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初孫に贈る「メイアノイテの言葉」 サンパウロ 赤嶺 尚由
私の参加しているMLの一つにBOTEPAPOというブラジル日本商工会議所コンサルタント部門のメンバーを中心とした談論風発、ブラジル政治経済情報から始まりピアーダと言う小話まがいのものまで楽しく意見交換をしておりますが、今回BATEPAPOのメンバー間で物書きの専門家として何時も闊達、明朗、無類の評論家として一目置かれている赤嶺尚由さん【ソール・ナセンテ人材銀行社長=元新聞記者】より掲題のオリジナルの寄稿文を寄せて頂きました。写真は、何度かMLでも登場したご自慢の息子さんと初登場のお孫さんフィリップ君です。

『私には、今月、ちょうど満一歳になるシリア系の女性(臨床心理医)と愚息との間に生まれた目の大きさだけが特に目立つ男の初孫がいる。とりわけ初孫は、猫可愛がりに無闇に可愛いい感じで、確かにその実感もない訳ではないが、私の場合、本当のところ、混血のこの孫の初めての誕生日にまだ多少戸惑いながら、「一人息子だったキミの親父は、17、8歳の頃から、空手や柔道やカッポエイラで体だけは充分に鍛え、リュック一つ背中に、何度も、ヨーロッパ、北米大陸、アジア、中東など殆ど世界中を一人でほっつき歩いて来たよ。また、ほんの駆け出しの弁護士で、両親と同居していた頃のキミの親父には、こんな隠された話もあったので、今の内に聞いて置いてくれないか。そして、キミも大きくなったら、社会的により弱い立場にある者に、まず優しい眼差しを向けることの出来る人間になって欲しいな」と願い、次のような「メイアノイテの言葉」を何とか書き残したいといった気持ちも併せて強い今日この頃である。』


ブラジルは、アメリカに負けず劣らず人種の坩堝(るつぼ)そのものといったところであるが、その割には、人種差別の少ない国だ、ということがよく言われる。確かに、人種の差別というと、すぐに連想するのは、アメリカのように、白人系と黒人系が激しく対立する構図であるが、この国には、そういった人種間のにらみ合い、緊張感といったものは、まず存在しない。それが帰化ブラジル人になって30年近くにもなる私のささやかな誇りの一つでもある。

 人種差別の少ない理由は、いろいろと指摘されるが、一番大きいのは、ブラジル国民の心の広さ、優しさ、言葉を換えて言うと、包容力の大きさではないか、と考えられる。ブラジルは、いかにも貧しい。いや、もっと正確には、貧富の格差が著しい、といった方が当たっているのかもしれない。国連のある調査機関の調べによれば、約1億7000万人の総人口の内、一日当たり、2ドル以下で生活することを余儀なくされている、いわゆる社会の最貧困層の人たちが実に数千万人にものぼり、貧困に根ざした殺人暴力などの社会的犯罪も多発している。

 最貧困層といえば、もう随分以前に有力週刊誌の現地取材記事で目にしたことであるが、そういう人たちが最も多く住んでいるのは、やはり、東北伯地方であろう。ペルナンブーコ州の砂糖キビ畑地帯に住むジョン・アマーロさん一家の場合、何代も続く栄養失調のため、自分も背丈が一b40aちょっとしかなく、バナナナニカのあのナニカ(チビ)と呼ばれていて、正に赤貧洗うがごとし、という諺がピッタリする。食べるものが充分にないから、夫婦は、激しい日中の砂糖キビ畑での重労働に拘わらず、一日に二食、その内の一食は、朝のカフェとパン切れ程度だそうだ。そういう生活が長く続いてきたため、その付近の住民に「チビ」が多くなるのである。しかし、アマーロさん達は、数多くいる子供達には「他人の持ち物に手を掛けるな」と教える気概と矜持をまだ充分に残しているらしい。

それに比べ、このアマーロさん一家の住んでいるところから程近い場所に広大な牧場を所有している、連邦下院議長まで務め、この同じポストに再起のチャンスを虎視眈々として狙っているある有力政治家は、アマーロさんなどの付近の貧しい住民達がろくに飲む水さえないというのに、自分の牧場内に牛に飲ませる井戸を公金で掘り、マスコミにすっぱ抜かれたら、「俺の牧場の牛達があれだけ水を欲しがっているのに、何で井戸を掘って悪いのか」と、逆に開き直ったそうである。この国のずっと上の方では、いったん盗(と)って自分の所有にさえしてしまえば、後はしめたもの、そっくりそのまま自分の実力として蓄えることもできるという、即物主義が大きく罷り通って、一段と政治や経済面にカオス(混沌)とした状況をもたらし、社会的な弱者達を苛んでいる。

 目を覆いたくなるような貧しい国柄の中で暮らしながら、しかし、多くの国民は、心の広さとか優しさ、包容力といったものもまだ見失わずに、日日の生活を営んでいる。生活が苦しいから、中学生や高校生になると、昼は、外で働いたり、家事の手伝いをしたりして、夜、学校に通っている者が断然多い。昼間さえ犯罪が多いのに、夜間通学がもっと危ないではないか、言われても、先立つものがないから、他の選択肢がなかなか見当たらない。俗に「腹の問題」は、ある一面、ずっと「頭の問題」よりも性質(たち)が悪くて、判っていても、そうせざるを得ないのである。

 大抵夜11時過ぎ、年端の行かない子供たちのことだから、授業を終えて帰途を急ぎながら、たとえ疲れていても、お互いふざけ合うことが多い。例えば、白人学生が黒人学生の肌の色を表現し合う場合、普通なら最も手っ取り早く、簡単に「コールタール」とか「サル」とか「ゴリラ」とか呼びそうなものなのに、そうは言わないで、わざわざ、ちょうどその時刻の周囲の闇の深さ、いや、黒さをそのままなぞって、「メイアノイテ(真夜中)」と言うことがあるそうだ。私は、「メイアノイテ」というこの言葉から、昼間働いて夜勉強しなければならない若者たちのため息に似た苦しさと同時に、その時刻に何となく漂うペーソス〈哀愁〉といったものが限りなく伝わってくるような気がしてならない。

 と同時に、家路を急ぐ途中でもっと駆け足で一足飛びに「くろんぼう」と言いたい時でも、そうは言わずに、少々回り道をしてでも「メイアノイテ」と言って、自分たちの黒人仲間の肌の色を表現しようとするところに、私は、この国の大方の人たちがまだ見失おうとしない心の優しさみたいなものも、同時に垣間見る思いがする。仮に、アメリカあたりで、黒人に向かって、同じ意味合いを込めて「ミッドナイト」といったある種の気配りの感じられる物の言い方をするものだろうか。もし、そういった気遣いがせめてもう少しあれば、あの国における人種差別に根ざすさまざまなトラブルも、大分影を潜めそうに思えてならないのである。

 昼間働いて、夜間勉強しなければならない若い「メイアノイテ」組は、もとより、朝早く郊外にある家を出て、バスに地下鉄を乗り継いで、サンパウロ市内の、最も都心に近いところに立ち並ぶ各アパート群まで出勤して来る、月収150j程度の大抵日帰りのお手伝いさんたちも、日々の生活が苦しくて、かなり素手に近い貧しさの点では例外ではないが、どちらかと言えば、やはり、誇り高き存在である。ちょっとした疑いを掛けられただけで、早速ギロチン台送りになりかねなかった昔の奴隷制度時代のしからしむせいなのか、他人から疑われることを特に警戒し、嫌う。その分だけ、言い訳をする癖もよく発達している。

 実は、大学を出たての息子が両親とまだ同居していた頃、私のアパートで、こういうことがあった。普段勉強室代わりに使っていた女中部屋に、前の夜遅く脱ぎ捨ててあった背広の内ポケットの中から、アルバイトをして稼いだ少しまとまったお金がどこをひっくり返しても、なかなか見つからないらしく、朝早く起きだしてきて、母親と次のようなやり取りを日本語で始めたそうである。「お母さん、僕の背広の内ポケットの中に入れてあったお金を取らなかったかい」、「そんなお金なんか、知りませんよ」、「お父さんも、取らなかったかな」、「取ったんだったら、今朝、会社へ出かける前に、ちゃんと取った、というふうに言うはずですよ」

 親子でそういった会話を交わした後、息子は、しばらく「ふふーん」と、何かを考えていたかと思うと、「ヨシ」と、言って立ち上がり、既に背広を脱ぎ捨てあった女中部屋で、仕事を始めていた通いのお手伝いさんの所に行き、しかし、決して慌てて声を荒立てるようなことなく、むしろ、この国の人達が頼みごとをする時のようなあの丁寧な調子で、「この部屋のどこかにきっと僕のお金が落ちているはずだから、申し訳ないけど、後で探しておいてね。頼んだよ」と、言い残し、わざとそのまま、外へ出て行ったそうである。そして、しばらくして、帰って見たら、ちゃんと、そのお金が机の上に置いてあったらしい。
 
40年以上もこの国に住んでいながら、ブラジル人というものをまだ充分に理解しているとは言えず、頭の中の導火線もそろそろ短くなりかけている父親の私だったら、とてもそうは行かなかったような気がする。体のずっと上の方に帽子などを乗っけるために、申し訳程度に付いている頭の部分を先にカッカとさせ、「また、どうせお前さんがやったんだろう。さっさと取ったものを返せよ」などとは、さすがに口に出さないまでも、疑いのこもったそれに近い非常に嫌な目で、そのお手伝いさんを見て、場合によっては、詰問だってしていたかも知れないのである。

 そうなれば、そのお手伝いさんは、自分の大切な誇りを大変に傷つけられ、返ってますます知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通すか、あるいは、ここまでクロに近い疑いをかけられてしまった以上、もうここでは働いてなんかいられない、と自分からさっさと辞めて行ったに違いない。そうなれば、もちろん、お金は、戻らないし、すべてがぶち壊しになって、もう万事休すである。幸いなことに、そのお手伝いさんは、そのままずっと働いてくれて、息子と朝夕、顔を合わせた日には、「ボンジーア」の挨拶も欠かさないままでいる。貧しいなりに、誇りを見失わないこの国の人々の気持ちを傷つけないようにした息子の解決方法は、やはり、現地に合っていて、より正解だったような気がする。尚、このお手伝いさんの年恰好は、せいぜい16か7歳、その肌合いも限りなく「メイアノイテ」組に近いものであった。

 私が生を受けたさまざまな受難の島、沖縄には、テレビ番組で有名になったあの「美らさん」というそれこそ可愛らしくて、とても響きのいい言葉の他に、恐らく世界中でもまず稀ではないか、と思われるような「肝苦るさん」という、聞く人の心の琴線に触れるようなもう一つの素晴らしい言葉がある。「チムグルサン」と発音する。その意味は、戦争を始め、苦しい経験を重ねてきているこの島に住む人たちらしく、例えば、東北伯のアマーロさん一家のような他人の苦しさとか貧しさを目のあたりにすると、「美らさん」の中でおばあ役をやった平良トミさんの発音を真似て言えば、「見ているーこちらの肝も苦しくなってきて仕方ナイサー」ということなのである。恐らく、ここで骨を埋めることになりそうで、又、それを最近、誰よりも強く望むようになってきつつある私のこれからのせめてもの務めは、まだ駆け出しの弁護士として、走り出したばかりの息子の体の中に宿っているこの国の人間らしい心の広さと沖縄の「肝苦るさん」の精神を、出来ればそっくりそのまま、満一歳になったばかりの初孫に受け継がせるようにすることではないか、と考えている。



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