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【今の自分があるのは周りの支えがあってこそ!!】南日本新聞(鹿児島市)の記事より転載
鹿児島市在住のメール友だちの下村 敏子さんより地元鹿児島の南日本新聞に掲載された鹿児島県出身の同船者園田 昭憲さんに付いての記事を見つけてDMで知らせてくれました。自分からは、殆ど語らない園田さんですが、今回お兄さんが亡くなられたとの事で12月初旬より往復10日以下の慌しい訪日をパラグアイに住むお二人の兄弟と共に故郷に帰っておられましたがその時に取材を受けたようです。まるこ(下村 敏子)さんご協力有難う御座います。
園田さんに付いては、寄稿集第179番目 【同船者園田昭憲さんの辿った道程】との題名で紹介しておりますのでそちらの方もご覧下さい。自分の若い頃に重ね合わせて故郷鹿児島の若者を5年間で10人育てると言う計画、ブラジル大好き人間、ブラジルと日本を繋ぐスケールの大きな人材が育つ事を願っております。
写真は、年末の同船者忘年会で撮らせて頂いたスナップです。


「今の自分があるのは周りの支えがあってこそ。鹿児島から国際人を育てることで、故郷に恩返ししたい」。
2004年度から5年間、鹿児島在住の青年を研修生として一年間ブラジルに受け入れる。ヒメマッタケ(アガリクス)栽培を手掛ける会社の代表。ブラジル国内で70%のシェアを誇る。受け入れは二年ほど前から考えていたという。
農場で働きながら、語学研修や南米各地への視察旅行をしてもらう。04年度から
は、生まれ故郷の鹿屋市と県内から一人ずつ、選ぶ予定だ。14歳の時、農家だった両親と兄弟ら十人でパラグアイに渡った。うっそうとしたジャングルを開拓する生活。「一週間で日本に帰りたいと思った」。帰国の旅費と学費を稼ごうと、17歳で単身アルゼンチンへ。三年後、念願かなって、東京の大学へ入学した。しかし、「また南米で勝負したい」と就職したのはブラジルに支店を持つ商社。入社半年で再び南米の地に降り立った。数多くの移民が暮らすブラジル。その中で人種差別がないのが、魅力という。
「バスで知り合った人に「泊まっていけ」というおおらかさ、懐の深さを肌で感じてほしい。研修というより”南米大好き人間”になってもらえばそれでいいんです」 13日で56歳になった。カラオケはもっぱら長渕剛。「気張いやんせ」「桜島」といたったレパートリーに、遠く離れた故郷への愛着が感じられた。サンパウロ市内に神戸出身の妻(44)と
一男三女に囲まれ暮らす。まるこ@かごしま

上記記事に対してご本人の園田さんから下記のコメントをDMで受け取りました。

和田様
メール有難う御座います。
下村様から私の方にも簡単なメールがありました。上記の記事は見ておりません、多分新聞社から送ってくれるはずです。
今回の研修生の件は生まれ故郷の鹿屋市と鹿児島にもっとブラジル(南米)大好き人間が増えて欲しい、外国から日本のよさを再認識して欲しい等というのが骨子です。
それと、戦前移住者を含め1970年代までは自腹を切ってでも世に中、後輩に協力を惜しまぬ武骨(武士)の日本人が居たという強力な印象がありますが、今のコロニアは乞食根性と言いますか御願いするばかりで自腹を切ってでもという人は皆無になっているように思います。
決して私が先達の真似事を、などとは思っていませんが、5年間で10名の鹿屋+鹿児島居住の若人を自費で呼びたいと思いついたのがこの研修制度です。
来て貰う若人に強力なインパクトを与える意味で日本側は、鹿児島県庁、鹿屋市、留守家族会、国際交流協会、南日本新聞社ブラジル側は ブラジル鹿児島県県人会(90周年記念事業として)が協力して呉れる事になりました。




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