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徳力 啓三さんご夫妻でカーニバルに初参加!!
徳力 啓三さんは、自己紹介欄にもある通り三重大学卒業の日本学生移住連盟のOBです。私が参加している【夢・ヴェテラン】のML仲間の一人、カナダのトロントに住む丸木 英朗さんがインタネット版のニッケイ新聞で徳力さんの写真と記事を見てそれを仲間に伝え移民100周年記念の年2008年には皆でカーニバルに参加しようではないかとの大きな夢を提唱している。是非、実現させて皆で見る阿呆から踊る阿呆への転換を図って見ようではないですか。その第1番手、徳力さんの興奮冷めやらぬ様子をニッケイ新聞からお借りしました。
写真もニッケイ新聞のものです。


聖市のカーニバル=“日本色”目立ったパレード=450年「移民」と「食」影響=ペルーシェ1アーラ=丸ごと日本髪女性=一世参加できて感動=興奮冷めやらぬ徳力さん----------------------2月24日(火)
 日本食と日本移民、あちこちのエスコーラ・デ・サンバ(サンバ学校)で日系と関係するアーラが――。聖市四百五十周年を基本テーマとする今年のカーニバルには、例年より多くの日本移民の影響を感じさせるパレードが繰り広げられた。中でも今年の皮切りとなったペルーシェに一アーラ(隊列)丸ごと参加したノーヴァ・カショエリンニャ日伯文化体育協会(国井ジェルソン会長)は、大きな存在感を示した。
 「サンパウロのカーニバルに、我々一世が参加できることは素晴らしい。こんな機会でもないと、なかなか出られない。見ると出るとでは大違い。観客が手を挙げて踊って、こっちに応えてくれるのがたまらないです。感動しました」。夫婦でペルーシェに参加した徳力啓三さんは、パレードに参加した感想を、そう興奮冷めやらぬ様子で語った。
 妻・洋子さんも、「面白かったです。いい思い出になりました」。二十日午後十時半の予定時間を多少遅れて始まったペルーシェのパレードの先頭近くに位置したノーヴァ・カショエリンニャ文協のアーラには、約八十人の日系人が参加した。同文協会員を中心に、ジャバクアラやアメリカーナなどからも加わった。
 同文協役員の福屋則儀さん(一世)は、「バッテリア(打楽器隊)の演奏が始まると、一気に盛り上がってすごい」と一気に語った。
 国井会長によれば、「当初予定されていたファンタジア(衣装)は中国風だったので、急きょ、我々が一週間で全部作り直しました」という。女性は日本髪のカツラに着物風衣装、男性はハッピ姿で、存在感を会場にアピールしていた。
 国井会長は、「コロニアが聖市四百五十周年にオメナージェン(顕彰)することに意義がある。いい機会だった。二〇〇八年の移民百周年では、聖市の全てのエスコーラが日本移民をテーマにやってほしいな。ぜひ笠戸丸のアレゴリア(山車)を先頭にパレードしたい」と次なる夢を語った。
 もし、百周年にブラジル民衆の祭典でコロニアがオメナージェンされるなら、グローボ国際放送を通して世界中に中継され、大きな反響が予想されそうだ。
 この他、三年連続優勝を狙うガヴィオンエス・ダ・フィエル先頭のアレゴリアの一番高いお立ち台には、元BBB出演者の日系サブリナ・サトウが立ち、観客の注目を集めた。X9やアギア・デ・オウロ、トゥクルヴィなど、食べ物に関係したテーマ曲を作ったサンバ学校にも、日本食に関係したファンタジアが見られ、例年よりも日本移民とその文化のシンボルがちりばめられた聖市のカーニバルとなった。

徳力さん御自身が寄せられた自己紹介文も下記に掲載して置きます。
夢・ベテラングループの皆様
新年明けましておめでとうございます。
2004年が夢・ベテラングループの皆様にとってより夢の膨らむ年でありますように。
大束先輩の大変暖かいお志で、夢グループが結成され、おいしい夢が配れるようになりました。このまとない機会に、心より感謝し、この感謝の心をもって、多くの夢持つ仲間を糾合しようではありませんか。
私を仲間に加えてくださって有難うございます。時間がないとは本当は言い訳にしかすぎません。
夢あるところには、何を置いても、すっ飛んでいくのが海外に夢見た年とった学生さんでありたいと反省しております。
私は徳力啓三、三重大で農学を学び、1964年に学移連第5次団で渡伯、1966年11月神戸より乗船、1976年から1992年までブラジルヤンマー社で勤務。その間、アマゾン開拓の夢を2度実現、北マットグロッソ州で大牧場を運営、(1975〜1980)マラニオン州で製鉄用製炭農場を経営 (1989〜1992)する機会に恵まれました。両者で約15万ha、学生時代の夢の跡をブラジルの大地に残すことが出来ました。
ヤンマー退社後、有機農法による農産物を日本市場に届けるべくたった一人からの出発。1993年はブラジルから無農薬コーヒーが輸出された最初の年、それから10年、有機農法そのもの、有機認証制度も着実に確定してきており、日本向けのJAS認証付き有機コーヒーを生産者と一緒になって日本に売り込む仕事を続けております。
有機農産物それもコーヒーだけでは、時間がいっぱい余るので同じ有機的農産物であるプロポリス製品を1996年ころより扱い始めました。1998年頃からアガリクスエキスの製造販売も始まり、今ではこれらの販売が有機コーヒーの輸出とともに当社の2つの仕事になりました。
私の夢は有機農法で地球環境を汚さぬ農法を進めるお手伝いをすること健全な食品を紹介することそしてブラジルの農産物を日本の消費者の方に届けることに置いています。
私の夢を若い世代にバトンタッチすることこそ残された時間のなかで私の行うべき仕事と考えています。
自己紹介でした。これからも一つよろしくお願いいたします。
徳力啓三





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