夢・ベテラングループの皆様
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学移連(日本学生海外移住聯盟)と言う南米移住に夢を馳せる各大学のサークルの連盟として今思えば泥臭いそれでも大きな夢を育む団体がありました。日本全国の50数大学が参加した団体で毎年南米実習派遣団を送り出していました。ブラジルで今尚活躍している多くの方の心の拠所ともなっています。昨年、大束員昭さん(神奈川大学)が世話人代表となり作り上げた現代風MLによる仲間の交流の場【夢・ベテラングループ】が稼動し始めています。未だメンバー20名弱ですが今年は世界中の学移連関係者を糾合し夢を語り合いそれを子供たちに伝えて行く建設的な有意義且愉快なMLを目指して行くとの檄を飛ばしており大束さんの新年の挨拶文と女性メンバーの山添洋子さんの新年の挨拶、自己紹介等開き直った寄稿文でなく普段着のおしゃべりをお借りして寄稿文に替えさせて頂きました。これからも多くの夢を掲載して行きたいと思います。
写真は、年末にサンパウロで行われた学移連の忘年会のものです。今回は、どうしても参加出来ませんでしたが又の機会に旧交を温め遠い昔の夢を語り合い次代に受け継いで行って貰いたいと願っております。
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夢・ベテラングループ各位
..............................................祝
............................................謹賀新年
............................................平成16年
...........................................西暦2004年
...........................................皇紀2663年
........................................。学移連創立49周年
。。。。。。。。。。。。。。、、・学移連解散10周年
。。。。。。 。。。。。全世界の連盟OB住所録作成を始める年
。。。。。。。。。。。 。世界中の仲間が交信を始める年
。。。。。。。。。。 「OB夢・ベテラングループ」スタートの年
。。。。。。。。 電子メールという便利な技術を使いこなす年
お互いの健康と繁栄を祝福しあう年
50年前にすばらしい運動が起きた事を子供たちに伝える年
私たちはその運動を推進して来た一員であることを伝える年
。。。。。。。。。。 そのパイオニア精神を改めて見直す年
。。。。。。。。。。。。。。。。 後継者育成を考える年
。。。。。。。。。 お世話になったすべての人たちに感謝する年
。。。。。。。。。・ すでに昇天された先輩達の霊に感謝する年
。。。。。。。。 必要なら学移連の名前や枠から脱皮を考える年
苦しかったこと、楽しかったことのすべてに感謝してがんばる年
。。。。。。。。。。。。。。。。。2003年12月
。。。。。。。。。。。。。。。。。。大束 員昭
明けましておめでとうございます。大束様や、谷村様の大変なご努力で、2004年のお正月を、地球の裏側の皆さんと即時に交流できる楽しさを共有させていただいております。
去年誕生したこのグループが、今年は、どんどん成長していって欲しいと思います。
今年の京都は、暖かいおだやかな三箇日でした。ただ、古都京都といえども、初詣に着物姿の人はごくごくまれで、いわゆる晴れ着と、普段着の区別も少なくなり、家々の門松、しめ縄等の飾りも少なくなり、お正月らしさがすっかりなくなってきました。
食べ物もしかり。デパートでは何十万円もする高級おせち料理が早くから予約でいっぱいと聞く一方、多くの家庭では、特にお正月料理を以前のようにたくさん作ることはなくなりました。
ふだんが、昔の盆か正月のようなご馳走を食べている生活ですので野菜のお煮染めなど多いおせちは若者には喜ばれません。なにより、コンビニはもとより、デパートもスーパーも元日から営業しているぐらいですから、作り置きのさめたお料理など必要がないのです。
それでも、やはり永年やってきたことはやめられず私は今年も作って、例年と同じように、残り物に困っています。
元日の小泉首相の靖国神社参拝がニュースになっているぐらいで、静かなお正月です。
グループに参加させていただき、ありがとうございます。ご挨拶代わりに自己紹介させていただきます。
京都に住んでいる山添(旧姓岸本)洋子と申します。1965年、奈良女子大学ラテンアメリカ研究会に属していた時、学移連の第6次学生南米実習調査団の一員としてブラジルに派遣されました。そして、'67年から2年間大阪商船三井船舶の南米航路・あるぜんちな丸、ぶらじる丸のスチュワデスとして乗船勤務。
その後、大阪万国博覧会協会、および万国博覧会記念協会に勤務して、海外に関する仕事をしていましたが、結婚後は専業主婦。長年、高齢者福祉問題に関わる市民活動、ボランティアなどをしています。
この「夢・グループ」が発足した11月中頃は、家族で、イタリア旅行をしておりました。
ちょうど、イラクで、イタリア人兵士など19人がなくなった時で、国中、半旗が掲げられ、国葬に参列する人達が、教会を取り巻き、大阪万博の時ならぬ4,5時間待ちの長蛇の列を作っていました。
その後、日本人にも犠牲者がで、自衛隊の派遣が始まっています。世界に誇る日本の平和憲法のもとでこんなことが許されるのかという思いを持ちながら、それでも時代に即して行かねばならないのか、どう判断して良いのかわかりません。
きっと先の戦争の時も、疑問を持ちながらずるずるとそういう方向に引かれていった人が多かったのではないかと思います。「考えるのがめんどくさい、今日の自分のことだけで忙しい」という私です。
今回の旅行で、特に年齢を感じさせられました。(今59才)40年近く前、ブラジルに行った時、日系人の方が、虎の子のように大事にされているであろう日本の食材で巻き寿司を作って歓迎して下さったのに、若い私は、「豚の鼻でも耳でも良い、ブラジルのものが食べたいのに…」と思った記憶があります。
ところが、この度のわずか10日間の旅行に、息子や娘に叱られながら、こっそりカップ麺など鞄に詰めていって、毎日のイタリア料理に飽きて、それを、おいしいおいしいと食べました。
町中が世界遺産のような、ローマなどで溢れるほどの文化財を見ましたが、最近の私の記憶力では、何が何やらごちゃごちゃになってしまって、甲斐のないことです。
その点、若い者たちは感受性も、順応性も強く体験したことは、きちんと頭の引き出しに仕舞い込まれたようで昔は私もあんなだったはずなのに…と嘆きつつも、あの時代に体験できた幸運を今更ながらありがたかったと思ったりしています。
先日来のメールで話題になっている私たちの子供達へ伝えることのひとつはやはり、若いうちにたくさんの経験をすることでしょうね。(しかし、残念ながらわが家の子供達=20歳代の2男1女=は、そうそう親の言うことを聞いてはくれません。)
長いおしゃべりになってしまいました。また、ぼつぼつと参加させていただきます。
どうぞよろしく。
山添洋子
和田様
早速お返事ありがとうございます。
和田様のことは、以前大束様よりお聞きし、「私たちの40年!」のホームページもその時に見せて頂いております。
といっても、膨大なものですから全部は読んでおりませんが。今日、改めてまたなつかしく読ませていただきました。しかし、40年は長いです。最近とみに記憶力減退を実感している私には、とても文章に書けるように記憶がつながりません。
以前、NHKテレビであるぜんちな丸で移住した人たちのその後を追うドキュメンタリー番組を見ましたが、それは和田さん達のことですか?印象的には、もう少し新しい移住者のことだったかと思いますが・・・確か、移住10年後、20年後を追跡した番組で栄枯盛衰いろいろあり、特に悲しい場面が多くあって他人事とは思えず、涙しました。
幸い、6次団の10名と、2年滞在の5次団引地副団長の計11名は2名を除いて連絡を取り合い、皆、それぞれにそれぞれの道でよく頑張っておられます。その人達には今年の年賀状で、このMLのことをお知らせしていますのでぼつぼつ参加されるだろうと思っています。
「私たちの40年!」には乗組員の何名かの方の名前も出てきますが、残念ながらほとんど知らない方ばかりです。
私がスチュウワデスとして乗った時(昭和42から44年)は、最大船客が300名あまりで、乗組員が100余名、この文を読みますと、改装されたとはいえ、同じ大きさの船に、同じくらいのスタッフの数で、600余名の船客のサービスをしたことを知り、どんなに忙しかっただろうとびっくりしています。
ただ、寄港地などはほとんど同じで、とぎれとぎれに記憶がよみがえってきます。派遣団としての私は、往路はさくら丸、帰路は貨客船に改装されたばかりのぶらじる丸で往復。その後、仕事としては、ある丸とぶら丸で5航海しました。いつも、下船して行かれた船客のその後が気になっていました。和田さんのホームページに今、投稿することは難しいですが、また、何かきっかけが出来ましたら・・・というところです。
とりあえずお返事まで。
山添洋子
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