臣道聯盟 移民空白時代と同胞社会の混乱 宮尾 進 著作
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ブラジル日本移民百周年記念「人文研研究叢書」第2号としてこの程、宮尾 進 先生の臣道聯盟 移民空白時代と同胞社会の混乱 −臣道聯盟事件を中心に−が刊行された。サンパウロの本屋さんでこの書を求めた日にイグアッペ街を歩いておられた宮尾先生にばったりお会いした。1930年ブラジル生れ1939年日本へ渡る1953年信州大学文理学部人文化学科哲学科卒業1953年ブラジルへ帰る1954年−56年サンパウロ女学院教師1956年−80年「農業と共同」誌(コチア組合刊)「ブラジルの農業」誌(コペラソン出版刊)編集長1965年サンパウロ人文科学研究所創立に参加1965年−82年同理事1982年−91年同事務局長1991年−2002年同所長の経歴から見ても殆どの生涯を人文科学研究におけるニッケイコロニアに付いての研究に携わって来ておられその道の権威者として高く評価されており、シリーズ第1号の「ボーダレスになる日系人」(寄稿集183番目に掲載)に次いでの第2弾である。
写真は、同書の表紙です。
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刊行のことば
本書は、前当研究所々長であった著者が「ブラジル日本移民八〇年史」の一章として書いたものであり、昨年当所が刊行した同著者による「ブラジルのニッケイ社会論集−ボーダレスになる日系人」の中に掲載するはずであったが、予定を越える大冊となることから、割愛した。
今回これを別冊として刊行することにしたのは、いわゆる臣道聯盟事件、即ち終戦直後の「カチ・マケ」事件の記録は、これ迄いろいろな視点から書かれたものが刊行されているが、公正な視点に立脚して書かれたものは余り見られないことから、本書を敢えて刊行することにしたものである。
本著作は、日本移民史の流れの一環として当時まだ同胞社会といわれていた終戦直後の日系社会の混乱期を、厳密な資料・史料に基き、出来得る限り中正を期して書いたものである。従って今日なお、資料・史料不足のため真相の明らかでない当時派生した関連事件(例えば「円売り事件」)などは、「註」でとりあげているに過ぎない。しかし、この「註」も資料・史料を充分に調べて記しているので、本書おいては「註」も重要な意味をもつ。多少、繁雑ではあろうが、是非こヽにも眼を通してもらいたい。
百周年も近いブラジル日本移民史の中での一大事件とも見られているいわゆる「臣道聯盟」とは何であったのか、本書を紐解いてもう一度考えていただければ幸いである。
2003年 11月 サンパウロ人文科学研究所
理事長 本山 省三
1941年8月13日「ぶえのす・あいれす丸」がサントスに入港した。日米交渉急をつげる雲行きの中で、417名の新移住者を乗せたこの移民船が、戦前移住の最後となった。「笠戸丸」から33年、19万人にのぼるブラジル日本移民は、ここに終止符を打つことになったのである。(開戦前夜より)
1941年8月を最後として戦前移民は終り、1953年1月、はじめて戦後移民が再開されたが、この移民の途絶していた空白の十年余の期間は、ブラジル日本移民の八十年の歴史の中で、まさに「暗い谷間」の時代であった。しかし、この暗黒の期間の十年を通して、はじめて日本移民はこの国に根をおろして生きて行こうとする覚悟を深めて行ったのである。
それは、ブラジル日系人としてのわが家系の「御先祖様」となろうとする自覚であった。こうした戦前の「出稼ぎ」から「永住」への意識の転換が、結果としてその後の日系社会のあらゆる面での飛躍的な発展につながって行ったことから見れば、「暗い谷間」の十せんは、必要な試練の時であったということができよう。(永住への決意より)
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