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ロバを撃つべきか(池澤夏樹 2003-12-28 パンドラの時代004より)
今年新しくメンバーに入れて頂いたbatepapo(おしゃべり)と言うサンパウロの日本商工会議所のコンサルタント部会のメンバーを中心としたMLがあり、ブラジル各地の商工会議所のメンバーも入っており活発な情報交換の場となっています。メンバーの一人サンパウロのソールナセンテ人材銀行代表赤嶺さんから作家、評論家の池澤 夏樹氏の書かれた【ロバを撃つべきか】と題する自衛隊のイラク派兵問題に関する文を次のコメントと共に送って頂きました。『それにしても、池澤 夏樹氏は、今一番輝いている書き手の一人で、ジャーナリストの感性も充分に併せ持った洞察力を有した作家だ、と思いました。小生は、彼がこの長い文章の中で、(日本の政治家が)軽い言葉をやり取りしたあげく、戦場(イラク)に送られる「自衛」態員の一人一人は、(戦う上においては)恐らく優秀な若者ばかりであるが、上に立って判断すべき人たちにどれが戦争でどれが戦争でないか、を区別し、その基準を作る能力がない、といった意味合いのことを書いていることが印象的でした。それだけに、(この若者たちに)よく考えて欲しい、と切に願う、と付け加えていることも記憶に残りました。』
写真は、池澤 夏樹さんのHPからお借りした近著の【風がページを。。。】の表紙です。


今年はずいぶん殺伐な年の暮れになりました。
去年はまだ開戦前夜だったけれども、今は戦争の最中です。
日本では自衛隊をイラクに派遣する計画がどんどん具体化しています。
一昨日(12月26日)、航空自衛隊の先遣隊が出発しました。遂に行ってしまった。
自衛隊派遣について小泉政権は充分な説明をしていません。
責任を放棄していると言われてもしかたがないでしょう。自衛隊を派遣する理由は矛盾だらけで、国民の過半数は反対しているのに、政府はその声を無視して既成事実を積み上げようとしている。
この状況の中で、派遣される自衛隊の人たちはどういう立場にあるのか、それを考えてみたいと思います。
言うまでもなく、彼らは兵士です。
完全装備で立った姿からは、アメリカ兵や韓国兵や旧イラク兵と区別はつかない。ヘルメットも、カーキ色や迷彩の制服も、肩から下げた銃も、みな同じ。
人道支援で行くと言っても、兵士であることに変わりはありません。武力行使はしないと言いながら、戦闘を前提とした体勢で行くのです。
兵士という職業の本分は、はっきり言ってしまえば、暴力です。国家によって運営される暴力・破壊力。
しかし、暴力というものがぜんたいとして不幸につながることを人間は知っています。現代では国家たるもの暴力を正面から肯定するわけにはいかない。
それでも軍隊は持ちたい。だから「限定の論理」を用意する――
これは相手からの暴力に対抗するための暴力の準備であって、こちらから一方的に行使するわけではない。
自衛のための戦力であって、攻撃のためではない。
軍隊ではなく自衛隊である、等々。
日本国憲法の前文と第九条は、国家の運営に暴力を用いないという宣言です。
第二次大戦で数千万の死体を積み上げたことへの反省、見知らぬ者を殺し、家族を殺され家を焼かれたことへの反省から、日本人は国の運営に暴力を用いないと決めた。
この宣言は後に少しずつ歪められ、結局のところ日本はまた軍隊を持つことになりました。
それでも「限定の論理」は効いていました。ともかくこれは「自衛」隊だし、その活動範囲は日本の国土とその周辺に限る。他国への侵略は行わない。
自衛隊は専守防衛が任務でした。敵が来た時に迎え撃つだけで、こちらから攻めてはいかない。
言い換えれば本土決戦部隊です。
そこまで限定したのは、軍と暴力に依存する政治は不幸につながるという反省があったからです。
しかしながら、「国の運営に暴力を用いない」という日本人の決意は時と共に次第に薄まってきました。
第二次大戦は遠くなり、議員や官僚を含めて、今は戦争体験者の子や孫が社会の中枢にいます。誰も戦争を知らない。
親の体験はなかなか子供には伝わりません。まして孫にとっては遠い話。
血まみれ焼けこげの死体が目の前に転がっていたなんて、あまり聞きたい話ではない。
今、世の中は享楽に満ちています。そういう社会を日本人は築いてきた。
だけど、その先で暴力は待っているのです。
たぶん人類の発祥以来ずっとこの問題はついてまわって、文明が興ってからはいよいよ規模が大きくなって、今に至っている。
この数千年間、人の知恵と暴力の綱引きが続いてきました。
そして、ここ10年ほどの間に、日本人は暴力の側にずいぶん引き寄せられました。
その結果としての今回の自衛隊イラク派遣です。
今、自衛隊員はそれぞれに個人に戻って、自分たちが国家が運営する暴力システムの最先端にいるという事実について真剣に考えていることでしょう。
考えていてほしいと切に願います。
政治家が軽い言葉をやりとりしたあげく、自分たちは戦乱の地に送り出される。
殺されるかもしれない。殺すかもしれない。
どういう時にどう行動すればよいか、基準がない。
これは戦争なのか、戦争ではないのか、最も大事なこの点があまりに曖昧で、何をやってもやらなくても、後で非難されそう。
政治家はアメリカの方しか見ていません。具体的な判断は現場に押しつける。いざとなったら逃げる気でいる。
これは軍隊のありかたとしても不幸なことです。
シビリアン・コントロールが悪い形で機能している。
話を具体的にしましょう。
今回、陸上自衛隊が携行を認められた武器の中にロケット式の無反動砲があります。自爆攻撃のために突入してくる車両を数百メートルの距離から破壊できる。もともとが戦車を撃破するために作られた武器ですから、トラックを運転手ごと粉砕するくらい簡単なこと。  ロケット弾を的に当てるための訓練を自衛隊員は重ねてきました。
しかし、敵を見分ける訓練はしてこなかった。
今のイラクのような戦況では、問題はいかに確実に敵を撃破するかではなく、誰が敵かを判断することです。
数百メートル先のトラックの積荷が爆薬か小麦粉か、どうやればわかるのでしょう。
石破防衛庁長官は「隊員はそのための訓練を積んでいる」と言いますが、民間人とゲリラの戦士を区別する訓練の内容が知りたいと思います。
区別できないようにするのがゲリラの戦術だからです。
11月下旬にバグダッドで行われたゲリラ攻撃では、ロバの曳く荷車がロケット弾発射装置を運んでいました。
ロバは撃ってもよいのか、という設問はきわめて現実的なのです。
ロバを巡る判断はそのまま、子供や女性や老人、そしてふつうの男性にまで拡大されます。あれは敵なのか、あれは撃ってもよいのか。
お手本であるはずのアメリカ軍は多くの民間人を殺して非難を浴びています。イラクの 人々の反発をそそり、彼らをゲリラ戦士に協力する側に押しやっています。
職務で人を殺すとはどういうことでしょう。
人を殺せる道具を手にして、疑心暗鬼の状態で、見知らぬ人々の前に立つ。
日本の兵士はそういう状況の中へ送り込まれようとしています。
たぶん、彼らは兵士として優秀なのでしょう。
もともと日本人は命令遂行に向いた性格を持っているようです。言われたことは一生懸命に実行する。
しかし、何を命令すればよいか、その点に関する判断力は充分ではない。
兵士の質を論じる前に、将校の質が問われる。更にはその上にいるはずの政治家の質。
サマラに一時間滞在しただけでここは安全だと言い切ってしまうような、限りなく無責任な政治家の資質。
イラクについて何も知らず、また知ろうともしない者に、敵と味方の区別ができるわけがありません。
派兵のお手本として、アメリカを参考にしましょう。
今のアメリカ政府を見ていると、異なる文化についておそろしく無知だという印象があります。
世界中だれもがハリウッドとハンバーガーとコーラが好きだと信じて疑わない。
この単純でばかばかしい思い込みが至るところで彼らを窮地に追い込んでいる。
日本人もまた異文化に対して無知で不器用です。
戦後58年間、われわれはアメリカしか見てきませんでした。
だから、日本の兵士はアメリカ軍の失敗をそのまま踏襲することになるでしょう。
イスラムを知らず、武力によって社会を壊された人々の恨みを理解せず、民衆に支えられたレジスタンスの威力を知らないまま、戦地に送られる。
現地について最も詳しいNGOの人たちの意見を容れる気配もない。
今、自衛隊が行くことには何の意味もありません。
イラクの人々の暮らしがよくなるわけではないし、国際社会で日本の評判が上がるわけでもない。
得るものより失うものの方がずっと多い。
イラクにアメリカ軍が駐留する限り、治安の安定は望めません。彼らに手を貸しても、結局、ブッシュ政権の当面の利を支えることにしかならない。
アメリカ軍に撤退を進言し、NGO的な活動を支援する方がイラクの未来につながるでしょう。
自衛隊の派遣は大きな間違いであるとぼくは考えます。

               (池澤夏樹 2003−12−28)



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