祖父母に孫からの贈りもの=イグアスー移住地=太鼓橋とあずま屋=世代を越えた融和が定着
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パラグアイのイグアスー移住地で太鼓橋とあずま屋の落成式が行われたとのニュースをニッケイ新聞の切り抜きと共に園田昭憲さんがメールで送って呉れました。イグアスー移住地には彼の弟さんの園田八郎さんが住んでおられ、今回のお爺ちゃん、お婆ちゃん達に送った太鼓橋とあずま屋は、イグアスー移住地の青年部の皆さんの働きとの事、このボランティア活動の中心となって働いて来た園田一君は、鹿児島県出身の同船者、園田八郎さんの息子さんとの事「作業は大変だったけれど、祖父母たちに喜んでもらって報われた気持ちです」と青年部の気持ちを代弁していたとの報道に大変嬉しく誇らしく思います。7月には是非、イグアスー移住地を訪問しこの太鼓橋とあずま屋を写真に収めて来たいと思っています。其れまで写真は、昨年2月にサンパウロでお会いした時に撮らせて頂いた同船者園田八郎さんの英姿を使わせて頂きます。 |
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ニッケイ新聞 4月30日(金)
四月二十五日、パラグァイのイグアスー(Yguazu)移住地で、太鼓橋とあずま屋の落成式が行われ、孫たちからお爺ちゃん、お婆ちゃんに大きな贈り物となった。移住地では世代を越えて、融和が定着している。
この移住地は、ブラジルとの国境から国際道路に沿った四十一キロ地点を中心に広がっている。入植が始まったのは一九六一年だ。近年は遺伝子組み替えでない高タンパク質含有の大豆「オーロラ」の生産地として日本でもその存在が知られている。
その移住地の基盤を作るために、艱難辛苦を重ねてきた祖父母たちの健康維持に一役を担おうと孫たち(青年部)三十名が二年ほど前からYguazu市内の一角にある公園を縦断している川に小さな島を作り、島の上に藁ぶきの小屋を建て、その島に通じる橋を架ける作業を続けてきた。すべてボランティア作業の手づくりだ。
この公園はJICA(日本国際協力機構)よりイグアスー日本人会(栄田祐司会長、福岡県出身)に移管された施設で、面積が約八ヘクタール。公民館、診療所、パーク・ゴルフ施設などがあり、一般市民はもとより、老齢者の散歩や運動に格好の場所となっている。ブラジルに移住している日本人篤志家から寄贈された桜も順調に生育しており、いずれ花見ができる、と期待されている。
八十四歳の向井香さん(愛媛県出身)は「この橋を『友情の橋』と呼びたいね。若い人たちがこのような手伝いをしてくれたのがとても嬉しい」と評価すれば、そのそばで明治四十六年生まれ(九二)の佐々木幸治さん(岩手県出身)は「これで運動することがますます楽しくなるよ」と孫たちの誠意を率直に受け止めている。「移住してきて一年ちょっとで主人を亡くし、三年後に再婚したが、また主人に先立たれてしまった。それでも健康で生きてこれた。孫たちがこのような施設を作ってくれる時まで生きてくることができて本当に良かった」と述懐するのは山本てるさん(七九、宮城県出身)だ。
ボランティア活動の中心となってきた園田一君(父親の八郎さんは鹿児島県出身)は「作業は大変だったけれど、祖父母たちに喜んでもらって報われた気持ちです」と青年部の気持ちを代弁していた。
入植四十三年の時間を越えて世代間の融和が定着しているイグアスー移住地だ。公園には手摺り付の便所も新設された。
移住地の中心街は石畳=自助努力で舗装工事=イグアスー=次世代への遺産=43年経て町らしく
ニッケイ新聞 5月14日
ブラジルとの国境に近いパラグァイのイグアスー(Yguazu)移住地の中心街で、自助努力による道路の舗装工事が進んでいる。しかも〃石畳〃なのが特徴だ。
滝で有名なブラジル領のイグアスー(Iguacu)からパラナ川に架かっている友情の橋を渡ると、パラグァイのシダーデ・デル・エステ市に出る。この市と首都アスンシオンを結ぶ国際道路7号線の四十一キロ地点で右に折れ二百五十メートル進むと、正面に移住地の人びとが南米最大、と自認している鳥居が建っている。イグアスー中央公園の入口だ。
公園の中心部には天皇・皇后両陛下が皇太子・妃殿下時代の一九七八年(昭和五十三年)にお手植えされたラパーチョ(ブラジルではイペー)と桜が育っている。その中央公園から延びる中央通りで進んでいるのが石畳敷設工事だ。
二〇〇三年暮れに工事が始まり、今年四月下旬までに六割ほどが完成した。イグアスー日本人会(通称・日会)の副会長で、道路部と事業部を兼務している福井一朗さん(岩手県出身)は「日会・農協・市役所で合同委員会を作り、五年計画で市街地の道路整備を行っている。費用の三分の二は道路沿いの受益者負担で、残り三分の一が委員会の協力だ。材料の玄武岩は日会が(日会所有の採石場から)提供している。道路の基礎工事には日会の重機が使用されている。農協の(資金)協力も大きい。工事だけは地元の業者に委託している」と、市街地の一連の道路整備工事が移住地の自助努力によるものであることを示唆している。
市役所、病院、学校、日本人会、農協など公道に相当する部分の石畳化はすでに完成している。これらも移住地の自助努力で達成した。日系子弟を含めて地元の子供たちが通う学校周辺の道路の石畳工事だけは、日本大使館を通じて草の根無償資金の助成で対応した。
中央通りに面する旅館の女将(福岡厚子さん、群馬県出身)は「雨の時のぬかるみがなくなり、乾季の時のすごいホコリが解消されて、家庭の庭やベランダもきれいになってきた。移住地の市街地がようやく町らしくなってきた」と喜びを率直に表現している。
道路の表面に、厚さ十五センチに玄武岩の粉末を敷き詰め、その上に厚さ十五センチほどに砕いた石を一個一個並べる。最後に上から玄武岩の粉末を撒いて完成だ。玄武岩の粉末は砂よりも粘着力があるため、舗装された石畳は非常に強固で安定感があり、普通の舗装道路に起こりうるような穴が開くことはない。
パラグァイに着任して間もない日系社会青年ボランティア十九回生の仲本聖子さん(沖縄県、イグアスー農協配属)と早坂理恵さん(宮城県、日系農協中央会配属)は、工事現場の作業員たちを時々〃激励〃して喜ばれている(写真)。
〃市街地全体が石畳〃は、日本人の目には贅沢なようにも映るが、石畳は自然との共生でもあり、移住地建設四十三年の自信と誇りの証がここにあり、次世代への恒久遺産の一つだ。
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