラジルの領域を大きく超えて現在では日本の多くの皆さんにアクセス頂いており1年で17000回を記録しており、その管理運営にも大袈裟に云えば社会的な責任も伴うのではないかと身が引締まる思いがしております。

この開設1周年、17000回アクセスを期にHPのトップページの書換えを実施することにしました。基本的には同船者681名の戦後移住者としての生き様を書き残して行くという大要は変わりませんが今後はあるぜんちな丸で着伯した多くの仲間(合計11,102人)、ひいては戦後移住者全員、移住と直接関係の無い日本企業短期派遣社員、留学生、研修生、旅行者と幾らかでもブラジルと繋がりの出来た多くの方にブラジルを語って頂き日本の皆さんで少しでもブラジルに関心を持ちブラジルを知りたいとのお気持ちを持たれた時には『私たちの40年!!』にアクセスすればその目的が果たせると云った総合『ブラジル学?』のサイトとして育って行けばと念願しております。更に私達の同船者が入ったボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの仲間の様子、それらの国以外の移民の歴史(明治初期のメキシコ榎本移民、ハワイ移民、ペルー移民等)についても記録を集めて行きたいと思います。



『私たちの40年!!』は、そのコンセプト、表現手段を日本語を基本としたホーム・ページとして公開しましたが、私達の同船者681名の内、3分の1に当たる200数拾名が41年前にサントス港に着いた当時15歳未満でした。これらの仲間は、当然ポルトガル語又はスペイン語の方が日本語より使い易く、更に当地で生まれた二世、三世の我々の後継者は、当然現地の言葉が中心となります。従いこれらの仲間、私達の子供、孫達を対象にしたポルトガル語のHPの必要性を感じ『私たちの40年!!』HP公開1周年を記念してこの度ポルトガル語のHPを開設しました。日本語のHPから直接ポルトガル語ページに移れるしその反対にポルトガル語のページからも日本語ページに飛べるようにしております。ポルトガル語のHPは、日本語版の翻訳版ではなく同じ目的、主旨による兄弟HPではありますが、表現手段が変わる事により同じ寄稿文でも幾分そのニュアンスも違ってくるし、考え方、物の捉え方、解釈も変わってくる事から同じ文を取り上げても逐語訳等の方法を取らず意訳、説明的な文と成る事から日本語の資料を基にしたポルトガル語の文章となります。その編集、更新作業は当然こちら生まれの二世、三世の皆さんにお願いする事になりますが、先ず始めるに当たり身近な存在ととして私の長女、和田弥生エリーゼ(リオグランデドスール州連邦大学新聞学部新聞学科卒業後2年間日本のポルトガル語新聞社でポルトガル語新聞と雑誌の編集、記者として勤務今年3月に帰国)に手伝って貰う事にしました。

本来の『私たちの40年!!』HPは、戦後移住者としての我々の移住先の国々での定着の過程、生き様を我々の子孫に語り伝え自分達の祖先、ルーツを辿る資料として残して置きたいとの気持ちで始めたものでありそれを近い将来同船者の現地移住国で教育を受けた準2世の仲間、私たちの子供達が引き継ぎポルトガル語、スペイン語で私たちの歴史を書き継いで行ってほしいと念願しており、今回のポルトガル語版は、その気持のあらわれです。従い私たちが日本語で書き残す記録が何時の日か我々の子孫がそのルーツとしておじいちゃんたちが残してくれた財産として引き継いで呉れる事を期待しています。

あるぜんちな丸第12次航の681名の同船者がブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの4ヶ国に入植しました。志し半ばで亡くなられた方、家庭の事情で帰国せざるを得なかった方、移住国に拠点を置きながらも現在は、日本に働きに出かけている方、41年間、最初の入植地に居座り営農に従事している方、国内移動、国外への転住者、それぞれの皆さんの41年の歴史があります。各個人、各家庭、各移住地の歴史を一人一人が書き残す事により戦後41年の歴史が浮き彫りになって来るのではないでしょうか。 同船者皆が語り、書き残していく『私たちの40年!!』も多くの同じあるぜんちな丸で移住して来られた人達、戦後色々な形態で移住して来られた人達、移住とは直接関係のない短期駐在員、留学生、研修生、旅行者、果てはまだブラジルの土を踏んだ事のない多くの人達からの寄稿、暖かい書込み、励ましを受けており、我々同船者だけでなく多くの日本の皆さんにブラジルと日本を繋ぐ絆としてまた祖国日本を遠く離れた地球の反対側に住む私達の戦後41年の歴史を通じての赤裸々な生き様を知って頂く手段としての『私達の40年!!』HPは、貴重な存在となって来ております。

『私たちの40年!!』の映像化も、同船者の篤志家の寄贈を受け、コロニアの著名な記録映像作家の岡村 淳さんの協力を得て『40年目のビデオレター』という映像による同船者の皆さんの現況を記録に残す企画もあり、既に昨年1月に北伯編としてベレンで下船された31名の同船者の皆さんを訪ねる旅を実施、第一部アマゾン編として完成しており、昨年5月12日の『40年の集い』に披露され多くの同船者に感動を与えました。出来るものであれば今後もボリビア、パラグアイ、アルゼンチンに入植された同船者、日本に帰国または働きに行っておられる同船者の皆さん、トメアスー移住地だけでなく、リオのフンシャル移住地、グアタパラ移住地等現在も最初の入植地で頑張っておられる同船者、炭鉱離職者、花嫁移民、野球移民、産業開発青年隊、コチア移民と話題性に富む同船者のその後の様子等、映像記録等も残して置きたいと思っています。

昨年、5月12日には物故者の霊を弔う慰霊祭と生きている我々の喜びを分かち合う同船者の集いをサンパウロの静岡県人会館において同船者とその家族、関係者120名近くを集めて実施しました。今年は少し早かったのですが、同船者の園田昭憲さんの姫マッタケ栽培の為の堆肥原料工場の落成式に参加する形で2月15日、16日の両日、同船者30数名がサンパウロに集いました。あるぜんちな丸移住者輸送助監督として私達をブラジルに送り出して下さった上園義房さん、同船者で現在東京に住んでニューヨークで事業展開をしている稲見正次郎さん親子、昨年の40年の集いに参加出来なかった同船者等僅かずつ輪が広がって来ております。5月9日にはサンパウロで仲間が集まりささやかな41年目の集いを行いましたが、今後もこの同船者を中心とした輪がポルトガル語HPの公開もありより若い層に広がり我々一世が消えて行っても二世、三世の仲間でこの語り伝えが継続して行って呉れればと切に願う次第です。

『私達の40年!!』HP編集責任者としての私の人生観、趣味、好み、居住地等による編集趣向に個人的な偏り等も随所に見られると思いますが、同船者の一人を通じての戦後移住者の記録を、一人一人にこの41年間がどうであったのか聞き出し記録していく作業を地道に続けて行きたいと思います。このHPの根底に流れる私の気持ちは同じ船で移住してきた仲間が一人でも多く『移住という選択』が間違っていなかったとこの41年を肯定できる人生を過ごしてこられた事を願いその過程を知りたいというものであることは間違いなく、その基本的な考え方は頑なに守って行きたいと思います。

日本の皆さんのアクセスが増えたのは、5000回アクセスを記念して始めた『バーチャル座談会』の企画も大いに寄与していると思いますが、IT時代の現在でないと不可能\\\な世界を一瞬にして繋ぐインターネットの武器を最大に利用、香西さん、MASAYOさん、桐井さんを日本側の発言者としてお願いしブラジルからはリオ在住の山下さん、サンパウロの沢田さん等毎回専門家のコメンテーターに協力頂き協力頂いている皆さんのHPでも紹介、PRして頂いているお陰だと感謝しております。この企画は、話題が尽きるまで皆さんの協力を得ながら続けて行きたいと思います。

膨大な寄稿集、画像掲示板、掲示板、写真集、リンク集ですがお時間の許す時に少しずつでも読み流して頂ければ幸いです。寄稿集は、読みやすくする意味で活字サイズを大きくしました。近い将来にはサイト内検索、項目別目次等を付け読み易くして行く積りです。

平成15年5月11日 『私たちの40年!!』HP公開1周年、17000回アクセス記録の日に書換え更新                      
『私たちの40年!!』HP編集管理責任者
     和田 好司



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