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川口外務大臣宛ての嘆願書全文公開(1)
ポルトアレグレ総領事館の存続を願う南2州の主要関係55団体を通じて集めた嘆願書の署名運動に参加された8959名(重さにして3kg強)の署名オリジナルともに川口外務大臣に届けた嘆願書の全文を掲載します。使用ソフトの字数制限があり2回に分けて掲載します。その後も署名がポルトアレグレ総領事館閉鎖反対運動の中心的役割を果たしている南日伯援護協会に寄せられており第2弾として送る事も検討されています。
嘆願書にある『国民の生命と財産を守ることを外交の最優先事項と考える時、在留邦人に誠意のある説得力のある説明なしに構造改革(外務省改革)を急ぐあまり、国益、国民の基本的人権を無視した、これらの策定は絶対に容認する事は出来ません。』との声を川口外務大臣は、どのように捕らえて呉れているのでしょうか?
このポルトアレグレ総領事館閉鎖のニュースが朝日新聞にスクープされた当時、南日伯援護協会の会長として真先に立ち上がった刀禰康弘さんが志半ばに急逝され現在の麻生会長に引き継がれておりますが在りし日の援護協会総会での写真を彼を偲びながら掲載して置きます。


 ブラジルの最南端に位置するリオ・グランデ・ド・スール(R.S)州の州都、グワイバ河畔沿いに展開するポルトアレグレ市は約139万人の人口を擁する南伯隋一の雄都です。半径50KMメトロポリス圏の人口は354万人で、サン・パウロ、リオ及びベロオリゾンテに次ぐブラジル4大州都圏です。ヨーロッパ系移住者が多いこの街は、ほかのブラジルの都市とはまったく違って整然としており、州民の気質にも独特の雰囲気が感じられます。アルゼンチンやウルグアイにも続く広大なパンパと呼ばれる平原地帯が無限大の広がりを見せています。古くから牧畜が盛んな地方として知られて来ました。ガウショと云う牧童達の名誉や勇気を重んじる男性的な文化は今尚この地に脈打っています。

ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの4ヶ国及び準加盟国チリ及びボリヴィアで構成されているメルコスール(南米経済共同市場)の地理的中心地であり、近い将来には南米大陸はもとより、米州機構経済の要衝無二の立地条件下にあるポルトアレグレ市は全世界からの注目と脚光を浴びる事が展望されています。R.S州はヨーロッパ文化を最も強く受け継いだ州で四季の変化があり、移民の定着が容易進行したと思われます。ドイツ、イタリア、ポルトガル、イスラエル、日本、アラブ、アフリカ等の多くの民族が移住し、郷土文化と融合し、特異な文化を形成して来ました。(多様な風俗、習慣、料理等々を反映)世界の国々がポルトアレグレ市に外交団を派遣しています。総領事館8館、領事館12館、政府通商事務所2館、それぞれの政府外交団が競合しています。リオ、サンパウロの2大都市圏についで、ベロオリゾンテ等と並ぶ巨大メトロポリスに発展、飛躍しているポルトアレグレ市は南米経済共同市場(メルコスール)の地理的、戦略的中心地域に位置しています。政府レベルの加盟国間の合併事業、合同プロジェクトや民間レベルの南伯石油コンビナート拡大計画、自動車産業誘致計画等のメルコスール市場重視の方向づけがあります。人種構成はヨーロッパ系が多く、白人系88%は高い文化と勤勉の伝統が受け継がれ、教育普及率からも他地域には見られぬ高い労働水準が評価されています。欧米先進諸国の住民が多い特殊性(ドイツ及びイタリア系住民が多く全体の40%を占めている)は、政治、経済、社会、文化的にも他州とは際だった独特の相違が見られます。各国とも在留邦人に対するサービスの重要性を第一に上げています。これに次いでメルコスールを考慮しての情報収集重点性が指摘されています。

在ポルトアレグレ日本国総領事館管轄内の邦人数は各国の総領事館と比較しても邦人の数は少ないと云う事はありません。当地の在留邦人、及び日系人は最近増加の一途を辿っています。日系人は数年前の5500人が現在では約7000人に達しています。日本国籍者の在留邦人数も昨年末の1948人から今年9月15日現在では2012人と64人の増加(資料:ブラジル連邦警察R.S州、S.C州入国管理局)を見せています。(注)新聞報道ではこれまで外務省の在留邦人数調査が使用されていましたが、これからは法的効力を持つ、例えば外国人の滞在身分証明書等の発給を行ない、発給を受けず滞在したり、住所変更の届け出等を怠ったりした場合罰則で取り締っているブラジル連邦警察入国管理局の日本国籍者数をデーターにすることに致しました。例えばドイツ総領事館管轄には、2971人のドイツ国籍者がおり、イタリア総領事館管轄には2876人のイタリア人、アルゼンチンはR.S州に2館あり、1館当たりは1800人、ウルグアイは7館あり、1館当たり2428人、パラグアイ領事館は300人、パナマ総領事館は129人等(資料:ブラジル連邦警察R.S州入国管理局)となっています。
 パナマ総領事館と比較する時、2012人の日本国籍者への対応はどうなるのでしょうか?経済大国(G8)の日本国総領事館の廃止、閉鎖については得心出来る結論が期待されています。在留邦人数の少ないアメリカ及びオランダ等は当然総領事館の必要性は低いので設置されていませんが、当地域の経済及び貿易面の重要性に鑑み、政府の通商代表事務所を置いています。中国のウーハン(武漢)省も来年事務所を設置する予定であり、州政府との間で協定提携を了しています。又、滋賀県が地方政府レベルで州政府、州開発国際問題担当局内に事務室を開いています。
 在ポルトアレグレ日本国総領事館管轄地域面積は378万平方粁に及び、日本の国土に匹敵し、人口も1570万人に達しています。日本によく知られているニュージーランドに例えれば、面積で1.4倍、人口は4倍になります。総領事館としては決して小さなものでなく、国家に例えれば中位の大きさの国に比肩出来ます。そのニュージーランドに3つの公館が設置されています。(ウェリントン、クライストチャーチ、オークランド)廃止公館に何を基準に選定されたのでしょうか?『外務省を変える会』のある委員の発言は、ブラジルは在留邦人も多いが総領事館も多いので閉鎖すべきであるとの意見だった様ですが、これには全く納得がゆきません。総領事館の第一のサービスは在留邦人に対してではないでしょうか?在留邦人が多ければ総領事館も多いのは当然のことです。現在、世界中にある日本国総領事館全てについて、それぞれの管轄地域内の在留邦人数を国民の前に発表し、廃止閉鎖に当っての重要な基準となるマニュアルも公開公表し納得のゆくご説明を賜りたく存じます。予算不足の折、わずか200〜300人程度の在留邦人しかいないところならば、総領事館を置くのは控えるべきであり、必要ならば小規模の駐在員事務所等で対処し、少なくともある一定の大きさ、例えば700〜800人位の在留邦人が居れば総領事館の設置も容認出来ることでしょう。将来発展が見込めるからと云って、現実を無視した統廃合が行なわれるとしたら、それこそ税金の無駄遣いです。在留邦人が僅少と云うことは、総領事館のサービスも僅少と思われます。民主主義のルールに基づき、サービスを受ける在留邦人数の大小は最も重視すべき点であり、それには目安となるマニュアルが存在しなければなりません。
  国民の生命と財産を守ることを外交の最優先事項と考える時、在留邦人に誠意のある説得力のある説明なしに構造改革(外務省改革)を急ぐあまり、国益、国民の基本的人権を無視した、これらの策定は絶対に容認する事は出来ません。

 ブラジルと云う南半球の巨大な国、南米大陸の半分以上を占めるブラジルの面積は、地球上の陸地面積の17分の1に相当し、世界第5位の広さです。ブラジルはあくまでも広く、その魅力は無限大です。地球の反対側に位置するブラジルは、日本から最も遠く離れた国の一つで、あらゆる情報も少なく、感覚的にも大きな隔たりのある国となっている事だと思料されますが、ブラジルの開拓や発展に大きく貢献して来た日本人の長年に亘る努力もあり、日本人に対する評価や信頼は非常に高く、優秀な民族としてランクされています。現在、ブラジルに140万人の日系人が生活しています。海外に在住する日系人としては、最大数ですが、異民族混合国家ブラジルの人口1億7300万の中では少数派でしかあり得ませんが、民族としてのステータスは高く、農、工、商業分野はもとより、政治、経済、教育、芸術、文化、司法等の分野でも、その活躍ぶりは眼を見張るものがあり、ブラジル社会に重要な役割を果しています。1908年に日本人のブラジル移住が始まって94年を数えます。その間25万人が移り住み、2世、3世、4世、5世が加わり、現在の数価に膨張しました。世界各地に散在する日系人(日本国籍をもつ永住者と日本国籍はないが、日本人の血を引く2、3〜世と帰化人)は約260万人で、その54%がブラジルに在住しています。日本の奈良県の人口に近似した人口です。南伯2州と日本との関係は1803年ロシア船(ナジューダ号)乗組員の4人の日本人が、サンタ・カタリーナ州(S.C)州都フロリアノポリス市に上陸した時に始まり、1921年頃サンパウロ、パラナ、アマゾン等の各地方に移住した日本人の1部が南伯に転住し定着したと記録されています。1936年「海外興業(株)」によって、リオ・グランデ・ド・スール(R.S)州ミッソンエス地方サンタ・ローザに15家族がサンパウロより集団入植しましたが、1941年第2次世界大戦勃発とともに、ポルトアレグレ、サン・レオポルド、ペロッタス等の地域に再移住を余儀なくされました。1956年、戦後最初の移民船ブラジル丸がリオ・グランデに入港、単身青年23名が州内呼寄移住として入植しました。以来、公募、分益農の移住が開始され、1957年以降は集団独立自営農の入植が開始されました。当地域は、日本政府(実施機関JICA)による移住政策(国策)に添って、集団入植が行なわれたところであり、ブラジルの中でも最も新しい入植地域(戦後に開始された)で、当時の入植者達が現在健在で頑張っています。これらの入植者達にとって移住事業団撤退のあとは総領事館を心のよりどころとして来ました。海外に生活の基盤を持つ在留邦人にとって総領事館は、唯一無二の何物にもかけがえのないものです。治外法権の日本国であり、その存亡は絶対のものです。日系人社会の老齢化の進む今日、現地の実情を把握し、適切な判断と対応が大きな課題となっている現在、今回の総領事館廃止、閉鎖発表は、余りにも諸般の実情を無視された、配慮のないもので全く残念でなりません。非常に多くのブラジル人からも閉鎖反対の署名をして戴きました。地域社会の発展に貢献して来た在留邦人、日系人に対する高い評価と信頼と尊敬等が大勢の親日ブラジル人を育成して来ました。これらのブラジル人からも経済大国(G8)の日本が、在留邦人が増加しているところの総領事館を閉鎖するのには全く理解に苦しむと云うコメントが続々と届けられています。

 1908年(明治41年)6月18日日本移民(契約)781名(165家族、733名、独身48名)のサントス港上陸から94年が経過しました。あと6年で日本移民100年を迎えます。ブラジル日本移民100周年準備委員会が発足して、すでに5回の会合が開催されています。移民祭は80年祭、90年祭と10年区切りで祭典が挙行され、日本、アメリカ、中南米諸国からの慶祝使節団の来伯がありました。21世紀の式典は100年(1世紀)を記念した大きな節目に当ります。100年の歴史の中で、全伯各地で必要欠くことの出来ない事業活動やドラマの足跡が遺されて来ています。これらを統括し、更なる明日への発展を期待して記念行事100年祭がスタートしています。この祭典は移民送り出し国、日本とブラジルの日系社会が車の両輪となって開催すべき、世紀のイベントであると思考致します。日本とブラジルの友好関係は140万人の日系社会の貢献による人的要因が大きく働いています。それは日本移民の100年に近い努力の結果であります。先人達の血と汗と涙で織り出された努力と忍耐、勤勉と誠実が大きく開花した事に起因しています。これらは現代日本の重要な国際時代の財産として評価出来るものです。ブラジルと日本の信頼と協調は国際社会の安定と繁栄に重要な役割を果たしていくものと期待されています。日本政府並びに日本国民(母国の皆様)にブラジルの重要性を再認識戴ける様請願致します。2008年は移民100年(1世紀)を記念すべき歴史の年です。委員会の構成については、全伯、在外公館、地方レベル規模の三段階で組織し、それぞれが日本政府と協力し、又ワークグループを分野別に設置してその目的、企画、他の検討を進める等々具体化されて来ています。05年度に閉鎖される当地域管轄に在住する日系人、在留邦人(日本移民永住者)は聾桟敷を強制される事になるのでしょうか?理由なき差別を甘受する破目になるのでしょうか?日本国民(日本国籍保持者)は憲法のもとにその基本的人権は平等です。世紀の祭典以前に廃止公館になるのでしょうか?この様な理不尽を通り越した強権の発動に等しい計画案は海外に生活する日本国民に対してのみ、適法なのでしょうか?
 今後の日本とブラジル、しいては中南米(いずれ米州自由貿易圏FTAAが設立され、特に中南米諸国に対して大国ブラジルの影響力も大きい)との友好関係を考える上でマイナスにならなければ良いが、等と危惧する声や日本政府に対する反対意見を強硬に開陳するブラジル人(市長、議員、要人、財界人)が続出しています。

 ブラジルの政治は、ミナス州とリオ・グランデ・ド・スール州が重要な役割を担い、政治体制(連邦共和制)の均衡を保って来た雄州です。戦後移住者が90%以上と云う他地域と比較して、邦人の数が高く、地理的、気候的にも本邦と類似しているため日本人移住者の定住に適し、他州に比べ四季の変化があり、ヨーロッパ系移民の比率が高く、所得水準が反映され教育レベルはブラジル一位と優れています。知識度も生産性も抜群でブラジル三大有力州の一つです。過去6名の大統領を輩出しています。政治意識の評価も高いところです。
 第9代大統領ヘルメス・ダ・フォンセッカは、R.S州サン・ガブリエル出身、そしてブラジル歴史上の人物、R.S州サン・ボルジア出身のゼツリオ・バルガスが第20、21、22代大統領に就任しています。その後、第25代大統領として自殺まで在任しました。第32、33代大統領として、R.S州サン・ボルジア出身のジョアン・ゴウラルが軍政に追放されるまで執政しました。第35代カステロ・ブランコ軍人大統領の事故死の後を受けて、R.S州タクアリ出身のコスタエ・シルバ陸軍大臣が軍人大統領に就任しました。又、R.S州バジェ出身のエミリオ・メジシが第40代、第41代をR.S州ベント・ゴンサルベス出身エルネスト・ガイゼルが大統領を勤めました。3人の副大統領も当地から出ています。政財界及び法曹界等にも多数の有力者を指標することが出来ます。連綿たる伝統は現在も受け継がれ、ジョビン最高選挙裁判所長官、モラエス農相、レナト・ソウザ教育相、ボルン・ハウゼンPFL(自由戦線党)総裁、ブリゾラPDT(民主労働党)総裁、財界ではゲルダー及びヴェリニョ等他有力な企業家が続出しています。例えば、大臣を経験し、現在も第一線で活躍中の要人には、シモン元農相、ブリット元社会保障大臣、クルジウス元企画大臣、リマ元農相、ツーラ元農相、ソアレス元社会保障大臣、パジーリャ元運輸大臣、シルベイラ元科学技術長官、ダルバスクアーリ元農相、ピニェイロス元下院議長、フォガサ元PMDB(ブラジル民主連合)総裁等多士済々です。



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