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『ブラジル移民』 戦後40年の記録 旧トップページの保存(5)。
昨年、11月11日に更新した旧トップページを3ヶ月振りに書き換える事にしました。今回は、4万件達成と読み易くするための新しい【話題別目次】の項を加えるためのTOP PAGEのレイアウトを一部変更に伴うものです。
21ヶ月強で4万件のアクセス、それもその半数以上が日本からのアクセスで昨年4月から管理しているアクセス分析ソフトによると最近では1日140件前後を記録しています。TOP PEGEの左下に付いているカウンターは、つい最近まではTOP PAGEより入ったものだけをカウントしていましたがアクセス分析ソフトの数と大分差があるのでCHKして貰った結果、寄稿集のURLより直接アクセスするバイパスアクセスは、カウントしていなかった事、ポルトガル語のHPへのアクセスも共同カウントしているとの事でバイパスアクセスもTOP PEGEのカウンターに数えられるように設定して貰いましたのでアクセス分析ソフトとほぼ同じカウント数を記録するようになりました。これまでにアクセスして下さった国は、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、チリ、ペルー、コロンビア、エクアドール、パナマ、グアテマラ、コスタリカ、メキシコ等中南米の諸国と日本、韓国、台湾、香港、インドネシア、シンガポール、タイ、インド、オーストラリア、ニュージランド等のアジアオエアニア諸国、ポルトガル、スペイン、イタリア、フランス、英国、スイス、オランダ、ベルギー、ドイツ、オーストリア、ロシア等のヨーロッパ諸国更に南ア、ケニアと云ったアフリカの名前も見られます。アメリカからは、NGO、ネットワーク、その他多くの団体、組織からのアクセスも記録されています。毎月のレジュームには30ヶ国前後の名前が記録されていますので既に合計40ヶ国近い国からのアクセスがあるようです。日本語とポルトガル語だけのHPが認知されつつあると言うことでしょうか。
写真は、青空に咲くブラジルの向日葵一輪です。


『ブラジル移民』 戦後40年の記録
私たちあるぜんちな丸第12次航(1962年5月11日サントス港下船)の同船者681名は、平成14年5月11日で40年を迎えました。当時のあるぜんちな丸第12次航の船内新聞「さくら」の編集責任者をしていた私と船内ニュース班の仲間として手伝って呉れた編集員が中心になり船内新聞の40年後の特別号、号外の形で戦後40年の移住史の一部を皆で書き残そうとの企画が持ち上がり、出来れば印刷、出版もと考えていましたが、時間的な問題、資金面の問題もありせめて寄稿して頂いた貴重な記録、原稿を大事にし、書き物にして後世に残して置きたいとの切なる願いから、当時のガリ版刷りの船内新聞の一部、黄色くなった名簿、懐かしい写真等を文明の利器パソ\コンを使い資料のDIGITAL化による保存を考えついた次第です。これらの無形に近い数多くの資料、写真等を我々同船者全員の資産として共有し、後世に残して行く事、民族の移動、移民、移住問題、個人の人生の選択等に関心を寄せる人達、特に海外に夢を馳せる若い人達に読んで頂ければとの気持ちでホーム・ページを開設しました。

HP正式公開後丸1年半を経過、同船者仲間、ブラジルの領域を大きく超えて現在では日本を始め世界30数ケ国に上る多くの皆さんにアクセス頂いており1年半で31000回を記録しております。従いその管理運営にも大袈裟に云えば社会的な責任も伴うのではないかと身が引締まる思いがしております。

この度、開設1年半を経過、31000回アクセスを機にHPのトップページの書換えを実施することにしました。基本的には同船者681名の戦後移住者としての生き様を書き残して行くという大要は変わりませんが今後はあるぜんちな丸で着伯した多くの仲間(合計11,102人)、ひいては戦後移住者全員、移住と直接関係の無い日本企業短期派遣社員、留学生、研修生、旅行者と幾らかでもブラジルと繋がりの出来た多くの方にブラジルを語って頂き日本の皆さんで少しでもブラジルに関心を持ちブラジルを知りたいとのお気持ちを持たれた時には『私たちの40年!!』にアクセスすればその目的が果たせると云った総合『ブラジル学?』のサイトとして育って行けばと念願しております。更に私達の同船者が入ったボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの仲間の様子、それらの国以外の移民の歴史(明治初期のメキシコ榎本移民、ハワイ移民、ペルー移民等)についても記録を集めて行きたいと思います。


『私たちの40年!!』は、そのコンセプト、表\現手段を日本語を基本としたホーム・ページとして公開しましたが、私達の同船者681名の内、3分の1に当たる200数拾名が41年前にサントス港に着いた当時15歳未満でした。これらの仲間は、当然ポルトガル語又はスペイン語の方が日本語より使い易く、更に当地で生まれた二世、三世の我々の後継者は、当然現地の言葉が中心となります。従いこれらの仲間、私達の子供、孫達を対象にしたポルトガル語のHPの必要性を感じ『私たちの40年!!』HP公開1周年を記念してポルトガル語のHPを開設しました。日本語のHPから直接ポルトガル語ページに移れるしその反対にポルトガル語のページからも日本語ページに飛べるようにしております。ポルトガル語のHPは、日本語版の翻訳版ではなく同じ目的、主旨による兄弟HPではありますが、表\現手段が変わる事により同じ寄稿文でも幾分そのニュアンスも違ってくるし、考え方、物の捉え方、解釈も変わってくる事から同じ文を取り上げても逐語訳等の方法を取らず意訳、説明的な文と成る事から日本語の資料を基にしたポルトガル語の文章となります。その編集、更新作業は当然こちら生まれの二世、三世の皆さんにお願いする事になりますが、先ず始めるに当たり身近な存在ととして私の長女、和田弥生エリーゼ(リオグランデドスール州連邦大学新聞学部新聞学科卒業後2年間日本のポルトガル語新聞社でポルトガル語新聞と雑誌の編集、記者として勤務今年3月に帰国)に手伝って貰う事にしました。多くの協力者が出現する事を切に望みます。

本来の『私たちの40年!!』HPは、戦後移住者としての我々の移住先の国々での定着の過程、生き様を我々の子孫に語り伝え自分達の祖先、ルーツを辿る資料として残して置きたいとの気持ちで始めたものでありそれを近い将来同船者の現地移住国で教育を受けた準2世の仲間、私たちの子供達が引き継ぎポルトガル語、スペイン語で私たちの歴史を書き継いで行ってほしいと念願しており、今回のポルトガル語版は、その気持のあらわれです。従い私たちが日本語で書き残す記録が何時の日か我々の子孫がそのルーツとしておじいちゃんたちが残してくれた財産として引き継いで呉れる事を期待しています。

あるぜんちな丸第12次航の681名の同船者がブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンの4ヶ国に入植しました。志し半ばで亡くなられた方、家庭の事情で帰国せざるを得なかった方、移住国に拠点を置きながらも現在は、日本に働きに出かけている方、41年間、最初の入植地に居座り営農に従事している方、国内移動、国外への転住者、それぞれの皆さんの41年の歴史があります。各個人、各家庭、各移住地の歴史を一人一人が書き残す事により戦後41年の歴史が浮き彫りになって来るのではないでしょうか。 同船者皆が語り、書き残していく『私たちの40年!!』も多くの同じあるぜんちな丸で移住して来られた人達、戦後色々な形態で移住して来られた人達、移住とは直接関係のない短期駐在員、留学生、研修生、旅行者、果てはまだブラジルの土を踏んだ事のない多くの人達からの寄稿、暖かい書込み、励ましを受けており、我々同船者だけでなく多くの日本の皆さんにブラジルと日本を繋ぐ絆としてまた祖国日本を遠く離れた地球の反対側に住む私達の戦後41年の歴史を通じての赤裸々な生き様を知って頂く手段としての『私達の40年!!』HPは、貴重な存在となって来ております。

『私たちの40年!!』の映像化も、同船者の篤志家の寄贈を受け、コロニアの著名な記録映像作家の岡村 淳さんの協力を得て『40年目のビデオレター』という映像による同船者の皆さんの現況を記録に残す目的から昨年1月に北伯編としてベレンで下船された31名の同船者の皆さんを訪ねる旅を実施、第一部アマゾン編として完成させております。又最近その第二部ともいえる『41年目のビデオレター グアタパラ編』が完成11月末に日本でその完成記念上映会が実施される事になっております。浄財が集まれば是非今後もボリビア、パラグアイ、アルゼンチンに入植された同船者、日本に帰国または働きに行っておられる同船者の皆さん、トメアスー移住地だけでなく、リオのフンシャル移住地等最初の入植地で頑張っておられる同船者、炭鉱離職者、花嫁移民、野球移民、産業開発青年隊、コチア移民と話題性に富む同船者のその後の様子等、映像記録等も残して置きたいと思っています。

昨年、5月12日には物故者の霊を弔う慰霊祭と生きている我々の喜びを分かち合う同船者の集いをサンパウロの静岡県人会館において同船者とその家族、関係者120名近くを集めて実施しました。今年も同船者の園田昭憲さんの姫マッタケ栽培の為の堆肥原料工場の落成式に参加する形で2月15日、16日の両日、同船者30数名がサンパウロに集いました。あるぜんちな丸移住者輸送助監督として私達をブラジルに送り出して下さった上園義房さん、同船者で現在東京に住んでニューヨークで事業展開をしている稲見正次郎さん親子、昨年の40年の集いに参加出来なかった同船者等僅かずつ輪が広がって来ております。来年の42年には、園田さんの新築自社ビルの一部をお借りしてあるぜんちな丸第十\二次航の資料展示室を開設することも計画しており9月に神戸在住の佐藤敦彦さんよりあるぜんちな丸の模型(250分の1)の寄贈を受けており、同じく東京在住の野口みどりさんからはあるぜんちな丸乗船記念バッチの寄贈も受けております。追々、写真、住所録、船内新聞等の資料も集めて行きたいと願っております。皆さんのご協力をお願いします。

『私達の40年!!』HP編集責任者としての私の人生観、趣味、好み、居住地等による編集趣向に個人的な偏り等も随所に見られると思いますが、同船者の一人を通じての戦後移住者の記録を、一人一人にこの41年間がどうであったのか聞き出し記録していく作業を地道に続けて行きたいと思います。このHPの根底に流れる私の気持ちは同じ船で移住してきた仲間が一人でも多く『移住という選択』が間違っていなかったとこの41年を肯定できる人生を過ごしてこられた事を願いその過程を知りたいというものであることは間違いなく、その基本的な考え方は頑なに守って行きたいと思います。

最近では、半数以上のアクセスが日本の皆さんとなっており、5000回アクセスを記念して始めた『バーチャル座談会』の企画も大いに寄与していると思います。IT時代の現在でないと不可能\な世界を一瞬にして繋ぐインターネットの武器を最大に利用したこの、『バーチャル座談会』は、日伯の多くの発言者を得て第7回(都合11回)まで続きましたが最近は小休止状態にあり無理をしないで年3-4回の間隔で継続して行ければと願っております。

1年前の昨年11月に設置した画像掲示板も写真の貼\り付けも可能\な事から皆さんに喜んで使って頂いており月間1000件以上のアクセスを記録しております。寄稿集のPR等にも利用しており古い分もダウンロードして保存して行きたいと思います。通常の掲示板も141テーマ403件の書込みが記録されており、捨て難い魅力があります。膨大な寄稿集、画像掲示板、掲示板、写真集、リンク集ですがお時間の許す時に少しずつでも読み流して頂ければ幸いです。寄稿集は、読みやすくする意味で活字サイズを大きくしておりますが、近い将来にはサイト内検索、項目別目次等を付け読み易くして行く積りです。

平成15年11月11日 『私たちの40年!!』HP公開18ヶ月、31000回アクセス記録の日に書換え更新                      
『私たちの40年!!』HP編集管理責任者
     和田 好司



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