四月某日 アマゾンのトメアス移住地訪問記 藤井みどり
|
|
JICAの開発青年(現・日系社会青年ボランティア)17回生としてポルトアレグレの南日伯援護協会で勤務しておられる藤井みどりさんがこの程、2年間の勤務を終えて帰国されますが、ブラジル滞在中に編集発行をしておられた南伯援護協会ニュース等に掲載されたものをこの『私たちの40年!!』HPの寄稿集にも残して行けたらとのご希望で送って呉れました。みどりさん有難うございます。
いずれ又好きなブラジルに戻って来たいとのご希望をお持ちでですが、何時、如何にしてが問題だと屈託なく笑うみどりさんは、本当にブラジル向きの性格でポルトアレグレでも3部屋の大きなアパート住まいに恵まれ日伯交流協会の研修生も押し掛け、大姉御のみどりさんの所でお世話になった研修生も多い。ご苦労さまでした。
写真は、2月11日、結構気にいっていると言うアラビア料理店BARBECKでの内輪の歓送会の時に撮らせてもらったものです。普段着のみどりさんです。
|
|
四月某日、二年半ぶりにアマゾン河口の町、パラ州ベレンに降り立ちました。朝八時にポルトアレグレ出発、予定では到着は十三時三〇分という五時間半の移動時間のところ、なんと到着したのは翌日の午前二時!これもポルトアレグレの秋から冬にかけて発生する濃い霧のため、飛行機が予定通りに離着陸できなかったのです。ブラジリアで十時間近く滞在し、首都ブラジリア観光というおまけがつきました。ハプニングも旅の思い出です。
さて、今回の目的は前回二年半前に行くことの出来なかった、トメアス移住地訪問です。トメアス移住地とは、御存知の方も多いかもしれませんが、ベレンから南に約三〇〇キロ、バスで五時間半のところにあり、一九二九年に日本人が初めてブラジルに入植した歴史ある町で、胡椒の生産地として最盛期にはその名をとどろかせたところです。
さて、この胡椒が軌道にのるまでの過程ですが、当初の計画、カカオの栽培がうまくいかない一方で、その他様々な作物の研究が試みられていました。そのうちのひとつ、ピメンタ・ド・ヘイノ(胡椒)は一九三三年に当時の南米拓殖株式会社の職員であった臼井牧之助氏が移民監督官としてアマゾンに赴く途中、シンガポールで偶然見つけ購入したものです。二〇本の苗に船の中で水をやり、トメアスにあった試験場へ運んではきたものの、試験場で根付いたのはわずか二本でした。試験場は閉鎖されましたが、この試験用の僅か二本の胡椒の木からの挿木苗各三〇本が二人の農家に譲り渡されました。一九三八年度の組合の生産高は七〇キロでしたが、十五年後の一九五三年には六五〇トンという驚異的な生産量増加が見られます。
話は戻りまして、いよいよトメアスに到着。正直思ったよりもにぎやかな町でした。立派な建物も多く、開発青年(現・日系社会青年ボランティア)一回生の女性が営んでいるカラオケ(私が十七回生です。と言ったら月日が経つのが早いと感慨深げでした)や日本食を用意してくれる立派な民宿など、とてもベレンからバスで五時間しかも橋渡しの船に乗ったとは思えません。早速、先没者の方々が眠っている墓地でお参りをし、その後は日系人医師が常勤している十字路アマゾニア病院見学、それと文化協会内にある移民資料館を拝見しました。見事に陳列された移住当初の品々、それと裏庭には完全に復元された家もありました。改めて移住当初の様子が身近にわかります。そしてなんとここトメアスには、地元日系人たちが作ったハーフのゴルフコースがあると聞き、行ってみました。とても立派で熱帯らしい植物に囲まれていました。実はトメアスは、第二トメアスと呼ばれる、さらに車で1時間ほど行ったところに大きな移住地があります。宿泊はこちらに住んでいる南部さんのお宅です。結局二泊もお世話になりました。ちょうど私が行った時に、青年会を始め、地域住民によるシュハスコ・フェスタがあり、参加させてもらいました。現在は二〇代、三〇代の若者がトメアスへ戻り、次の農業の担い手として積極的に活動をしています。そのため、フェスタもすごく活気があり、年配の方々がパワーに圧され気味でした(笑)
今回トメアスに行ってみたかったのは、私が日本で青年ボランティアの研修を受けている頃、移民の話を数多く聞いたり、映像、書物などを多く目にしました。そして、そこでとくにトメアスのことが印象に残りました。歴史があるだけではなく、きっと熱帯ならではの苦労が多く語り継がれているからではないでしょうか。今回、実際自分の目で見てみて、想像だけの景色や人物像が明確に浮かびあがりました。ブラジル最南端州に派遣されている私は、こうしてブラジルの北、南両方の移民の方々にお会いすることが出来、共通することは皆さんの力強さとエネルギー、それに移民当初の苦労をまったく感じさせないまぶしいくらいの笑顔でいつでも温かく迎えてくれる優しさです。いつか北伯、南伯の日系人が交流する機会があればと思います。トメアスで一つだけ参ったことは、ずばり「虫」です。アマゾン特有のマルインというゴマくらいの小さな虫に二〇〇箇所以上刺されました。おかげで、ベレンのアマゾニア病院の救急外来に行くことに・・。見事な歓迎ぶりでした。
|
|