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画像掲示板の書込み一部永久保存開始。(5)
画像掲示板の書込みだけでも書き残して置きたいと願いこの欄を設けましたが新しい書込み分だけ古いのが消えていく事から結構忙しい作業です。
今回の保存分では、矢張り吉田文彦さんの書かれたブラジル人の友達が秀逸で多くの日本の皆さんの驚きと云うかブラジルと日本の違い、日本で失われてしまった事、感情等がブラジルにまだ生きていると云う新鮮な印象を与えて呉れたようです。バーチャル座談会に日本側コメンテーターとして桐井 加米彦さんに参加して頂いたのもこの時期で暖かい書込みをして呉れております。
写真は、どれも残して置きたいものばかりですが、矢張りご自分の庭でランニングシャツに半パン姿でバナナの木の前で撮られたものを使用させて頂く事にしました。吉田さんには、日本からの尋ね人の氏名が明確で時代背景が判る方の消息は略100%見付け出して頂いており感謝しております。


152.イビラプエラのクリスマス塔
名前:石田 日付:12月24日(火) 3時11分
和田さん、 やっとイビラプエラへ行ってきました、何トンとかいいましたがほんとに どでかいものです、夜は見ごたえがあると思いますが昼間はあまり美しいものではありません、ついでに池のほうも撮りましたので見てください。

155.Re: イビラプエラのクリスマス塔
名前:和田 好司 日付:12月24日(火) 9時51分
石田 さん
サンパウロの調査隊長として忙しい中、イビラプエラの公園まで出向いて頂き有難う。クリスマス・ツリは昼間見ると馬鹿でかいだけですか。高さ50メーター、重量95トン、鉄管延べ30km、布4500Mへイベ。何でも大きな物が大好きなブラジルの国民性を現しているのでしょうか?95万個の豆電球に飾られた夜は綺麗のでしょかね。近くの日本庭園、第2次世界大戦の慰霊碑等の写真は撮りませんでしたか。撮っていれば是非披露して下さい。モルンビのサッカー場、アイルトン・セーナの原っぱの中のお墓、石田さんの事務所の近くの大阪橋、三重橋、大鳥居にちょうちん横丁等サンパウロ調査隊として時折写真を日本の皆さんに送って挙げて下さい。
ポルトアレグレでも昨年は近くの公園に大きなクリスマスツリーが飾られていたのですが今年は不景気の煽りか姿を見せませんでした。近くのショッピングに飾られたクリスマス・ツリを貼り付けて置きます。

157.沢山のアクセスがあり良かったですね
名前:桐井 加米彦 日付:12月24日(火) 18時45分
お蔭さまで私のホームページにも沢山の方がご来訪されました。
今現在、かずさんが掲示板に書き込みをされています。和田さんからひと言お願いします。
また、下記は上谷さんのホームページ「JA6NXT」です。上谷さんに新春放談のことお知らせしました。
www.geocities.co.jp/Technopolis/2749/">http://www.geocities.co.jp/Technopolis/2749/
上谷さんの掲示板にも日系ブラジルの方に関するサイトの紹介などいろいろ書き込みがあります。是非訪問されてみてください。
反響は結構あります。次回もっと増えると良いですね。

158.Re: 上谷さんにご返事出して置きました。
名前:和田 好司 日付:12月24日(火) 20時57分
桐井 さま
何時もお世話になっております。
かずさんとmichikoさんからもお便り頂いております。
上谷さんのHPの掲示板にもご返事を書いて置きました。

156.雪景色
名前:神戸じいじ 日付:12月24日(火) 14時4分
ブラジルの皆様、暑中お見舞い申し上げます。
この時期、暑中見舞いを書くのは変な気持ちです。
ブラジルの夏は、日本のように蒸し暑さは無いのでしょうね。
神戸に雪が降ることは稀ですが、日本の北国はすっかり冬景色です。
3日前に、石川県で撮った雪景色で、涼を感じて下さい。

159.Re: 雪景色
名前:和田 好司 日付:12月24日(火) 21時6分
香西 さま
暑中お見舞い有難う御座います。これも地球の裏と表現象でしょうか。
第3回バーチャル座談会のPRありがとうございます。
北国は、雪景色とのこと石川県の雪景色良いですね。羨ましい限りです。
金沢市と私の住んでいるポルトアレグレ市は姉妹都市になっており当地の市長が加賀100万石祭りに招待されたり金沢市長や市会議長等を団長にした親善視察団が来たりして交流があります。
年末はプライア(海浜)で過ごす予定ですのでその内にブラジルの夏の写真をお届けします。

148.第3回バーチャル座談会 新春放談!! 地球の裏と表。日本とブラジルの違いを語る!!(前編)
名前:和田 好司 日付:12月21日(土) 22時17分
これまでの神戸じいじさんMASAYOさんの3人によるバーチャル座談会は、今回よりフリートーキング形式を取り入れ参加者の範囲を広げ当HPの日本への紹介者として初期の段階から協力頂いている桐井さんとそのHP訪問者の皆さんにも参加頂きました。1回の掲載が使用ソフトの関係で1万語との制約があり1回で纏まらず前編と後編の2回に分けて掲載することになりました。前編は、新春放談と銘打ってますが少し早い年内公開となりました。後編は文字通り新年第1回の寄稿集としてUPする予定です。まだまだチャンスはありますのでこの一足早い前編をご覧になって頂き飛び入りが出てくることを期待する意味もありますので宜しくお願いします。
写真は、今回は私が撮りお気に入りでPCの壁紙にも使用しているブラジルのグランドキャニオンといわれているイタインベジンニオ(ポルトアレグレから200km)の写真を使わせて頂きます。
(お願い!)上記の通り第3回バーチャル座談会の前編をUPしました。本文は寄稿集196番目に掲載されております。続きを是非書き込んで下さい。

160.Re:ブラジル側の発言をお待ちします。
名前:和田 好司 日付:12月24日(火) 21時47分
第3回バーチャル座談会に対するコメント等を頂いており感謝しております。何らかの形で披露して行きたいと思ってます。
所でブラジル側の発言が少なくブラジルサイドの皆さんの発言をお待ちしております。ご協力下さい。

161.『船の旅』 ポルトアレグレ地区会員 杉村士朗さんの寄稿
名前:和田 好司 日付:12月25日(水) 2時39分
南日伯援護協会の援協ニュース317号(9月17日発行)の5ページに『船の旅』と題してポルトアレグレ総領事館勤務の杉村士朗さんの旅行記が掲載されております。我々より2年程早い1960年6月着伯の先輩ですがほぼ同時期をブラジルに過してきた仲間の一人として杉村さんの移民船ボイスベン号(オランダのRIL=ローヤルインターオーシアンライン)での船旅の思い出と郷愁は40数年を経た今でも忘れがたいとの記述を掲載させて貰いました。杉村さんは1939年11月15日東京に生まれた江戸っ子ですが20歳でブラジルに移住、農業から始め日本語学校の先生、経済的な理由もありリオとポルトアレグレの日本国総領事館に都合三〇年近く勤務、後二年で退職予定との事でその後は気力と体力の続く限り世界中を寝袋を担いで歩いて回りたいとの事で私も一度位は杉村さんにお供して寝袋担いでの安行?の旅に出たいと願ってますが実現するでしょうか。杉村さんの近影をと思ったのですが断られましたので日本の豪華客船『飛鳥』のリオデジャネイロ停泊中の写真を旅行ジャーナリストで写真家のDaniel R Carneiro さんからお借りしました。2000年にリオで撮影したものだそうです。
本文は寄稿集197番をご覧下さい。

162.お知らせと感想
名前:桐井 加米彦 日付:12月25日(水) 18時55分
本日、バーチャル座談会の仲間おふたり 神戸じいじさんとMASAYOさんのホームページを訪れご挨拶をしてまいりました。早速お二人のホームページをお気に入りにセットしました。仲間が増えて大変嬉しいです。
次に私の掲示板の件ですが、遊びの中にも何かを学びたいという気持ちが思わず掲示板を堅苦しくしたのかもしれません。私が少し真面目すぎる?せいでしょうか。
皆さんには遠慮なく気軽な気持ちでどんどん書き込みをしていただきたく思っている次第です。
次回、後編にはもっと多くの方々の参加があると良いですね。

163.Re:何時もご支援有難う御座います。
名前:和田 好司 日付:12月25日(水) 23時11分
桐井 加米彦 様
何時もご支援有難う御座います。
現在第3回バーチャル座談会後編を作成中ですが、桐井先生のHPの皆さんには大変お世話になったいます。詩とエッセイの広場にブラジル談義が入り込み違和感を感じておられるのではないかと心配していましたが気にすることはないとのお言葉に安心しました。これからもどんどん押しかけます。ブラジルの仲間もアクセスさせて頂いているのではないかと思います。
HPTOPの写真をお借りして貼り付けて置きます。座談会後編はこの写真を使わせて頂く積りです。

164.画像掲示板の書込み一部永久保存開始。
名前:和田 好司 日付:12月25日(水) 23時15分
11月18日より画像掲示板を開設、新しい寄稿集をUPした時のPR、関係者の写真掲載、各種連絡、『私たちの40年!!』愛読者?からの暖かい書込み(カキコ)、貼込み(ハリコ)等に威力を発揮して呉れております。この画像掲示板はある一定のサイズまで達すると古い物から自動的に削除されて行くとの事ですので、貴重な写真は写真集に一部記録的価値のある書込みは、この寄稿集に転載して置く事にしました。クリスマスイブの24日現在『私たちの40年!!』は8900回、画像掲示板は1750回のアクセス(1日平均47回)を記録しております。バーチャル座談会への関心等も手伝い次のキリ番9999/10000/11111/12345総てカーニバル前に達成しそうです。寄稿集は200番で今年を終えそうです。年間200件、5年で1000件の寄稿が集まればそれなりの戦後40年の移住史の一部として書き残せるのではないかと思います。内なる物の発露として継続して行く積もりです。
写真は、私事で気恥ずかしい気がするのですがやはりこの『私たちの40年!!』の始まりとなった22歳の若き日の横浜出航前時の花束を持つ華やいだ私の写真を選びました。旧友モグリ同船者の谷 広海君が云う《全ては和田より始まる》の言葉を裏付ける1枚です。

165.同船者、井出 大さんよりのお便り。
名前:和田 好司 日付:12月25日(水) 23時20分
クリスマス、新年のご挨拶を数多く戴いておりますがそのうちの1通、達筆で書かれた同船者井出 大(イデ ハジメ)さんのお手紙を披露して置きます。
井出さんご一家は岡山県出身で第1回移民の笠戸丸移民が入植した移民発祥の地グァタパラの戦後再開発されたグァタパラ移住地に入られました。今年7月に行われたグァタパラ移住地入植40周年記念祭に参加され久しぶりに故郷に戻った安らぎを感じるとお会いした時に語っておられたのが印象に残っています。写真集に掲載されている説明文を下記して置きます。
井出勝一さん長野県出身1920年2月29日生まれを家長としてグアタパラ移住地に入植されその後各地で苦労されたとの事ですが7月6日のグアタパラ移住地40年祭にお孫さんに付き添われてご家族皆さんで久しぶりの里帰りをしておられました。長男の井出大さん1948年11月30日生まれ、3女の井出敏子さん1953年2月23日生まれの同船者とその配偶者、お孫さん等賑やかな雰囲気で楽しくお話させて頂きました。長女の妙子さん1950年2月16日生まれは現在日本にお住まいとの事ですがなんと10人近いお子さんを育てておられるとの事で近々ケースワークとして井出さんご一家の家族構成等詳細を知らせて頂く事になっております。
写真は重複しない様に井出家の三代の皆さんと一緒に撮らせて貰ったものです。

167.ポルトアレグレ総領事館廃止反対キャンペンの現状とその行方について。
名前:和田 好司 日付:12月25日(水) 23時36分
『私たちの40年!!』HPでは管理者がポルトアレグレに住んでいるとの地理的な関係もあり139番 在ポルトアレグレ総領事館廃止報道に関して(9月7日掲載)以下143番、145番、155番、158番と5回に渡って関係記事を掲載しておりますが、2002年を終えるに当たり寄稿集200番にこのポルトアレグレ総領事館の存続問題、その後の動きを記載して置きたいと思います。
正式には5月12日の40年の集いで公開した『私たちの40年!!』HPは、年を閉じるに当たり寄稿集200番目まで記録してきました。あるぜんちな丸第12事項の681名の同船者の記録が主旨ですが、HP管理者の私の住んでいる場所が南伯のポルトアレグレである事から地域の特殊性に偏り、気を付けているとは言え管理者の個人的な趣味、感覚、自己顕示欲、独断と偏見等鼻持ちならぬ不快感を覚える方も多々いるのではないかと危惧しますが、これからもその傾向は継続して行く積りでポルトアレグレに住む和田個人を通しての戦後40年の移住の歴史を書き残して行きたいと念願しております。これからも宜しくご支援下さい。2003年は第3回バーチャル座談会後編201番から再開します。年間最低200件、5年で1000件の寄稿集を目指して頑張ります。
御支援頂いている多くの皆様に取って2003年が良い年となりますよう御祈りします。
写真は9月初旬の雨に日に撮ったポルトアレグレ総領事館の全景です。
本文は、今年最後の寄稿集200番目に掲載しております。
明日より年始めまで隣りの州のサンタカタリーナ州、フロリアノポリスの海浜に家族と共に2台の車で出かけます。海水浴は余り好きでないですが何所までも続く砂浜を歩くのは大好きです。カメラを携帯して色々ブラジル的な被写体が見つかればと期待しています。変わったものが撮れれば公開します。お楽しみに。。。借りている家の環境が不明で使い慣れたADSLの様には行かないかも知れません。電話回線で繋げて見る積りですが最悪1週間不通になる可能性もありますが、遅くとも1月2日にはバーチャル座談会後編をUPする予定です。留守中も是非画像掲示板を宜しくお願いします。

170.人類は皆平等!
名前:桐井 加米彦 日付:12月26日(木) 9時9分
かつて日本では「脱亜入欧」の思想が横行していました。

しかし、最近少し変わって来つつあります。テレビコマーシャル(お茶)にモンゴルの人が出ているのをよく見かけます。また、アメリカの政治の世界にも白人のみならず黒人やアジア人がいるのを見かけます。大変良い傾向だと歓迎しています。
私の故郷大分県中津市出身の福沢諭吉は言いました。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と。
また、近代市民社会をもたらしたフランス革命を評価します。そのモットーとする「自由、平等、博愛」の精神は実に立派です。暮れになるとよく謳われるベートーベンの第九「歓喜に寄せて」はご存知のようにフランス革命をもとに作られています。
人間は生まれながらにして平等であるべきだと思います。如何に高貴の家に生まれようと、また、如何に極貧の家に生まれようと、また、肌の色が白かろうと黒かろうと黄色であろうと生まれ落ちた瞬間から平等です。
この21世紀こそ、世界中が「自由、平等、博愛」の精神の徹底的実践の世紀になって欲しいものです。
今、私の「掲示板」ではこの話題で盛り上がっています。

176.どうぞ良いお年をお迎えください
名前:桐井 加米彦 日付:12月28日(土) 19時12分
和田さん こんばんは(日本の場合) おはようございます?(ブラジル)
本年、和田さんからいただいた『詩とエッセーの広場』への温かいご支援に心から感謝申し上げます。
和田さんのホームページやメール、書き込み等から多くのことを学ばせていただきました。また、バーチャル座談会は素晴らしい企画で好評です。
誠に有難うございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。

177.こんな感想が寄せられました
名前:桐井 加米彦 日付:12月29日(日) 14時9分
「バーチャル座談会」をご覧になった高校時代の友人、K,Iさんから次のような感想が寄せられました。
「加米彦さん バーチャル座談会を読ませていただきました。地球の裏側(日本にとっての)だから、地球上もっとも遠い場所との交信、あるいはそんなところでの日本人の活動について感激を覚えます。」と。
バーチャル座談会に参加した一人として、このようなメールをいただくことはとても嬉しいです。
以上ご報告まで。

179.追伸 日本人移民で野菜が豊富に市場へ
名前:桐井 加米彦 日付:12月30日(月) 4時48分
明治時代、日本からブラジルへ移民された人々のお蔭で、ブラジルでは野菜の種類が豊富に市場に出回るようになったとテレビは伝えていました。
日本人の努力はすごいと思いました。

108.ブラジル人の友達
名前:吉田文彦 日付:12月12日(木) 6時20分
ブラジルに来てサラリーマンばかりやっていた。クビになったこともある。忘れもしない1984年1月勤めていたヴィラレス製鋼所を首になった。家に帰り妻に首になったことを告げるとただ”そう”と言っただけで黙っていた。その晩ブラジル人の友達全員に電話をかけクビになったことを知らせた。日本人の友人には知らせなかった。ブラジルでは首になった場合出来るだけ多くの友人に知らせるのが定石だ。しかし、日本人はどのような反応を示すかわからなかった。クビになるなんてバカな奴と思われるのだろうか?
友達にばかり頼るのでなく、自分でも新聞の求人広告を見て履歴書を送ったりした。しかしどこからも面接に来いと言う連絡はなかった。もう40才を超えていたから難しいことは確かだった。一ヶ月ぐらい経過したとき、エムブラエル(航空機製造)に勤務しているウリシスという友達から電話があり、空きがあるから面接に来いと電話があった。ウリシスとは空軍省の技術研究所で1974年までいっしょに働いた。1974年彼はフォードに移り、1975年私はジェネラル・モータースに移った。そのとき以来彼には会っていなかった。
会社に行き面接、知能テストを受け家に戻った。3日で結果を連絡すると言われたが、10日経っても、何の連絡もなかった。そしてウリシスから電話があった。私はうれしくなり合格の知らせだと思った。ところがそうでなかった。私は不合格になったというのだ。その理由は知能テストに通らなかったというのだ。ウリシスは自分の課の社員の配置転換までやって空を作り私を入れようとしたのに知能テストに通らないとは何事かといって怒った。彼はこれからどうすればいいか考えるから時間をくれと言って電話を切った。しかしなにぶん大きな組織の会社であり、人事課の決定を覆すのはほとんど奇跡に近いことだともいった。私も知能テストに通らないなんてなんということだと思い悲しくなった。
そして一週間たった。ウリシスが電話をかけてきた。彼は笑いながら奇跡が起きたといった。かれは人事課に行き私の選考書類を全部見せてもらったという。その書類を分析すると、人事部長も技術部長も面接結果で私を絶賛していたという。そこでウリシスは両方の部長のところへ行き、2人とも面接で吉田を絶賛しておきながら、知能テストが通らないというだけの理由で不採用にするのは不条理で、新卒じゃあるまいし、少なくとも吉田のように実務経験の長い技術者には現在の知能テストは免除すべきだと進言した。両部長ともウリシスの見解に同意したのである。かくて私はエムブラエルに勤務することになった。
ここで私が思うに、こんな親切な友達が世界中のどこにいるのだいうのだ?
おそらくブラジルにだけだと思う。
でも彼は2001年の5月肺ガンのため逝った。私はブラジルいや世界で一番の友達をなくした。運命というものがあるのだと思った。

111.Re:< ブラジル人の友達>を寄稿集に掲載しました。
名前:和田 好司 日付:12月12日(木) 20時42分
吉田 文彦 さま
下記の説明書きと共に寄稿集191番目に掲載させて頂きました。これからも宜しくお願いします。

寄稿集165番目に<工業移住者協会のホームページ立ち上げました>との吉田文彦さんの寄稿を掲載しておりますが、今回また吉田さんから<ブラジル人の友達>という題で寄稿を頂きました。1966年4月あるぜんちな丸で渡航(私たちより4年遅い)され、移住する動機となった友人の日系ブラジル人山村さんと甲板で36年前に撮られた若き日のスマートで紅顔の美少年?だった頃の写真を掲載しておりますが、今回は、ラフなランニングシャツ姿でご自宅?の裏庭らしいバナナの葉っぱの前で撮られた写真を頂き、はやはり36年の時の流れを感じさせる「これが吉田さん?!」と思わず声がでそうな写真に親しみを感じました。寄稿集191番に全文を掲載しておきます。また内容の一部はバーチャル座談会でも使用させて貰う積もりです。吉田さん有難うございます。毎年年末にはカラカタツーバの別荘で山村さんのご家族と集うとのことですので是非36年後のお二人の写真を撮って送って下さい。

124.Re: ブラジル人の友達
名前:神戸じいじ 日付:12月14日(土) 22時1分
吉田文彦 様
はじめまして。
神戸在住の「神戸じいじ」こと、香西と申します。
吉田様の投稿を読ませて頂き、ブラジルの方の友情の厚さに驚きました。
日本では、就職のお世話をするにしても、親戚か極く親しい友達に限られると思います。
二十数年前の職場の仲間が、自分の会社の人事課まで掛け合いに行くとは・・・。
そのような人情は、日本には残っていません。
人の世話をするにも、自分に何らかの利得を考えるのが日本の現状だと思います。
ウリシスさんは、昔の日本における「義理と人情」の世界、「一宿一飯」の恩義の世界を思い起こします。
そのような社会であればこそ、異国で頑張って来られたのだろうな〜と、思います。
また、ブラジル社会における友情・人情・義理について、お話し下さい。

126.Re: ブラジル人の友達
名前:MASAYO 日付:12月14日(土) 22時33分
吉田さま、はじめまして。
神戸じいじさん、和田さま、皆さま。こんばんは。
義理人情の厚さ、本当にそう思いますが日本では義理人情がなくなったというより、そこまで個人の事情に入るのを遠慮するという面があるのではないでしょうか。ところがブラジルの方はその人のためにとことん見方になってあげるという理屈じゃない率直な親愛の情の示し方をされるようです。
ここにこそ日本とブラジルの違いがある気がします。

127.Re: ブラジル人の友達
名前:神戸じいじ 日付:12月14日(土) 23時28分
MASAYOさん
そうですね。
吉田さんが、失業のことを日本の友達に知らせず、ブラジルのと友達に知らせたと仰っている点は、「やはり日本人だな」と感じました。
日本人は、自分を曝け出さない。
日本人が持つ「義理人情」は、どこかに無理がある。
その点、ブラジルの人の友情は自然な感情のようですね。
日本の無理のある「義理人情」が無くなるのは、当然なのかも分かりません。
現在の日本の若い人たちは、無理をしない。
したがって、古い日本人から見ると「人情がない」ように見えるのでしょうね。




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